2.スカイクラッドの乙女達
魔女学園の入学式。私はその日、学園長に呼び出しをくらった。
正直、ぶるっちょである。
放課後。私、また何かやっちゃいましたか? と心の中でつぶやきつつ、おそるおそる教員室の扉を開いた。
「あら、あなたがマリー? ふふ、やっぱり、あなただったのね」
突然飛び込んできたのは、白百合の立ち姿。
生徒会長のクラリス様である。それはどこか、運命めいた出会いを感じさせた。これから、物語が動き出しそうなほどに。
「でも、学園長先生も人が悪いわ。勝手に呼び出しておいて、後は任せた、ですもの」
「あの、なぜ私はここに……?」
クラリス様は小首を傾げた。……ってどうして様呼びかって? そんなもの、目の前に立てば分かりますよ! 住む世界が違うんだもの!
「聞かされてないの? 呆れた。まあ、お忙しい方だから、仕方ないのですけど」
スタッカート! 小気味よく紡がれるその言葉。決して急がずアンダンテ。されどその旋律はカンタービレ。
「どうか、したの?」
著名な音楽家の演奏を聴いた後のようにスタンディングオベーションを送った私であったが、このままではただのおかしな人である。慌てて返事をする事にした。
「どうか……いえ、同化、したい、あなたと……!」
まるで舞い上がってしまっていた。私はもう絶対におかしな人としてリストアップされた事だろう。あまつさえ、発言の責任を取るべく私の手は彼女の手へと触れてしまった。
思えば、短い学園生活だった。驚いた瞳。私を見つめる彼女の目はそう、レッテル、入ってる。
「く、くふふふ……んひひひひ!」
あ、ウケた。おまけに魔女笑いまで嗜んでいらっしゃる。
「面白いわね、あなた。……んふぅ、えっと、私は、クラリス。高等部三年、生徒会長をしています。ここへあなたが呼び出されたのは他でもありましぇん」
噛みましたね。何回目かな、101回目くらいであろうか。
「こほん、ありません。あなたの魔女としての能力、魔笛が、我が学園の名誉的組織、スカイクラッドによって選ばれました。ひいては、会長である私が代表して、貴女を迎え入れたいとここへ来た次第です」
うん、新しい単語がたくさん出てきましたね。引かないで下さい。おそらく、真面目に言ってるんだと思うんです。
平たく言うと、君の能力、気に入ったよ! 魔女学園の生徒会に入りませんか? と言うことらしい。ソロリティとは、ある修道女会を発端とする女子学生友愛クラブの事である。女子学生友愛クラブ。なにか変な気を起こしそうですね。
「生徒会……そう言えばここ、吹奏楽部はあるんですか?」
生徒会をするのなら、部活動を諦めなければならない。私はかねてより気になっていた質問を、長台詞を言い切り少し得意げになっていたクラリス様へとぶつけた。
「ありますが……、あなたが演奏すると、どうなるかご存じでしょう?」
「ごもっともです……」
この能力は、私の夢を打ち砕いた。しかし新たに、素敵な出会いをもたらした。一方的に憧れていたこの方と、これから夢の学園生活を送る事が出来るのだ。絵に描いたぼた餅が棚から落ちてきたとはこのこと……うん、なんか違う。
「では、その、スカ……クラリネットに入れて下さい!」
「スカイクラッド、ですね。まだ仮入会ですが、ようこそ、マリー」
クラリス様は、まるで聖女の様にほほえんだ。本日二回目の昇天。てえてえ……。
「では、書類を渡しておきますね。必要事項を書いて、私に届けて下さい」
「はい……」
あまりの尊さにそこから先の記憶があいまいだったが、私はどうも生徒会室へと連れてこられたようだ。カラリパヤット、だったかな。そこの。
サバトの集会へと集う乙女達が、今日も悪魔のような残忍な笑顔で、 地獄への門をくぐり抜けていく……といった事も特になく、そこは割と普通の一室であった。魔女学園の生徒会と言うくらいだから少し後ろ暗い雰囲気を想像したが、その雰囲気はまるで白百合会である。
「クラリス、それが新人?」
「そうよ。かわいいでしょう」
まるで珍獣でも見るかのように、先輩方がやってくる。ここへ入る条件はとびきりの美人である、というものがあるのだろうか……いや、私がいる時点でそれはないか。
