(最終話)大好きな人と
天国から生還した数日後。
数ヶ月遅れの歓迎会が開かれた。
他でもない、ぼくの歓迎会だ。
鳩の血社の屋敷は再建中なので会場はぼくの家。
ライラさん、リリィさん、ジル、そしてル・ルーさんが来てくれた。
ルフとエリアーデさんはあとから合流することになっている。
ディオン先生とフォルトゥナは手をつないで自首し、いまは牢の中にいる。
「フォルトゥナは、ルフの力であなたの出生に関する過去をも知ったみたい。いまはただ愛する人と一緒にいられるだけで幸せみたい。……って、ハッピーエンドだっていうのに、なぁにその顔」
近く獄中結婚するつもりだというフォルトゥナからの手紙を読み上げるル・ルーさんの隣の席で、ぼくは深い絶望に襲われていた。
「いえ……なんでもありません」
言葉を濁し、ディオン先生からぼくあての手紙を隠した。
その中には、ぼくの体を使っていた際の詫びがしたためられていた。
簡単に云えば――「フォルトゥナと寝ました、ごめんなさい」という趣旨のものだ。
ぼくの顔を覗き込んでいるル・ルーさんは相変わらずの美少女姿だ。もちろん可愛い。その顔でにっこりと微笑んだ。
「あぁ、フォルトゥナとのこと? 気にすることないわ。だって……」
「わぁあああああーールフ、ルフ、いまこそ力を貸してくれーーーッ」
記憶を消してくれ。
だが願いはむなしく、ルフはこの場にいない。
なぜなら。
「ルフならいまごろフォロー夫妻と食事を囲んでいるはずよ」
ライラさんから聞いた話によると、ル・ルーさんはフォルトゥナが自首してひとりぼっちになってしまったルフをフェロー夫妻に紹介したらしい。正式な養子縁組の手続きはこれからだけど、ルフはひとりではなくなり、フェロー夫妻も生きがいを見つけられる。
そこまで考えていたなんて、やっぱりル・ルーさんはすごい。
「それにしても、疲れたわ」
ルフのことやディオンのことで、ここ数日ル・ルーさんは忙しく駆け回っていた。
甘えるように寄り添ってくる体を緊張しつつ受け止める。
「お疲れ様でした。いろいろ大変だったんじゃ?」
「そうね。でもわたしは果報者よ。アルカナの幹部たちに根回ししてくれた親友のお陰で、叱責は思っていたものよりずっと軽かったわ。制約もあるけどルフを自由にすることもできたし。睡眠薬を盛られたことを本気で怒る仲間がいて、仕事も増えて、まぁまぁ好きな人がこうして傍にいる。幸せすぎてお腹いっぱい」
まぁまぁ好きってなんだよ。いいけど。
姿かたちは変わらないけど、以前より大胆になっていることは疑いようがない。もうすぐ退院するおじさんがこの光景を見たら腰を抜かして再入院するかもしれない。
「でも奥様って面食いじゃないんですか? ものすンごい甘党ですよね」
ドーナツを食べながらジルが近づいてくる。
「たしかに恋愛なら美形がいいわ。チョコレートをたっぷりかけたドーナツのようにね。だけど結婚は別。余計なものが入っていない素朴なものに限るわ。だってクロムは《シュクル》だもの」
「ちょっと待ってくださいよ。いくらなんでもシュクル――屍体なんて」
思わず叫んだぼくに、その場の全員が一斉に視線を向けてきた。
なにも云わず、ただ見つめられるこの居心地の悪さ。
「……こほん。ねぇクロム、なぜシュクルが屍体になるの?」
唯一言葉を発したル・ルーさんのほうに向き直り、ぼくは恐る恐る自分の意見を述べた。
「ル・ルーさんと出会った事件の男たちが、屍体のことをそう呼んで」
次の瞬間、大爆笑が室内を包んだ。ぼくは呆然とするしかない。
涙をぬぐいながらル・ルーさんが教えてくれる。
「おそらく犯人たちは貴重なものという意味でそう呼んだんでしょう。公用語でない言葉だったからクロムは勘違いしたのね」
「え、じゃあ本当の意味は?」
仲間はずれが悔しくて身を乗り出すぼく。
