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42  作者: 結月(綱月 弥)


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渇望編 - 21 煉獄散華の少年少女

 修はとっさに、扉の直線上から飛び退く。

 一秒前に修の居たその場所には、傷跡がはっきりと刻まれていた。

 少し前に購入していたにも関わらず、下ろしていないスニーカーを掴むと修はアパートの窓から身を踊らせる。


 このアパートはそれほど高いわけではなく、二階程度の高さなら飛び降りても問題無かった。

 それよりも。この昼間から襲撃――

 修は改めて『学園』の連中を見くびっていたことを思い知る。

 人目につくであろうこの時間帯でもお構いなしであるということ。

 それはいかに『学園』が本気で今回のことに取り組んでいるかを表すものだった。

 もし能力が外に知れたところで、「人ならざる力でこうこう、こういうことが起きました」なんて誰も信じやしない。


『学園』の中でもトップクラスと言われた攻撃力を持つ修に対して割り当てられた能力者との対峙。

 先の事象を見るにつけ、やはりそれは間違いなかった。

 ――敵は修に劣らぬ強力な能力を有している。

 修の足は、拓の『根城』に向かい掛けたが、途中ではたと行き止まる。

 駄目だ。

 一緒に『学園』を出た人間の居場所を晒してしまうことになる。

 拓は佳代に連絡するとも言っていた。

 既に合流している可能性もある。

 修は『根城』の様子をうかがえる場所へ向かうことにした。


 ごった返す人混みに……とも考えたが、流石にそれは危険だと思い、修はその可能性を諦めていた。

 弧羽の居場所が見つかる前に、この状況は好ましくなかった。

 居場所は分からず、その見当もつかない。

 八方塞がりだった。

 拓は携帯電話なども所持していない。

 直接会うしか、連絡を取る方法はない。

 建物の陰に隠れながら、修は考える。

「能力者」が部屋へ訪れた後、攻撃は受けていない。


 だが、一つ引っかかることがある。

 信用に足るかどうか分からない――

 と言った。

 相良という男。

 ヤツが何を考えているか、それは分からない。

 ただ、それが良からぬことなのであろう、ということだけが想像できる。


 また、追い詰められたのか。

 形の見えない恐怖。その感情。

 あのときから、『壁』を壊したときから――

 そんなものは、そんなことは無かった。

 答えを他人に求めることを、相良は甘えだと言った。

 それが妙に心に突き刺さる。


 だが、今、それは問題じゃない。

 どうやって拓とコンタクトをとるか。

 そして、弧羽の行方を突き止めるか。

 考えろ、考えるんだ。

 周囲に気配を探るが、卓越した技術を持っているわけではない。

 雰囲気――ほとんどカンで、自らに向けられた敵意が無いか気を配る。

 駅前、高架下には一種不思議な空気が流れている。

 それは、何か場所を区切る結界めいた雰囲気のせいだろう。


『根城』の目と鼻の先――そいつは、そこに居た。

 敵意を剥き出しにして。

 こちらへ意識を向けろ、と言わんばかりに修を睨みつけている。

 すい、とそいつは指を振った。

 修との距離を隔てる網が、バターをナイフで裂くように滑らかに切断される。


「見つけたぞ」


 こちらへ歩みを進める少年。

 黒を基調にした、黒白のコントラストが妙な存在感を放っていた。

 少年は、つい、と指先を真一文字に走らせる。


 何かただならぬものを感じた修は、とっさにしゃがみ込んだ。

 後ろの方で、何事かごとりと落ちる音が聞こえた。

『ものを切る』能力者――

 追ってきた、学園の刺客。

 アパートの部屋で扉を切り裂いたのもこの少年だろう。


「久しいな。狩野、修」

「……誰だ? おまえ」

「忘れたのか。――おれの顔を」


 切れ長の目、肩に届かない程度の髪、そして。

 明確な敵意。

 瞳に宿る、否定の意志。

 それは最早、殺意と呼んでも差し支えのないものだった。


「いや、見たことが……ある、か」


 修は『学園』に居た頃のことを思い返していた。

 言われてみれば、こんな少年が居たような気がする。

 すぐに気づくことが出来なかったのには、理由がある。

 記憶の中にあるその少年の風貌は大人しく、とても目の前に居る人間と同一人物とは思えなかったからだ。


「どうして『学園』を出た」

「目的があるからだ」

「その目的のためならば、何を犠牲にしてもいい、と。そう思っているのか?」

「お前に答える必要があるのか? 名前すら知らない、得体の知れないヤツに」


 修は努めて穏やかに対応するように心掛ける。

 ぶっきらぼうな態度も、これが最大の譲歩だった。


「希、だ。都嵩、希」

「『学園』は変わった。お前のおかげだ、狩野修」


 希が何を言わんとしているのか、修には分からなかった。


「以前よりも厳しくなったカリキュラム。元々イレギュラーな時間であった自由行動時間の廃止」

「学園生間の交流の禁止」

「これらは全て、狩野修。お前が起こしたあの脱走のおかげで追加された状況だ」

「お前が企てた脱走のおかげで、学園生は完全にまともな生活を失った」


