適性試験⑥ 結婚式ですがなにか?
「ふぅん、まぁまぁね」
三十分後。部屋を訪れたル・ルーさんは満足そうに頷いた。
一度裸に剥かれたぼくは、細かい刺繍がされた白いシャツに黒いベスト、クラバットという首巻きをした上で燕尾服を羽織る……という、花婿のような衣裳にさせられた。
状況は呑み込めないものの、リリィさんの手さばきには感心した。既製服で体格を確認した上で、裾上げからワックスの利いた髪のセットまでをこの短時間で完成させたのだ。
「脚が短いのが難点よね。あと、痩せていて肩幅がないから、肩パット多めに入ってるワ」
どうりで肩がパンパンに張っているわけだ。
「ありがとう。さすがリリィ服飾店。またお願いするわ」
対するル・ルーさんは真っ白なワンピースから足を出している。黒髪には白い花を挿して、妖精のコスプレのようだ。
「なに?」
よからぬ心の内を読み取ったかのように、ル・ルーさんが眉毛を吊り上げる。あぁ、そんな顔をしなければもっと可愛いのに。
「いえ。その、よく似合ってるなーと思って」
「……いやみ?」
胡乱げに眉を寄せる。ぼくはどうやっても地雷を踏んでしまうらしい。すかさずリリィさんが助け船を出してくれる。
「でも奥様カワイイわ。さすがリングガール」
「当たり前でしょう。結婚式で結婚指輪を持って歩く天使の役なんだから」
ル・ルーさんも満更でもないように胸(地平線のように平ら)を張る。
ちょっと待て。ぼくの衣裳といいリングガールといい、この状況は。
「きょうはあなたの結婚式よ。先ほど会ったご夫婦の娘と式を挙げるの」
ぼくは卒倒しそうだった。生まれて十五年。結婚どころかキスしたこともないのに。
「安心して。ただのフリよ、花婿の役をしてくれるだけでいいの。戸籍を寄越せとは云わないわ。無事に終わったら給料の前払いに応じましょう。百万ペルカ、必要なんでしょう?」
ぼくの心を見透かしたようなル・ルーさんの言葉に、動けなくなった。
「ただし、もし失敗したら――数百万の違約金を覚悟しなさい」
パイプオルガンによる荘厳なウェディングマーチが流れる中、ぼくは、ル・ルーさんに手を引かれてバージンロードを歩いていた。
敷地内の一角にあった教会は、それはそれは見事なバロック様式で、彫刻もステンドグラスも美しい。
参列者の席にはライラさんやリリィさん、関係者と思われる人たちが数人座っている。
人生初めてのバージンロードに足も腰もガクガクで、気を抜けば尻もちをついてしまいそうだ。ル・ルーさんがタイミングよく手を握って励ましてくれる。
司祭さまの前で、ぼくはよろよろと立ち止まる。とりあえず第一の関門は突破した。安堵とともに、ある疑問が浮かぶ。
ぼくの花嫁はどこにいるんだろう。
司祭さまによる祈りの言葉が続けられる中で、ぼくはキョロキョロと辺りを見回した。花嫁になるべき人の姿は見当たらない。
ぐい、と手を引かれた。ル・ルーさんだ。落ち着きのないぼくを叱るような目をしている。ぼくは小声で「花嫁さんは?」と問いかけた。するとル・ルーさんは当たり前のようにぼくの左側を指し示す。
そこにあるのはただの箱――じゃ、なかった。ガラス張りの棺だ。
もしかして、とぼくの中で様々な情報が集約される。ここは葬儀屋だ。ぼくは花婿。そして花嫁は――。
「新郎クロム・クロナ。新婦ミリア・フェローへの誓いのキスを」
ぼくは確信した。厳かなる司祭の言葉は、屍体にキスしろという宣告だ。
「どーぞ、こちらへ」
ぐい、と手を引かれ、無理やり棺のほうに連れていかれる。
棺の中には、ウェディングドレスに身を包んだ花嫁が死ん――いや、眠っていた。青ざめて、あきらかに筋肉は強張っているものの、防腐剤のお陰で見られぬ姿ではない。ウェディング・クラウンも可愛い。可愛い――けど、屍体ですよ?
