渇望編 - 19
ざわつく観衆は、近くに居た警備の人間に詰め寄る。
その直後、映像は復旧する。
最後に立っていたのは、拓だった。
その背後には、倒れ伏した制服の姿があった。
監視カメラを見上げる拓は、右腕を掲げ、親指を立てて自らの胸を指した。
「オレの勝ちだ」という、拓なりのジェスチャーなのだろう。
すぐさま、主催側の人間は各フロアへ参加者の確認を行うべく行動を開始した。
結果、四階フロアに居た四人の他は全て屋上から四階までの間にあるフロアでダウンしているところを発見された。
修は釈然としない感覚に囚われていた。
拓と相対するまで、そのほかの相手に対しては圧倒的とも言える実力の差を見せつけておきながら――
最後の最後でこの呆気ない幕切れ。
不自然にも程がある。
結局、修は八倍程に増えた所持金を手にしていたのだが。
「なっ? 結構稼げたろ」
ばんばん、と肩を叩いてくる拓を横目に、修はやはり判然としない思いに苛まれていた。
「なあ、拓」
「どうした? そんな真面目くさった顔しやがって」
「ここには、能――」
そこで拓が言葉を遮るように口を開いた。
「もう少し離れてからだ、修」
トーンを下げて拓が答える。
「普通じゃない場所には、普通じゃない奴が集まるもんだ。悪いな、修の聞きたいことはもう少し後にしてくれ」
いつになく真剣な表情の拓を見て、修は黙って歩を進めた。
デパートの通用口から外へ送り出される順番待ちをしている間、並んでいる人影の中に見知った顔が居たような気がした。
気だるそうに首を回して、軽く自分の肩を揉む動作が特徴的だった。
それは、修にとって予想だにしないとても身近な人物だった
声を掛けようとしたが、順番が離れていたため、それは叶わなかった。
デパートを離れ、修は待ちかねたように拓へ声を掛ける。
「もう良いか?」
「オッケ」
拓は軽く親指を立てる。
「あの試合……というか、奴は一体何なんだ」
「奴?」
修の言葉を受けて、一瞬分からないような表情を見せる。
誰のことか言っていないため、誰のことか分からなかったようだった。
「最後に拓と戦った、制服を着た場違いな奴だ」
「ああ、あいつか」
前髪をいじりながら、拓は答える。
「修、オレたちは学園を出るとき、いくつかの未来を想像していたろ」
「ああ。何もかもが簡単に上手くいく、とは思っていなかった」
「そうだ。まだ見ぬ未来に、良い可能性と悪い可能性を思い描いていた」
修の方へ視線を移さず、拓は続ける。
「今――想像の中にしか無かった悪い未来が実現しようとしている」
「……まさか」
「今日、試合に出ていたあいつは『学園』の奴だ」
「ここを知られたということは……もう逃げ場は無いってことか」
「どこまで信じていいものか、疑わしくはあるが……奴はこのことを『学園』に知らせるつもりは無いらしい」
「……信じられないな。俺は、もう誰かがここに、奴の他にも既に居るんじゃないかと思う」
顎に手を当てて、拓は答える。
「オレたちを消しにかかってくるか、はたまた檻に連れ戻そうってだけなのか」
そこで言葉を一旦切り、拓は夜空を見上げる。
「一つはっきりしているのは、もうここには長く居られないってことか」
「……」
「荷物はまとめておいたほうが良いぜ。古河にも伝えておいてくれ。六道にはオレから言っておく」
拓の言葉を黙って聞いていた修が、口を開いた。
「なあ、少し考えさせてくれないか」
「余り残り時間は無さそうだけどな。……でも、おまえ好きだったもんな、ここの暮らし」
「……悪い」
「いや、逆の立場ならオレも時間が欲しいからな。考えがまとまったら『根城』の方に来てくれ」
「ああ、了解だ」
「おう、じゃな」
拓は背を向けて小さく手を振った。
家路を歩きながら、修はこの町へ来てからの日々を思った。
着の身着のままで学園を脱走し、仲間と辿り着いたこの場所。
見知らぬ人間である自分たちを、快く受け入れてくれた「さんみ」のおやっさん。
迷惑を掛けるだけ掛けて、何も報いることが出来ないのか。
錯綜する思いを抱えて、修はアパートへ戻る。
部屋の灯りは点いている。