 修は、自らが強烈な憎悪の対象になっていることは薄々感じていた。

 ……いや。

 だが、希のそれは、余りに情念が籠もり過ぎている。

 何か別の理由があるように思える。


「学園へ戻れ……狩野、修。要求を拒否するなら――」


 些かの感情も籠もっていない、虚ろな呼び掛け。

 希は修の瞳を見据えながら続ける。


「連れ戻すのが不可能と判断された場合は――消せ、と言われている」


 あの指先の直線上に居ると危険なことは、先ほどのアパートで分かっていた。

 指先を振ると、まるで地面に散らされて緩んだ糸がぴんと張り詰めるようにして――

 指先が捉えた物が分断されていく。


「……こんなところでやるつもりか」

「場所を選んでくれるとでも思っていたのか? 学園を出る時に、そんなことを?」


 修は返す言葉が無かった。

 何かが起こる時はいつだって突然だ。

 予測され得る事態にばかり遭遇するなんて偶然は当てにするべきではない。

 高架下で対峙する二人。

 往来で始めるよりも周囲に与える被害は少ないだろう。

 希の攻撃はともかく、修の攻撃はそれでも目立ち過ぎる。

 修が逡巡する間にも、希は軽やかに指を振る。

 とにかく動き回って攻撃をかわすしかない。


「ちぃ……ッ」


 この明るい間に襲撃をかけてきたようなヤツだ。

 下手に人通りの多い往来に飛び込むなんてことも危険かもしれない。


「逃げ回ってばかり……! 貴様はその程度なのか?」


 希が煽りを掛けてくるが、そんなことは意に介するようなものじゃない。

『目立つこと』は出来ない。

 だが――

 希の『見えない斬撃』をかわし、修は指を鳴らす。


「くっ」


 目の前で上がる土煙に希が仰け反る。

 ――それでも、『目立たない程度の反撃』なら、出来る。


「弧羽をどこにやった?!」

「それを答えると思うか?」

「――なら、口を割らせるまでだッ!」


 修は『圧壊』を使わず、敢えて希の懐に飛び込んでいく。

 見る限り、遠距離戦が得意な方に当たるように思えたからだ。

 ――それに。

 希に指先を振らせることなく戦った方が安全だろう。

 修は希の『能力』に怯むことなく接近戦に持ち込んだ。

 近づいた分だけ危険も増すが、これならば下手な騒ぎを起こさずにタイマンを続行出来る。

 しかし――


 修を射殺すような眼光、蓄積された憎悪。

 そこまでの感情をぶつけられたことは、記憶にない。

 それが希にとって余程の経験であったか、もしくは絶対に許せない過去であったか。

 希と接点を感じない修には予想がつかない。

 距離を再び離してくるのかと思いきや、接近した修を前に希は堂々と立ちはだかる。


「ははッ、いいだろう。貴様の望む方法で相手になってやるよ……!」


 あっさりと能力戦を放棄する希を前に、修の脳裏にある記憶が過ぎる。

『学園』を出る際、最後に立ちはだかった男。

 指導員最強と目される交野のことを。

 戦闘狂――交野が言っていた、『学園の中でしか生きられない』能力者というのは、こういうものかもしれない。

 踏み込む修、軸をずらしてカウンターを狙う希。

 修の拳は、希の着崩した制服の襟にかするばかりだった。


「くッ――!」


 動きが読まれている。


『学園』の能力者と能力抜きでの対決なんていうものは経験していなかったが、やはり簡単にはいかない。

「終わりか? 今度はこちらの番だな」


 軽やかに体重移動を開始する希。

 ただのステップが瞬間移動にすら見える。


「ぐっ、おおぉッ!」


 顔面に思い切りの力が加わる。

 加わった力の分だけ仰け反りながら、修は上半身の体勢を立て直す。

 軽い左ストレート、希は僅かに軌道から首を傾けると、カウンターで右ストレートを振ってくる。

 クロスカウンターの要領で迫る拳を、修は避けにかかる。


「――ぐぅッ」


 目測よりも速度が伸び、修の頬に新しい青アザを予約する。

 希は更に踏み込み、修のスニーカー、爪先を踏んだ。

 次の瞬間、修の頬に再び希の拳が迫る。


「くッ!」


 間一髪にそれを避けた修は、不適な笑みを浮かべる希に気づいた。

 そして痛みが認識に追い付く。


「……!」


 頬にはアザに続いて軽い切り傷が出来ていた。

 拳を引いた時に、やったのだろうか。


「もしや、接近戦ならば『能力』が満足に使えないと思っているのではあるまいな」


 図星を突かれた修は、一瞬言葉を詰まらせる。

 が、努めて冷静に言葉を返す。


「――俺は目立つ闘いをしたくなかっただけだ」

「ほう」


 当てが外れたことについては気にした様子もなく。

 希は淡々と考えを述べる。


「なら本気を出してみろ、修。オレが倒したいのは全力の貴様だ」

「『能力』を衆目に晒すつもりか?」


 修の問いかけも、まるで意味をなさない。


「何もせずに死ぬか、力を使うか。好きな方を選べ」


 どうやら、周りの状況を気にかけるつもりは無いらしい。


「――だが、無抵抗のまま死なれても面白くない」


 修の鼻先を指さし、希は言葉を続ける。


「本気を出して、それでもおれに届かなかったということを――思い知れ」


 希の指先は、全くの至近距離で死をなぞる。




 つづく

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