渇望編 - 23
弧羽に向けた手のひらに角砂糖を乗せ、珠洲歌は続ける。
「言いたいこと、解るかナ?」
後ろ手に拘束されているとはいえ、弧羽の『紡壁』ならば防ぐことは訳ないことのはずだ。
しかし、ならば捕まってしまっていることの説明がつかない。
能力者と相対していたとして、数で押し切られでもしたのだろうか……?
珠洲歌は修を見やり、蠱惑的な笑みを浮かべながら口を開いた。
「な~んで捕まってるのか、とか思ったりしてない?」
「…………」
修は表情に動揺が乗らないようにした。
が――
「ホント、分かりやすいよねェ、修は。や、それはそれで良いトコだとは思うんだけどサ」
意味が無かったようだ。
「修たちが『学園』を出てから、何も変わらなかったワケじゃないんだよ?」
ニッコリと笑顔。
「タイプの違い、体質の違い、効力の違い。色々、イロイロと研究して作られたの。コレ」
珠洲歌は後ろ手に拘束された弧羽の手首、拘束具のようなものが付けられているのを見せた。
ガラス細工のような、八の字の形をした透明な拘束具だった。
「便利で、能力者にとっては致命的なモノ……コレ、『能力』を無効化するの。スゴいでしょ」
そんなモノが――と考えて、ふと思い当たる節があった。
『学園』にもそんな人間が居たこと。
能力を『キャンセル』する能力が存在したことを。
そんな能力があるならば、そんなモノが存在するのも解らなくはない。
拘束された弧羽、向けられる角砂糖、判然としないこの空間。
形勢逆転を狙うには、要素が足りない。
「ゲームオーバーだよ、修」
珠洲歌は念を押すように、そう言った。
だが。
その間にも、修は考えていた。
この局面を切り抜けるための方策を。
「俺たちを連れ戻すのか」
「ん~、そうだよ?」
「仮に連れて帰るとして」
「仮に、じゃなくて『連れて帰る』んだけど」
珠洲歌の言葉を聞き流し、修は続ける。
「その拘束具、そんなに数があるのか」
「あ、あ~、コレね。まぁ、そだよ」
「頑丈なのか、それ」
「結構カタ……ってか、それ、今関係無いよネ?」
やや険しい表情になった珠洲歌は、弧羽の頬を手の甲で撫で回す。
「あまり余計なオシャベリしてると、弧羽の身体に傷が付いちゃうけど、良いの?」
「――解った」
「じゃ、両手を広げたままで、向こう、向いてもらえる? 指を視線の届かない場所にやったところで指を鳴らされても厄介だし」
なるほど、考えたものだ。
修はそう思いながら、珠洲歌に背を向けて、尋ねる。
「これで良いのか?」
「うン。それでい~よ。じゃ、あたしに両手が見えるように、両手をゆっくり後ろに回してもらおうかナ」
修は言われた通り、過ぎない程度に緩慢な動作で両手を背中側に持っていき――。
舌打ちをする。
「わッ!?」
珠洲歌の驚く声が聞こえる。
頭の中に刻んでいた珠洲歌の居場所、その足元に当たるであろう箇所を吹き飛ばしたのだ。
そして、振り向きざまにもう一度指を鳴らそう――とした。
「ああ、ヤッパ保険かけといて良かった。油断も隙もありゃしない……って奴だネ」
声だけがそこに響く。
いつの間にか、二人の姿は跡形も無く消えていた。
やはり、ここには珠洲歌以外の能力者も居るのだろう。
そして、その能力が『思考に作用できる』精神干渉系のものではない可能性が高い、ということ。
もしそうならば、こんな問答は意味が無い。
都合良く従わせてしまえば済むことだ。
予想され得る範囲で考えると、錯視を起こすようなタイプか。
『学園』を出る際にもその手の能力者には遭遇しなかったために、未だどういうものだかは解らないのが気がかりではある。