すると、長い黒髪の前を切りそろえたキツそうな美人が、魔女のようにいたずらな笑顔で私の頬を撫でた。
「うん、イモ掘りでもしてきたのかな? ぽてっとしてる子ね」
「ふっ……。シャリエ! いきなりなんてことを言うの!」
クラリス様がかばってくれた。いや、最初、笑った? ううん、気のせいだろう。シャリエと呼ばれた人は、舌を出してごまかした。うーん、こっちは何か可愛くない。テヘペロでござんす感。
「えへへえへへ、よろしくねえ。君、名前、なんだっけー」
お次はぽわぽわとした可愛らしい子が、私に話しかけてくれた。あ、返さなきゃ。私は久しぶりに口を開く時のニチャ、という音と共に、自己紹介をした。
「ローズマリー゠ホワイトです。音楽学校に入る所を、なぜかここに入学しました。フルートが得意です。イモは好きですよ。ふかしイモ」
そう言って、私は顔を膨らませた。
プスー、と蒸気が鼻から漏れる。
「あっははは!」
早速シャリエさんが気に入ってくれた。さっきのギャグに対するアンサーのつもりだったが、良かった良かった。凝りすぎると被せたみたいで生意気だし、パンピーに向けたマイルドな笑いを心がけたのが勝因か。いじめの主導者みたいな雰囲気をしてるから、ここは気に入られなければ。
「面白い子だねー。私は2年生のムーニーだよ。書記をしてるよ」
子供みたいな名前だな、と思わずにはいられないが、彼女、本当に子供みたいなのである。背は私の胸あたりまでで、そのお山の向こうの顔を見ようとぴょんぴょんと跳ねている。私と言えば、その夢可愛さに早速脳髄がやられていた。ふわふわとしたピンク色の髪の毛が目を引くが、こう見えてやはり淫乱なんだろうか。
「あ、忘れてた。私は副会長のシャリエラ、同じく2年生。よろしくね。ローズマリー゠ポテイトちゃん」
うわ、やった。初対面で一番やっちゃいけない名前もじり。しかし、これは試しであろう。私は苦笑いを浮かべた。それはどこか股の下をくぐるような、ひいては彼女の靴をなめるような行為であった。
「生徒会へようこそ。私は会計のヘンリエッタ。どうぞよろしく」
続いてはメガネをかけたお堅そうな人。しかしその顔を見ようとしても、急に顔にトーンがかかったように印象が薄くなった。つまり後はまあ、脇役の方達であろう。それなりな自己紹介が続く。いや、私が一番モブなんだけどね……。
「初日から何かをやってもらう、と言うことはありません。まずは、ここの雰囲気に慣れて貰おうかしら」
「はい、ではお言葉に甘えさせていただきます!」
スットコドッコイだったか、大層な呼び名ではあったが、いたって普通の生徒会である。みな、書類の整理やお金の勘定など、せわしなく働いていた。
私と言えば、学園の成り立ちなどを記した冊子を眺めたり、クラリス様を眺めたり、飛び出した鼻毛の感触に気付き鼻をもごもごさせたり、クラリス様をまた眺めたりしていた。
そんな特にやることもない私を、ムーニー先輩がかまってくれる。
「ねえねえ君、やっぱりクラリス先輩の事、狙ってるのー?」
やはり淫乱ではないか。脳内までピンクな恋愛脳、しかしさすがは鋭い。
「いえ、狙っているというか……素敵だなって」
「そっかー、うーん。まあ、頑張ってね」
何か含みを持たせたような言葉。まるで、超高難易度のヒロインを選んでしまったかのような言い方である。そういえば、この学園には恋愛にまつわるウィッチヘーゼルの木の伝説という話があるらしいが、これはまたの機会に。
ろくに仕事の無い自分にとっては、それ以降は割と退屈な時間であったが、クラリス様の近くにいられるだけで幸せだった。
「それでは、今日の活動はおしまいとします。これから一年、頑張っていきましょう」
「お疲れ様でしたー!」
入学式のあったその日は学園も夕刻には締めるらしく、生徒はもう帰る時間となった。皆、クラリス会長との別れを名残惜しそうに下校していく。
「マリー、どう? 馴染めそうかしら?」
「あっ、はい! お金払ってでも来たいくらいです」
「ふふ。では、また明日ね」
至近距離での笑顔に、もうウキウキである。私も教室へと戻り、荷物を肩に掛けた途端、何かを忘れている気がして思考を巡らせた。
