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if マッチ売りの少女

作者:

 とてもとても寒い日のことでした。

 一人の少女が、かごいっぱいに入っているマッチを見てため息をついています。

 これをすべて売らなければ、家にいる酔っ払いの父親からなぐられたりけられたりするのです。


 けれど少女はそれだけをなげいているのではありませんでした。

 少女は知っているのです。

 これからの運命を。

 自分がどうなるかを。


 生まれる前の記憶にある一つの物語。

 主人公がひたすらかわいそうで、あまり読む気になれなかった物語。

 その主人公の立場に、今自分は立っている。


 ――世界は


 少女はかごの中のマッチを一つとりだし、じっと見つめました。


 ――世界は、私にマッチ売りの少女をやらせようとしている



 白い雪がしんしんと降り積もる夜。

 凍える寒さの中、街角で少女は一人たっています。

 少女の生き残りをかけた戦いがはじまったのです。


 年の最後、大晦日まであと一週間ほど。

 少女の知っている物語では、その日、最後を迎えることになっていました。

 少女は、以前から、そう、生まれる前、前世で小さい頃に読んだときからこの物語は気に食わなかったのです。

 どんな手段をとってでも変えてみせる。

 ハッピーエンドにしてみせる。

 少女は考えます。今自分にできること。

 生まれる前の記憶にある知識。それが今の少女の唯一の武器です。

 マッチ売りの少女の死因はおそらく低体温症……ご馳走やおばあさんの幻はそこからくる幻覚。

 ならば、ならば、体温をできるだけ下げないようにしなければならない。

 数日前、酔っ払いの父親が、大量のマッチをもってきて

「これを売って大金持ちだ! がははは! おらあああさっさと売って来い!」

 そう叫んで嘔吐したあげく階段から転げ落ちて一人バックドロップをきめた日から、自らの運命をさとった少女は入念に準備を重ねてきたのです。


 少女は父親のブーツをこっそり持ち出して、中に綿をつめ、足りない分は近所の農家から藁をかっぱらいました。

 空気は断熱効果がたかく、すきま風さえ入らなければ十分なぬくもりを与えてくれるでしょう。

 次に父親のもっていたコートを分解して、自分用のマントに作り変えました。

 体に直接冷たい風が当たると、体温はどんどん奪われていきます。マントはそれから少女を守ってくれることでしょう。

 それから、父親の持っていたおしゃれな傘を大改造。

 笠地蔵を参考に、頭に直接かぶるようにデザインを変更。

 体が水で濡れると低体温症一直線。この笠は少女をそれから守ってくれるでしょう。

 最後に、父親の持っていた服を手当たりしだい持ち出して容赦なくカスタマイズ。

 肌着や手袋、マフラーに小物入れ、足拭きマットにカーテン。あと意味なく雑巾にして家中拭いてまわりました。


 そんなふうに少女が夢中になって準備していたら、着るもののなくなった父親が低体温症で倒れました。

「んあー? 着るものがねーな。まあいいか酒だーがははは!」

 とかいって嘔吐しながら笑っていたアルコール中毒の父親も、夏のような薄着ですごす真冬には耐えられなかったようです。


 こうして、年末の少女は家で父親の看病(定期的にアルコールを口に注ぐ)をしながらすごすことになりました。


 ――よくわからないけど運命は変わった、私は世界に勝った!


 少女は父親の鼻にお酒を注ぎながら、勝利の雄たけびをあげるのでした。



 それから春が来て夏が過ぎ秋が去ったある冬の日。

 いつものようにお酒に酔った父親が、上機嫌で家に帰ってきました。

「これを売って大金持ちだ! がははは! おらあああさっさと売って来い!」

 いつものように嘔吐しながら、少女から二メートルほど離れた空間を殴ったりけったりしてたら足を滑らせて一人パイルドライバーをきめた父親が持ってきたのは、てかてかとオイリーに輝く浅黒い肌をもつ筋肉隆々の男の人達でした。

 少女の頭にいくつものクエスチョンマークが浮かび消えていきます。


 ――これは、何? マッチは?


