はっちんはヒーロー
帰りの電車は満員ではない。たまに座れるくらいの余裕がある。でも大抵、私とはっちんは開かない方のドア前に立って外を眺める。スッカスカに開いてない限り、私は電車で座るのはあんまり好きじゃない。
「みゃー?」
「んー?」
「具合、悪いんだろ?」
「んなこたぁねぇぜ。」
「顔色、悪くねぇ?」
「化粧してないからだぜ。」
「ふーん…」
疑いの眼差しが向けられている。
流石はっちんだぜ。
珍しく電車に酔ったのか、なんだかおかしい。ゲプゲプして、お腹痛い。
だが後二駅、負けるもんか。
「はい、確保ー」
「揺らすな、吐く。」
「ほら、具合悪いんじゃねぇか。トイレ連行?」
「いや、外が良い。」
家の最寄り駅で降りてよろけたら、はっちんに抱えられた。流石に駅で横抱きはないから、腰を抱かれて、足が軽く宙に浮いている。力持ちめ。
「抱っこで帰る?」
「おバカですか?恥ずかし死ぬよ。」
「でも、フラフラして歩くの辛そう。」
「なんじゃこりゃー、脂汗が出るぜー、座って良い?」
「もち。なんか飲む?」
「なんもいらん。ちょい、肩を貸して欲しい。」
「好きなだけ使え。」
「サンクス」
駅前の人通りが少ない花壇の所に座って、はっちんにもたれ掛かる。
胃というか、お腹がきゅーって痛くて、あまりの痛みに変な汗が出る。
「なんで、みゃーがこんな追い詰められんだ。」
悲しそうな呟き。
私が弱っちぃ所為だ。悲しませて、ごめんね、はっちん。
「休めば平気。風邪かな?」
「……違う気がする。………何年、一人で耐えた?」
「年?家族解散は五月の終わりだから、まだ五ヶ月だよ?」
「それより前からだろ?」
「………はっちんは、何でも知ってる?我が家、有名人?」
「隣だから、聞こえる。……痣も。」
「マジかぁ……昔通報したの、おばさん?」
見上げたら、はっちんはこくんて頷いた。
小学校高学年の時が、一番酷かった。
多分その時に、お父さんの浮気が発覚したんだ。その前から、お父さんはよく、私とお母さんを醜いって罵ってた。だけど浮気が発覚して、お母さんは、何かがキレたんだ。
泣いて叫ぶお母さんに、私は八つ当たりされた。
終わると号泣して、私を抱き締めて謝る。壊れ掛けのお母さん。守らなくちゃって思った。だから、私はいつも笑う。はっちんの笑顔に私が救われるように、お母さんも元気になってって、思った。
「はっちんが来てる時はね、穏やかだった。わかってて、来てくれてた?」
「……うん。守りたかった。」
「そっかぁ。ありがと。」
目を瞑って、はっちんの温もりを感じる。
「やっぱ抱っこ、してもらおうかな。治る気がしない。」
「わかった。鞄、寄越せ。」
「すまんねぇ」
「みゃーはもっと、甘える事を覚えろ。」
「何言ってんだいお前さん。あたしゃ十分甘えてるよ。」
「足りねぇな。俺はもっと、みゃーを甘やかしたい。」
「これ以上甘やかされたら、溶ける。」
「なんだよ溶けるって?」
「わからんー。人では無い物になる?」
「ならねぇよ。」
大きなはっちん。
両肩に二人分の鞄。
私を横抱きにして、平気な顔して歩いてる。
「まるでヒーローだ。」
「何が?」
「はっちんが。カッコイイ。」
無言になったから目を開けてみたら、照れてる。真っ赤。
「見んなよ。減る。」
「どう減る?」
「知らねぇ。」
「……重くない?」
「重い!」
「ですよねー。でも降りない。」
「いいよ。……ヒーローの力のチャージは、キス。」
「しろと?」
「おぅよ」
「しねぇな!」
笑いながら、素早くキスをした。
「すんのかよ!」
「真っ赤。チャージされた?」
「された。満タン。」
「走れ!はっちん号!」
「えー、無理。」
「……なんか気が紛れた。歩く。」
馬鹿な会話してたら、いつの間にか楽になってる。だから歩くって言ったのに、はっちんは降ろす気が無いみたいだ。無視された。
「はっちん?」
