◇家では大貧民
◇家では大貧民
「あぁもう、なんでアンタ家にいるわけ? 今日のぶくん来るんだから出てけよっ」
「いって!」
日曜の朝、リビングでテレビを見ていたら、いつもより化粧が濃い実夢が突然リモコンを投げてきた。肩に命中して痛い。
のぶくんとは、最近できた彼氏のことらしい。母さんと父さんは休日出勤で、由奈はおばあちゃんの家に預けられている。よって、実夢は彼氏を家に呼ぶことにしたらしい。俺は空気っつーかいないも同然、いたら邪魔扱いの存在なので、こうして追い出すと。
一応、「俺用事ないから家にいたいんだけど」と言ってみるも蹴られたのでリビングを退散して財布とスマホを片手に外へ出ることにした。特に行く当てもない。家族カーストの中で最下位の俺。学校では、一番なのに。急にみじめな気持ちになる。家族に冷たくされたり、嫌われるというのはなかなか辛いものだ。早く家を出たいと思ってる。そして、俺を必要としてくれる人を見つけたい。そんなことを考えていたら、自然と視界がぼやけてきた。あ、やばい。俺今、泣きそうなんだ。
まばたきを繰り返して、目を乾燥させることに勤しむ。このまま外にいてもやることないし、図書館に行くことにした。本当はこんな気持ちのときに一人でいるのなんて嫌なんだけど、正直、俺には遊びに誘う友達がいない。クラスでも学校でも、みんなの中心的存在だけど、常に猫をかぶっているから。本音で話したことあるやつなんていないんだ。本当の自分を誰にも見せたことがない。家族に冷たくされて辛いとか、悩んでいることがある、なんて言えない。自分に壁があるから、みんなも一定以上の距離にいて壁を壊しに来てはくれない。そんなことは、なんとなく分かっていた。
スマホをいじっても、誰かからの通知や連絡はゼロ。クラスや生徒会のグループラインがあって、行事のときなんかは頻繁に鳴るけど、個別に連絡を取るようなことはなかった。いのりからはたまにテストの範囲教えてとか来るけど。
とぼとぼと、図書館までの道を歩く。日曜だからか、子どもがいる家から楽しそうな笑い声がきこえてきたりすると思わず耳を塞ぎたくなる。
「あれ、まなぶじゃん。何してんの」
下を向いて歩いていたので、驚いて顔を上げると、逆光で一瞬誰だか分らなかったけど目の前にいたのはいのりだった。白の清楚なワンピースが目に眩しい。いつもと雰囲気が違って、心臓がドキッと跳ねたような感覚。私服で会うのは初めてだし、今日はたぶん化粧をしているっぽい。実夢のケバい化粧とは真逆のナチュラルなメイク。
「えっと、図書館行こうかなって」
「休みの日まで勉強? 理解できなーい」
オーバーリアクション気味に言う。一応、レベルの高い高校なんだから、休みの日も勉強している人はたくさんいると思うけど、イマドキの女子高生ないのりには勉強よりも優先することがあるんだろう。
「いのりは、何してんの」
「あたしは今から美容院行くとこだよ」
さすが、学年一の美人は優先順位が違いますね。
「そうなんだ、じゃ」
予約の時間もあるだろうし、手短に別れを告げると「待ってよ」とシャツの裾をつままれた。
「ねぇ、美容院終わったら……一緒にどっか行かない?」
不意打ちだったので「え」とききかえすと、少し早口で「べ、勉強のしすぎだと逆に頭にわるいよ。あたしが気晴らしに楽しいトコ連れってってあげる」と、笑った。
笑ったいのりの姿を見たら、さっきまでの暗く重い気持ちがちょっとだけ軽くなった気がする。
「その理論、たぶんいのりだけだからな。俺は勉強した分だけ頭が良くなる」
「なによ、偉そうにっ」
頬を膨らませたいのりのスカートが、風でふんわりと揺れた。
「どんな髪型になるか楽しみにしてる。終わったら連絡して」
