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42  作者: 結月(綱月 弥)


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◎前夜迄/佳代『仮初の自由』

考え過ぎなのかもしれない。

暗い顔ばかりしてるから、「お前の顔など見たくもない」と言われて、ついにはここに来たことも。


でも、人に不快な思いをさせて、煙たがられても生きている。

認めてくれる人など、いやしないのに。

佳代は、部屋の隅にうずくまり、嫌なことを思い出していた。

良いことなんてひとつも無かったから、良いことを思い出すことも無かった。

それでもここへ来て、たった一つ前の場所よりも良くなったことがある。

前の場所で佳代を嫌った人が一人も居ないこと。

そのことは佳代にはとても有難かった。

何だか、ほっとしていた。

誰も自分を知っている人の居ない場所で。


それは、佳代にとって、ささやかな幸せでもあった。

人と居るのは、人と居るには、苦痛の方が多く感じられていたから、尚更そう思えた。


知らない場というのは心細くもあったが、それ以上に佳代にとっては心配をしなくても良いことの方が大きかった。

カリキュラム、という妙な授業のようなものがあること以外は、至って普通の学園だった。

佳代はそんな必須の授業をこなすと、部屋の隅に座った。

隅に座れば、他に人は居られないのでそれが一番楽だったからだ。

時々、部屋の中から、壁にはめ込まれたように存在する窓の外を見た。

ガラス一枚隔てただけで、何だかそれは絵空事の世界のように見えた。

そうやって、空を眺めていて、ふと目に留まるものがあった。

まるでそれが当たり前のことであるように、空中をスキップする少年が居た。



大空を見て、翼を願う人間の本望をその少年は事も無げに実現していた。

それが当然のことであるかのように。


「自由」


佳代の脳裏に過ぎったのは、その言葉だった。

「自由」って、ああいうものを言うのではないだろうか。

何かに縛られず、あるがままの姿で、それが疑いようのない事実になっていること。

しばらく、考えることも忘れてその姿を見ていた。

気持ち良さそうに空を翔ける少年の姿を。


佳代が戯れに草を手折り、ブレスレットめいたものを編んでいる時だった。

「器用なもんだな」

そう話しかけてきたのは、いつか空を歩いていた少年だった。

「え、ええと……」

「多分、オレが同じことをしたらぐちゃぐちゃになっちまうな」

「そんなこと……ないと思うけど」

少年は、おどけるように肩をすくめた。

「あの……この前、あなたを見たの。空を飛んでいるところ」

沈黙してしまうのが嫌で、佳代は何とか言葉を口にした。

「ああ、見てたのか」

軽く頭をかく少年。

「つっても、ちょくちょくやってるから、いつのことだかこっちには分からないんだけどね」

「気持ち良さそうにしてた。とっても」

「そりゃあ、鳥は空を飛んでいるのが一番自然だからな」

「え?」

「オレってば、実は鳥だから」

佳代は目を丸くして、感嘆の声を漏らした。

「そうなんだ……やっぱり」

「そう。ほら、鳥みたいな髪型してるでしょ、オレ」

「あっ、言われてみれば……そうだね。何で気付かなかったんだろう」

佳代は少年の言葉に、素直に関心していた。

そんな佳代の様子を見て、少年は若干トーンを下げて続けた。

「……や、これ全部冗談なんだけど」

「あ、えっ? 冗談なの?」

少し残念そうに、佳代は少年の方を見た。

「私が見た時、本当に翼を広げてるみたいだったから……つい」

「いや、何かこっちこそ妙な勘違いをさせたみたいで悪かった。よく分かんないけど」

そう言いながら、少年は再び頭をかいた。

「きみ、面白いね」

「そう……かな。よく分からないけど」

「面白いって言っても、もちろん良い意味でね」

面白いに悪い意味もあるのか謎ではあったが、少年の言葉を聞いて、佳代は自然と笑顔を浮かべていた。

「また話そうぜ。約束な」

少年は佳代に言葉を投げると、次の瞬間には羽ばたいていた。

「オレ、拓ってんだ。きみは?」

高度を上げながら、中空で拓が振り向いた。

「あの、か……佳代、です」

つい、佳代は改まったような言い方をしてしまう。

「ふうん、佳代……か」

拓は噛み締めるように佳代の名をつぶやくと、そのまま校舎へ向かって空を翔けた。

ひび割れた白いコンクリートの校舎へ向けて高く飛び上がり、不釣合いに磨かれた窓を目掛けて舞い降りていた。

拓の姿は、やはり、鳥そのものに見えた。



カリキュラムが終わり、自らの部屋で戻ろうとしていた矢先、白い校舎の中で一際目立つシルエットが目に入った。

現実離れした、綺麗なシルエット。



かけ離れた容姿をしているのに、その少女が佳代にはどこか自分自身と似ているように見えた。

