第四章「赤毛のザンパ」
ニーナが出て行き、二人きりになった屋敷の大広間。するとメイド姿の婆さんが、頼みもしないのに自己紹介を始めだした。
タバサ・オーエン。婆さんはこの馬鹿デカい屋敷のメイド長だそうだ。正直言って、上から目線の態度はニーナに負けず劣らず気に入らねえ。
「坊主、そじゃあ早速だけど調教に取りかかるよ」
「おい、このクソババアっ! 調教って一体なんだ? 少しは僕にも分かるように説明しろっ!」
この際だから、言いたいことははっきりと言わせてもらう。新しい世界で生きていくんだ、我慢だらけの生活はもうやめだ。
「ふん、少しは良い目になってきたじゃないか……坊主、死ぬんじゃないよ」
タバサはにやりと口の端を上げると、パチンと指を鳴らした。すると途端にロココ調だった大広間が、一瞬にして白一色の空間に様変わりする。そしていままで目の前にいたタバサの姿は一瞬にして消えていた。
「おいっ、クソババアっ!」
いくら大声で問いかけても、タバサからの答えはない。
「ったくなんなんだよ……って言うかここどこだよっ!」
「おいっ、坊主」
一人ぼっちで大声をはり上げていると、いきなり背後から誰かに声をかけられた。振り返ると、そこには一人の大男が佇んでいる。
長い赤毛のボサボサ髪と、同様の汚らしい髭。ゆうに二メートルはあろうかという、プロレスラーのような肉体。毛皮のベストから覗く二の腕は、僕の太腿の倍以上はあった。
「お前が噂の新入りか?」
噂の新入り? 大男はジロジロと舐めるように僕を見つめてくる。なんとなく別の意味で身の危険を感じた。
「俺はザンパだ。よろしくなっ!」
そう名乗った大男は、にこやかに握手を求めてきた。一体なんなんだ、こいつは……そう思いつつ近づいて握手に応えると、やつはいきなり僕の腹を殴りつけてきた。絶望的な痛み――途端に血反吐をぶちまけた。真っ白な床に真っ赤な鮮血が飛び散ってゆく。僕は気を失うように膝から崩れ落ちた。
「おいおい、オチるのはまだ早いぜ」
ザンパは気絶寸前だった僕の横っ面を、丸太のように太い足で蹴り上げた。すると血反吐と共に、数本の奥歯が辺りに飛び散ってゆく。こ、ころされる……ボロ雑巾のように吹き飛びながら、僕は死を覚悟した。
その後も、容赦ない攻撃が続いた。それは正しく完璧なサンドバック状態だった。も、もうだめだ。こ、ころしてくれ……そう思った時だった、ザンパは動かなくなった僕を静かに見下ろしてきた。
「お疲れさん。じゃあ、また明日な」
ヤニだらけの歯を覗かせたかと思うと、やつは煙のようにふっとその場から消えた。
ど、どうやら、やっと終わったようだ……ここまでくると、もう痛いという感覚すらない。骨が砕ける音、内臓からの悲鳴、そのどれもが気が狂うほどに耐え難い苦痛だった。
さ、さみい……大量の出血で、体温が著しく低下してきている。ああ、これはもう死ぬなあ。せめて童貞を捨ててから死にたかった。ったく情けねえ、最後の言葉がこれかよ……プツン――その瞬間、テレビの電源が切れるように目の前が真っ暗になった。
うーん……よく寝た。欠伸をしながら体を伸ばすと、寝ぼけ眼で辺りを見渡した。すると昨日の恐ろしい記憶が、ボケボケの頭によみがえってくる。そう、僕は死ぬことなくまたあの白い世界にいたのだ。
しかも不思議なことに、バッキバキに折られたはずの骨は、なぜだか完治している。破裂した内臓の方も同様だ……一体どういうことだ? 折れたはずの肋骨を摩りながら独り言を呟いていると、またあの恐ろしい声が鼓膜に届いてきた。
振り返る――そこには昨日と同じように、ザンパがニヤケながら仁王立ちで佇んでいた。やつは当然のように、僕に近付いてくる。
や、やめろ……こ、こっちに来るなっ! 恐怖の余り声が出ない。胃が急激に縮小して、すっぱい胃液が込み上げてくる。ガタガタと震える足元には、小さな水たまりが出来ていた。
「坊主、今日もはりきっていこうぜっ!」
ザンパはごつい指をボキボキと鳴らしながら、ヤニだらけの歯を覗かせた。
や、やめてくれ……だ、だれか、助けてーーーーっ! 僕の声にならない叫びは、ザンパの一撃で見事にかき消された。