たぶん今、つられて俺は笑ってると思う。だって、少しドキドキしてるから。
ずっと必死だった。自分の一瞬一瞬が。努力してないといけない、と自分を縛り付けていたから。だから、ちょっと先の未来が楽しみに感じることが久しぶりで。
「ありがと。じゃあ、行ってくるね。図書館で待ってて」
ロングヘアとスカートを翻して行く姿を見送ってから、残り五分ほどで図書館に到着する距離を歩く。さっきとはまるで足取りが違う。身も心も軽くなった気がした。
図書館に入ると、ふわり漂う古書のにおい。静かでちょっと冷たい雰囲気さえ漂う図書館はわりと好きだ。さっきいのりに「勉強?」って言われたけど、実夢がキレていたので転がるようにして家を出たから、今日は勉強道具を持ってきていない。大人しく読書をすることにする。最近ドラマ化したタイトルの本を手に取り、日差しが降り注ぐソファに腰掛ける。
女子の美容院がどのくらい時間のかかるものかは知らない。三十分くらいか? と高を括っていたら、なんとこの本をまるまる一冊読み終えてしまい、二時間経過していた。もうとっくにお昼の時間を越えている。女子ってすげぇ、と本を閉じ日差しの温かみを感じていたらポケットに入れていたスマホが震えた。ラインを起動させるといのりから「今終わったから図書館向かうねー。十分ちょいで着くと思う」と連絡が来ていた。「了解。入口で待ってる」と返信し、本を返却ボックスへ入れてから外へ出る。大きく息を吸うと、初夏の緑っぽい空気が肺全体に行き渡るのを感じた。もうすぐ、夏だな。その前にまた生徒会長選挙だ、という事実が頭の片隅をよぎる。
「やっほー、お待たせ。待ったぁ?」
数メートル手前で、いのりが大きな声を上げながら手を振っている。その姿に驚いた。
「ふぅ、到着。ほんとお待たせ」
少しだけ息を切らして、にっこり笑っているけど、まず気になりすぎることがある。
「いのり、髪」
「うん、思い切って短くした。ボブも可愛いでしょ」
ずっと、綺麗だと思っていたいのりの長い髪。大胆にもイメチェンし、今は半分くらいの長さになっていた。ボブカットも十分似合っているけど、やっぱり驚きでしかない。いのりの髪は、とても印象的だったから。
「似合うけど、なんでそんなに短くしたの?」
これは失礼な質問にあたるだろうか。でもきかずにはいられなかったから、正直に言ってしまう。
「んー……なんとなく? たまにはいいかなって。あと、ちょっとやりたいことがあってね」
「やりたいこと? それなら長い方が色々出来たんじゃないのか?」
「違いますぅ。ヘアアレンジの方じゃなくてっ」
そういう意味ではなかったらしい。少し困ったような顔で濁してくる。
「ま、たまにはイメチェンしたかったの。とりま行かない?」
「そういやどこ行くんだ?」
「ショッピングモール」
ぐいっと俺の腕を引っ張って、図書館前のバス停に連れていかれた。あ、拒否権は無いヤツね。
五分も経たないうちにバスが到着して、二人掛けの座席に腰を下ろす。あまりバスに乗る機会がないから思ったことなかったけど、バスって案外座席狭いのな。いのりが窮屈じゃないか心配になってきた。いのりの華奢な肩と俺の腕がちょっと当たってる。
「なに、チラチラこっち見て。窓際の方が良かった?」
頭一つ分差のあるいのりが、自然となってしまう上目遣いで俺を見上げてる。
「ちげーよ。そんな子どもみたいなこと思うわけないだろ」
「ふーん。ま、そういうことにしといてあげる」
妙に勝ち誇った顔で上から目線だ。会話が。
「あたし、男子と二人で出かけるの初めてかも」
唐突にドキっとすることをぶち込んでくる。
「俺はあるよ。姉の買い物で荷物持ち」
