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第五章「白い攻防」

 圧倒的な絶望と、絶えることのない暴力――それは血反吐が枯れるまで毎日おこなわれた。出血と痛みで意識が遠のいてゆく。だが目覚めるとなぜか傷は全て完治していた。

 そしてまた始まる、逃げ場のない生き地獄の時間――絶え間なく続く恐怖、苦痛、不安、この無限地獄が始まって一体どれほどの時間が経ったのだろう。ザンパにサンドバックにされながら、僕はそんなことをぼんやりと考えていた。

 最近では痛みにも慣れてきている自分がいる。どうやら、僕の頭は完全に膿んでしまったようだ。はははっ、それはもとからか……僕はそう思いつつ、静かに瞼を閉じた。



 それから数日が経過――この拳の軌道はボディー。次は顎下を狙っている。この頃になると、素早いザンパの動きにも幾分だが目が慣れてきた。だがそろそろタイムアップの時間だ。

 ザンパの渾身のハイキックが、テンプルに炸裂する――なんだよ、折角もう少しでなにかつめそうだったのに。でも明日こそは必ず……真っ暗な世界に沈みながら、僕は心の中でそう誓った。




「坊主、今日はなんだか随分と気合が入ってるな」


「黙れ、このサディストの変態野郎がっ!」


「おお、言うようになったなじゃねえか」


 ザンパはにやりと汚い歯を見せると、目にも止まらぬスピードで突進してきた。右ストレート――鼻っ面にくらった。途端に真っ赤な鮮血が真っ白い部屋に飛び散ってゆく。

 クソッ……折れたな。僕はひん曲がった鼻の骨をつまむと、強引に元の位置に戻した。ゴキッ、嫌な音が脳天に響く――だが出血は止まってくれた。目では追えてるのに、体のほうがついていかない。


 クソッタレ、一体どうすれば……拳を握りしめながら、奥歯を噛みしめていると、頭の中にいつもの幻聴が木魂してきた。

 メダケニ、タヨルナ。スベテノ、カンカクヲ、トギスマセロ――誰だか知らねえけど簡単に言ってくれるな。だが言ってることは一理ある。格闘系の漫画でも、よくそんなセリフが出てたような。目視に頼らず、五感を研ぎ澄ますか……。


「坊主、一体なんの真似だ?」


 瞼を閉じると、真っ暗な世界にぼんやりと人の形をした明かりが見えてきた。ザンパは右手の人差し指を僕に向けている。

 よしっ、感じるぞ……無言のまま、やつの攻撃を待つ。すると数秒後、痺れを切らしたザンパが突進してきた。やつは僕の左方向に回り込むと、素早く拳を引いた。


 右フック――狙いはテンプルだ。ザンパの殺気のこもったフックが、空気を切りさきながら襲ってくる。いまだっ! 素早く体勢をかがめると、すかさずやつの後方に回り込んだ。

 やったぞっ! 僕は初めてザンパの攻撃をかわした。瞼を開けると、やつは驚きの表情を浮べていた。どうだ、少しはプライドが傷ついただろ? このクソッタレのサディスト野郎がっ!

 僕は得意げにザンパを見据えた。だが次の瞬間、見えない角度から強烈なハイキックが襲ってきた。だ、だめだ。これはかわせない……プツン――暗闇が訪れ、そこで本日の拷問は終了した。




 無限に続く拷問が始まって、果たしてどれほどの時が経ったのだろう。感覚的にはひと月とも思えるし、一年だと言われればそうとも思える。

 この頃になると、ザンパの攻撃は殆どかわせるようになっていた。だがまだかわすのが精一杯で、攻撃に転じることが出来ない。ガードはもういい。逃げ回るのも流石に飽きた……次は攻撃だ。

 教えられるわけでもなく、見よう見まねで打撃の術を覚えた。冷静に見ると、ザンパの攻撃には無駄がない。効率よく最小限の動きで、相手に最大のダメージを与えている。

 繊細かつ大胆な動き――図体ばかりデカい、ただの怪力バカではないようだ。というわけでその繊細&大胆さ、そっくりとパクらさせてもらうよ。




 絶え間ない拷問の日々――いつしか、それは戦闘の稽古になっていた。


「坊主、じゃあ今日もいっちょヤルか」


 軽く手首を回すと、ザンパは両の指をゴキッと鳴らした。毎度おなじみの戦闘前のウォーミングアップだ。一方、僕は首の骨をポキッとやると、軽いフットワークでシャドーを始めた。一分余りのウォーミングアップ――そして僕らは白い世界の中央へと歩み寄ってゆく。


