刈られた魂
「自分の体に戻るつもりでしょうけど、無駄よ」
『死に神』の声が響き渡る。ほんとに、嫌味なくらい澄んだ声だ。ボクは笑顔で訴えた。
「ル・ルーさん、なにしてるんですか。ボクはライラさんを」
「白々しい演技はいらないわ。ディオンでしょう。興奮して鼻が膨らむ癖、変わらないのね」
あぁ本当に、こいつは昔から。
ルカ先生の授業で机を並べていたときからずっと、気に入らなかったんだ。
七つも年上のボクを、見下して。
「……取引しないか? ベアトリス」
「しない」
「そう? 悪くないと思うんだ。もしきみがボクの体を返してくれたら、ボクはこの肉体から離れる。クロムを解放するよ」
「到底受け入れられないわ。あまりにもあなた優位の取引じゃない。クロムの中に意識の断片を残しておくことも、クロムの肉体のまま自分の体を奪う可能性だって否定できない」
「じゃあさ、きみの鎌でボクの魂を狩るといいよ。『死に神』の鎌は肉体から魂を引き剥がすものだ。表層にあるボクの魂を刈れば、クロムの魂が残る」
ベアトリスは黙っている。
「きみはボクに体の場所を教えてくれるだけでいい。そしてボクの魂を刈り取るんだ。刈り取られた魂は宙に投げ出され、ふつうなら天へ召される。ボクは意地でも自分の肉体にたどり着くつもりだけど、失敗したらそれまでだ。天国行き。きみのことだからどうせ周りに人をつけていて、ボクがうまくたどり着いてもすぐに捕まえる算段だろう? どう? きみにリスクはない。クロムは戻り、ボクは捕まるか死ぬか、どちらか」
ベアトリスはなおも黙っている。黙るということは、考える余地があるということだ。もうひと押し。
「ボクは自分の体に戻りたいだけなんだ。今際の際になんとかしがみついただけで、この体に執着する理由はないんだ。早く抜けたい。それにさ」
『死に神』の最大の弱点を、ボクは知っている。
「きみは人を殺したくないだろう? ルカ先生を殺したように、クロムを殺すのかい?」
鎌が揺れ、明らかに動揺している。
たっぷり数十秒経ったあと、ベアトリスは鎌を持ち直した。
「体は……サン・ルシェル教会にあるわ」
「――ありがとう。行ってみるよ」
頷いて、ベアトリスに向き直った。目を閉じ、懺悔を受けるように首を傾ける。
鎌を下ろすまでの、わずかな逡巡があった。わずかな、けれど、絶対的な隙が。
空を切って鎌が下ろされる。
その瞬間、「ぼく」は叫んだ。
「――ル・ルーさ」
衝撃があった。
鎌は実体を切るものではない。
だけど、すさまじい痛みと闇にすべてが支配され――「ぼく」が刈られた。
「残念だったね、ベアトリス」
素早く立ち上がったボクは、油断したベアトリスの足を薙ぎ払った。短く悲鳴をあげて棺の中に倒れこむ。
ボクはそこへ跳びかかり、首を絞めた。
「残念だったねベアトリス、残念だったね本当に。いまきみが刈ったのはボクじゃない。クロムさ。瞬間的にクロムを表面に押し出したのさ。はは、きみはひどいねベアトリス。大事な社員を、ルカの子どもを、その手で殺したんだからさ」
ベアトリスの悔しそうな顔。最高だ。泣いている。最高だ。
「奥様ッッ」
足音が響いたかと思うと、マッチョと少年のような女が現れた。リリィとジルだったか。
「ライラさんが大変なことになっているから来てみれば、クロムさん奥様になんてことを」
なるほどね。ライラを吊るしたのは失敗だったな、目立ちすぎる。クロムだと油断していたライラを失神させ、一本一本紐で体を締め上げていくときは愉しかったけど。
「ち、違うんです。ボクはライラさんを助けに来たんです。そうしたらベアトリスが」
ボクの言葉に、リリィが叫んだ。
「ベアトリス? あなたクロムじゃないわねッ」
床を蹴り、ジルとともに跳びかかってきた。
ボクは体をひねってかわす。そうだ。クロムはベアトリスをル・ルーって呼ぶんだった。失敗失敗。まぁいいか、どうせみんな死ぬんだし。
「……あらなに、この臭い」
リリィが体をくねらせる。その隙に脇を抜け、ついでに後ろから蹴りを加えておいた。急所を押されたリリィが前のめりになって膝をつく。すかさず扉を閉め外から施錠した。
「導師、こちらです」
階下から声がする。フォルトゥナとイルフィナだった。
「ご苦労。首尾は?」
「くまなく火をつけました。間もなく屋敷全体に広がりましょう」
ボクが一階へ降りると、ウサ耳をしたイルフィナが怪訝そうに首をかしげた。
「クロじゃ、ない」
「こちらはディオン導師。わたくしたちを新しい世界に導いてくださる方です」
「体はサン・ルシェル教会にあるらしい。これから確保に向かう。準備はできているか?」
フォルトゥナはおおきく頷いた。
「はい、すでに信者たちが導師の到着をお待ちしております」
ボクはふたりを連れて屋敷を出た。しかし意図せず、足が止まった。
クロムの残滓がそうさせた。
焼け落ちる屋敷。崩れていく柱。
ここに戻ってくることは二度とない。
はからずもクロムの願いが叶ったのだ。
ボクは腹の底から笑ってしまった。