一瞬、なぜかこちらを睨んでから「お姉ちゃんいるんだ、知らなかった。何歳差?」と興味津々できいてきた。
「一歳しか変わんないから、今高三」
「へぇ、一緒に買い物なんて仲良いんだね。良いなぁ」
ちょっと待て、人の気も知らないで思いつきで良いなぁなんで言うもんじゃないぞ。
「いや、すんごい性格悪いから」
「それは家族だから、気を遣わず素でいられる証拠なんじゃない?」
「断じて違う。最凶最悪の姉だからな。妹もプチ最凶最悪」
「妹もいるんだ。ってかプチって何ウケる」
無邪気に笑っているけど、いつかガチで実夢と由奈の様子を見せてやりたい衝動に駆られる。とは言え、あいつら外面だけは良いから絶対最凶最悪な姿を他人に見せることはないんだけど。そういや俺も同じだった。血は争えねぇ……。その事実に気づいてちょっと凹む。
「いのりは。兄弟いるのか?」
「あたしはお兄ちゃんと二人暮らしだよ」
衝撃の事実。
なんでとか、お兄さんは何歳とかきこうとした瞬間「次、とまります」のボタンをいのりが押した。
「次だね」
ショッピングモールの目の前で停まるバスを降り、一番近い入口から店内に入る。日曜日ということもあって人がたくさんいる。家族連れや、学生のグループ、カップルなど様々。じゃあ他人から見たら俺らもカップルに見えるんじゃん、とか考えてたら「あたしたち、カップルだと思われちゃうねー」と、心でも読んでんのかよってくらいのタイミングでいのりが言う。
「ねぇ、何顔赤くしてんの? ウケる。いくら女子にアピールされても営業スマイルで返す学校の帝王なのにぃ」
小悪魔っぽい表情で腕をつんつんされた。柄にもなく顔を赤くしてたみたいで恥ずかしい。
いのりに腕を引っ張られ、連れていかれた先はスタバ。
「新作のやつ飲みたいんだよね。付き合ってよ」
実夢の買い物に付き合わされると毎回奢らされるやつだ。
さすが日曜日、カウンターまで列になっている。待ち時間の間に渡されたメニューを二人でのぞき込む。
「あたしはモチロン、新作のレモンだから。まなぶは?」
「えーっと、コーヒー」
「面白くなっ! こっちの、もういっこの新作のやつにしてよ。そしたら二つの味が楽しめるじゃん」
最初からいのりの頭の中で決まってたんじゃん。何にするとかきくなよ、というツッコミは心の中に閉まっておくことにするけど。
「ご注文をお伺いします」
優しい笑顔で対応してくれる店員さんに、新作二つを注文した。
「あれ、まなぶ、ちゃんと自分の分は払うから」
隣でいのりが財布を出していたけど、実夢に奢っている、いや正確には奢らされているのが癖になっていていつの間にか支払いをしていた。
「もー、勝手なんだから。はい、これあたしの分」
小銭を差し出してくるけど、なんか受け取る気になれなくていのりにも奢ってやることにした。ま、今日誘ってくれたお礼ってことで。
カウンターに隣同士で腰掛ける。いのりはすぐにスマホを取り出して自撮りを始めた。うわ、これ毎回実夢もやってる。好きだよなー女子って。俺は今ちょっとゾッとしてるけどね。
「あ、まなぶまだ飲んじゃダメ。ほら、こっち向いて。持って」
急に顔を寄せてきたと思ったら、今度は俺も入れて撮るらしい。
「ねぇ、もっと笑ってよ」
「いや、そんな笑えって言われて自然に笑えるかよ」
「何言ってんの、学校だといつもにこやかにしてんじゃん」
こうして、ばっちりキメ顔のいのりと、イマイチ笑顔になりきれてない俺とのツーショットになった。すぐにラインに画像を送ってくれたけど、本当にイマイチすぎて逆になんだか笑えてきた。いのりの言うように、学校で猫かぶってるときはもっと自然に笑えてるのに。
「はぁ~今回の新作も超おいしい。これまたリピしよ」
