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死に神は「美少女」に限る。  作者: 芹澤
第五章 『太陽』を求めて

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Bonne chance !(幸運を祈る)

 うーん。うーん。

 ただならぬ圧迫感を覚えながら、ぼくは目を覚ました。


 事務所の焼失から一夜。ル・ルーさんの一方的な提案により、ル・ルーさん、ライラさん、リリィさん、ジルの全員がぼくの家に泊まることになったのだ。おじさんがいないことも幸い(災い)して。


 床で眠っていたぼくは、ジルに羽交い絞めにされ、リリィさんに頬ずりされていた。

 眠るふたりを引き剥がして上体を起こす。


「起きたの」


 ベッド兼ソファーに寄りかかったル・ルーさんは本を読んでいる。

 社会法典に関する、題名を見ただけでも目眩がしそうな分厚い本だった。


「眠れなかったんですか?」


「平気よ。最低限の睡眠時間は確保しているから」


 嘘だ。目の下にクマができているじゃないか。


「寝不足はお肌の大敵ですよ?」


 嫌味を云ったつもりだった。ル・ルーさんは本から視線を上げてじろりとにらむ。

 だけどなにも云わず、すぐにそらした。一言いえば、その三倍も四倍も返してくるのが常なのにらしくない。


「その顔で嫌味を云われると、云い返す気力もなくなる。不快だわ」


「すいませんね」


 立ち上がったぼくはキチネットに向かい、棚からコーヒー粉を出してお湯を注いだ。元々の肉体よりも手や足が長いので、バランスをとるのが難しい。


「どうぞ。安物ですけど」


「……ありがと」


 マグカップを受け取る瞬間、指先が触れないよう苦心しているのがわかった。

 ぼく(ディオン先生)は相当嫌われているらしい。


 猫舌のル・ルーさん。ふーふー、と息を吐きかける姿は愛らしい。


「訊いてもいいでしょうか?」


 ル・ルーさんは依然としてふーふーとコーヒーを冷ましている。反応はない。それは肯定を意味する。


「ディオン先生が云っていたルカ先生って、ぼくの母のことですよね?」


「……そうよ」


「ぼくは両親についてほとんど知らないんです。写真もない。ご存知のことを教えてもらえませんか?」


 訊ねるタイミングを間違えたのかと思うくらい、ル・ルーさんの沈黙は長かった。

 カップに向けられている目は忙しなく揺れている。苦しそうに。


「や、やっぱりいいです。すいません、変なこと訊い――」


「わたしは、とある貴族と愛人との間に生まれた庶子なの」


 突然出た「庶子」という言葉に戸惑った。どう反応していいのかわからない。


「いいのよ、そのまま聞いて。隠していたわけじゃない、湿っぽい空気が嫌いなだけ。葬儀屋やっているくせにって笑われるかもしれないけど。鳩の血社は、わたしを産んで間もなく死んだ母の姉……伯母のティティシアが代表を務めていた会社なのよ。わたしは伯母から鳩の血社と『死に神』を継いだ」


 饒舌に語り続けるル・ルーさんは、一方でぼくが意見を挟む余地を与えない。

 長台詞を朗読するように淡々と言葉を紡いでいくだけだ。


「七歳のとき、教会の寄付で運営されるルーテルー学院に入ったの。七歳から十八歳までの子どもが通っていた。エリアーデは同期。七つ上のディオンと四つ上のフォルトゥナも在籍していたわ。そこで医療従事者としてルーテルーに勤めていたルカ・クロナ先生に会ったの」


 実はぼくはさっきまで夢を見ていた。

 より正確に云えば、昨日まで意識を共有していたディオン先生の意識を覗いたのだろう。「ルカ先生」を想うときのディオン先生は、懐かしさとともに淋しそうだった。


「ディオンは十四歳にして『世界』のアルカナとなり、目立ちすぎる容姿もあって多くの女性信者を獲得していたんだけど、視線の先にはいつもルカ先生がいた。笑えるでしょう。ルカ先生は結婚していて、ディオンを生徒のひとりとしか見ていないのに。子どもじみた悪戯で結婚指輪を外そうとしてルカ先生にこっぴどく叱られているディオンを見ていると――……バカだなぁって、笑えもしなかったの。わたしならって思ったのは一度や二度じゃない。たぶん、初めての恋だった」


