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死に神は「美少女」に限る。  作者: 芹澤
エピローグ やっぱり『死に神』は美少女がいい。

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この人のためなら、あと百年くらい生きていられる

 長い長い階段を「ぼく」と「ボク」が歩いている。


 肉体から離れた以上、体力や年齢が影響するとは思えないけど、ディオン先生の足取りは重い。

 時々立ち止まっては雲に覆われた階下を見下ろす。まだ未練があるのだろう。


「結局あなたはどうしたかったんですか? ぼくの母親を蘇らせて、そのあとは?」


 ディオン先生は沈黙する。

 ぼくは根気強く待った。なにせ時間はたっぷりある。


 やがてぽつりと、こう返ってきた。


「ルカ先生の手で死にたかった。ボクも救われたかったんだ」


 ディオン先生の体がちいさく見える。

 たぶんこの人はずっと、自分の身の丈以上の導師を演じていたんだと思う。


「本当に好きだったんですね。息子としては複雑ですけど」


 だけど一方では、誇らしさもある。


「あの火事のとき、ぼくはトイレに行ったんです。でもいま考えると……なぜあのタイミングだったのか不思議で仕方ない。ぼくは数分前にもトイレに行っていたのに」


「運が良かったんだろう。『太陽』の意味はツキ、幸福だからな」


 だからこそ自分も生き延びてしまったと、ディオン先生は皮肉を込めた。


 やがてぼくたちの前に巨大な門がたちふさがった。凱旋門のように天を貫く圧倒的な存在感。

 これはきっと噂に聞く天国の門だろう。


「どうします? 入ります?」


「先に行け。たぶんボクはここをくぐった瞬間、地獄へ堕ちるはずだ」


「ルカ先生に会いたいんじゃないですか?」


「身勝手な理由で千人近い命を奪った代償は大きい」


「ぼくだって天国にいける保証はないですよ。日ごろの行いは悪いし」


 などと押し問答していると扉が勝手に開いた。人影が出てくる。


『どちらさまですか』


 女性だ。肩口で揺れる赤茶色の髪、垂れた眉、異国緑クロムグリーンの瞳。頭上で天使の輪が輝き、背中からはおおきな翼が生えている。


 隣り合っていたディオン先生の肩が震えた。


「……ルカ先生」


 ディオン先生の言葉で、改めて女性を見た。

 この人がぼくの母親――……にしては、若いな。どう見てもぼくと同じ年くらいなんだけど。


「やっと会えましたね、ルカ先生。相変わらず童顔だ」

 

 ディオン先生の笑顔がひきつっている。そういえば往復ビンタに処されたことがあるんだよな。


『どちらさまでしょう?』


 笑いながら首を傾げる母さん。なんだか様子がおかしい。


「あなたのかつての教え子ですよ。生前のことはお忘れですか?」


 そっと歩み寄り、顔を覗き込むようにして確認させるディオン先生。

 しかし母さんは困ったように微笑む。


『あら、ずいぶんな美形さんですけど……ごめんなさい』


 噂で聞いたことがある。

 天国の門をくぐった瞬間、生前の記憶は失われると。


 つまり、母さんはもう。


『知らないわ。ばかげた儀式でたくさんの人を救おうとしたそんないい子、知らないわ。私が知っている教え子は、自己中心的で不意打ちキスをしでかすような、どうしようもない子』


 そう告げられたディオン先生はしばらく目を瞬かせていたが、やがて一筋の涙を流した。

 母さんはなおも続ける。


『あなたのやり方は間違っていたけど、想いは間違っていなかった。だから今度は別の方法でだれかを助けてあげて。死ぬなんて、だめ』


「でも、だれかを助けるなんて」


『天国にある未来透視鏡によると、近い未来ある地域で病気が蔓延するの。三万人近い人間が死ぬことになるけれど、それをあなたが救うの。きっと地獄の責め苦を味わうより辛いことよ。だけど天国裁判でそう決まったから口答えは許さないわ。いいわね』