だが、これで――手加減をする必要が無くなった。
珠洲歌と弧羽の姿が見えなくなり、加えて赤の他人が居ないことが分かったのだから。
『人質』を危険に晒す真似は無い――殊更、修が未だ『学園』へ戻ることが成立していない状況では。
修は両手を握り締め、自らの両側へ同時に降り下ろす。
周囲の景色が弾け飛ぶ。
絹を裂くような音響と共に、今度こそガラスの砕け散る音がした。
修は『手近な窓ガラス』ではなく、可能な限り遠くをイメージして『圧壊』を放ったのだ。
ここは喫茶店などではなく、どこか知れない雑居ビルの空き部屋といったところだろうか。
それでも、珠洲歌と弧羽の姿は見えない。
「危ない、アブナイ。もう、やることが過激だなァ、修は」
珠洲歌の声に焦りは見られない。
むしろ、楽しげに空間を満たしていた。
「でも、ま。これで交渉は決裂かァ。お気の毒だけど、そういうことで」
既にこの部屋の付近には居ないのだろうか。
修は姿が見えない今も、警戒を解かずに注意深く部屋を見渡した。
「弧羽ちゃんは連れて帰りまーす」
「待て! まだ聞……」
修の言葉が終わらないうちに、部屋中に光が溢れた。
――ッ!
――。
――?
生 て …… か?
感覚が無い。
生 てい ……のか?
存在がおぼつかない。
生きている……のか?
少しずつ戻ってきた感覚に、それでも違和感がある。
キン、と脳髄を満たす音。
一面の純白から、手品のように塗り変わる漆黒。
視覚情報が無い。
触覚は――
ただ、身体の自由が利かないことは分かる。
修は先ほどと同じ部屋で、今度は椅子に縛り付けられていることに気付く。
視覚情報は無い。目隠しだと思われる。
口には何か、球状のものを咥えさせられている。
両手は後ろでに縛られている。
指には、手袋だろうか。
指先をこすり合わせると、少し感触が鈍っているのが分かる。
「あッ、気付いたかナ?」
あっけらかんとした声色だった。
珠洲歌の気配だろうか、少しずつこちらに近付いてくる。
「しゃべれなくとも、ジェスチャーで意志を相手に知らせるぐらいは出来るよネ?」
次の瞬間、首がすっ飛ぶような感覚に襲われる。
音に遅れて、刺すような痛みが頬に走る。
「……ッ?!」
痛み。
「ねェ? ねェ、修?」
まず右の頬。早く、強烈なビンタ。
「聞いてる? 聴こえてる?」
思い切り左の頬。
「あたし、何だかガッカリしてるんだァ」
差し出したわけではないが、再び、右の頬。
「もっとゆっくり、修とお話したかったのにィ……ッ」
傷口に塩をすり込むように、左の頬。
「何であのコのことばっか考えてるの?」
痛みの残る頬がヒリつく中、こめかみを支点に、食い込むぐらい力の籠もった両手が頭を揺する。
「ねェ、ねェっ……ねェッ、ねェ! ねェ――ねェ、ねェっ、ねェえッ!!」
ほとんど。
ほとんど接吻に近い距離で、珠洲歌は喚き散らす。
出鱈目な言葉なのに、何か、それは歌のように聴こえた。
「ねェ。ねェってばァ! 聞いてるの? 何とか言いなさいよッ!!」
泣き声に近かった、ように思う。
声だけなら、昔の――
『学園』で見た珠洲歌だった。
「――って、無理か。これじゃ、しゃべれないもんネ」
昂奮状態から、スッと感情を抑える珠洲歌。
ふわりと、膝の上に荷重が加わる。
心地良い、柔らかな感触が上半身に寄り掛かる。
珠洲歌の腿の温もりが、ジーンズを通して修に伝わってくる。
先程までの昂りが嘘のように、いとおしむように修の身体を抱き締める。
まるで、自らの温もりを伝えるように、修の温もりを感じるように。
珠洲歌の身体は少し熱っぽく、火照りが彼女の気質を表しているようだった。