 言葉の最後のほうは、照れ隠しのように笑い声になった。

 だけど口元は笑っていない。うつむいて、苦しそうだ。


「ルカ先生は『太陽』なの。だれにでも優しく、だれにでも暖かい。だれにでも平等に接し、だれにでも笑顔を向ける。太陽の日差しを独り占めできないように、本当の意味ではだれもルカ先生を手に入れることができないのよ。ディオンはきっとそれが不満だったのね。家出したり、自傷行為をしたりと、ルカ先生の気を引こうとバカみたいなことばかりしていたもの。不意打ちでルカ先生にキスしたときには、さすがに往復ビンタに処されていた」


 あのディオン先生が。

 なんだか笑えるんですけど。


「あっという間に時が過ぎた。伯母が亡くなり、わたしはアルカナを継いだ。信じないかもしれないけれど当時のわたしに『死に神』は重荷でね、何度も泣いたわ。ルカ先生にも助けられた。『ルシェルシェ』という可愛らしい名前をつけてくれたのも先生よ。大好きな名前なの」


 だからル・ルーさんは本当の名であるベアトリスではなくルシェルシェを使っているのだ。


「十五年前、ルカ先生は妊娠して学院を去り、子どもを産んだ。それがあなた」


 そこでやっとル・ルーさんはぼくを見た。

 いまぼくが宿っているディオン先生の顔ではなく、ぼくの眼を。


「ルカ先生はね、その性格どおり『太陽』のアルカナだったの。自覚はないでしょうけど、あなたは『太陽』のアルカナの血を引く後継者なのよ?」


「――……え」


 左腕がずきっ、と痛んだ気がした。

 この肉体はディオン先生のものなので『世界』のアルカナ番号であるXXIと彫られているんだけど。


「だけど自惚れないことね。一年後にルカ先生が急逝してしまったから、継承の儀は行われていないの。だから腕に『しるし』もないでしょう? いまは欠員になっている。この先あなたに『太陽』としての力が覚醒するのか、あるいは他にしるしを持つ者が生まれるのか。それはわからない。だからあなたに『死に神』の祝福を上書きしなかったの。でもディオンに祝福されてしまったから、もう可能性はないかもね。あまり期待しないほうがいいわ」


