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死に神は「美少女」に限る。  作者: 芹澤
第六章 ぼくの『運命』

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対決

「近くまで来ているな」


 寝椅子から体を起こしたボクは、クロムの気配を強く感じていた。血がざわつくのだ。


「ルフは……まぁ、予想通りだ。寝返った」


「申し訳ありません」


 ボクに寄り添って眠っていたフォルトゥナが肩を揺らした。一糸まとわぬ肌は絹のようになめらかで、艶と膨らみを帯びている。


「想定の範囲内だ。凶札である『塔』は吉札である『太陽』に惹かれる。仕方ないことだ」


「だからこそクロムを引き留める役を与えたのですが、逆にほだされたてしまったのですね。どうやらベアトリスも侵入したようです」


 フォルトゥナが体を起こした。強い怒りの炎を瞳にたたえている。


「頼めるか?」


「お任せください」


 立ち上がったフォルトゥナは、薄いドレスで体を包んだ。強い決意を秘めた眼差しで扉へと向かう。


「……ディオン先輩」


 ふいに足を止めたフォルトゥナが、懐かしい呼び方をした。


「なんだ。ルゥナ」


 あのころのあだ名で応える。すると、くすぐったそうに肩をすくめた。


「呼んでみただけです。あなたはルカ先生のほうを見てばかりで、わたくしが先輩と呼んでも振り返ってくださらなかった」


「そんなことはない。五回に一回は答えたつもりだ」


「嘘です。十三回に一回でしたよ。ちゃんと数えていました。ルカ先生に夢中だったことをごまかすように、聞こえていたよルゥナと笑うんです。いつもそう」


「……悪かったな」


「怒ってなどいません。ルゥナと、子どものような名を呼ばれるのが好きでした」


 目立つことも、自己主張することもなくいつも影のようにボクに寄り添っていたルゥナ。

 ルカ先生に不意打ちのキスをして往復ビンタを食らい、頬を腫らしていたボクの頬を冷たい手で包んでくれた。なにも云わず、ただ微笑んで。


「冷たい手は気持ち良かったが、その後にくれた冷水は痛かったな」


「当たり前です。たっぷり塩を入れましたから。口内の傷にはさぞ沁みたでしょう」


「嫌がらせだったのか」


「わたくしも女です。嫉妬くらいしますよ」


 エル・トラの火事から十二年の月日を経て、ようやく再会できたが。

 またお別れだ。


「皆、救いを待っている。ボクに殺されることで輝かしい来世が約束される」


 ボクの言葉に、フォルトゥナは首を傾げた。


「おかしな云い方をなさいますね。救われたがっているのは他のだれでもない、あなた自身でしょう」


 きっかけは、エル・トラの孤児院に引き取ったひとりの子どもの願いだった。

 重い病によって喪われようとしていた命。残りわずかな息を使い、子どもは云ったのだ。


 ――殺してほしい、と。


 ミルゼア教では、他殺によって落命した者の魂は厚遇されると謳っている。

 その子どもはボロボロになるまで教典を読み、生きる糧にしていた。

 来世では健康で生まれ、父母に愛されたいと願っていた。


 だからこそ、遅かれ早かれ命を落とすのなら他人の手で殺されたいと願った。

 純粋に、無垢な心で。そこに悪意はなかった。


 それが、ボクが殺めた最初の人間だった。


「ボクは今度こそ千人の人間を殺め……蘇ったルカ先生の手で、殺されたい」


 人を殺すのは、もう終わりにしたい。

 それがボクの願いだ。


「どこまでもともに参ります、導師」


 フォルトゥナが手を差し伸べる。陶器を思わせる純白の手を借りて立ち上がったボクは、自分の左耳を手でふさいだ。意識を集中させる。潮騒のようなノイズがしばらく響いた後、相手につながった。


 ――聞こえるか、クロム。


 ぐわぐわと空気がうねる。ボクの声は届いているはずだ。


(……なんだよ、急に片耳が詰まっ……なんか、声が)


 ――長い間肉体を共にしてきたボクたちのつながりは、常人のそれをはるかに超える。だからこうして意識をつなぎ、聴覚の一部を共有することができる。一方通行だけどな。おまえは力ではボクに劣る。


(その声、ディオン先生……。って、肉体を共にしてきたとか紛らわしい云い方するな)


 相変わらずの騒がしさに呆れを通り越して苦笑した。


 ――いいから黙って聞いていろ。ベアトリスの懺悔を。


(ル・ルーさんの懺悔……?)


