はっちんと進路相談
学校から家に帰って、私は結局本に没頭した。現実と向き合ってるのは辛い。逃げていたい。
「みゃー、ただいま。」
「おっかえりー」
ベッドの上で寝そべったままで迎えたら、デカいニャンコにのし掛かられた。鍵開けっ放しだったのは、もう諦めたのか言わないみたいだ。
「はっちん、重い。」
「んー、みゃーの匂い、落ち着くー」
くんかくんか、うなじや耳元を嗅がれてくすぐったい。
はっちんの体の下で体勢を変えて向き合って、猫っ毛を両手で撫でる。ふわふわで気持ち良いはずなのに、惜しい。ワックスが付いてやがる。
「はっちんー」
「んー?どした?」
「みゃーって言って?」
「みゃー」
「もっと」
「みゃーみゃーみゃーみゃーみゃー」
なんだか満足。
首に腕回してぎゅうって抱き付いてみたら、はっちんの長い指が髪に差し込まれて梳くように撫でられる。こうされると、ちゃんとケアしておいて良かったなって思う。
「みゃー、進路相談、サボったろ?」
「うぉう、さっちんと繋がっておりますか?」
「みゃーはどうせサボるだろって、メール来てた。」
「流石さっちん、わかってるー」
「で、何悩んでんの?」
ごろんて隣に寝転んだはっちんが、真っ直ぐに見て来る。
観念して、私はベッドの上にペタンてお尻をついて座った。
「進路に悩んでおります。」
「推薦で行ける文学部狙うんじゃなかったの?」
「そのつもりだったけどさ、いつ仕送り無くなるかわかんないし、大学費用も、本当に出してくれんのか怪しくない?」
お母さんがずっとヒステリーで心配性で、バイトは許されなかった。だから、もらったお小遣い全額自分名義の通帳に貯金して、親いなくなってからの仕送りやりくりして、余った分は自分の通帳に移してる。ある日突然仕送りが無くなっても、それとバイトで生きて行けるけど、大学は別だ。
「奨学金、もらってまで勉強したい事はないんだわ。なんにも思い付かない。でも将来の事を真面目に考えるならさ、大学は出ておいた方が稼ぎが違う。」
「文学部は?映画の脚本とか、興味あるって言ってたじゃん。」
「興味はあるよ。でもそれを仕事に繋げるかは別。不安定な仕事だ。」
まぁなって呟いて、はっちんは難しい顔。眉間に皺が寄ってるから、私はそこに唇を寄せる。
「う、嬉しい、けどっ、誤魔化すな!」
ちゅちゅちゅって吸い付いてたら、茹で蛸はっちんに怒られた。
はっちんも私の前に胡座で座って腕を組む。それで、正論を口にする。
「やっぱ、みゃーの父親に連絡取るべきじゃねぇか?」
「そうなんだけどねー、二人の離婚とか慰謝料とか、ここのマンションもどうなるのかも私には謎だし。でもさぁ……」
「怖い?」
言いかけた言葉を引き継がれて、こくんて頷いた。
怖いよ。もういらないって、改めて突き付けられるのは。
目を逸らして自分の手を眺めてたら、はっちんが抱き締めてくれる。
「まずは、うちの親に相談しよっか。みゃーの携帯使えねぇし、連絡しようもなくね?」
「そだねー、最悪さっちんパパ頼るかなぁって考えてた。」
「会社同じだもんな。仕事は?毎日行ってんの?」
「行ってるっぽい。浮気相手の家にいるって。」
「……母親の方は?」
「迎えに来た男と出て行ってから音信不通。」
「ざけんなよ。なんでみゃーが貧乏くじ引かされてんだよ。」
「貧乏くじの代わりに、私にははっちんが与えられたんだねぇ。それなら、感謝だ。」
私には、さっちんもいる。ゼロじゃないだけ、全然マシだ。
「みゃーって、前向きだよな。」
「そうかね?」
「……俺、ずっと知ってたんだ。みゃーが親の喧嘩で悩んでたのも、泣いてたのも。でもなんにもないみたいにいつも笑っててさ、すげぇって、思ってた。」
「おバカだねぇはっちん。それは全部、はっちんがいたからだ。」
はっちんが、ニャンコして甘えてくれて、私に真っ直ぐな好意をずっと寄せてくれていたから、私は笑えてた。
「はっちんがいてくれなかったら、私はもっともっと、歪んでいた。だから、ありがとう。」
あなたは、ずっと、私の支えだ。