まずジルが肩を揺らし、たっぷりコーティングされたドーナツを掲げた。
「本来の意味は《砂糖》さ。だけどそれだけじゃない」
言葉を継ぐようにリリィさんが小指を立ててコーヒーを飲む。
「《希少なもの》という意味もあるワ。むかし砂糖は貴重だったからねー」
最後にライラさんがドーナツをふたつ一緒に頬張る。
「砂糖が多く出回るようになってからは依存症の人が多くなって、こんな意味でも使われていましたよー。《なくては困るもの》――つまり《宝物》って」
宝物。
その意味がなにを『意味』するのか、ぼくは答えを持つル・ルーさんを見つめてしまった。顔を赤らめ、コーヒーに大量の角砂糖を投入しているル・ルーさんを。
「わたしはただ、素朴なドーナツなら砂糖の量や種類を変えて何度でも楽しめるって云いたかっただけ。それだけよ」
なんだ。言葉の綾ってやつか。
項垂れるぼくにル・ルーさんが寄り添ってくる。
「ねぇクロ。あなた、わたしが残したアイリッシュの精油を使っていないわよね。なぜ?」
ル・ルーさんがアイリッシュちゃんから貰ってくれた小壜は、未開封のまま自室の引き出しに保管してある。
「……必要がないと思ったからです」
祝福は『変化』をもたらす。ぼくはどうしようもない自分から脱却したくて祝福を欲しがっていた。
だけど鳩の血社で過ごす中で変化が生じた。
だれかを守るために体を張るなんて、以前のぼくじゃあ考えられなかった。
ぼくは祝福を使うことなく、変われたのだ。
それならもうすこし自分の力だけで変わってみたい。そう思っただけだ。
ぼくの言葉を聞いていたル・ルーさんは、力強くぼくの手を握った。
「ねぇクロ。今度は葬儀だけじゃなく結婚事業も始めましょうか。もちろん協力してくれるでしょう? 最初の新郎として」
「つまり?」
ル・ルーさんは顔をほんのり赤らめて微笑んだ。
「婚約しましょう、ってこと」
まさかの逆プロポーズに、ぼくの心は震えた。
ル・ルーさんの熱意にぼくも答えなければ。うまく。男らしく。
「――ぼ、ぼくで」
ぼくでよろしければ。
そう答えようとして、目の前でぷるぷる震えている唇に気づいた。
不自然なくらい顔が近い。そういえば、この体ではまだキスしていない。まだル・ルーさんの唇を受けていないのだ。
そうだ。ここは格好良くキスして婚約を受け入れよう。
ぼくはそっと腕を伸ばし、ル・ルーさんの細いを肩を抱こうとした。しかし。
「クロ、ルフの」
いつの間に来たのか、横からルフが抱きついてきた。フェロー夫人のお手製らしい黄色いドレスをまとっている。だがいかんせん胸元がきつそうだ。この数日で驚くほど背が伸び、胸が膨らんだのは疑いようがない。フェロー夫人も目測を誤ったのだろう。
「クロ、ルフのー」
ちょ、口にソースついてんじゃん。待てそのまま首にキスしてくんな。くすぐったい。
「いい度胸ね、ルフ。恩を仇で返す気?」
顔をひきつらせたル・ルーさんが空いたほうのぼくの腕を抱く。
「ベアトリスなんて、ルフがリバースしないと、チビのまま」
「このままでいいのよ。クロは美少女が好きなんだから」
「ルフだって、負けない」
睨みあうふたりの美少女。板挟みというか、胸に挟まれているんですが。その感触をたとえるなら、片や控えめな水枕。片や圧倒的な弾力で顔を包み込むクッション。どっちがどっちかは云わないでおく。殺されるから。
「サバ? 争奪戦ですか? では最初にクロさんに『アルカナの祝福』を授けた人と婚約、ということにしましょう」
「のったー」
と扉を破壊して現れたのは、またしてもエリアーデさんだった。扉の修理代、意外と高いんだからな。ル・ルーさんに立て替えてもらったんだからな。
「テディなんてやめてあたしにしておきなさいよ。大人の魅力をたっぷり教えてあげるから」
