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死に神は「美少女」に限る。  作者: 芹澤
第六章 ぼくの『運命』

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ただのキス

 渦を巻くような霧の中を、ぼくとル・ルーさんを乗せた馬車が進んでいく。

 馬の手綱を握る御者は馬車とセットで雇った第三者で、ぼくらはふたりきりでディオン先生のもとに向かっているのだ。


「良かったんですか。ライラさんやリリィさんにジル。朝食に混ぜた睡眠薬でいまごろ」


 向かい合って座るル・ルーさんは当然のように頷く。


「遠足に行くんじゃないのよ。敵に人質にとられて行動を制限されるよりも、安全なところでおとなしく眠っていてもらうほうがマシ」


 辛辣な言葉。だけどぼくはわかっている。

 ル・ルーさんは三人を傷つけたくないのだ。

 大事だから、敢えて遠ざける。不器用でひねくれたル・ルーさんなりの優しさなのだ。


「ぼくはル・ルーさんのことを誤解していました。屍体相手の商売をしているのは、だれかへの贖罪のためだと思っていました。伯母さんの仕事をまっとうに引き継いでいたなんて……。すいませんでした」


 深く頭を下げた。ル・ルーさんはなにも云わなかったけど、ぼくが顔を上げたときには口元に笑みを浮かべていた。


「その顔で謝られると、変な気分」


「すいませんね。真心だけ受け取ってください」


「ずいぶん買ってくれているみたいだけど、いまの言葉、撤回したほうがいいわよ。事業の継続に必要なものは資金、将来性、ニーズ。葬儀にはそのすべてがあるわ。一生に一度の葬儀にお金を惜しむ人はいないし、人は絶えず亡くなる。だから葬儀屋を続ける限り生活に困ることはないのよ」


 金になるから商売をしている、とでも云いたげな口調だ。

 だけどきっと、それだけじゃない。


「無理して悪いものにならなくてもいいですよ。ル・ルーさん」


 金なんかのためだけに、たくさんの人を見送ってきたんじゃない。

 ル・ルーさんは、そういう人じゃない。


 いまなら、そう思える。


 目を丸くしていたル・ルーさんは、諦めたように息を吐いた。


「……そうね、それだけじゃないわ。それに、あなたの考えは案外間違っていない」


 膝の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめた。


「わたしは『死に神』として、病に苦しみ、痛みから逃れたいと願う多くの人を見送ってきたけど、たった一度だけ、死ななくて済んだ人に『死に神』のキスを贈ってしまったことがあるのよ。いまでもそれを悔いている」


 青ざめ頬と唇。初めて聞く、ル・ルーさんの懺悔。


「……もしかして、それが母さんだったりして?」


 思いつきで口にしただけだった。「ちがうわよ」とすぐに反論があるものだと思った。

 だけどル・ルーさんは気まずくなるくらいの沈黙を保つ。


 ――それは、つまり。


 不意に馬車が止まった。


「申し訳ありません。馬が急に」


 御者からの声に、ル・ルーさんは素早く身なりを整えた。


「降りるわよ、クロ」


「え? まだ教会に着いていませんけど」


「何日かけてもたどり着かないわよ。同じところをぐるぐる周回しているみたい。霧自体が術なのかもしれないわ。敏感な馬もそれに気づいて戸惑っている」


 立ち上がったル・ルーさんは扉を開けて先に飛び降りる。

 勝負服のような真っ白なワンピースの裾がふわりと揺れた。すこし屈めばパンツ見えそう……じゃなくて。


 外はわずかな先も見えないほど濃密な霧に包まれている。


「霧が晴れたら中央へ戻っていいわ。ご苦労様」


 と御者に小銭を渡して、ル・ルーさんはどこへともなく歩き出す。ぼくもその背を追いかけた。

 たしかに、変な霧だ。奇妙に生暖かくて、肌を滑るようにぼくの体を包んでいく。霧というよりは泡状の緩衝材をかき分けて進む感じ。足を止めれば埋まりそうだ。


 足場の悪さに戸惑っている間に、ル・ルーさんの姿が消える。


「ル・ルーさん、待ってください」


「クロはそこにいなさい。動かなければ霧に呑まれることもない」


 鋭い声が飛んでくる。だけど目を凝らしてもなにも見えない。ぼくは声の方向に進んでみたけど、目当ての姿は見つからない。


「そうはいきません。ぼくも行きます」


「いいのよ。そこにいて。それから、クロ」


 死角から手を引かれた。ぼくは体勢を崩して前のめりになる。


 唇が触れたのは、本当に一瞬だった。


「安心しなさい。『死に神のキス』じゃなくて、ただのキスよ」


 目が合うと、ル・ルーさんは頬を赤らめた。

 ぼくもきっと、同じくらい顔を赤くしていたことだろう。


 まさかル・ルーさんのほうからキスをされるなんて、夢にも思わなかった。目の前にある、先ほどぼくに触れた唇を直視する勇気もない。


「ル・ルーさん、ぼ、ぼくも」


 と云いかけた唇を、ル・ルーさんの人差し指に遮られる。


「あなたのベッドの下に小壜を隠しておいたわ。アイリッシュから貰った精油――『アルカナの祝福』よ。使う使わないは自由だけれど、せめてものお詫びとして受け取ってちょうだい」


 笑っているル・ルーさんの頬を涙が伝う。ぼくはたまらずル・ルーさんの指を掴んだ。


「お詫びってなんですか。変なこと云わないでくださいよ」


「だって鳩の血社が廃業したら、また転職活動しなくちゃいけないでしょう。こんな高給の企業そうはないからね」


「そうですよ。あと十年、いや二十年、いや死ぬまで働かせてくれないと困ります。従業員の雇用を守るのは企業の義務ですよ。それくらい知っているんですからね」


 生意気、とばかりにル・ルーさんが肩をすくめる。


「だけどね、従業員の命を守るのも代表の務めなの」


 ぼくの手の中から引き抜かれる冷たい指。


「あなたの肉体はちゃんと取り戻すから心配しないで。その肉体でも案外使い勝手はいいと思うけど、やっぱり使い慣れた体のほうがいいものね」


「どういう意味ですか?」


 おまえはここで用済みと云わんばかりの。


「元気でね、さようなら」


「……ル・ルーさ」


 ぼくを突き飛ばし、ル・ルーさんは走り去ってしまう。

 必死に追いかけたけど霧が行く手をふさぐ。


 もはやどこをどう走っているのか、自分の手足がきちんと動いているのかすらわからない。闇雲に歩き回っても霧はどんどん濃くなってぼくの体を包む。

 体どころか、頭の中にまで入ってくるようだ。


 落ち着け。深呼吸。ル・ルーさんに追いつくんだ。

 ぼくの知っているル・ルーさんは、天然パーマの黒髪で、類いまれな美少女で、抱きしめたいくらい小さくて、えーと……皮肉めいた笑いかたをして……えーと、それで。


 するすると記憶がほどけていく。

 そんな気がした。

 霧に溶けて、ぼくの記憶が流れ出していく。


『忘れていいんだよ』


 どこかで、声がした。

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