ニャンコなはっちんは私の天使
朝は、両親の為に残した昨夜の残り物を二人で食べた。
私ははっちんがいないなら食事は作らない。いつも三人分、作り過ぎて一人で同じ物を食べる事に飽きたから。
朝は昔から食べないけど、はっちんがうるさいから、はっちんがいる時は食べるようになった。
「みゃーみゃーみゃー」
「なんだい、ニャンコくん?」
「ハグ」
「今無理。」
洗面所で毎朝の日課をする私にまとわりついて、はっちんが構え攻撃を仕掛けて来る。
長い髪をサラサラに保つのは、手入れが大変なんだ。
「そんな事しなくても、みゃーは綺麗だ。」
「それはきっと、はっちんの目にはフィルターが掛かっているね。」
「んな事ねぇよ。昔から、そう思ってる。」
「へーへー」
「まだ、気にしてんの?」
「その話は嫌だ。」
「………ごめん。」
思いの外口調がキツくなってしまったら、はっちんが落ち込んだ。申し訳無くなって、私は手を止めてはっちんを抱き締める。
「もう、日課になってるだけ。気にしてない。」
嘘だ。気にしてる。
うちのお母さんは、育児ノイローゼだった。生活感が出てて、髪はボサボサ、肌はボロボロ。私が小学校中学年くらいから、我が家は喧嘩が絶えなかった。その頃の私も、見た目がボロボロだった。
不思議な物で、心が傷付くのに合わせて、見た目も同じになって行く。
学校で誰に何を言われようと気にしない私だったけど、ある日のお父さんの言葉には傷付いた。
『そんなお前だから嫌なんだ!都もお前にそっくりで、なんて醜い!』
前々から、そんなような事は言われ続けてた。だけどその時は、はっちんが私の部屋にいてニャンコをしてくれてた。
天使でニャンコなはっちんと過ごすのは、現実から逃げられる大切な時間。我が家の現実を知られて、はっちんとも終わりだって絶望的な気分になって、私は泣きじゃくった。
『みゃー、泣かないで?みゃーは可愛いよ?綺麗だよ?醜くなんてないから、みゃー、泣かないで。』
はっちんは昔から、私の天使。
それからも、何故かはっちんはニャンコを続けてくれている。初めは子供の戯れ合いでただの遊びだったのに、いつからか、私の心の支えになってた。
「一応弁当作ったけど、いるかね?」
「もち!食う!」
「いつ食べるの?」
「多分移動の車の中。」
「大変やねぇ。」
「まぁな。でもみゃーの弁当で頑張れる。ケーキも焼いとけよ?」
「うぃーっす。サツマイモケーキにしよっかな。」
「俺それ好き!」
はっちんの為にしか、焼かないもの。好みは知ってる。
いつもみたいに守られながら学校行って、下駄箱で別れた。
「都、あんたの父親、帰ってないでしょ?」
「おー、それはさっちんパパ情報かね?」
教室入る前、さっちんに連行された私は屋上に続く階段の踊り場に座らされた。隠れるように二人で座って、ひそひそ話。
「浮気相手の所にいるらしいって、会社でも噂になってるみたい。あんたのお母さんは?どうしてんの?」
「黙秘権を行使する!」
両手の人差し指でバッテンマークを作って口に当てたら、さっちんは溜息を吐き出した。
さっちんとの腐れ縁は、父親同士の会社が同じってのもある。それと、さっちんは昔からなんだかんだと私を心配してくれる。だけど何故か、はっちんとは犬猿の仲。
「あいつには、話してる?」
「話さない。」
「なんで?」
「話さないから。」
「ねぇ都。あんた、私やあいつが困ってたら助けたいって思う?」
「そりゃ、思うさ。二人はとっても大切だもの。」
「なら話して。あんたが困った時に頼ってくれないと、私達も困った時、助けてって言い出しづらくなんの。」
「なんじゃい、その理屈は?」
いつものようにわざと茶化そうとしたけど、さっちんが真剣だから、口を噤んだ。
話すべきなんだろう。だけど話せば、崩れる。
私が、崩れる。
「さっちん…勘弁。今は、無理。」
「許さん。ここで逃がしたら、あんたはもう、私からも逃げるでしょう?」
「逃がしておくれよ…」
「泣けば良いじゃん!なんでいっつも笑ってんの?あいつの前でだって泣かないんでしょう?そんなんあんた、壊れるよ…」
「なんでさっちんが泣くの?」
「都が、泣かないからでしょっ」
ボロボロと、さっちんの目から流れる涙は私の為。だけど私の目は乾いてる。
「あんねぇ、さっちん。泣かないんじゃなくて、泣けないんだよ。…私はもう、随分前から壊れてるのかもしれないねぇ。」
いやぁまいったってヘラヘラ笑ってたら、ぐずぐずに泣いてるさっちんに抱き締められた。
「はっちんはねぇ、全部知ってるんだよ。はっちんの嫉妬心利用して、私が自分の歪んだ、愛されてるって実感したい欲求満たしてんのも。はっちんの愛を試してんのも、全部わかってて、付き合ってくれてる。」
原田家の事情も全部わかってるんだ、はっちんは。その上で、私を守ろうとしてくれてる。私もそれを知ってて、はっちんに縋り付いてる。
「あんねぇ、お母さんも、もううちにはいないの。お母さんも、新しい人見つけてた。」
「それ、あんた、一人?」
「そだねー、独り。捨てられちった。」
「わ、笑うなよ、ばかぁっ!」
わんわん声を上げて、さっちんが私の代わりに泣く。それを見ても、やっぱり私の目には、涙は浮かばない。
「大学受験終わったらバイトするけどさ、それまで、仕送り止められたら困るの。変にヘソ曲げられて、大学費用出してもらえなくなるのも困る。だから誰にも言わないで。手出しもしないで。」
「それは、正しくない…」
「正しさなんて、今更だ。正義で飯は食えないんだよ。壊れてない家庭の子には、わからない。」
笑って、私はさっちんを傷付ける。
これで私達の腐れ縁はおしまいで良い。優しいさっちんは、私なんかに煩わされないで、優しい世界で生きてて欲しいなんて思う私は、自分勝手なの。
「バイバイ、紗南。」
鞄ごとここに連行されたから、私は立ち上がって階段を駆け下りる。今日はもう、学校は無理。
帰って、着替えたら買い物に出て、ケーキを焼こう。
はっちんの、あのニャンコで天使な笑顔の為に…