 思い思いのポージングをとっている筋肉男達。

 それを見ながら尽きない疑問が浮かび続ける少女の頭脳に、一つのひらめきが、稲妻のように、天啓のようにあらわれました。


 ――世界は


 少女の眉間に深いしわが刻まれます。


 ――世界は、私にマッチョ売りの少女をやらせようとしている


 ひとしきり吐いた後ぶっ倒れた父親。床に横たわるそれをつかって筋トレをはじめた男達。

 その光景をみながら少女の頭に浮かんだのは、発達した筋肉が生み出す湯気のなかに幻影を見ながら街角で息絶える自分の姿。

 少女の背中に冷たい汗が流れます。そんな最後は絶対にいやだ。

 世界が生み出したダジャレを前に、少女はこぶしを握りしめ、口の端をかみながら、負けるもんかとつぶやくのでした。



 白い雪がしんしんと降り積もる今年最後の夜。

 凍える寒さの中、街角に一塊の肉が湯気をあげながら立っていました。

 発達した上腕二頭筋、鋼のような胸筋、服の上からでもわかるくっきりと割れた腹筋、びくびくと脈動する大腿四頭筋、鋭い目線、への字を結んだ唇、割れたアゴ。

 そこにいたのは、かつて少女だった筋肉の塊。

 少女は、筋肉男達に教えを請い、筋肉トレーニングによって新しい自分に生まれ変わりました。

 少女は世界から売られた喧嘩を真正面から買ったのです。


 ――マッチョ売りの少女に打ち勝つには


 少女(?)のフロント・ダブル・バイセップスのポーズが湯気を上げながら街角の温度をすこし上げます。


 ――私自身がマッチョになることだ


 少女をとりまく男達のサイドチェストのポーズが、さらに街角の温度を上げます。

 積もったはずの雪がきれいに蒸発していき、街角の一角が白く煙をあげました。

 たまたま通りかかった、家路へいそぐ淑女は、幻想的な湯気の中に真鍮製の豪華なストーブの幻影を見ながら汗臭さに倒れました。

 恋人のもとにいそいで歩いていた青年は、もくもくと上がる筋肉湯気の中にご馳走の幻影を見ながら汗臭さに倒れました。

 カツカツと上等なブーツで地面をならしながら歩く上品な紳士は、湯気のなかにまだ元気に生きているおばあちゃんの幻影を見ながら汗臭さに倒れました。

 喧嘩っ早い鍛冶屋のおやじが文句を言おうと近寄って汗臭さに倒れました。


 白く湯気の上がる街角では、折り重なるように人々が倒れ、この世の終わりみたいな感じになっています。

 騒がしくなった現場に治安を維持する機構の人たちがやってきていきなり発砲してきました。

 手加減なしです。


 バック・ダブル・バイセップスのポーズをとる少女の背中に、殺意をこめた弾丸が何発も命中しました。

 少女は、ゆっくりと背後を見ると、全身の筋肉に力をこめます。

「ふんっ」

 気合の声とともに、弾は少女の体から飛び出し、力なく地面にころがります。

 拳銃の弾丸は少女の皮膚を傷つけるも、筋肉を貫くことはできませんでした。


 ――私は負けない! 決して!


 雄たけびを上げる少女と筋肉隆々の男達は、治安維持機構の人たちに、アブドミナル・アンド・サイのポーズをとりながらにじりよっていきます。

 治安維持機構の人たちは、悲鳴を上げながら構えた銃の引き金を引き続けるのでした。



 一夜明けて朝日が差し込む街角には、倒れふす人々と、あいかわらず湯気を立てながらモスト・マスキュラーのポーズをとる少女と筋肉男達。

 国家権力は筋肉の前に敗北し、街角はささやかな無法地帯。


 ――運命を変えた! 私は世界に勝った!


 マッチもマッチョも売れませんでしたが、少女は満足げに微笑んでいます。

 意気揚々と帰宅した少女達は、マッチもマッチョも売れなかったことに対し文句を言った父親を、腕力で殴り倒して幸せに暮らしました。

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