クロムと犯人と美少女と
ぼくにはささやかな『死に願望』がある。
どんなシチュエーションでも方法でもいい、とにかくとびっきりの「美少女」に殺されたいのだ。最後の瞬きまで美少女の姿を見ていられる……あぁ、なんて幸せなんだろう。こんなクソみたいな人生でも、良かったと思えるはずだ。
※ ※ ※
足元から響いてくる振動と車輪の音に、ぼくはびくりと体を強張らせた。
ぼくはいま、訳あってリュクセンブール王国の首都郊外に位置する路地裏に身を潜めている。ルエ・シャンゼリゼ通りの四番街と云えば、知らぬ者はいない『死に神の散歩道』である。
かの首切りジャック、集団自殺、多量の血痕を残しての一家失踪など、凄惨な事件の数々が起きてきた。『散歩道』などと陽気な名で呼ばれるのは、地元民へのせめてもの配慮だと思うけど、逆に不気味だと気づかなかったのだろうか。
特に、夕立に見舞われたきょうのような夜は、霧とともに『死者の吐息』が拡がることで有名だ。赤煉瓦の隙間に入り込んでいた細かな土埃が雨によって舞い上がり、かつてこの地で追い立てられた者の靴の泥、流した血、そして死臭を浮かび上がらせるという。
実際に居合わせると、いかなる微粒子が混じっていようと、すこし湿った土の匂いでしかなく、嫌悪どころかむしろ落ち着くものなんだけど、ぼくのような少年が隠れ潜む場所でないことは伝えておく。
ぼくも後悔している。せめて木材か農機具の陰にでも隠れれば良かった。たまたま目に留まったとは云え、生ごみのコンポストに体を折りまげて隠れるのは限界だ。すさまじく臭いし。
「Arret!(とまれ)ここが指定場所だ」
野太い声が響いた。顔を出していたぼくは再度息を止めてコンポストにもぐり込む。
ぼくが隠れているコンポストは、両脇に民家が迫った細い路地の突き当たりにある。そこの手前にあるすこし大きめの通路に一台の馬車が停まった。水たまりを踏み散らしながら、手提げランプを持った人影が降りてくる。どうやら三人。
まさかと思ったけど、本当に来てしまった。
ぼくはいま、いろんな意味で危機に陥っている。この春十五歳になったばかりだけど、十五年の人生で三指に入るほど重大な局面に立たされているのだ。ちなみに他のふたつは物心つかないときに起きたことなので覚えていない。つまり自我が芽生えてから初のピンチなのだ。
「Zut!(ちぇっ)せっかくのデートだってのに、水たまりばっかりじゃねーか」
さっきから語頭に聞こえる公用語でない言葉は、この国が独立する前に使っていた母国語の名残だ。いまから三百年前に祖国で起きた暴動・改革によってリュクセンブール王国は分離独立したものの、地名や人名、言葉の端々にいまも残っている。使う人が限られる方言みたいなもので、ぼくはほとんど使わない。
「おい、水たまりを蹴るな。せっかくの『彼女』が濡れてしまうだろう」
男たちは三人。皆シルクハットに、肩から膝まで届くほどのトレンチコートに身を包んでいる。ひとりがランプで足元を照らし、残るふたりが馬車からケースを運び出すのが見えた。横一メートル、厚みがその半分くらいのおおきなものだ。
男たちはぼくが隠れている細い路地にケースを入れようとした。
「あー待て待て、奥に行ったら出られなくなる」
奥のほうにいた男はケースを支えながらもう片方の男に近づき、ふたりの力で優しく丁寧に地面に置いた。はからずも、ぼくの逃げ道がふさがれる形になったけど、たまたまそこが濡れていなかったからで、ぼくの存在に気づいたわけではない(と思いたい)。
「まさか、こんなに上手くいくとは思わなかったな」
