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死に神は「美少女」に限る。  作者: 芹澤
第四章 『世界』の目覚め

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迷い

 ぼくはじとりと汗をかいていた。

 他のアルカナたちの思惑で幽閉され、屍体となっていた『塔』のルフがいま生きて目の前にいる。

 足元に置いたランプの灯りがルフの整った顔を映し出す。もはや塑像のようだ。その顔に浮かべる無機質なまでの表情が、次の行動を予測不可能なものにする。


 ぼくは殺されるかもしれない。


「死ぬ?」


 ルフが首を傾げた。

 ぼくへの死刑宣告かと一瞬身構える。だけどルフは膝をつき、ぼくが庇おうとしているおじさんに視線を向けている。


「この人、死ぬ?」


 かろうじて息はある。だけど、どうなってもおかしくない。

 ルフに殺意はない、と思う。それなら。


「た、たのむ。だれか、人を呼んできてほしい。おじさんを死なせたくない」


「……人? ルフじゃ、だめ?」


「だ、だめじゃないけど、きみじゃおじさんを運べないだろう。病院に連れていくための人手が欲しいんだ」


 こうして問答している間にも、おじさんの命は削られていく。

 やはりぼくが、と震える手で頭を叩いた。頭痛なんかに負けている場合じゃない。いまはおじさんの命が最優先だ。捕まり立ちしてなんとか立ち上がったとき、ルフの左手がほのかに輝いた。


「この人、いつごろまで、起きてた?」


「……え?」


「答えて。元気、いつまで?」


 射抜くような眼差しからは、ルフの意図は読み取れない。


「け、今朝はいつも通り見送ってくれたから、ざっと十時間くらい前は」


「十時間。時間逆走ゴー・バック


 ルフが呟いた途端、淡く光っていた左手が輝きを増した。

 それは暗闇の中でカーテンを開いた直後に直射日光を浴びるような眩しさで。

 ぼくの視界はたちまち色を無くし、すべての景色が溶けた。


「……うっ」


 遠のいていたぼくの意識は、おじさんのうめき声で戻った。

 ぴくりとも動かなかったおじさんが、自分の腕で上体を支えて起き上がる。


「おじさん、大丈夫なの?」


 ぼくもだけど、おじさん自身もなにが起こったのかわからない様子でぼんやりしている。


「時間、戻した。病院、行ける、歩ける」


 ルフが誇らしげに胸をそらせる。


「と、とりあえず病院に行こう。おじさん、ええと、立てそう?」


 肩を貸そうとしておじさんに振り払われた。信じられないけど、おじさんは自分の脚でしっかりと立ち上がったのだ。


 おじさんとともに夜間診療の病院に行くと即入院が決まった。「あと数時間遅ければ命はなかった」という医師の神妙な言葉に、ぼくはついてきたルフの顔をまじまじと見てしまった。


 おじさんを残して病院を出たぼくは、すこし遅れてついてくるルフに気がついた。足を引きずっている。


「気がつかなくてごめん。ほら、乗って」


 しゃがんで背中を向けると、ルフはためらいつつも首に腕をまわして体を預けてきた。驚くほど軽い。


「さっきはありがとう。――きみは、『塔』のアルカナだね?」


「うん。ルフ、塔」


「ぼくはクロム。クロでいいよ」


 ぼくが名乗ると、ルフは長い沈黙を返してきた。

 なにかおかしなことを云っただろうかと振り返ろうとすると、ぱっと顔を隠された。


「――あの人、じゃ、ないんだ」


「だれ?」


「世界、の人」


 うーん。なにを云っているのかわからない。


「いたい」


 ルフがうめいた。足の傷が痛むのだろう。


「おじさんの時間を戻したように、自分の時間を戻せばいいんじゃないのか?」


「ルフの力、自分には効かない。だけど人には、こわい。だから、閉じこめられる。冷たいところに」


 ルフの云う「冷たいところ」が牢獄だと、ぼくは想像した。

 ルフは様々な事象を戻せる。逆さまにするのだ。だからアルカナたちは自分たちを『逆位置』にできるルフを恐れている。


「でも、そのお陰でおじさんは救われたんだ。本当にありがとう。家族なんだ」


「かぞく?」


「うん。とても大事なものだ」


 おじさんが造る棺桶や、鳩の血社での葬儀の立ち会い。何度も見てきたはずなのに、ぼくはそれらを遠い世界のこととしか思っていなかった。だけど倒れていたおじさんを目にしたとき、遠くに見えていた死が間近に迫ってきた気がして、ものすごく怖かった。

 いままで意識しないようにしてきた現実に顔面を叩かれた気分だ。なんの覚悟もなく、勇気もなかった。ぼくはなんにもわかっていなかった。

 きっとル・ルーさんやライラさんもぼくの心を見透かしていただろう。だけどなにも云わず見守ってくれた。

 あの人たちに報いるために、いまのぼくができることはひとつだけ。


 ごめん、ルフ。


 ルフの体を支える腕に力を込めた。

 ルフに敵意がないのをいいことに、このまま鳩の血社に向かうつもりでいた。


 それなのに。


「良かった、家族、生きて、良かった、ひとりにならなくて、良かった、ね」


 まるで疑いなく、ルフがぼくを抱く腕に力を込めてきた。

 ぼくの心は揺れた。ルフはずっとひとりだったのだ。それなのにおじさんを助けてくれた。


「……あれ、ルフ?」


 気がつくと、背中から寝息が聞こえてきた。声をかけても反応がない。眠ってしまったのだ。

 鳩の血社へ連行しようとしている立場からすれば好都合だ。

 このまままっすぐ鳩の血社へ行けば……行けば、ルフはどうなるだろう。

 また冷たい牢獄に閉じ込められるのだろうか。


「くしゃんっ」


 ひやりとした夜風が吹いて、ルフが盛大なくしゃみをした。

 ぼくは一瞬どきっとしたけど、ルフが起きたような気配はない。

 寝ぼけながら、ぼくの背中に頬をこすりつけてくる。


「あったかい。ルフ、あったかいの、すき、クロ、あったかい」


「……」


 ぼくはルフが転がり落ちないようしっかりと支え、鳩の血社ではなく家への帰路を急いだ。

 ルフのことをル・ルーさんに報告しなければいけないと思ったけど、それは恩人であるルフを裏切るような気がして、すぐには結論を出せなかった。

 たから先送りにすることで、良心の呵責から逃げることにしたんだ。


 明日、考えればいい。ぜんぶ、明日。



 その夜、夢を見た。


 朽ち果て、無残に崩れ落ちた建物の前に、ぼくは立っている。

 ぼくはここを知っている。エル・トラの――。


 背後で足音がした。ぼくが振り返る間もなくだれかが通り過ぎる。

 しっかりとした体つきに、背中まで流れる金色の髪。男性はかろうじて形が残っていた十字架の前まで進み出て、一輪の薔薇を捧げる。


「彼らは救われたんだ。ボクが救ってやった」


 振り返った男。口元に浮かぶ笑み。

 ぼくの鼓動が早くなった。だって、その男は。


「……せんせい」


 信じられない思いで、名を呼んだ。

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