そうだ、クラリス様に入会用の書類を渡されたんだった。仕事が出来る事を示すためにも今日中に渡しておこう。彼女はきっと最後まで残って戸締まりなどをしているはずだ。私は早速それを取り出し、机へと向かう。
「ふむふむ、リトルウィッチクラフト・ソロリティ、スカイクラッドへの加入要件……」
舌を噛みそうになりながらもつぶやく。そこには、長くて退屈な文章と、いくつかの注意事項が書いてあった。
~必読・生徒会加入に当たって~
――貴殿は名誉的組織の一員として恥ずかしくない成績、素行を常に示さねばならない。
――不純異性間交友はいかなる理由があっても禁止する。
――外部への情報漏洩は厳しく罰せられる。
――おやつは自腹で持ち込んでも良い。
うん、ここまではいい。
――スカイクラッドの一員となった者は、その生死を学園側が預かる事になる。
――必要とあれば、国家間の戦争行為に荷担する事も活動内に含まれる。
なんぞこれ。
確かに世界は今、あまりいい状況とは言えない。ある大国が世界に向け、宣戦布告をかましたのだ。その国は魔女を取り締まる正教の国。邪の道を行く魔女としては、ある意味忌まわしい存在でもある。学徒動員なのだろうか。力を持つ魔女に赤紙が届くのも頷けるが……。
でも、あのクラリス様が戦争を……?
虫も殺さないようなあの人がそんな事に荷担しているなどと、信じたくはなかった。
……確かめなければ。
私は彼女を守りたいという一心で誓約書にサインをすると、少し汗ばんだ手でそれを握りしめ、生徒会室へと走りだした。
少し、扉が開いたままの生徒会室。夕焼けの光が差し込む。窓も開いているのか、すきま風がそこから音を立てていた。
乙女達の学園に似つかわしくない、少し湿った音と共に――。
「ん、ふぅ……、んは……」
「クラリス……ふぅ」
見てしまった。そう、よりによって、気持ちが昂ぶっていたタイミングで。
クラリス様と、副会長シャリエの情事――。
想像通り、シャリエは女豹のように、攻める側。私の聖女様は、いいようになぶられる側。二人の姿は逆光の夕日に照らされ、紅いシルエットを描いた。
「ん、シャリエ……。もう、帰らないと」
「だーめ。見たでしょ、通達。次の戦争まであまり時間がないの。たくさん、楽しまなきゃ」
そんな事を言う口はどの口だ。と言わんばかりに、シャリエはクラリス様をさらに攻める。彼女の細く長い指が、長い舌を捕らえたのだ。
「ひゃいえ……らめ……」
「こえ、えろいよ」
「わらし……舌、よわいの……しってて……」
私はというと、あまりの刺激にどこか放心状態でそれを見つめていた。光と影が織りなすバロック美術の様な二人は、次第にモザイク画へ変化する。これは涙?
恋愛経験なども無い私が常日頃繰り広げる妄想は、何故か女性とのものばかりである。そこからしてすでにおかしかった。男となんて、父のアレを見てからというもの想像すらできない行為である。
「何だか今日はやけに抵抗するね。もしかして、新しく来た子の事、考えてた?」
「そんな事、今は言わないで……」
「ごめん。あんな子、君のタイプじゃないか」
決定的な言葉。一人で舞い上がっていたが、そうだ、私は何てことない、ただのイモであった。でも、あんまりだ。あんなに、素敵な顔で笑ってくれたのに。
それに、どこか期待もあった。入学式で見つめられたあの時から。その位置には、本来ならきっと私がいるのだと。
その時、今彼女を襲っているあの人のような目を、私もしていた事に気づく。
ムーニー先輩の言っていたことは、この事だったのか。彼女はすでにお手つきであると。普通ならここでこの恋は終わるのだろう。だが私は諦めきれず、姑息な手段に出た。
誓約書を扉の前に置いて、その場を去るという――。
後のことなど考えない、あの人のことなど何も考えてもいない行動である。
しかし、仕方が無かった。これ以上はここにいたくない。だって、女豹の舌はだんだんと聖女の秘部へと向かっているのだ。無理だ! そこは、私の……!
予感した黄金時代の足音は遠ざかり、私はただ、どこまでも続く暗闇を走り抜けた。