硬直して動けないぼくに、ル・ルーさんが囁きかけてくる。
「なにを驚いているの? 死後の結婚式は鎮魂の一環よ。伴侶を得ることなく旅立ってしまった娘の結婚式を挙げたいというご夫婦の希望なの。すでに相当の前金もいただいているんだから、クロがちょこっとキスすれば済むことよ」
「でも、これって娘さんのためっていうより、単に夫婦の願望じゃないですか」
ぼくはささいな抵抗を試みた。しかしル・ルーさんは動じない。
「当たり前じゃない。鎮魂は死んだ人のためにあるんじゃない。苦しくても辛くても生きなければいけない、生きた人間のための儀式なんだから」
唐突に思った。
苦しくても辛くても生きなければいけない。
それは、ぼくのことだ。家族もない。帰る場所もない。祝福さえ受けられなかった。
そんなぼくのための鎮魂だ。
「……無理に唇を合わせなくても、それらしく近づいてくれればいいの。さっきも云ったとおり、ご夫婦のための儀式なんだから」
気遣うように云われて、肩の力が抜けた。キスしてもいいや、と思った。
ぼくは花嫁のことをほとんど知らないけど、ここに眠っているのは、エル・トラで死んだ人たちの分身のようなものだから。
「いきます」
力強く頷くル・ルーさんを確認して、ぼくは棺の淵に両手を押し当て、バランスをとりながら上体を傾けた。
花嫁はきれいだ。
青ざめた唇に、ぼくの唇がちゃんと触れるよう位置を確認する。
おーけぃ。あとはゆっくり下ろせばいい。
ぼくは目を閉じ、あとは重力に任せて顔を落とした。
「その結婚式、異議あり」
ズォン、と空気が震えた。雷でも落ちたのかと思うほどの轟音だ。
体を起こすと、教会の扉が開け放たれ、十人近い男たちが銃を片手に侵入してくるところだった。
二度、三度と発砲され、白い壁に次々と穴が開く。
女性たちの悲鳴は銃声と侵入者たちの怒声によってかき消された。
バージンロードを泥で汚して、禿げた男が近づいてきた。ぼくを見てニヤリと笑う。前歯を彩る金歯が下品だった。
「そのお嬢さんは我々がいただこう。先に手を出したんだからな」
侵入者の中にぼくが出くわした男たちが混じっている。仲間を連れリベンジというわけか。
背中に汗を感じた。どうする。どうしたらいい。
「ご退席願うわ。ここは神聖な場所よ」
ぼくを守るように立ちふさがったのは鎌を手にしたル・ルーさんだ。顔は見えないけれど、人工羽のついた背中は恐怖に震えることもない。ぼくはどれほど安心しただろう。むしろ背骨が見えて色っぽい。
「しつこい男は嫌いだけれど、ハゲと金歯はもっと嫌いなの。ごめんなさいね」
なんて冷たい言葉だ。金歯はともかく頭髪は遺伝だから仕方ないのに。とりあえずぼくの父方の家族が毛髪フサフサであることを全力で祈っておく。
鎌を強く握った、と思った次の瞬間、ル・ルーさんは跳躍していた。ハゲめがけて鎌を振り下ろす。ハゲは紙一重で前転。鎌の直撃を回避する。バージンロードの花びらが舞い上がった。
起き上がりながらの発砲。二丁拳銃だ。ずるい。
しかし弾丸はル・ルーさんに届かない。一瞬にして鎌が巨大化し、黒々とした側面で防いだのだ。
「こンのっ」
やけっぱちの発砲。しかし届かない。ル・ルーさんは巨大な鎌を手具のように軽々と扱って弾をはじく。それどころか、弾丸を受けるたびに赤く拍動する鎌はまるで歓喜しているようで、不気味さが増していった。
「犯人さん、あなたはつまらない人ね。そんなふうに振り回して、銃があればすべてを屈服させられると思っているんでしょう。愚かね。銃なんて撃ち尽くしたらなにも残らないじゃない。汗も、錆も、血も。人を殺した感触が残らない武器なんて、つまらない」
背筋が凍るような言葉とともに、ル・ルーさんは鎌を振るう。それこそ、銃弾を撃ち尽くしてあわてふためくハゲのもとへ。
これでハゲもおしまいだ。そう思った。
「動くな」
ぼくの体が不自然に傾いだ。煙草くさい腕に首を押さえられた上で、冷たいものがこめかみに当たる。