写真を撮り終え満足したいのりはさっそく飲み始めていた。もう飲んで良いことを悟り、俺も最初の一口を味わう。くどすぎない甘さがちょうど良い、ひんやりとして美味しい。
「まなぶのもちょうだい」
俺が返事をする前に奪って飲み始める。これがいのりクオリティだ。
「こっちもおいしーい。もうさ、こんなにおいしいと永遠に飲みたいよね」
「太るぞ」
「うるさいなぁ。そんなに買えないのが事実だから。ただの願望だから」
ほっぺを膨らませながら、ストローについたピンクのリップを指で拭った。なんだかその動作が妙に色っぽく感じる。
「はい、ありがと。あたしのも飲んでいーよ」
「べ、別に俺はいいよ。いのりが全部飲めよ」
「ふーん、じゃ、遠慮なく」
そうして、あっという間に容器を空にしたいのりは俺が飲み終わるのを待っている。なんだよ、女子って食べるの遅いくせにこういうのは早いのな。
「次は、どこ行く予定?」
待ってる間退屈させないように話題を持ち掛ける。
「うーんと、あ、そうだ。プリ撮らない?」
「プリクラ?」
うわ、いかにも女子っぽい提案だよ。
「うん。まなぶプリ撮ったことある?」
「あー、中学んとき部活の打ち上げで。大人数で」
「なーんだ、あるんだ。っていうか部活って?」
「陸上」
「知らなかった。まなぶ陸上部だったんだ」
陸上部で短距離をやってた。短距離だったら、手っ取り早く一番になる気分を味わえるから。もともと運動は得意だったし、学校で一番速くなるのもそんなに難しいことじゃなかった。
「運動も得意だもんね、まなぶは」
ほんと、うらやましいな……と小さくつぶやくいのりの綺麗な横顔は、少し憂いのある表情。
「いのりこそ、得意なことたくさんあるだろ。生徒会ではいつもみんなのこと一番良い方向にまとめてくれるし、絵も上手いじゃん」
うちの高校の美術部は、一番コンクールでの実績がある部員が部長を務め、その都度変わっていくという部の暗黙のルールがあるらしい。部長の座をキープし続けると美大やデザイン関連の学校へ進学するときにかなり有利らしく、志の高い者はみんな部長の座を狙っているとのこと。今のトップは、一年生の頃からいのり。ぶっちぎりの状態らしい。俺とは違う才能をいのりは持っているんだ。正直うらやましいし、もっと自信を持ってほしいと思ってる。
「別に……、そんな。あ、でもまなぶに一つお願いしたいことがあるんだよね」
急に表情と声のトーンが明るくなった。
「次の文化祭のポスターさ、頑張ってめちゃめちゃ良いの描くから、あたしの選んでほしいんだよね」
胸の前で小さく手を合わせ、お願いのポーズ。めちゃくちゃ職権乱用じゃねぇか。
毎年文化祭のテーマとポスターは有志の生徒から募集し、決定権は生徒会にある。そしてその中でも一番の有権者は生徒会長だから、俺に頼むのは一番の近道だと言えよう。だがしかし。生徒会役員たるもの職権乱用は許されぬ行為。
「だめに決まってんだろ」
「そこをなんとかっ。帝王さまぁ」
「それはそのとき実力を見せつけてくれれば選んでやるから」
「うん。頑張るね」
「一つ良いことを教えてやる。募集締め切り後、提出されたポスターを見てから描き始めれば良い。そしたら他の募集作品を越えられるのが描きやすくなるだろ。選出はこっちのタイミングで行うわけだしな。少し余裕を与えてやるよ。そんくらいならプチ特権だと思って良いぞ」
「わぁ、確かにそれだと助かる! ありがと帝王様。いのりがんばりますっ」
「ん、頑張れ」
とびっきりの笑顔で言うもんだから、なんだかこっちまでつられて微笑んでしまいそうになる。
やっと飲み終わったところで、すぐさまいのりは立ち上がり「じゃあ次、プリ撮り行くよ」とまた俺の腕を引っ張っていく。