 困惑して黙り込んだクロムを放置し、ボクとフォルトゥナは部屋を出る。初代アルカナの胸像が並ぶ廊下の『死に神』の像の傍にベアトリスの姿があった。


「待ちくたびれたわ」


 壁から背を離し、鎌を手前に持ち直す。すでに臨戦態勢に入っていた。


「レディを待たせるなんて、失礼じゃなくて?」


「ダンスの相手はわたくしです。ともに踊りましょう。死のワルツを」


 進み出たフォルトゥナは槍を構えている。『運命の輪』を回すための神棒だ。


 風がはしった。

 高く跳躍し、渾身の力で振り下ろしたフォルトゥナの槍と鎌が交錯して風が起きる。身長差からいって、ベアトリスが圧倒的に不利なはずだった。しかしベアトリスは二本の脚で耐える。瞳はギラギラと輝いていた。


 拮抗する力に分の悪さを感じたのか、一旦フォルトゥナが飛びずさった。


「ベアトリス。母はあなたを深く憎んでおりました」


「なに、聞こえない」


 云いながらベアトリスが間合いを詰めてくる。

 フォルトゥナ焦ったようにが横薙ぎに払うが、背の低いベアトリスは軽く腰を落として回避するなり逆に鎌を振った。

 脚を掬われそうになったフォルトゥナは槍を垂直に叩きつける。

 ガキン、と鈍い音がして間一髪、鎌を受け止めた。


「あなたがわたくしの弟を――イルフィナの双子の兄を殺したからです」


 槍を振り払って鎌を外すと同時に、槍を支えにしてふわりと跳躍する。

 振り下ろされた槍の刀身を、ベアトリスは鎌の側面で受け止めた。


 フォルトゥナはなおも力をこめる。


「十五年前、母が出産した日です。母エレクトラとルカ先生は産院の同室で、わが子の誕生を待ちわびていました。先に陣痛が始まったルカ先生は部屋を離れ――その数時間後、母は悲痛な声を聞いたと云います。廊下中に響く声で「息をして」と泣き叫ぶ声を」


(……どういう、ことだ)


 戸惑うクロムの声に、ボクは説明を加えてやる。


 ――ルカ先生は死産だった、ということだ。産まれた子どもは息をしていなかった。


「ほどなくして母もイルフィナと男児を出産しました。ふたりとも確かに息をし母の腕に抱かれたというのに、出産の疲れから眠りに就いた母が次に目を覚ましたときにはどちらもいなかった。母は衝撃の事実を知らされました。イルフィナは数年前に死んだ『塔』のしるしを持っていたため隔離されたということ。そして、一緒に生まれた男児は間もなく息を引き取ったということ。別室で母が目にしたのは織布に包まれた男児の亡骸でした」


 そのときの絶望を、ボクはエレクトラから聞かされていた。

 数時間まで息づいていた命が、まるで『死に神』のキスを受けたかのように奪われてしまったのだと。


「『運命の輪』だった母は、亡骸にキスしました。運命を変えたくて、さらわれた命を引き戻したくて、何度も。そんな母の耳に聞こえた赤子の声。それは、自分の子どもではなく死産したはずのルカ先生の子どもから発されたものでした。その姿を見た母は思ったそうです。『死に神』がルカ先生の子どもと自分の子どもの命を取引した、と」