と顔に抱きつかれる。例の『演説』が耳に入り、いたくお気に召したらしい。
「突然現れてなんなのよ、クロは渡さないからね」
「クロ、ルフの」
『死に神』『塔』『力』。三人のアルカナがいがみあう恐ろしい景色が広がっている。
「……もぅ、ライラさんは」
なんとかキチネットに避難したぼくは、深く息を吐いた。
ライラさんの提案のせいでぼくの前途は多難。
母さんがくれた「お煎餅」は、いつでも天国に逃げられるよう大事にとっておこう。
そういえば中を見てみろって云われたな。
そっとお煎餅を取り出したぼくは「あれ?」と声を上げた。
「ル・ルーさん。お煎餅を割ったら手紙が出てきたんですけど」
騒ぎがおさまったところでル・ルーさんの隣に戻り、お煎餅の中から出てきた手紙を渡した。
「Chrome 3UQFXTB#W#R. 4YT#0.EKF3GO/W, EJ0QKDHEGUXE. Q@ERGUVSS」
文章をわざわざ暗号で記したということは、だれかに読んでもらえという意味だと思う。
「なんて書いてあるんですか?」
母から息子への最初で最後の手紙。
どんな感動的なことが書かれているのかと期待に胸を膨らませていたのだが、手紙に目を通したル・ルーさんは思わせぶりにぼくを見た。
なにかを確認するように長い睫毛が上下する。
「なるほどね。『太陽』のリバースの意味は不運……だからか、ふぅん」
「え、いまのダジャレ――?」
寒気がしました。
「いいのよ、クロはいまのままで。リバースしてもらう必要はないわ。運が良くなってモテたら困るし」
意味深な独り言を呟いたかと思うと、手紙をぼくの胸元に押し返してきた。
「なんですか、教えてくださいよ」
「イ、ヤ、よ」
つーんと顔を背けてしまうが、その頬は心なしか紅潮している。
「なんで顔赤いんです?」
「教えない」
「ル・ルーさんってば」
などと押し問答していたぼくは、バランスを崩してル・ルーさんを押し倒してしまった。
「サババッ、なんとクロさんが」
「お、ついに男を見せるのね、クロ」
「ルフもだっこー」
はやしたてる外野をよそに、ぼくの心臓は破裂しそうだ。
だって、こんなに可憐で小さな美少女がぼくの腕の先で無防備に寝そべっていて、黒髪が乱れて瞳は潤んでいて、あぁ自分でなに云ってるかわからないッ。
「……クロム」
ル・ルーさんの冷たい指がぼくの頬をそっと撫でた。
極上の笑みが浮かぶ。
そして。
「案外、度胸あるのね。だけど空気が読めない男は嫌いなの」
次の瞬間、頬への強力な一撃が炸裂した。
「んぐぁあああーーーッッッ」
悶絶し、もんどりうった。頬骨が砕けるかと思った。
「クロったら大げさなんだから」
と当のル・ルーさんは楽しそうに笑っている。
その笑顔を見た瞬間、痛みがすーっと引くのがわかった。
やっぱり、死に神は美少女に限る。
だって死に際にこんな美少女を目にしたら、死ぬのなんかやめちゃおうと思うだろう?
――母さんからの手紙にはこう書いてあった。
「Chrome 3UQFXTB#W#R. 4YT#0.EKF3GO/W, EJ0QKDHEGUXE. Q@ERGUVSS」
(クロム、あなたは逆児です。運が悪いのは諦めて、いまを楽しく生きなさい。大好きな人と)
彼らの行く末を見守っていただき、ありがとうございました。
死にぞこないのクロムと死に神ル・ルーのお話、これにて完結です。
屍体や葬儀屋などネガティブなテーマを扱っておりますが、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。
追記:別作品の連載をはじめました。
用務員と天使によるドタバタファンタジーです。こちらもよろしくお願い致します。
「薔薇のいあ~ただの用務員が魔物図鑑に載ったワケ~」
https://ncode.syosetu.com/n8911ek/