「なんかいま、十メートルくらい持ち上げて一気に落とされたような気が」


「世の中そんなに甘くないの。自分が特別な人間だなんて思わず、凡人らしく邁進しなさい」


 うぅ、いますこしだけ嬉しかったのに。


「その先は知ってのとおり。ディオンは一歳のあなたを奪い、姿をくらました。追っ手をかわしながら二年後にエル・トラの火事を起こしたの」


「……千人輪廻回帰術、って云っていました。夢の中――たぶんディオン先生の意識とわずかにつながっているんだと思うんですけど、その術で母さんを蘇生させるみたいです」


「ほんと、バカ」


 これで話は終わり、とばかりにル・ルーさんはコーヒーを飲み干した。

 ぼくにはまだ二つほど疑問があったけど、口にできなかった。


 ひとつは、ル・ルーさんが母さんを殺した、というディオン先生の言葉。

 もうひとつは、ル・ルーさんがルフを懐柔しようとしてリバースされたというフォルトゥナの言葉。それによって成長が止まったという。


 敵対する相手からの言葉だから鵜呑みにしなくてもいいのかもしれない。だけどル・ルーさんは言及しなかった。云う必要がないのか、云いたくないのか。

 どちらにしても、ぼくには疑問として残る。

 だからぼくはまだちょっとだけル・ルーさんを疑っている。


「さて、そろそろ支度をしましょう。肉体がないと知っても、ディオンは計画を実行に移すでしょうから」


 とル・ルーさんが腰を浮かした途端、ぼくの家の扉がメキッと軋んだ。


「クロム・クロナ。おまえは包囲されている。おとなしく投降しろ」


 人の家の扉をへし折って乱入してきたのはエリアーデさんだ。いつになく顔立ちが険しい。

 眠っていたライラさんたちが目を開ける。


「さば? なんですー、まだ朝早い……むにゃむにゃ」


「そうよ。寝不足は乙女の敵よ」


「重い、リリィさん、重い」


 そんな具合にそれぞれ自由で、緊張感の欠片もない。


「クロム・クロナ。どこにいるの――ッッッ」


 と短剣を振り回していたエリアーデさんは、ぼくの鼻先に刃先を突きつけた。


「クロム――……じゃない、ディオンッ」


 次の瞬間、ぼくの体は床にたたきつけられ、エリアーデさんの足に踏まれていた。

 一切の加減なしに腕をひねられる。


「痛い、いだい、いだいですエリアーデさぁんッッ」


 ぼくは必死に助けを求めたのに、ル・ルーさんはコーヒーをすすりながら新聞を見ている。

 こンの悪魔ッッ。


「……だいたいの事情はわかったわ」


 数分後。ル・ルーさんの最低限の説明により、エリアーデさんは納得してくれた。

 しかしなぜか、ぼくの体にお尻を下ろして座椅子のように扱っている。


「事情はわかったけど、あたし、あんたの顔が大嫌いなのよね。虫酸が走る」


 でもこの扱いは単なる八つ当たりではないですか? ……なんて、抜き身のライオネルさんの目が怖いから云わないけど。


「エリアーデ。クロから聞いたけど、あなた昨日ルフの力を受けたんでしょう?」


「そうよ、油断していたわ」


 ぼくの意識が飛んでいたとき、同じ光を浴びたエリアーデさんはどうしていたんだろう。


「ルフの力で精神が退化してね、公安部隊のみんなと一緒に鬼ごっこしてしまったの。子どものメンタルってすごいわね。日が暮れるまで続けていたせいで、きょうはほとんどの隊員が筋肉痛で休み。訓練で鍛える筋肉とは違う部分を使うの」


「あなたは平気なの?」


「当然。筋肉痛になるような、なまっちょろい鍛えかたしていないわ。いい勉強になったから、今度部隊の訓練に「本気の鬼ごっこ」を追加しようと思っているの。子ども心に則ってご褒美も用意するわ。あたしを捕まえた隊員には、あたしとのデート一日券を贈呈なんてどう? もちろん有給扱い」


「そんなものだれが欲しがるの? だいいち、軽々と三メール跳躍するあなたを捕まえられる人間が隊の中にいるとは思えないけど?」


「えー、意外と人気あるのよ。愛と有給が欲しければ三メートルくらい余裕でしょー? ね、ライオネル」


「……黙秘します」


 どうでもいいような世間話をしながら、エリアーデさんは一枚の地図を広げた。


「前置きはこのくらいにして。依頼の件だけど、東の街エルヴェシウスに不自然な人の流れがあるという情報を得ているわ。思い出深いルーテルー学院にも近いし、儀式を行うとしたらそこで間違いないでしょうね」


「ありがとう。すぐに向かうわ」


 と立ち上がりかけたル・ルーさんの鼻先に、エリアーデさんの刀身が突きつけられた。

 先ほどは勘違いからぼくに切っ先を向けたけど。今度はちがう。


「なんのつもり? エリアーデ」


 ル・ルーさんに怯む様子はない。


「『力』のアルカナとして進言する。『世界』、『運命の輪』、『塔』が関わっている本件はアルカナ全体の問題。全アルカナに周知して指示を仰いだ上、一貫した行動をとるべき。そうでしょう、『死に神』」


「……そうね。だけど、時間がないの」


「勝手な行動をとればアルカナから除名処分にされるかもしれない。それがどんなに厳しいことかわかるでしょう? アルカナの力や財産を没収されるだけでなく、知識や記憶を消される可能性もある」


 にらみあうふたり。だけどル・ルーさんの決意は揺るがない。


「構わない。アルカナではなく、ひとりの人間としてわたしは逃げたくない。その結果どのような処罰が下されても、だれも恨んだりしないわ。もちろん親友のあなたのこともね」


 極上の笑みを浮かべるル・ルーさん。


 余裕とも、自信ともちがう。

 いつもと同じ。それだけのことだ。ル・ルーさんはいつだって自信に満ちて余裕たっぷりで、そして強かった。


 根負けしたように、エリアーデさんは刀を引いた。


「茶番だなんて笑わないでよ。あたしは『力』のアルカナとして、中心部以外での行動は厳しく制限されている。こんな事態になっても親友を助けることもできないんだから」


 悔しそうなエリアーデさんだけど、やはりそこは軍人だ。国の中枢を担う将校が許可なく僻地に出向いていたら緊急時に対応できない。それをちゃんとわかっている。エリアーデさんが守るものは国であり国民。とても広く、多く、責任重大。だからこうして私人としてル・ルーさんを見送りに来ている。


 きっとル・ルーさんも親友の葛藤を承知しているのだろう。心なしか表情が穏やかなのはそのためだ。


「アルカナとしての忠告、進言、たしかに受け取ったわ。それで? 親友としての意見は?」


 くるりときびすを返し、叩き割った扉へと引き返していくエリアーデさん。

 すっと突き出した左手に、人差し指と中指で十字を作った。


「Bonne chance !(幸運を祈る)」


 カッコイイ去りかただけど、扉の修理代払っていってください。

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