ケースを運んだ男のひとりが歯を見せた。前歯が不揃いで矯正されていない。
「誘拐した相手はフェロー家の令嬢。云い値でいくらだって金を出すだろう」
同じくケースを運んだ髭の相方も、興奮を抑えきれない様子で口笛を吹いた。
やはりぼくの勘は間違っていなかった。あの男たちはまた誘拐事件を成功させたのだ。
「無駄口を叩くな。ここで『彼女』を引き渡したら、すぐ次の行動に移るぞ。身代金を要求するんだ」
ランプを持っていたリーダー格の男が叱責する。彼女、それがケースの中に閉じ込められている被害者のことだろう。
「しかし、まだ時間があるだろう。大丈夫か? おれはあの玉葱が腐るような臭いはでぇっ嫌いなんだ」
前歯(と命名)が、突き出した犬歯と下の歯の間に器用に煙草を挟む。
「安心しろ。病者の塗油と防腐剤が投与してあるからな、二週間はきれいなもんだ。なんせ玉体って呼ばれることもあるくらいだ」
ランプ男(と命名)は部下を労うように煙草の火をつけてやり、自分も煙草を咥えた。
「ンなら、顔を拝んでおくか。かなりの美少女だっていうからな」
髭(と命名)の言葉に、ぼくの心臓が跳ねた。
――美少女、だとぅ?
「ミリア・フェローって云ったら、ここらじゃ知らないやつのいない美少女だ。商人の一人娘として蝶よ花よと大事に育てられてきたらしいからな。疫病やケガを恐れてめったなことでは外出せず、箱庭で育ってきたらしい。おれも一度でいいから顔を見ておきたかった」
髭に説明されるまでもなく、ぼくもミリア・フェローの名前だけは知っていた。深窓の令嬢、花園の妖精と呼ばれている。これはぜひとも見ておきたい。いや、でもここで奴らに姿を見せたらそれこそ自殺行為だ。
それにミリア・フェローは……。
「なんならキスでもしてやるか。最後の奉仕ってやつだよ」
「おめぇも悪いこと考えつくな。自分の前歯、鏡で見たことあんのか?」
「おまえの密林のような髭よりはマシだろう」
男たちはゲタゲタと笑いながらケースに近づく。蓋は両端を同時に持って開ける仕組みらしく、ただでさえ狭い路地の大部分がケースでふさがれた中を、前歯が尻を振りながら回り込もうとした。しかしふくらはぎが太くて引っかかってしまう。ケースは縦に長いので飛び越えることもできない。
「おい、見るのは勝手だが、間違っても上に乗るなよ。泥がついたら台無しだろうが」
ランプ男に釘を刺され、思案する前歯と髭。
「仕方ねぇ、諦めるか」
「絶世の美少女だと期待していたんだがなぁ」
落胆するふたり。そこへ華麗に登場するひとりの人物。
「――よろしければ、ぼくが」
「……あん?」
「だれだ、おめえ。くせぇぞ」
ふたりが首を傾げる。
コンポストから飛び出したぼくは、ケースの反対側をがしりと掴んだ。
そう、「美少女」「最後」その言葉の誘惑に負けた「ぼく」である。
「そんなこと、どうでもいいじゃないですか。いま大事なのはミリア・フェローの顔を見ること。それだけです。早くッ」
ぼくが叫ぶと、ふたりは顔を見合わせつつもう一方のケースの端を掴んだ。
「いいか、坊主。これは最高級の『棺』だからな、絶対に爪で引っかいたり舐めたりするんじゃねぇぞ」
ぼくは深く頷いた。たしかに金銀をふんだんに使った豪奢な棺で、薄明りの中でも細やかな彫刻が見て取れる。
「そちらこそ、ミリア・フェローの美しさに驚いて蓋を落とさないでくださいね」
「当たり前だ。おれたちをだれだと思ってやがる? 泣く子も黙るJokerだぜ」
「頼みましたよ」
ぼくたちの想いはひとつ。美少女ミリア・フェローの尊顔を拝むこと。それだけだ。他はどうでもいい。
美少女は最高なんだ。
たとえ――屍体であっても。