シークレット求人
「……ただいま」
肩を落として家の中へ入る。すでに空は夕闇に包まれ、自分の影も見えない。
百万ペルカを求めてぼくが向かったのは雇用主と求職者が集う中央広場だった。だが案の定給料は安く条件も悪い。そもそも高給・好条件の求人が広場なんぞに転がっているはずがない。ウン百枚とある求人を一日かけて確認してわかったのは、そんな当たり前の現実だった。
おじさんは工場にこもっているらしく、声をかけても返事がない。ふだんなら紐で鈴を鳴らして帰宅を知らせるのだが、さすがに気力がなかった。
一体ぼくが、なにをしたというんだ。どうしてこんなに不幸なんだ。
あの美少女に告げたように、いっそのこと死んでしまおうか。いやいや、どうせ死ぬならアイリッシュちゃんに会いたい。来世で出会えるとは限らないし。あわよくばお友達になりたい。そうするとやはり百万ペルカを集めなければいけないから、いっそのことおじさんを手にかけて保険金を……いやいや、それはダメだろう。そもそもおじさん生命保険入っていないし。あぁもう、どんどん暗黒面に堕ちていく。
「――……いてっ」
思わず後頭部を押さえた。いつもの頭痛だ。
近頃よく頭痛に見舞われるようになった。後頭部がにぶく痛み、思考を阻害する。じっとしていればすぐに引くので放っておいているが、弊害がないわけではない。道を歩いているときなら他人の家の壁にぶつかったり、家で料理しているときなら調味料を間違えたりと、ありえないミスをする。まるで別人に体を操られているようだ。しかし実害はないので病院には行ってない。お金もないし。
きょうの頭痛も、疲れからくるものだろう。早く休むに限る。
外から差し込むわずかな街燈を頼りに、夕食の用意をするためキチネットにあるランプを探してさまよった。
そのときだ。
ぼよん。空中で、ぼくの頭がやわらかく受け止められた。
「あれ? 粉袋でも吊るしていたっけ」
と両手で確かめてみる。おぉ、素晴らしい弾力だ。
「なんだこれ、まるで、胸――……」
顔を上げたぼくと、そこに佇んでいた何者かの眼差しが、交差した。
あれ。ひと、だ。
ぷるぷると肩が震えているのは、なぜ。
「……ピ、ピ、ピュターーーーーーンンッッッ(訳:この野郎)」
くり出された頬への衝撃は、ぼくの想像をはるかに超えていた。
たぶん、音速をしのぐ。
ぼくの体は扉まで吹っ飛ばされ、叩きつけられ、そのまま死んだ(と思った)。
「いやぁすまないライラさん。せっかく来てもらっていたのに、ごほ、全然気づかなかった」
ランプを囲うように、ぼくとおじさん、背の高い女性が座っている。ライラさんといい、小さめの秘書服に身を包み、赤茶色の長い髪をひとつにまとめて背中へ流している。
「お仕事の邪魔をしたくなかったのでお待ちしていたんですがー、暗くなってきたのでキチネットで灯りを探していたら、執拗に胸を揉まれて……」
「いやー申し訳ない。ほらクロム、おまえも謝れ」
おじさんのジェスチャーで、ぼくは頭を下げた。さっきの衝撃で耳が聞こえにくく、ふたりの声が遠い。
しかし、見事だ。
ぼくの目線は自然にライラさんの鎖骨辺りに吸い寄せられてしまう。胸元に並ぶのは、はちきれんばかりの果実のようだ。ぼくはそこへ衝突し、一瞬とはいえ「胸枕」に包まれたのだ。
「サバ? なんです、そのいやらしい目は」
エメラルド色の瞳ににらまれ、逃げるように視線をそらした。
「とにかく、例の……は、置いておきますね。後悔……知りませんよ」
所々よく聞こえなかったけど、ライラさんは懐から封筒を取り出すと、机の上に置いた。用事は済んだとばかりに立ち上がり、おじさんに見送られて出て行ってしまう。
「いまの人は?」
「あぁ。……の、ライラさんだ。廃業は困ると、直々に来てくれた」
取引先の人らしい。おじさんはもう高齢だけど、仕事ぶりは真面目で暇を持て余している姿を見たことがない。もらっているお金は低いものの、顧客からの信頼は絶大だ。
求められ必要とされているおじさんは、通りすがりの美少女に「死ねばいい」と云われてしまうぼくとは正反対だ。
「で、仕事探しはうまくいかなかったんだろ?」
目ざといおじさんは、ぼくの浮かない表情にすでに気づいていた。
「だろうな。おれも頭下げられた以上、もう何年か続けることにした。だけどな、やっぱり七万ペルカじゃ心許ねぇ。それでだ」
ライラさんが置いていった封筒を切ると、中身を机の上に叩きつけた。求人チラシと、黒く縁取られたカードだ。
「……二十万ペルカ? 嘘だろうッ」
目に飛び込んできた数字に驚愕し、奪うようにチラシを取った。間違いない、月給二十万ペルカと記載されている。破格の給料だ。
「ウチが所属する業界団体で取り扱われていたシークレット求人だ。特別にもらった」
チラシには処遇、そして採用にあたっては「面接」と「適性試験」があると記されているが、職種、職務内容、雇い主の氏名や住所、会社所在地の記載はない。
「ほれ、住所はこっちのカードだ」
手渡されたカードには、見覚えのある住所が記されていた。時々おじさん宛てに手紙がくる。
リュクセンブール王国 西区 グノスメイジャン通り四番地
鳩の血社≪ピジョン・ブラッド・コンパニィ≫
代表 ルシェルシェ(ル・ルーとお呼びください)
電話 四四四―四四四―四四四七
怖がることはありません
あなたはもうすぐ翼を授かるのです
さぁ、トランクの中身を空っぽにして、心躍らせてその日を待ちましょう
旅立ちはもうすぐです
だいじょうぶ 私たちがついています
「無条件で採用されるわけじゃねぇが、やってみろ。ダメだったらそのとき考えればいい」
無骨で口の悪いおじさんだが、意外とぼくに甘い。
ぼくの考えや行動をぜんぶ見越したうえで、手を差し伸べてくれる。
「……おじさん」
「ん?」
「抱きしめてもいい?」
「おぅ、殴るぞ」
ぼくは、もうすこしだけ生きていてもいいかもしれない。
ご覧いただきありがとうございました。これにて第一章終了です。
次ページより「第二章 鳩の血社での『審判』」がスタートします。