「そろそろ一発でもいいから、俺の{顔|ツラ}に当ててみたらどうだ?」


 僕の攻撃は幾度となくザンパにヒットしていたが、やつの顔面への攻撃だけはいまだノーヒットだった。


「ふん、言われなくてもそのつもりだ」


「ぬかせ、この――」


 ザンパの言葉が終わる前に、あらかじめ口の中に仕込んでおいた奥歯をやつの目に向け放った。一瞬、虚を突かれたザンパ――僕は素早くやつの右方向に回り込み、レバーに左フックを叩きこむ。

 そしてグラついたところで、すかさず野郎の赤毛をつかみ膝蹴りを顔面に叩きこんだ――と思ったが間一髪のところで、ザンパの右手が僕の膝蹴りを防いでいた。


「はははっ、随分とあじな真似してくれんじゃねえか」


 ザンパは満面の笑みを湛えながら、僕が放った奥歯を噛み砕いた。ク、クソッ……出来ればこの一発で決めたかった。時間が延びれば、体力的にこっちが不利なのは明らかだ。


「そんじゃ、今度は俺の番だ――」


 ザンパはそう言うと、いつも通り人間とは思えないスピードで切り込んできた。正しく猪突猛進――瞬きする暇もなく目の前にはやつの姿があった。すかさずハイキックが襲ってくる。ガードで防ぐが、余りのパワーに体が吹き飛んでゆく。すると立て続けに右ストレートが襲ってきた。


 体勢が崩れているため、かわすのは無理――今回もガードでやり過ごす。そしてすぐに体制を立て直すと、素早くザンパと距離を取った。ほんの数秒の攻防で体力が著しく消耗してゆく。

 やっぱり、恐ろしく強い……どうする? このままじゃ、やつの顔面に一発くらわすなんて夢のまた夢だ。体力的にはまだ余裕はある。だからこそ早めに仕掛けたい。


 考えろ……限られた少ない時間で、脳ミソをフル回転させた。アドレナリンが急激に噴き出してゆく。時間にして1秒――考えがまとまった。

 とても作戦とは言えないが、いまはこれに賭けるしかない……僕は静かに瞼を閉じると、スーッと肺一杯に空気を満たした。すると筋肉に酸素がいきわたり、力がみなぎってゆくのが分かる。


 素早く瞼を開くと、ザンパに向かって突進して行った。一度きりなら、やつと同等のスピードが出せる。撃沈覚悟の捨て身の特攻だ。ザンパはそんな僕の作戦を見抜いたのか、にやりと微笑みながらガードを解いた。

 これはありがたい。運が良ければ相打ちに持っていけるかも……渾身の力を込めて、ザンパの顔面めがけ右ストレートを繰り出すと、やつも同様に拳を放ってきた。


 交差する二人の拳――ザンパの拳が僕の顔面に食い込んできた。途端に後方へと吹き飛んだが、さほど強烈なダメージは喰らっていない――理由は自明だ。


「はははっ、坊主、あっぱれだっ!」


 ザンパは先程と同様に、豪快に笑い声をあげた。その左目からは、真っ赤な鮮血が流れ出している。そう、僕が放ったのは拳ではなく、指を二本突き立てた目突きだったのだ。

 如何ともしがたい体格差――これでは顔面に拳がヒットしたところで、たした効き目はない。でも目突きなら……やつの拳が迫ってきた瞬間、体が勝手に動いていた。


「ご要望通り、一発喰らわせたぞ」


 僕は口の血を拭いながら、腰を上げた。


「よしっ、合格だ」


「合格?」


「ああ。楽しかった授業もこれで終了、ってことだ」


 ザンパはそう言うと、少し寂しげな表情を浮かべた。授業ってどういう意味だ? あまりの苦痛の日々に、なぜこんなことを繰り返してるのか考える余裕はなかった。だが冷静になってみると疑問だらけだ。

 やつは殺そうと思えば、いつでも僕を殺せたはずだ。だが絶対にそうはしなかった。瀕死の状態が、翌日になると完治しているのも解せない。だがこれだけは確かだ、やつが言った授業とは僕を鍛えるためのものだ。でも、どうして……。


「どうして、こんな手間のかかる真似をした?」


「ニーナに頼まれた」


「あの女の目的は?」


「さあな、そこまでは聞かされてない」


 ザンパはそう言って、首を横に振った。


「あの女は一体なにを企んでるんだ?」


「ニーナがなにを考えているかなんて、誰にも分らんさ」


 分らない? ふざけるなっ! 僕はニーナの顔を思い浮かべながら、きつく奥歯を噛みしめた。すると途端にあの時の言葉が脳裏によみがえってくる。 ”それじゃ、くれぐれも(・・・・・)()には(・・)()をつけなさいね(・・・・・・) ” あの女……絶対にぶっ殺す。


「じゃあな、坊主。今度はリアルの世界でやりあおうぜ」


 僕が無言で拳を握りしめていると、ザンパはいつものように煙のようにふっとその場から消えた。一人きりの白い世界――。


「クソッタレ……」


 僕は吐きすてるように、小さく呟いた。


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