裏から侵入した連中の仲間が、ぼくに銃口を押しつけていたのだ。
「そこのお嬢さん、動くなよ。新郎が穴だらけになってもいいのか?」
どうする。どうしたらいい。焦るぼくをよそに、ル・ルーさんは落ち着き払った様子で男をにらんでいる。巨大な鎌を掲げたままの紫色の瞳は湖のように凪いでいて、それが余計に不安にさせる。
「ル・ルーさん。た、助けて」
助けを乞うぼくはさぞ情けない顔をしていたのだろう、たまりかねたようにル・ルーさんが笑った。
「なんなの、その顔は。人間はいつか死ぬものよ。ミルゼア教において、死は天国への招待。喜ばしいこと。あなたもそれを理解した上で死にたがっていたんでしょう?」
ちがう。ぼくは。
「ちがい、ます。ぼくが願っていた死は、こんな、こんな悲劇的なものじゃない。なすべきことをなして、美少女に見送られながら、もっと穏やかに」
「――甘ったれるんじゃないッ」
脳天を貫くような声は、発砲音のようだった。それほどの声で、悲鳴のようだった。
「あなたは『運悪く』生き残ってしまったの。選ばれたわけでも、なにかを託されたわけでもない。運が悪かった、それだけなのよ」
運が悪い――……そうだ。ぼくは、運が悪かった。
エル・トラ孤児院では集団行動が常だった。起きるときも、食事も、寝るときも、トイレすら、すべて集団の中にあった。集団であることが良しとされ、単独で行動することは厳しく禁じられていた。
だけどあの火事の日。たしか正午だった。礼拝に向かう集団から、ぼくだけがはぐれた。無性にトイレに行きたくて、初めて規則を破ったのだ。そしてそのまま置いて行かれた。
みんなみんな、逝ってしまったのに。
運悪く。生き残った。ぼくだけが。
「生きろだなんて、無責任なことを云うつもりはないわ。死にたければ死ねばいい。だからあなたも、名を立てたいとか、だれかに覚えていて欲しいだとか余計なことを考えず、ひとりでひっそりとだれの邪魔もせずに死になさい。もう一度云うわ。わたしの目の前で死ぬことだけは、許さない」
ル・ルーさんの顔が歪み、一筋の涙が頬を伝った。
「死ねばいい」とぼくを突き放したときと同じ、強い瞳をしている。
そうか、あのときル・ルーさんは泣きたいのをこらえていたのか。
死ぬしかない。ぼくはそう口にしたけれど、その実、死にたいなんて思っていなかった。
だって夢の中でぼくは叫んでいた。
「ル・ルーさん……ぼくは、死にたくない。死にたくない、死にたくないですッ」
想いがピークに達し、同時にボロボロと涙がこぼれた。いかに美化されようと、正当化されようと、来世を保証されようと、ぼくは死にたくない。
「それでいいのよ、クロム。死にたくないと思うのなら、死ななくていい。生きなさい」
ル・ルーさんの微笑みに、ぼくは赦されたような気がした。
逝ってしまったエル・トラの友達に対して、ぼくはずっと後ろめたさを感じていた。不運を嘆く反面、自分が幸せになることには罪悪感があった。生きていることが必ずしも良いことばかりではないと示すことは、若くして逝った友達たちへの弁明でもあったのだ。
でも、それだけじゃない。
死ななくていい、と云ってくれる人を見つけ出すための踏み絵でもあった。
そしてぼくは見つけたかもしれない。やっと。
「それで? この状況を見ても、まだひとりで頑張る気? ご愁傷様」
呼吸を整えたル・ルーさんが、ぼくを人質にした男に語りかける。
男が息を呑んだ。喉の動きがぼくにも伝わってきた。
最初に姿を見せた男たちは、列席したリリィさんとジルによって、荷物のように積み上げられている。先ほどのハゲはと云うと、ライラさんの組み技によって変なふうに体を捻じ曲げられた上、巨大な胸の下で泡を噴いて白目を剥いていた。倒れた男たちの姿は、たったひとり残った男に自分の明るくない未来を想像させただろう。
「あ……あぅ……」
情けない声とともに、力が抜ける。ぼくを拘束していた男はへなへなと座り込んだ。
こうしてぼくたちの結婚式はしずかに幕を下ろした。
キス未遂で。