が、肝心の弧羽が居ない。
修は少しずつ、冷たい不安が広がっていくのを感じた。
居ない。どうして。
部屋の中に隠れられそうな場所など無い。
身を隠せそうな場所も、無理に探したが見つからない。
修の脳裏に、最悪の結末が過ぎる。
途切れることの無い、焦燥感。
いくつもの不安が浮かび上がっては心を占めていく。
ああ――久しく忘れていた。
本当に、自分が『怖い』と感じていた気持ちのことを。
ここに来てからの時間で、それでもこの町について多くのことを知らない自分に気付く。
そして、それと同時に弧羽のことについても、全然知らないことに。
どこに行ったのか。
まだアパートの中しか確認出来ていない。
修は灯りを消し、部屋を出る。
随分遅い時間帯ではあったが、それでも町から灯りが消えることはない。
修はひとまず、アーケードへと向かうことにした。
既に深夜と言っても良い時間だったが、未だアーケードには灯りがあった。
佳代と一緒にアルバイトをしている雑貨屋へと向かう。
人も通らなくなったアーケードを走る。
木のプレートにポップな字体で書かれた店の名前。
『HOOK UP』の看板を見ながら、修はあの頃のことを思う。
『学園』を出て、この町に着いた。
知らない人、知らない物ばかりではあったが――
それを差し引いても。
弧羽が、見るもの、触れること全てについて無邪気に喜んでいたこと。
興味津々、といった様子で『知らないこと』に接していた。
最初に弧羽に会った時――
『学園』を出る時には随分大人びて見えたのだが、この町へ来てから彼女に対する印象が変わったことを覚えている。
修は一旦、『根城』へ向かう。
ネットカフェの中に拓を探すと、以前とは違う席に陣取っていた。
拓を見つけて近づいていくと、近づく途中でこちらに気付いたようだった。
「どうだった……って、一緒に居ないって事は見つかってない、か」
「心当たりのある場所は全部回った。でも、見つからなかったんだ。――どこに居るのか、見当もつかない」
「そうか……。六道にはメールで連絡しておいた。まあ、直接伝えるべきことなのかもしれないけどな」
「ただ、この時間になって押し掛けるわけにもいかなかったしな。それに――」
苦々しい表情で、拓は言葉を続ける。
「出ていったってことを気付かれたくない。もし捜索願いを出されるにしても、出来るだけ時間を稼ぎたいからな」
「それは……」
「勝手なのは分かってる。でも、ここに残ることで、世話になってる人たちの迷惑になるのなら、そうするべきだ」
「拓」
「何だ?」
「俺たちは、誰とも関わるべきじゃなかったのか? 『学園』に居るべきだったのか?」
かつて、学園の指導員である交野に言われた言葉。
『ここでしか生きられない』
『学園』に居る人間の生きる場所は、『学園』にしかない。
「それを覆すために、オレたちは出てきたんだろ」
「…………」
「結果として、このザマだが……でもな。もう、起こってしまったことだ。今から出来ることを考えろ。誰かに被害を与えてしまう前に、何が出来るか」
「そうだな。分かった」
「一刻も早く古河と合流しないと、だ。もう出てこないか? 心当たりってのは」
「とりあえずアーケード、『HOOK UP』の辺りは確認したんだけど」
「まあ、妥当なとこだろうな。だけど、あれだ。何か他にないのか? 二人の思い出の場所とかってのぁ、さ」
「……何だよ、それ」
「言葉の意味、そのままだ」
「思い出の場所か……」
修は考える。
だが、心当たりが無い。
「無いのか?」
答えに詰まる修を見て、拓は続ける。
「じゃあ、オレも探すぜ。なぁに、まだ動きがある訳じゃない。状況は良くないが――とにかく」
拓は前髪をいじりながら、修の肩を叩く。
「修、明日も仕事、あるんだろ? おまえは帰って寝てろ。ちゃんと顔出しておかないと、不自然だ」
「でも……」
「任せろって。明日、仕事が終わったらここに来てくれ。それまでにオレは古河を探しとく」
拓は自信ありげに自分の胸を叩いたが、それでも、修の心の中に生まれた不安が治まることはなかった。
つづく