 ぽかん、とするディオン先生。

 さすがに先生の先生とあって扱い方を心得ている。


 話は済んだとばかりに、母さんはぼくに向きなおった。


『久しぶり……というより初めましてになるかしら。クロム。お母さんですよー』


 感動の対面のはずなんだけどお互いに実感がない。一年しか一緒にいなかったから当然だ。


『なんだかパッとしない顔ね。異国緑クロムグリーンの瞳には下心が透けて見えるわ。だれに似たのかしら』


 いや、あなたが生んだんですけど。眼の色も同じだし。


『あなたは現世への留年決定。天国試験に合格できませんでした。ざんねーん』


 軽い。軽いよ。重たそうな石を持ったら紙製でめちゃくちゃ軽かったくらいに軽いよ。


『それ以前に、女を泣かせるような息子なんてお母さん知らないわ』


 云っていることが支離滅裂だと思ったけど、母さんに促されて振り返った先には、


「迎えに来たわ、クロ」


 とんでもない美女が佇んでいた。


 すらりと伸びた眩しい手足に、お尻に届くほど長い黒髪。紅を差した唇は色っぽく、紫の瞳に宿る炎は力強い。


「もしかして……ル・ルーさん?」


 ルフの力で体の成長が止まってしまったはずだ。

 だけど、魂の次元においては本来の姿に戻るのかもしれない。


 この美女がル・ルーさんだなんて……。ぼくの美少女愛が崩壊しそうだ。


「クロにはやってもらうことがたくさんあるの。鳩の血社の立て直し、新規顧客の開拓、わたしのマッサージ係、マスコットキャラクター……」


 想像するだけで目が回りそうだ。死んだほうが楽かもしれない。


「それから――……恋人とか」


「い、いまなんてッ?」


 思わず訊き返すと、ル・ルーさんは真っ赤になって「うるさいわね」と癇癪を起こした。


『いいわねぇ、夢があって。生きている人の特権ね』


 と母さんは楽しんでいる。


「だめですよ。やっと天国に来たんです。戻るわけには……その、男としてのプライドが」


 ここで「ハイわかりました」と応じることが悔しくてムキになった。

 子どもじみているとわかっていても、ぼくは男でいたい。


「じゃあ、云いかたを変える」


 ほんの一瞬、視線を離した隙に。

 ル・ルーさんがぼくの背中から抱きついてきた。


「帰ってきて。クロム。わたしにはあなたが必要なの」


 押しつけられる胸の膨らみとともに、ほとんど聞こえないくらいだった自分の心臓がはげしく脈打つのを感じる。

 あぁ、こんなに強く脈打ったら死ねないじゃないか。


 ル・ルーさんはゆっくりと語りはじめる。


「あなたはね、産まれたとき息をしていなかった。死んだと思ったわ。だけど数時間後、安置所の棺の中で奇跡的に息をしたのよ。声の限りに泣いていたわ。小さな体をよじり、肺を膨らませ、生きたい生きたい生きたいと懸命に叫んでいた。エレクトラの子どもとはなんの関係もない」


「ならどうして、エレクトラさんに真実を説明しなかったんですか?」


 首をひねってル・ルーさんの顔を見ると、悲しそうに笑っていた。


「傲慢だと笑ってくれていい。ふたりの子どもをそれぞれ失って命を絶とうとしていたエレクトラに生き延びて欲しかったの。憎悪が理由でもいい。愚かにも、生きることでいずれ希望を見出すこともあると信じていたの」