「頷いてくれれば良いの、修。そうすれば、良いの」
猫撫で声が囁く耳元、珠洲歌のうなじだろうか。
ふい、とバニラビーンズの匂いがした。
この状況がまずいことだけは、分かる。
逡巡している間に、場違いなメロディが鳴り響く。
電話だ。
だが、修の思考は混乱する。
このメロディは『弧羽』からの着信を示すものだったからである。
修は考えた。
この事実が指し示すものは――
「ンもぅ、ウルサいなぁ」
珠洲歌は当たり前のように修のポケットを探り、折り畳み式の携帯電話を開く。
「もしも~し。今、取り込み中なんですけド」
「ん、誰だ? おまえ」
「いきなり掛けてきて、あんたこそ誰よ」
「修の携帯だろうが、これ。何で修が出ねえんだよ」
「だ~か~ら。言ったじゃん、取り込み中だって」
「ははぁ、そうか。ドジ踏んだな、修のヤツ」
「あんたこそ、女の子の名前入った携帯で電話かけてきてんだけど、分かってンの?」
「んなこたぁ、知ってんだよ。でも、分かった」
「あ、そう? じゃ、そゆことで」
その言葉を受けるか受けないかの間に、電話口の相手は返答する。
「――『そこ』に居るんだな、分かった」
そこで、電話はブツリ、と途切れた。
電話口から漏れていた声は――聞き覚えのある声。
修の携帯電話に修が出なかったように、弧羽がかけてきた携帯電話からは、弧羽の声がしたわけでない。
だが。
だが、この事実は――
「何よ、アレ。ワケ分かんない」
ただ、事態の好転を指し示すものだった。
この場所が、どこであるかは分からない。
先ほどの状況から変わらない。
あまり高いところでは無いのだろうが、何階なのかも分からない。
しかし、一つ分かるもの、知覚せるものがあった。
耳の奥に微かな音、徐々に狭まる「それ」との距離。
そうして、一定の音圧で修の鼓膜を揺らしていた「それ」が、突然途切れた。
「ひゃッ、はああああぁぁぁァァァッ!」
頓狂な声が響く。
ヤツの声が。
当然、本来スケートボードでジャンプしようが、およそ届かない高さであったろう。
しかし、ヤツには関係ない。
この高さをヤツは何の問題も無くクリアする、クリアできる。
緋先拓の『能力』は、正に、「空を飛ぶこと」そのものであったからだ。
どこまで飛べるのか、修は知らない。
それでも、こいつは望むところまで飛ぶことが出来る。
修の中には、そんな妙な確信があった。
「……っ!」
修の傍から珠洲歌の気配が遠のく。
窓の外から飛び込んできた拓は、その勢いのまま修の隣まで滑り込んできた。
一方、珠洲歌はやや離れたところからこちらの様子をうかがっている。
「何でここが……」
「テレパシーってヤツだ。通じ合ってんだよ、オレとコイツは。以心伝心って言葉、あるだろ」
「……はァ?」
珠洲歌は怪訝そうな声色で意志を表す。
「ええ、と……」
拓の声がすぐ隣で聞こえる。
「何のレクリエーションだ、これ」
革手袋を嵌められ、ポールギャグに目隠し、修は今、そんな状況である。
いやに気をつかった物言いだった。
「…………」
修は反論しなかった。いや、出来なかった。
口を塞がれているので。
拓は修の目隠しを解き、轡を外す。
珠洲歌は手にした砂糖入れから幾つかの角砂糖を取り出し、中空に放る。
角砂糖は中空で緩やかに速度を落としたかと思えば、命を吹き込まれたかのように拓を狙う。
目標は拓の眉間、心臓、腹部辺りだろうか。
「――いや、『それ』は当たんねえよ」
熱く煮えた湯をかき混ぜるような、緩慢な動作で。
拓は目の前の障害を押し退けるように中空を掻く。
珠洲歌とは対照的に、悠然と構える拓。
