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死に神は「美少女」に限る。  作者: 芹澤
第三章 『塔』の葬儀

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ルフとの再会

 街灯の下で馬車を降りた。家に面した細い路地は馬車が入れないので、近くの大通りで馬車を停めてもらったのだ。


「それじゃあクロ、寄り道をせず、まっすぐ帰るのよ」


 馬車に乗ったまま語りかけてくるル・ルーさんはまるで先生みたいだ。

 ぼくは子どもじゃないと云いたかったけど、ル・ルーさんなりの心遣いだとわかるほどいまは冷静でいられた。


 さっき自分の失態を責められたときは死にたい気持ちになったけど、ル・ルーさんやエリアーデさん、ライオネルさんといった面々からすればぼくは子どもみたいなものなのだ。どんなに背伸びしても対等になれない。いまのままじゃ。


「明日からしばらくは建国を祝う連休だから、ゆっくりするといいわ。葬儀の予定もないし」


「……あの……。いえ、なんでもないです」


 ――仕事じゃなくても、あの屋敷に行ってはダメですか?


 そう口にしようとしていた自分が信じられなくて、慌てて言葉を呑み込んだ。家で過ごす時間が嫌いなわけではない。でもおじさんは仕事があれば年中無休で工場にこもっているから、その間ぼくは話し相手もなく時間を潰すしかないのだ。それがすこし淋しい。


「そっか、建国祭でしたね。そう考えるとエリアーデさんも随分乱暴に予定を入れてきましたよね。仕事のほうも大変だろうし、その上ぼくのせいで更に忙しく」


 ル・ルーさんの手がすっと伸びてきて、ぼくの頭をポンポンとなでる。ぼくは下を向いて、心地良い振動に身をゆだねた。


「それがエリアーデの仕事だもの。気にしなくていいのよ」


 あぁル・ルーさん、なんて優しい声なんだろう。すごく不気味だよ。慣れていないのがバレバレで、ぎこちなくて、いま顔を上げたら泣いてしまいそうだ。


「ロゼウス氏によろしく伝えてね。ここのところ空咳をしていたようだから」


「おじさんはいつもそうですよ。でも弱音なんて吐かないんです。とにかく頑固で」


「ふふ、クロムもそういうところあるわよね」


 手が離れていく。おやすみの時間だ。名残惜しかった。


「おやすみなさい。良い夢を」


 馬車が暗闇に呑まれていくのを、ぼくはじっと見送った。

 振り返った暗闇は、家へと続いているはずなのにやけに重たくて冷たい。


 なんだかひどく疲れた。早くベッドに入りたい。泥のように眠りたい。

 そうしたらまた頑張れる。きょうのことを引きずらないで、笑顔でル・ルーさんたちに会いに行ける。


 顔を上げて駆け足になったとき、突然脇道から小さな影が躍り出た。避けきれなかったぼくは、そのまま衝突して尻もちをつくはめになる。


「ごめん、だいじょうぶ?」


 すぐに立ち上がって手を差し伸べる。

 相手は白いフードで頭から爪先までを覆っている。体格からすると子どもだ。


「へーき。痛くない、痛くない」


 と自分の膝を撫でている。擦り傷ができ、血がにじんでいた。


「痛くない……じゃなくて、痛いだろ。ふつうに」


 持っていた織布で傷口に触れると、「いたっ」と小さく声を漏らした。


「うちに来る? そうすればもう少しまともな手当てができるけど」


「……いーの?」


 フードの下で、瞳が輝く。きれいな眼だった。――あれ、この顔。


「いたぞッ」


 慌ただしい足音とともに、男たちの声が聞こえる。フードをかぶった子どもはすぐさま立ち上がり、走り出した。が、何歩も行かないところで立ち止まってぼくを振り返る。


「行く。必ず、行く。約束」


 と歯を覗かせる。次の瞬間には、走り去ってしまった。

 子どもの姿が見えなくなったころ、声高に叫んでいた男たちが姿を見せた。

 ルージュ・リュビの制服を見て驚いた。深みのある美しい朱色は、よく見かける警官ではなく、軍に所属する公安部隊を意味している。凶悪犯や殺人犯の追尾や捕獲に当たる部隊で、人を殺す権限がある。


「そこの少年、子どもが通りかからなかったか? 白いフードで顔を隠している」


 指揮官とおぼしき髭の男が近づいてくる。腰の右に拳銃、左に刀剣を携帯していた。これだけの装備と人数をかけて追うあの子どもは。


「どうした。さっさと質問に答えろ」


 苛立ったような口調。


「えーと、どうだったかなぁ。本当に子どもですか? それにしては大がかりな」


「軍による緊急配備が敷かれている。知らんならいい。さっさと立ち去れ」


 邪険にされたので、てきとうに頭を下げてその場を離れた。

 家路を辿りながら悶々と考えた。

 追われていた子どもは、ぼくよりずっと小さい、ル・ルーさんよりも小さい背丈だった。それを相手に、公安部隊が動くなんて。

 窃盗程度なら公安部隊は動かない。軍としての上層部からの命令においてのみ、動くはずだ。


 あの子どもは。


「いてっ」


 また頭痛がしてきた。これが始まると考えもまとまらない。幸いすぐに引いたけど、家の前を通り過ぎてしまった。

 頭痛のせいだけじゃない。無意識のうちに目印にしていた棺桶の看板が、きょうは点いていなかったのだ。防犯対策にと、いつも夕暮れから灯しているのに。

 窓の明かりもついていない。とても静かだ。


「おじさん?」


 鍵のかかっていない扉を開け、そっと中に入る。

 なんの音も聞こえない。


「おじさん、帰ったよ。いないの、おじさん」


 経験を頼りに暗がりを進んだ。そのとき、なにかにつまずいた。


「……っ」


 小さなうめき声。

 ――まさか。

 真っ暗闇の中、手探りでライターを探し、ランプに火を入れた。


「おじさんッッ」


 かざしたランプの下に、うずくまるように床に倒れているおじさんの姿があった。なにか吐いたのか、床も濡れている。


「おじさん、どうしたの、おじさん」


 血の気の引いた顔。苦しげに刻まれた皺。

 ここしばらく、ずっと咳をしていた。

 単なる風邪だと思っていたけど、もしかして重大な病気だったんじゃないか。


 ぼくが見逃した。

 ぼくはバカだ。

 もっと早く気づいていたら。


「おじさんッ」


 何度目かになる呼びかけにも、おじさんは動かない。

 おじさんは――死ぬのか?

 ぼくのせいで。


 助けを呼ばなくちゃ。病院に運ばなくちゃ。いろんな焦燥に駆られるのに、ぼくの脚はがくがく震えて立ち上がれない。


(――助けて、やろうか?)


 頭に痛みが走った。こんなときに。耳元で鐘を鳴らされているように痛む。


(助けてやってもいい。弱くて無力なおまえの代わりに)


 助けてくれ。ぼくにはおじさんしかいない。おじさんしかいなかったんだ。

 おじさんを助けてくれ。


(ならば名前を呼べ。助けてやる。おまえの代わりに――このボクが)


 名前。ぼくの中に眠る、もうひとりのボクの名前。

 それは。


「来たよ」


 突然の声を、ぼくは幻聴かと思った。

 振り返った扉の前に、白いフードを取り払った子どもの姿を見つけるまでは。


「おにーちゃん、家に来てって、云った。だからルフ、来たよ」


 ルフ。それは棺から消えた屍体の――『塔』のアルカナの名だ。


 ぼくは、どうしたら、いい。

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