 『運命の輪』が狂ったきっかけは、ル・ルーさんの優しさだった。

 そこからいろんなものが狂って、いろんなものを巻き込んだ。


『エレクトラは息子の魂を探していまも地獄をさまよっているわ。それが天国裁判で決まった罰なの。気の毒だけれど、いつかきっと見つけられるはず』


 優しく微笑む母さん。


『わたしもお礼を云わなくちゃね。ベアトリス、あのとき殺してくれてありがとう』


 母さんの口から語られたのは、とある肺の病気にかかり、半年近く死ぬよりもつらい苦しみを味わったという過去だった。


『あなたが『死に神』のキスをくれたことで、わたしは苦しみから解放された。その直後に特効薬が開発されたのは単なる運の問題。エレクトラの『運命の輪』がわたしの『太陽』を狂わせただけの話。それだけのことよ。あなたが苦しむことじゃない』


 近づいてきてル・ルーさんの頭を撫でた母さんは、その手をぼくの頭にも置いた。


『……大きくなったね、クロム』


 温かな、満たされるような手のひら。なぜか覚えがある。

 そう、あのときだ。


 エル・トラの火事が起きたとき。なぜかトイレに行きたくなって列を離れたぼくに優しく語りかけてくれた人がいた。頭を撫でてくれた。この温もりは、同じだ。


『ずっと見ていたの。もし自ら命を投げ出すようなことがあったら百年くらいお説教しようって決めていたんだけど、ルシェルシェに出会って良かった。生きていてくれて、本当に良かった』


 おでことおでこを合わせて、ぬくもりを分かち合う。

 やっぱりこの人はぼくの母親で、母親以外の何者でもないと強く思った。


『せーんせーい』


 羽を生やした天使たちが扉の向こうから顔を出していた。

 その中のひとりは……ミリアだった。フェロー夫人お手製のウェディングドレスを着て、母さんに向けて力いっぱい手を振っている。


 良かった。両親の願いが届いて、たくさんの友達と笑って過ごしているんだね。


『はーい。いま行くから』


 と応じた母さんは、最後にディオン先生の頭を撫でる。と云ってもディオン先生の背が高いので、つま先立ちになって。


「こちらでも、相変わらず先生を?」


『そうなの。毎日忙しくしているわ。もし現世に呼び戻したら、ぐーで殴るからね』


「……そうですか」


 淋しそうに笑うディオン先生は、嬉しそうでもあった。


『元気でね、ディオン。ルシェルシェ。それからクロム。本当はもっと話していたいけれど、長居すると天国の住人になってしまうしね。だからお餞別』


 と云って異国の死者が持ってきたという二枚重ねの「お煎餅」をぼくにくれた。

 お餞別でお煎餅って……これダジャレだよな? 寒いよな? 笑っていいんだよな?


『いい? 絶対に食べちゃダメよ。即死だからね。現世に戻ったら中を割ってみて』


 毒薬並みに危険なものを、なぜくれるんだ母さん。

 という疑問を抱きながらも、ぼくは形見だと思って懐にしまった。すぐに割れた。


「さ、行きましょう」


 ル・ルーさんに手を握られ階段を下りはじめる。

 その場を動こうとしなかったディオン先生も、天使たちにせがまれて扉の向こうへ消えた母さんを見届けると、諦めたように歩き出した。


「ルフがわたしたちの魂を呼び戻してくれるわ。帰ったら忙しくなるから覚悟しなさい」


 母さんの前ではしおらしかったル・ルーさんも、すっかり代表の顔に戻っている。


「……ル・ルーさん。お願いがあるんですけど」


「なに? 聞くだけ聞いてあげる」


 さっきの「恋人」発言はさすがに冗談だろう。

 だけど。


「笑って、もらえませんか?」


 ばかばかしいと云われるかもしれない。

 だけどぼくの中にはまだ、別れを告げられたときの衝撃が残っている。それを払拭したい。


「……」


 パッと手を離したル・ルーさんは、黙ったまま数段先に降りて行った。

 怒らせたかと不安になっってきたところで、くるりと振り返る。


 そして。


「癪だけど……大好きよ、クロム」


 太陽だって顔を赤らめてしまうような、とびっきりの笑顔が輝いた。


 この人のためなら、ぼくはあと百年くらい生きていられる。

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