◇一番こそ正義
◇一番こそ正義
未来ねえさんが、都浜高校の生徒会長選挙に落選したと聞いたとき、自分のことではないにも関わらず絶望に近い感情を覚えた。だって、大好きな未来ねえさんが、何よりも努力していたはずの未来ねえさんが、誰かに負けるはずがないって思っていたから。でも、未来ねえさんは俺に向かって「努力が足りなかったの」と言った。じゃあもっと、足りるほどの努力をすれば、叶うのだと思った小五の秋。そして、俺が必ず未来ねえさんが成し遂げられなかったことをやってみせる、と。
それから俺は、勉強も運動も努力した。まずはクラスの中で一番、次は学年の男子の中で一番、学年で一番、そして学校で一番。その次は市内で一番、とは言わない。学校を支配するには、その学校の中で一番になれば良いだけ。必要以上の努力はしないと決めた。あまりに詰め込みすぎると返って無理に繋がると考えたから。
何事も努力して一番になるのは気持ちの良いことだと知った。結果は必ずついてくる、努力した分だけ。いつしか俺は、自分の努力をコントロールできるようになっていた。中学ではその学校のレベルに合わせた一番。運動も、勉強も人間関係も。広い目で見ればもっとレベルの高い中学もごまんと存在し、その中に放り込まれればもちろん俺は一番ではないけれど、そこまでの志は持ち合わせていない。この小さな世界、自分が通う学校の中で一番であれば良い。そうしていると、限界が見える努力をすればいいだけだから、簡単だった。
高校は、もちろん未来ねえさんが通っていたところ。その高校の入試に一番で合格するよう努力してから。そのおかげで、もちろん満点合格。文句無しの首席で合格だ。
そんな俺が、小五の秋、努力で一番を掴み取ると決めたときから、一切努力をせずにずっと一番だったものがある。それは出席番号。「相田」この名字のおかげで、出席番号はいつも一番だった。努力せずにもらえる一番も、わるくないと思った。これも俺の「一番」のステータスに加えよう。たぶん、これからもきっと一番であり続けるのだろうなと、勝手に高を括っていたら、高校に入学して驚いた。自分の目の前の席に女子がいる、と。
入学式の日、昇降口に張り出されたクラス名簿を見てニヤリと口角が上がったのを覚えてる。男女別で分けられた名簿を見ると「相田学」は男子の一番上だったから。いつも通り一番だと確信して教室に入り、自分の名前の札が置かれた机を探すとなんと前から二番目で、目の前には、やけに綺麗な黒髪の女子。
当たり前のように確信していたから、何かの間違いかもしれないと黒髪の女子に話しかけてしまったんだった。
「あ、あの」
少し震えながら声をかけると彼女はすぐさま気づいて、とびっきりの笑顔で振り向いた。
「あ! どうも、あたし藍沢いのり。これからよろしくねっ」
そこら辺の女子よりだいぶ大人っぽい顔立ち。それなのに笑顔は可愛さ満点で、圧倒された。そして同時に「藍沢」という名字を聞いて一瞬で自分は一番じゃなかったのだと悟った。男女混合の出席番号順だと。最初のクラス名簿はなぜ男女別で書かれてたんだと名簿に怒りさえ覚えた。いつか俺がこの学園の生徒会長になったとき、この名簿の書き方から改善してやると心に決めて。
「……ども、よろしく」
そしてこのときの俺は、こうやって返すのが精いっぱいだったのに、それを全く気にも留めず彼女はにこにこと会話を続けた。
「この学校さ、三年間クラス替えも席替えもないなんて変わってるよね。三年間前後ろ同士仲良くしてくれたら嬉しいなっ」
そうだ、都浜高校はクラス替え席替えが三年間無かったんだ。ということは、俺は三年間ずっと二番のままなのか。今まで一度も、二番になったことのない出席番号順で……。
「どうしたの、顔色わるいよ。ねぇ、大丈夫?」
ネコみたいな大きくてまんまるの目で俺をのぞき込む。顔の距離が近くて驚いてしまう。
「べ、別に何でもない」
「そ? なら良かった。ねぇ、名前……がくって読む? それともまなぶ?」