――ただ、瞳の奥を見透かすことは出来なかった。

漆黒の流れるような、さらさらの髪が印象的だった。

まるで、世界の全てに興味が無いとでも言わんばかりに、どこか遠くを見ているように思えた。

「あ、あの」

少女は振り向かなかった。

言葉をかけてから気付いたが、佳代はどうして声をかけたのか自分で分からなかった。

普段から積極的に話しかける方ではないのに。

「良い天気ね」

佳代は、我ながら何を聞いているのだろうと思った。

しかしながら、無理に搾り出した言葉にも効果はあったようだ。

「……良い天気かしら。わたしには――」

そして、一呼吸おいて、少女は続ける。

「わたしには、この空が灰色の曇り空に見えるわ」

「そ……そう?」

自分から声をかけたものの、想像もしない答えに佳代は途端に次の言葉を口ごもってしまった。

佳代の悪い癖だった。

「当たり障りの無い言葉って嫌い」

少女の表情がこわばり、言葉の調子がきつくなるのが見て取れた。

「そんなのって、何も言わないよりも質が悪い。

本当に考えていることを言わないのに、人に何を求めているんだろうって、そう思う」

思わず、佳代は反射的にその言葉を発した。

「あの……ごめんなさい」

真っ直ぐ、射抜くような視線で佳代を見据える少女。

「どうして謝るの?」

「それは、その……あなたが怒ってるのかなって」

「……怒っているように、そう見えたの?」

佳代は益々返答に困った。

「自分の非を認めることも大事だけど、もしあなたに非が無かったら、謝っていることさえ嘘にならないかしら」

佳代には今度こそ、返す言葉が無かった。

「あ……あの、あの……」

困っている佳代の様子を見て、少女は表情を緩めた。

「――でも、何も言わないよりは、もしかしたら幾らかましなのかも。

何も言わないって、何も無いことと大して変わらないものね」

一人でぶつぶつと言っていたが、ふと佳代に視線を合わせて、ゆっくりと口を開いた。

「あ、置いてきぼりにしちゃった……ごめんなさい。

一つ言っておくと、このごめんなさいは、本当の気持ち。

女の子に話しかけられるのって久しぶりで、ちょっとからかってみたくなっちゃって」

少女は笑った。

一度口を開くと、少女の印象は大きく変わった。

花が開いたように、その表情は明るく見えた。

「そ、そうなの?」

「そう。ああ……こんな感じだから、人とは上手く話せないのかもしれない」

「――そうかも」

その言葉を聞いた途端、また、少女は真っ直ぐに視線を佳代に向けてきた。

「やっと、本当のこと言ったって感じだね」

再び、少女は笑った。

「……うん。そうかも」

言いながら、佳代もつられて笑った。

笑顔を浮かべながらも、真剣な表情で少女は言った。

「でも、本当にそう思ったことなら、それはハッキリと言っておいた方が良いと思うんだ。

そうじゃないと、多分、誰のことも分かれないし、分からない気がする」


少女の名前はカズサと言った。

話を聞くのが苦痛じゃないらしく、楽しそうに佳代の話にも耳を傾けていた。

細かい作業、小物作りが好きなことなど、佳代はカズサにたくさんのことをしゃべった。

カズサは自分のことはほとんどしゃべらなかったが、佳代の話は何でも聞いた。


閉鎖空間、強制される生活、カリキュラムの実践という枷は存在する。

それでも外と違って、佳代にとって、学園に居る時間は少しだけ優しかった。

そうして、その優しい時間も過去へ追いやられていくことに、その時佳代は気付けなかった。



「檻だからな、ここは。いつまで経っても」

拓と話していて、気付くことがあった。

学園を出たがっていること。

佳代はここへ来てから、そんなことを考えたことも無かったが、とにかく拓からはそんな印象を受けた。

いつだか、拓がポツリと漏らした言葉がある。

「やらなきゃいけないことがある」

これまでに見たことが無い、真剣な表情だった。

だが、その時は、それが何のことだか分からなかった。


不穏な空気は、それだけではなかった。


時々会うカズサの様子がおかしかった。

綺麗だったシルエットは、今や失われていた。

頬がこけていくのが見て取れた。

断定は出来なかったが、『カリキュラム』が関係しているであろうことは推測出来た。

『カリキュラム』に関しては、内容を他言することは禁じられている。

だけど、もし、何かあるとすれば、それしか理由は無かった。


二人と最初に話してから、柔らかな日差しの当たるような、そんな日常があったのに。

明確に証明するものは何も無かったが、身近な日常が少しずつ、崩れかけているように感じられた。


拓が空に居ない時。カズサが隣に居ない時。

いつだったか、話した言葉のように。

この空が灰色の曇り空に見える。



『仮初の自由』 了

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