「みゃーを助けたいのにガキだから、なんも出来ねぇって思ってた。早く大人になりたいって、俺がガキじゃなければみゃーを救えるのにって…」
「救ってくれてるよ、いつも。はっちんが私のニャンコになってくれたあの時から、ずーっと私は瑛都に救われてる。」
両親の歪みが顕著になる前、小学校に上がった私は子猫を拾った。多分怒られるってドキドキしながら連れて帰って、やっぱりすごく怒られて、お父さんが、何処かにまた、その子を捨てに行ってしまった。
次の日は土砂降りの雨。
きっと、あの子猫は何処かで寒くて震えている。死んでしまう。せめて他に飼い主を探せたらって、私は雨の中、泣きながら探し回った。
『みゃーこちゃ、どしたの?』
"みやこ"が上手く発音出来なかった五歳のはっちん。角田のおばさんと仲良く手を繋いで、泣いてる私に駆け寄って来た。
泣きながら子猫の事を説明したら、困った顔のおばさんにとりあえず帰りましょうって連れ帰られて、子猫は捨てたんじゃなくて、お父さんの知り合いにあげたんだって教えてもらって、安心した。
その時だ、はっちんがニャンコになる宣言をしたのは。それで呼び方も、猫の鳴き声みたいだからって"みゃー"になった。
あの後、角田さんに迷惑掛けたからってお母さんにすっごい怒られたけど、泣いてる私の所には、いつもひょっこり、はっちんが現れるようになったんだ。
「笑ってる。どしたの?」
「んー?ちっさい可愛いはっちんを思い出してた。おっきくなったねぇ?」
わしゃわしゃわしゃってワックス付き猫っ毛をかき混ぜたら、何故かはっちんが照れて、拗ねた。
「歳はどうにもなんねぇから、せめて身長はって思って、牛乳たくさん飲んだ。」
「あー、そういえば、なんかいっつも牛乳飲んでたねー」
「そんで、背、越したから、プロポーズした。みゃー、中学入ってから急にモテ出したから、焦った。」
ファーストキスを奪われた時か。確かにあの時、はっちんは成長期で、グングン伸びてたな。
「焦らなくても、私は昔からはっちんしか見ていない。」
「はぁ?!!」
「何を驚いているのだね?」
でっかい素っ頓狂な声を至近距離で聞かされて、耳がキーンてした。
顔顰めて両耳抑えたら、驚愕顔のはっちんにガッチリ肩を掴まれた。
「だって、みゃー、同じクラスの篠田だとか、伊藤だとか…あと、生徒会長がカッコいいって、よく言ってたじゃねぇか!俺、眼中外なんだって悩んでたのに…」
「うむ。それは、ヤキモチ妬いて拗ねたはっちんの顔が可愛くて、ついつい。」
サッカー部の誰それがカッコイイって言うと、はっちんはサッカーを始める。そんな調子で、バスケ、野球、テニス…
あとは、頭が良いのが良いってぽろりと言えば勉強を頑張る。生徒会長に憧れてみれば、生徒会長にまで、はっちんはなった。
「愛を感じたくて、ついつい…」
すまんすまんって謝ったら、はっちんの体から力が抜け落ちた。
「マジ、弄ばれてる…」
「気付いてなかったの?気付いてて、付き合ってくれてるんだって思ってた。」
「全っ然!本気でヤキモチ妬いて、敵は排除した。」
「おぅ、ブラックはっちんは素でしたかー」
「俺以外がみゃーの隣にいるなんて、許せねぇ。」
「はっちんも大分歪んでるよねー」
「引く?」
「引かない。そんなとこも好きだ。それに、私の方が歪んでる。」
「みゃーは、全部可愛いよ。」
「どもども」
なんか照れた。
頬をポリポリ掻いてたら、大きな手に頭を掴まれて、甘くて深いキスをされる。
なんだか骨抜きって感じになって、そんな私を見たはっちんは、私の好きな八重歯が見える笑顔になった。
「んじゃ、そろそろ進路相談、行きますかー」
「あれー、誤魔化されてくれないの?」
「誤魔化されねぇよ。俺も関わるからな。」
「はっちんに迷惑掛けんの嫌だから、怠惰じゃいられんね。」
「怠惰でもダメ人間でも、俺はなんでも良いよ。お前が手に入るなら。」
「んー、他人にならそれでも良いけど、はっちんにはダメ。」
「そうかい。なら、真面目に考えよう。」
「そうしましょー」
はっちんの大きな手に包まれるように手を繋いで、私達は、未来を考える為に原田家を後にした。