微動だにしない拓を、『角砂糖』自身が避けていった。
その光景を目の当たりにした珠洲歌は、驚愕の表情を浮かべる。
「あんた……そんな……何なの、その『能力』」
「良い『能力』、持ってんじゃん。でも――」
スッ、と拓の声色から感情が消える。
「『能力者』相手に動揺を見せない方が良いぜ」
拓は珠洲歌に向かって歩き出す。
「……っ!」
拓のプレッシャーに気圧された珠洲歌は同じだけ後退する。
珠洲歌は一瞬、修に視線を送る。
砂糖入れからばら撒かれた角砂糖は、再び拓を、今度は全方位から目標として捕捉する。
それを見て、拓は珠洲歌の方へ向かって大きく踏み込む。
拓が宙をひと掻きすると、道を開けるように角砂糖の包囲網が呆気なく崩れていく。
「言ったろ、当たらねえって――ハッキリ言って、おまえの『能力』はオレの『能力』とは相性が悪い、ぜッ」
新記録を目指す幅跳びの如く、拓は可能な限りの跳躍を見せる。
拓が珠洲歌に届くかと思われた矢先――
「……お?」
消えた。
拓の目の前から、珠洲歌は忽然と姿を消している。
目を離さなかったにも関わらず、珠洲歌は拓の目の前から姿を消していた。
まるで、目の錯覚だった。
いつの間にか、珠洲歌はこの空き部屋から消えていたのだ。
「んだよ、用意周到なヤツらだよな……ったく」
拓は掌で口を隠しながら、ぼそりと呟いた。
「――それだけ、本気だってことか」
そうして、拓は修の方へ向き直る。
「しっかし、なんだよ修。オレに黙って何をイイことしてんだ?!」
「…………」
今度は口が動かせるが、答えなかった。
「あと、オレが来るかなって時には壊せるものは残しておいてくれ」
「……おい」
修はやれやれと言った感じで、目一杯肩をすくめた。
「弧羽は見つかってない……のか?」
「携帯電話だけ、見つけた」
「……そうか。どこでそれを?」
「さんみにあった」
「は……? さんみに?」
「修。落ち着いて聞いてくれよ」
「何だよ」
「……頼む。驚かないで聞いてくれ」
「何があった? 何でさんみに弧羽の携帯電話があったんだよ?」
まくし立てる修を前に、拓は恐る恐る、口を開く。
「さんみが全焼した」
修は、一瞬、それが一体何を指しているのか分からなかった。
「どっちが先か分からないが、HOOKUPも、同じように」
「――そん、な。どういう、おい、それって――」
「…………」
「おやっさんは? おかみさんも、ちゃんと避難したんだろ? 全焼って、建物が、さんみが燃えたってことだよな? なら、おやっさんは――」
「…………」
拓は答えない。
「おい。答えろ。無事だったんだな?」
「ニュースでは」
修は次の言葉を待った。
「現場から、遺体が二人分見つかったって言ってた」
何か、心の中で何かが崩れていくのが分かる。
それは音を立てて、修の中で悲痛な響きに変わる。
「誰の、ものなんだ? 遺体って……死んでるってことだろ」
拓は、それきり口を開かない。
「答えて、くれよ。なあ」
修の声は、震えていた。
「ニュースで発表されたのは、おやっさんとおかみさんの……名前だ」
修は目を見開いた。
「オレがさんみに行った時は、既に店は焼け落ちた後だった。ニュースは……古河の携帯で見た」
「誰が……犯人は見つかってないのか」
「ああ、誰がやったかは分からない。だが――何故こうなったのかは……」
拓は言い出し辛そうに、口ごもる。
何が、どうなって……
未だ事態の整理がつかない修に、拓はそれでも言葉を続ける。
「修。古河はまだ見つかっていない。おまえがしっかりしなくてどうする」
拓は修の肩を揺する。