「いいじゃん。このまま帰ろう。」
「でも重いっしょ?」
「満タン分働く。んで、後で濃いのしてもらう。」
「変態め!」
「みゃー限定だから、いいじゃん。」
「そだねー、良いかも。」
いっその事ベッタベタに甘えようって決めて、私ははっちんの肩に擦り寄って目を閉じた。
マンション着いたら、はっちんはうちに上がって私が着替えるのを待って、着替え終わったら拉致された。
「こんにちはー、おばさん。お宅の息子は誘拐犯です。」
「あらーグッジョブ、瑛都!」
「共犯かー」
おばさんに挨拶したらそのままはっちんの部屋へ連行。
目の前で着替え始めるから、はっちんの肉体美を観察。
「眼福である。」
「変態か。」
「はっちん良い体ー、触って良い?」
「やだ。襲いたくなるから。」
「いいよー」
「良くねぇ!」
「ならば力尽くだぁっ!」
びょーんと飛び付いたけど、ビクともしねぇ。むしろ両手首掴まれて阻止されて、負けそうだ。
「そんな全力で抵抗すんなよー」
「やだ。無理。」
「乙女か!」
「みゃーは恥じらいを持て!」
「……………瑛都なら、良いよ?」
恥じらい意識して目を伏せて、ちょっと顔を赤らめてみる。そしたらはっちん、撃沈。
真っ赤になって蹲ったから、これ幸いと背筋と二の腕をペタペタ触って堪能。
「こりゃ堪らん!ガッチガチやでぇ。」
細マッチョ!って騒いでたら、気付いたら視界反転、天井さんこんにちわ。
「襲うって言ってんじゃん。」
「ムラムラ?」
「するだろ、普通。好きな女の手が体、這ってんだぞ?想像だけで…ヤバイ。」
「クララ、立つ?」
「めちゃくちゃ立つわ!むしろ、走るわ!」
「わー、ペーター!クララにはもう車椅子はいらないわ!」
「みゃー…」
「なんじゃい?」
「俺には、夢がある。」
「ほうほう?」
押し倒されて、両手首をやんわり掴まれた状態。馬乗りになってる男は上半身裸。なんだかヤバイような体勢で私を見下ろすはっちんは、真剣な顔してる。
「ファーストキスはあれだったから、初めては、ちゃんとしたい。」
「ちゃんとはどんな?」
「まず…みゃーの家の問題、片付ける。」
「……片付くかね?」
「一気には無理だろうけど、少しずつ。そんで、うちはやだ。」
「なんと!何処でヤるんだい?」
「ヤるとか言うな!」
「純情ー」
真っ赤なはっちんにジト目で睨まれた。そんな顔も、可愛い。
「今金貯めてるから、旅行行こう?みゃーの進学の問題とかも、片付いたら。」
「旅行?」
「うん。みゃーが行きたい所に行こう。海外でも良いよ。だから、行きたい場所、考えておいて。」
「……旅行は、あんまり、行った事がない。」
呟いたら、はっちんは優しい笑顔。
これだから私は、はっちんから離れられないんだ。
原田家は、家族旅行って物をしなかった。私が旅行で覚えてるのは、はっちんが小学校に入ってから、角田家と一緒に山にキャンプに出掛けた一回だけ。あとは、近場にドライブくらいだったかな。
「一緒に、考えたい。」
「いいよ。今度、旅行雑誌買いに行こう?」
「うん。…はっちん、ハグ。」
「………いや、服着てから」
「やだ、今。」
茹でダコで困った顔。でもはっちんは、私の我儘を叶えてくれた。
「はっちんの素肌が気持ち良い。……ムラムラする。」
「すんな。触り方が嫌らしいんだよ!」
「そうかね?すまんね。」
「悪いと思ってねぇだろ!悪戯に刺激すんな。」
「悪戯じゃなきゃ良いのかい?」
目の前の首筋に、ちゅうって吸い付いてみたら、はっちんがビクンってなった。楽しくて、ニヤニヤしてしまう。
「もうダメ!クララが立つ!」
ガバッて起き上がって、はっちんはさっさと服を着てしまった。からかい過ぎたようだ。
「旅行、楽しみ。」
ちゃんと服を着るのを待ってから、はっちんの背中にくっ付いた。
はっちんの側は、落ち着く。
お腹が痛いのも、胸に何かがつかえるような感覚も、いつの間にか、どっかに消えてた。