机の上の、俺の名札に目線を落とした彼女が、おもむろにきいてくる。
「えと、まなぶ」
「そっか。じゃあ、まなぶくんって呼ぶね。……まなぶくんって、かっこいいね。美形って感じ?」
俺は今、とてもショックを受けているというのに、彼女は無邪気に笑う。少し頬を赤らめて、照れくさそうに。新しい友達ができて良かった的な安堵の表情を浮かべながら。
かっこいいとか、お世辞のつもりかよ。一応、ダサいと実夢にネチネチ言われるから、見た目にはかなり気を使ってる。当然の結果でもある。
「あたしのことはいのりって呼んでくれたら嬉しいなぁ。あんまり名字好きじゃないんだよね。四文字で呼びにくいと思うし」
その名字のせいで俺は一番から降格したんだよ。何言ってんだこいつは。
「いきなりでわるいんだけど、ここの入試のテスト、合計何点だった?」
イライラが頂点に達してつい思わず、そうきいてしまった。
「え? えっと、なんでそんなこときくの」
大きな目をさらに大きく開いて、びっくりした顔。
彼女の質問は常識的に考えて正しい。初対面でいきなり入試の合計点についてきいてくる俺の方が非常識なのは分かっているはずなのに、そのときの自分は正常な判断ができないほどに余裕が無かった。
「いいから、何点?」
気迫負けした彼女が、口元をもごもごさせ渋々点数を言う。
「三百十二点……だったはず」
「なぁんだ、全然一番じゃない。俺は満点の五百点だけど? っていうかよくその点数で受かったな。最低でも四百五十点は取らないと厳しいんじゃないのか? よっぽど面接が良かったのか。あぁ、今年は定員割れしてたっけ。低レベルな争いだったんだな」
自分よりも圧倒的に低い点数をきいて安心してしまい、次から次へと自分に言い聞かせる言い訳のようなセリフが飛び出してしまう。
彼女は最初こそポカーンとしていたものの、みるみるほっぺたを膨らませて、顔が真っ赤になっていった。
「な、なんなの、最初から超失礼なんですけど。最低、ふんっ」
そう言って、身体をひねり前を向いてしまった。
ふんって、鼻を鳴らすとかじゃなくリアルでセリフで言う人初めて見た……。なんて思ったら、急に冷静さが戻ってくる。今、めっちゃ失礼なこと言っちゃった。俺、仮にもここの生徒会長を目指してやって来たのに。
このままこいつに嫌われたままだったら、これからの生徒会長選挙で貴重な一票を失うことになるんだ。未来ねえさんは、たったの二票の差で会長の座を逃したんだ。こんなことで一票を逃すなんて、それはマズい。こんな入学初日から躓くわけにはいかない。早急に手を打たないと。
あれこれ考えているうちに、入学式の式典が始まるため新入生だちは体育館へ招集された。隣のパイプ椅子には、藍沢いのりが機嫌悪そうに座っている。
校長先生の長ったらしい挨拶をBGMにして、色んな作戦を考える。そうしたら頭に良いアイデアが降ってきた。これなら何とかなるかもしれない。イチかバチか、勝負だ。
「続いて、新入生代表挨拶。一年A組、相田学。登壇して下さい」
「ハイ」
そう、首席で合格した俺が新入生代表挨拶担当だ。中学生の頃、一応生徒会長をやっていたからこういうのは慣れてる。ただ、中学生の生徒会長なんて先生の言いなりのお遊びみたいな形だけの役職だったからな。高校だと、生徒会の権力の規模が違う。俺はこれから絶対、生徒会長になって、ここの景色から全校生徒を眺めてやるんだ。
姿勢を正して、優等生オーラを放ちつつ登壇。深く一礼し、あとは事前に考えてきたテンプレなセリフを言うだけ。冷静にマイクの高さを調節してから、胸元のポケットから紙を取り出し読み上げていく。
「桜の花が舞い、春の訪れを感じさせるこのうららかな良き日に……」
実にテンプレ的な言い回し。目の前には新入生が三百人ほどと教員、そして保護者たち。およそ六百人の前で自分がしゃべっていると思うとゾクゾクした。だって、全校生徒が集まったら九百人くらいだもんな。ちょっと脚が震えているかもしれない。みんなが俺のことを見ている。なんだか癖になりそうな感覚だった。