「まだ、終わってねえんだよ。やるべきことがあんだろう?」
修は押し黙ったまま、拓が肩を揺するのに任せていた。
「六道は一緒じゃないのか」
「……ああ、今のところは駅近くのネットカフェで待機してもらってる」
「『根城』じゃないのか」
「普段使ってるのとは違う場所だ。……念の為にな」
「ちゃんと、合流は出来ているんだな」
「ああ、それは大丈夫だ」
「そうか。良かった」
「――それで、問題は古河のことだ。携帯を拾ったこと以外、手がかりはナシだ」
拓は視線を伏せる。
「そうか……こっちは、俺がアパートに帰ったときにヤツに会った。あの、賭け試合の時に拓とコンタクトをとってきた、相良ってヤツ」
「相良? 一体、何しに来やがったんだ……」
「狙いが読めないが、拓が以前言ったことを思い出したよ」
「オレが?」
自分の顎を指さしながら、拓は不思議そうに修を見つめる。
「相良が『学園』に知らせるつもりはない、と言ってたことだ」
「ああ、あれか。どこまで本気なのか分からないが、な」
拓は険しい表情で修に答えた。
「多分、本当に知らせるつもりはないんだと思う。そもそも、既に『学園』の人間はここに来ているわけだからな」
修は、相良がしたこと、話した内容を思い出しながら続ける。
「俺と話をする前に、『能力』を使って会話を知られないようにしていたんだ」
「ヤツの『能力』か……見当がつかないが、そんなことまで可能なのか、あのヤロウは」
「あれが本当にそういった能力だったのかは分からないが、こちらから引き出せることを聞くよりも、ヤツ自身の考えていることを自発的に話していた。しかも、こちらが把握していなかったであろう『学園』内部のことまでな」
「何をしゃべったんだ? そのときは」
「スポンサーのことについて、とか。その目的のことをな」
「老人たち、か」
「知ってるのか?」
「――ああ。学園が『ある目的』のために動いているってことだろ。『能力者』はそのための布石だってことも」
修は、拓の言葉に一つ引っかかるところがあった。
「『ある目的』って何のことだ?」
「学園による『楽園』の創出だ。相良は言ってなかったのか」
「いや、そんな風なことは言っていた。言葉は違うが、ご老人方は安寧を求めているって」
「実際には、その『ご老人方』の存在はオレたちの知るところじゃないし、それこそ寝耳に水の話だがな」
「……全くだ」
「早いところ、六道とも合流しよう」
「そうだな。いつ襲撃されるか分からない状況が続く今はそれが最善だと思う」
「もう、余り時間は無い。古河とも合流できたら、早々にこの町を出る――良いな?」
拓の言葉を受けて、修は一瞬考える。
「この町には、もう居られないんだな」
「――ああ。モタついていると今度こそやられる」
拓は、背後にあるこの部屋の入り口を親指で指し示す。
「行こう」
修は黙って頷いた。
外に出てから分かったのだが、ここは町外れの廃墟だった。
元々、町を歩いていたはずだが――
ずいぶん離れたところまで運ばれたものだ。
「修、少し待て」
「何だ?」
「オレにつかまれ。町に続く道まで一気に抜ける。どこから狙われている分からないからな……」
「了解だ」
『学園』の追っ手を退けているとは言え、未だその追撃が完全に断ち切られたわけではない。
「行くぜ」
修はスケートボードに足を掛け、拓の肩に手を回す。
助走は無い。
拓の乗るスケートボードは、瞬く間にトップスピードへ届く。
まるでジェットコースターだった。
スピードの奔流に飲まれながら、修は見た。
拓と修が発進した箇所、直後にそこへ『何か』が打ち込まれるのを。
