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42  作者: 結月(綱月 弥)


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◎前夜迄/修『終わりの始まり』

誰もが皆、俺を置き去りにしていく。

その不安が、いつも――俺を苛んでいた。

煮え切らない空を見上げ、無造作に零された冷たい雨の音を聴いていた。


誰かに助けてほしい、と願ったことは無い。

叶わないのが怖かったから。

裏切られるのが怖かったから。

でも、そのおかげで、ずっと誰かに触れることが出来なかった。

そうして、いつしかそれにも慣れてしまった。

同年代の人間を見る度、話しかけてみようかと言う欲求が生まれたが……

か弱いその感情は、肥大した『根底の恐怖』に遮られた。

拒絶されるのが怖かった。

一人でないことに憧れるのが、何よりも恐ろしかった。

一度一人でなくなってしまうと、一人になってしまった時、どうしたらいいのか――

不安で、とても不安で仕方が無かった。

一人でなくなってしまうことが、耐え難い孤独を生むきっかけにしかならないのなら。

ずっと交わらずに一人のまま生きていた方が良い。

修はそんな風に考えていた。

誰かと誰かが、なにやら楽しそうに話しているのを見ると、心の奥底が疼いた。

それでも、修は一人で『壁』にもたれていた。

目には見えない、色も無い、でも、確かにその場所にある。

何故か、心が落ち着いた。

誰に触れているわけでもないのに。

どうして、こんなに安らかな気持ちになるのか分からない。

修は『壁』に触れている時の穏やかな気持ちがとても好きだった。

度々指導員に文句を言われたが、修は彼らの目を盗んでは、『壁』に触れていた。



ある時、ふと修は気付いた。

何も無いと思っていた『壁』が、実は様々なものを含んでいることに。

触れると全く同じ温度があり、若干ならば押せる。

指が『壁』に沈み込み、また押し戻される。

不思議の過ぎる『壁』は、どういう訳だか修を癒し、外と世界を隔てていた。


その日のことを、修は思い出していた。

薄汚れた灰色の空、見たことの無い山の麓で車から降ろされる。

嫌な雰囲気が流れていた。

汚れた空と同じ色をした、指導員と呼ばれる人間が修の手を引く。

修は何が何だか分からなかったが、ここで指導員についていくと――

もう帰れないことだけは予感できた。

何より、表情の無い指導員が怖くてたまらなかった。

その指導員と、今ここへ修を連れて来た人間が同じように、無表情を顔に貼り付けているのが恐ろしくてたまらなかった。

曇天から、さらさらと小雨が降り注ぐ。

「どうして」

修は口に出していた。

「『父さん』――どうして、俺を捨てるの?」

指導員から重量感のあるスーツケースを受け取って、一度だけ父は修を見た。

修は父へ走り出そうとしたが、指導員に肩を掴まれて動けなかった。

降り注ぐ雨が、その勢いを増した。

修はただ、走り去る車を見届けることしかできなかった。

引き取りに来る日のことなど全く知らされず、修はその日からたった一つの拠り所を失った。

それはまるで、空が急に失われたような、大地が突然消えてしまったかのような――

ぽっかりと身体が空洞になってしまう感覚だった。

大きな何かが丸ごと欠落してしまう、そんな感覚。

しばらく、修は何を考えることも出来ずに、ただこの場所で指導員の言うなりになっていた。

――その日が来るまでは。


夢に見た少女は、少しだけ悲しみを帯びた瞳をしていた。

でも、視線を向けると優しげな表情を浮かべて修を手招いた。

不思議と心が安らいだ。

何をしゃべるでもなく、ただ傍に居るだけだったが、とても落ち着いた。


そんな夢を見ることが続いたある日のことだった。

少女は遥か彼方を指差した。

目には見えないが、何かある。

それは、何か途轍もなく広大な『壁』のようだった。

そんな風に感じられた。

少女が小さく頷くのを見て、修は軽く指を鳴らした。

そうすると、『壁』は少し揺らいだ。

修は揺らいだ『壁』が透明に輝くのを見た。

狙った場所から徐々に輝きが広がって、波紋のように修の網膜に映し出されていた。

夢はそこで終わりだった。



目を覚ました修が指を鳴らすと、信じられないことが起こった。

部屋の壁が欠けたのだ。

もう一度鳴らすと、ベッドの車輪が吹き飛んだ。

そうして――何も無かった日々は一変した。

『指導員』が三人つき、予定は分単位で刻まれ、修は記録を測られた。

一度に破壊できる物量、範囲。

能力継続の限界も確認の対象だった。

体力と共に、修の精神も磨耗していった。

この『学園』の施設内には同年代の人間が少なくなかった。

だが、人と接することに慣れていない修に話し相手は居なかった。

ある日、ピークに達した疲労が修を倒れさせた。

修は朦朧とした意識の中で、再び少女と再会した。

彼女は優しかった。

ただそこに居るだけだったのに、修の心は安らいだ。

少女はその白い手で惚けている修の手を引いた。

透明な『壁』が、目の前に現れた。

その『壁』に触れて、少女は何事かを修に告げた。

その表情が、凛とした瞳が修を捉えた。

少女は、以前見た時とは違う印象を受けた。


修は今、自分が為すべきことを考えるきっかけを得た。

自らを囲む全ては、乗り越えるべき不可視の『壁』。

こうしているうちにも、曖昧に消えていきそうな少女の面影を心に留めて、修は心の平静を取り戻した。

『まだ、俺にはやるべきことがある』

何を為すこともなく、終わる訳にはいかない。

まだ力の弱い修はこのカリキュラムをトレーニングと考えた。

衰弱していく精神と、疲労していく身体が想いを蝕んでいくのを感じながら、それでも。

目の前にある。

いつからか分からないけど、ずっと、周りにそれはある。

次の段階へ進むための、乗り越えるべき『壁』。

そうだ。

『俺は、俺の目的を果たす』

こんなところでくすぶっている訳にも、緩やかに下らない日常に飲み込まれてしまう訳にもいかない。


――なあ、そうだろ?



『終わりの始まり』 了

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