テンプレな挨拶が終わり、先ほどまで読み上げていた紙を再びポケットへしまう。それで終わりだと感じたのか、みんなの空気が少し緩んだ気がした。本来ならこのまま名前を名乗ってしめるところだけれど、ここからが俺にとっての最初の勝負。
「……と、ここまでは入学の前に考えてきたテンプレート的なセリフでした。でも、本日実際にこの都浜高校にやって来て、いきなり僕は一つ後悔したことがあります」
会場全体がざわつきはじめる。さすがにこんな突拍子もないことを言い出したら、そうなるよな。進行担当の教師が視界の端で青ざめていく中、俺の背中には汗が一筋伝う。
「先ほど教室に入ると、これから三年間を共にすることになる席の前に、綺麗な黒髪が印象的で素敵な、同じ新入生が座っていました。新しい環境に緊張してしまい、僕は彼女にいきなり失礼なことを言ってしまったんです。自分でも、とても後悔し反省しています。これから三年間、一緒に学んでいく仲間です。今後は軽率な態度、言動を慎み、清く正しい高校生活を送ります。どうぞみなさん、よろしくお願いいたします。新入生代表、相田学」
めちゃくちゃアドリブだったけど、噛まずに言えて良かった。気持ちに少し余裕があったので、チラリと藍沢いのりの方を見ると、顔を赤くしてうつむいていた。
一礼をすると、教員席から校長先生が立ち上がり、俺に向かって拍手を送る。それにつられたかのように教員や新入生、保護者からも拍手が送られた。
「相田くん、実に良い挨拶だった。今まで、アドリブで挨拶を済ませた新入生はいなかったよ。さすが、本年度首席の生徒は一味違う、度胸もあってさわやかだね。彼女に誠意が伝わると良いね」
校長先生がそう言ってくれたおかげで、再び拍手が起こり、それを浴びながら降壇する。
意外となんとかなるもんだな。そして、校長先生がさりげなく今年の首席って言ってくれたおかげで俺の頭の良さもみんなに伝わっただろうし、優等生だけど突拍子もないことが出来るヤツって印象がついただろう。まずまずの出だし。
席に戻る前に、藍沢いのりと目があった。まだ少し頬が赤い。何がなんだか分からないけど恥ずかしい、と言わんばかりの顔でこちらを見つめていたので、チャンスと思い、全力で申し訳なさそうな顔を作り「ごめん」と口の動きだけで伝えた。俺が席に座ったタイミングで「あたしの方こそ、イキナリ最低とか言ってごめんね」と小さな声で言ってきた。
よーっし、「出会いは最悪だけど実は良いヤツ? 作戦」にて軌道修正完了。俺だったら、あんな風に点数のこと言われたら絶対卒業まで根に持つけどな。コイツ、案外単純なのかも。実夢も由奈もこのくらい単純だったらありがたいんだけどなぁ。
「さっきはびっくりした。どうしてあんなトコロで謝ったの?」
入学式が終わり、教室へ戻るとさっそく藍沢いのりが話しかけてきた。
「本当に申し訳ないと思ったから、一番びっくりする方法で謝りたかったんだ。まだ怒ってる?」
「ううん。まなぶくんて、首席で合格だから頭良いんだね。頭の良い人の考えることってよくわかんないけど、なんかびっくりしすぎてもう怒ってないよ。あたし、あんまり勉強得意じゃないのも事実だし。良かったら、勉強教えてくれると嬉しいな。改めて、三年間よろしくね」
こっちは営業スマイルに対し、彼女は全力の笑顔で答えてくれた。さっきは単純か、なんて思ったけど、こんな風に人を許せるなんて、こいつの方がよっぽど大人な対応だと思った。ちょっとだけ申し訳ない気持ちになってしまう。
「ありがとう。藍沢さんって優しいね。力になれることがあったら何でも言って。こちらこそ三年間よろしく」
「さっき名前で呼んでって言ったじゃん」
「あ、えっと、いのりさん……」
けっこうズバッと言うタイプで、なかなか俺の調子を狂わせてくる。裏表のない性格らしい。
こうして、いのりとまずは仲良くなることから始まった入学式。