◇学校の帝王の朝
◇学校の帝王の朝
家からチャリで十五分、最寄り駅。そこから電車に揺られること二十分。高校前駅の改札を抜けた目の前に、俺の通う高校がある。
来年で創立百二十周年の節目を迎える歴史あるこの学校は、地元でも屈指の名門校。文武両道の生徒を多く育て、優秀な人材を世に放つことで有名だ。
創立当初からそのままの校門。耐震工事で多少補強された跡があるが、歴史を感じさせる立派な作りで、今まで数多くの生徒を見守ってきた様子がうかがえる。由緒正しい、という言葉がぴったりの校門を抜けるとまず聞こえてくるのは。
「きゃあああぁ! 学先輩が来たっ」
「せんぱぁい、おはようございまぁす」
「学くん、おはよー」
「今日も学くんかっこよすぎ」
という女子の声。叫び声にも近い。
それは校門を入ってすぐの場所から、はたまた各教室の窓から。女子が仲良しグループごとに数人集まって色んなところから俺に向かって歓喜の声を上げる。この光景は、ここ一年毎朝繰り返されるいつものこと。まるで少女漫画みたいな、非現実っぽい光景。最初は恥ずかしかったけど、最近ではすっかり慣れてきた。多分、上手く作り笑顔ができているはず。
「みんなおはよう。今日も朝からありがとう」
背筋を伸ばし、堂々とした態度で。校門付近に散らばっている女子のグループに、それぞれ視線を合わせて挨拶をしながら通る。窓の方にも軽く手を振りながら。
「い、今わたしのこと見てくれたっ」
「私も目が合ったし」
みんな同じブレザーの制服をまとっているけど、一年生は胸元のリボンは赤色。赤のリボンをきっちりと結んだ一年生の二人組が、俺の通り過ぎたあとに手を取り合いながら喜んでいた。
「ちょっと学、アタシたちにも挨拶してよね」
校舎の二階の窓からは緑のリボン、すなわち俺と同学年の二年生であるギャルっぽい女子が、鏡とリップを手に大きめの声で言う。
「あぁ、ごめん。おはよう。でも、色付きリップは校則違反だぞ。似合ってるけど」
「もー、誰のためにオシャレしてると思ってんの、学。あとで生徒会室でお説教して! 一対一で」
「あはは、それじゃ覚悟しとけよ」
さらりと受け流しながら、昇降口へ向かう。今日の朝は、ざっと三十人くらいの女子が俺を待っていた。俺の目的を達成するには、まだまだ足りない、と噛みしめていたところで不意に誰かに後ろからバンッと背負っていたリュックごと背中を叩かれた。振り返る前に、軽快で可愛らしいアニメ声が聞こえる。
「まーなーぶ! 学校の帝王様は相変わらず今日もモッテモテだね」
結構な力で叩いておいて、少し小悪魔的な満面の笑みを浮かべているのは。
「いのり。もっと大人しく挨拶できないのかよ」
「ボケっとうぬぼれてるまなぶにはちょうどいいくらいの刺激だったでしょ」
「刺激っていうか、衝撃って感じだったぞ」
朝から全力の元気でぶつかってくるのは、一年のときから同じクラスで出席番号が俺の一つ前の藍沢いのり。
手入れの行き届いた艶やかな黒髪のロングヘア。身長は俺と頭一つ分くらい差がある。小さいけどその分声が大きくてよく通る。太陽みたいに明るく笑うやつ。小さい身長のわりには大人っぽい顔立ちで、ネコみたいなぱっちりとした大きな目が印象的。クラス、いや学年一の美人だと男子たちは噂している。俺の好みではないけど。
いのりは小さくてすばしっこくて運動が大の得意なのに、所属しているのはなぜか美術部。そして部長。勉強があまり得意ではないから、席が前後ろという縁もあって一年のときからたまに勉強を教えてやったりしている。多分、一番一緒に過ごしている時間が多い女子。いのりも俺のこと同じように思ってるはずだ。一番一緒に過ごしている時間が多い男子、と。
それから、席が前後ろ以外にも俺といのりの共通点と言えば。
「今日は月曜日だから放課後は定例会だね。あたし今日部活ないから、生徒会室のカギは任せて」
「あぁ、助かる。俺は資料印刷してから行くから」
同じ生徒会に所属してるということ。
靴箱もいのりと隣同士なので、お互いぶつからないように距離を保ちながら上履きに履き替える。行き先は同じ教室なのに、手早くローファーをしまって、いのりは早足に廊下を進んで行ってしまう。
「なんだよ、一緒に行かねーの?」
くるりと振り返ってから、イマドキ誰もやらないんじゃないのっていう「あっかんべー」をしながら、また小悪魔っぽい笑顔で言う。
「他の女子に嫉妬されたくないんで」
「なんだそれ。っていうかいのり、スカート丈あと三センチ長くしろ。生徒会役員なんだから気を付けないと」
「もー、朝からどこ見てんのエッチ。ふんっ」
柔らかそうなほっぺたを膨らませて、スカートのホックの辺りをもぞもぞさせながら、さらりと綺麗な黒髪を揺らして行ってしまった。姉の実夢も妹の由奈もそうだけど、女ってつくづく分かんねぇ。距離感とか、接し方とか。一応俺、モテるタイプのはずなんですけど。学校では。
「よっす、学。さっき、藍沢と何しゃべってたんだよ」
本日二回目。次に後ろから声をかけてきたのはクラスメイトの中野。女子だけでなく男子にも勝手ながら人気があると自負している。男子も気さくに話しかけてくれるんだけど、中野は若干の下心があるのが分かっている。中野はいのりのことが好きだから。
「おはよう。今日の生徒会についてだよ」
「はぁ、いいなぁ。オレも生徒会入りてぇ、オンリーマイエンジェル藍沢と青春してぇ」
「赤点がなければ入れてやってもいいんだけどな」
痛いところを突かれて、苦々しい顔をしつつも中野は明るいヤツなので「次のテストのとき勉強教えて頼むわ」と俺の隣で楽しそうに笑っている。
廊下にいる女子や男子と挨拶を交わしつつ教室に到着した。
窓際の前から二番目が俺の席、出席番号順。この学校は席替えとクラス替えがないため、ずっとこの席が約束されている。
机にリュックを下ろして教科書の整理をしながらふと視線を正面に向けると、いのりの綺麗な黒髪が視界に入る。
いのりの後ろ姿を見ると、たまに頭の片隅で思い出してしまうことがある。
それは、「一番」に固執する俺と、あっさりそれを抜いていった女子のこと。