何が打ち込まれたのかは確認出来なかった。
だが、『何』が打ち込まれ、『誰』がやったのか、想像はつく。
狙いを外しても放っておけば自然に還る。
舐めれば甘い。
このご時世、鉛玉と違って何てエコロジー。
「……やっぱ狙ってきやがったか」
「拓の予想通りだったって訳だ」
「執念深そうなヤツだったからな。人の往来が多い場所まで気が抜けない」
「まあ、な――とッ!」
修は指を鳴らした。
拓を狙ったとおぼしきそれを吹き飛ばす。
断続的に飛来する『角砂糖』をかわし、拓と修は危険領域を抜ける。
ある程度人通りのあるところに向かえば、襲撃の危険性は減ると考えたからだ。
修と拓は大通りを抜け、佳代の待機しているネットカフェへ向かう。
「修、見えるか? あそこだ」
救急車の音がうるさかったため、拓は修に耳打ちをした。
拓が指す方、ある程度距離の離れた場所にそのネットカフェは存在した。
「先に行ってくれ。一人ずつ入ろう」
「念の為、か」
「ああ、一応な」
遠くから見た時には分からなかったが、ネットカフェの入り口とおぼしき場所には黒山の人だかりが出来ていた。
修は唖然とした。
ネットカフェから怪我人が担架で運び出されていくのが見える。
「何だよ、これは」
「おい……」
拓も開いた口が塞がらない。
「おい、おいおいおいおいィ!」
人が居れば大丈夫……と考えていたが、そうではなかったようだ。
「待ち合わせはしない方が良い、かもな」
「……畜生が」
歯噛みする拓を横目に、修は辺りの様子を観察する。
「下手に近寄れないな、もう」
「ああ。とりあえず、オレはあのネットカフェの中にまだ六道が残されていないか確認してから動く」
「入れるのか? この人ごみと警戒体制の中で」
「それは何とかする」
拓の表情からは、失敗の気配は微塵も感じられなかった。
「分かった。俺はとにかく弧羽を見つける」
「ヘマするなよ。あいつら、相当『やる』からな」
「気をつける。可能な限り」
拓は修の言葉に頷くと、釘を刺すように口を開いた。
「問題無い限り、この駅で落ち合おう。もし何かあれば――連絡をする」
「持つべきものは携帯電話、か。了解だ」
「まずここを出る。『中央』に行ってから、それから……後のことはその時に話し合おう」
「今は、ここを出ること。……だな?」
ふと、あの時のことを思い出した。
また『ここを出る』という状況。
ただ、あの時とは違う。
親しんだ場所から追い立てられるように、そうしなければならなくなっている。
『学園』を出る時、ずっと、考えていたことだった。
しかし、今とは状況が違う。
修の脳裏におやっさんとおかみさんの笑顔がよぎる。
「弧羽の携帯は拓が持っててくれ。連絡に使えるだろうから」
「おう、そうするぜ。多分、『ここ』での待ち合わせはこれで最後になるだろうな」
拓は何事か考えていたようだったが、口には出さなかった。
「オレは六道を探す」
「こっちは引き続き、弧羽を探す」
「じゃ、また後でな」
拓がスケートボードに足を掛け、加速するのを横目に、修は踵を返す。
方向転換して歩き出す矢先、視線を感じた。
こちらを凝視する人間が居る。
居心地の悪さを覚えながら、修はその元を辿る。
距離にして十メートルも離れていないだろう。
折りたたみ式の携帯電話を閉じながら、無表情な瞳が修を捉えていた。
白銀にも似た、毛髪の色。
現実的でない色なのに、整ったその表情との組み合わせに違和感は無かった。
黒を基調にしたシルエット。
自らに降りかかった出来事のおかげで嫌になるほど焼きついた漆黒の制服。
――紛うことなく『学園生』だった。
つづく