 赦せない、とエレクトラは叫んだ。


 『運命の輪』のアルカナが自らの運命を恨み、憎み、他者に嫉妬した。

 狂った運命の歯車が音を立ててまわりはじめたのだ。

 激しく、強く、あふれる涙を遠心力に加えながら。


「だから一歳のクロムを連れ去ったの? 『千人輪廻回帰術』で引き戻した息子の魂を宿す器として?」


 フォルトゥナの刃先が鎌の側面に食い込む。ベアトリスは苦悶の表情を浮かべた。


「エレクトラはそのつもりでぼくに計画を提案し、現世に絶望した信者たちを集めたんだろう。残念ながら本人は計画半ばで病に倒れたが、強い恨みはフォルトゥナの中に継承されている」


「だから施設の名前がエル・トラなのね。納得」


 ベアトリスは肯定も否定もせず、力任せに鎌を振り払った。

 防戦一方だが、構える手を解こうとはしない。


「否定しないのですか?」


「必要ないわ。伯母から『死に神』を継いだわたしがキスを贈った。ルフの兄にも、ルカ先生にも」


「認めるということですね?」


 脅すように低い声を出し、フォルトゥナもふたたび槍を構える。


「フォルトゥナ、あとは任せた。そろそろ信者たちが待ちくたびれているはずだ」


「待ちなさいよ。まだ話は終わってないでしょう」


 ベアトリスがこちらに足を向けるが、すかさずフォルトゥナが先回りする。

 その肩ははげしく上下していた。


 エル・トラの火事以降、フォルトゥナは花を愛でる穏やかな生活を送っていたという。

 元々好戦的とは云いがたい彼女に、知己であるベアトリスとの戦いは負担が大きいのだろう。


 しかし、もう後戻りはできない。


「こちらの話は終わった。クロムもすべてを聞いていた」


「盗み聞き? あとでお仕置きしなくちゃね」


 その台詞には思わず笑ってしまった。


「いまの話を聞いたクロムとこれまでのように話せると思っているのか?」


(ふざけるなよ)


 耳の奥で響いたクロムの声。深い憤りを含んでいる。

 その怒りはベアトリスに向けられているものだと思っていた。


 しかし。


(なんでル・ルーさんの話をちゃんと聞いてやらないんだよ)


 あまりに予想外の言葉に驚いたのはボクのほうだった。


 ――それは「命の取引」が事実だからだろう。おまえの体に『太陽』のしるしがないのは、一度はつながりを絶たれたからだ。しるしは血のつながりではなく、魂のつながりによって生じるものだ。


(ディオン先生、自分で云っていることおかしくないか? アンタはル・ルーさんだけでなく、ルカ先生を疑っているって云ってるんだよ。ぼくに母親の記憶はないけど、他人の命で自分の子どもが存えることを喜んだ最低の女だって云ってるんだよ)


 ――ちがう。ルカ先生はそんな人じゃない。


 思わず叫んだ。


 ボクはエレクトラの憎しみについて深く考えないようにしていた。

 同調することはルカ先生を否定することだ。否定することは、信頼と愛情を寄せていた自分の心を否定することにもなる。

 だからこそ、考えたくなかった。


(だからル・ルーさんは否定しなかったんだ。自分が勝手にやった、すべて自分が悪い。自分が悪者になることで他のだれも傷つかないようにしたんだよ)


 ――なんでそんなことがわかる? おまえとベアトリスが出会ってまだ数ヶ月だろう。


(数ヶ月あれば十分だ。アンタたちは何年も一緒にいたくせに、わからないのか?)


 無性にイライラした。なにもわからないままだと思っていたクロムに考えが劣るとは思いたくない。


 ――わからない。なんでそんなことをする必要がある?


(友達だからだよ)


 友達? ルカ先生の元で机を並べた。共有した時間は四年。ただそれだけの関係だ。


(四年も一緒にいれば友達だろ、バカ)


 友達? 友達? 友達? 友達? 友達?


 混乱するボクの頭の中で、クロムが笑った。


(ル・ルーさんひとりを悪者にしたくない。だから、ぼくにできることをするまでだ)


 「なにをするつもりだ」と問いかけた声は無視され、クロムによる「演説」が始まった。

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