渇望編 - 12
聞いたことの無い、叫び。
聞き覚えのある、声。
霧を引き裂くように現れたのは――
燈先 拓だった。
「ひゃッはあああぁぁぁッ! どけよオッサンッ!!」
「――なッ?! こいつ……」
「拓ッ!!」
しがみつく少女を脇に抱え、拓は空を飛んでいた。
どこから調達してきたのか、板状になったコンクリート片をスケートボードに見立てるように。
まだ何かしようとする交野に対して、とどめをさすように拓はアタックをかける。
交野はそれを避けようともせず、至近距離に迫った拓の足下を狙う。
僅かに剥がれるコンクリート片。
だが、それでも拓に警戒心を抱かせる程度の効果はあった。
「――ちぃッ」
拓はコンクリート片の端を交野に掠らせただけで諦める。
角度がズレていたら、何を『剥がされるか』分かったものではない。
交野の居る場所を過ぎ、猛スピードでこちらへ迫る拓。
修と弧羽がこじ開けた背後の穴を中心に、もろもろと崩れ落ちる『壁』。
拓は眼前を見る。
いつかそうなる、と考えていたように、きらきらと崩れ落ちていく壁を。
『俺たち』を縛り付けていたものが、全て。
修は眼前を見る。
立ち向かうべき、乗り越えるべき自らの壁を。
「ぅうううおおおぉぉぉっ!!」
修は咆哮を上げ、最後の力を振り絞る。
拓の手を強く握りながら、交野の居る場所へ――修は『圧壊』を放つ。
霧に途切れる景色の向こう、遙か遠くで土煙の上がるのを見た。
「手ぇ伸ばせッ! 修ッ!!」
修は弧羽を抱き締めて、言われた通りに手を伸ばす。
「よっし……ッ、ちゃん、と手ぇ握ってろよ――!」
みしり、と二人分の重みに顔を歪める拓。
だが、その表情に悲愴感は微塵も見られない。
「――それじゃあ、行くぜ」
生きていくために。
後悔しないために。
『壁』が消えた学園の外周を抜け、立ち込める霧の向こうへ。
この先、待ち受けているものが希望なのか、それとも――
いや、そんなことはいい。
そんなことは、問題じゃあ、ないんだ。
変われる明日を願い、その為にここまで来た。
「なあ、拓」
「んっ? 何だよ」
「他の奴は……どうなった」
視線を逸らし、拓は小さく首を傾げた。
「……分からない」
「そうか。また合流出来て、無事で良かった」
「ああ、オレもそう思う」
霧深いこの森の中――『壁』の外には、学園と外の世界を隔てる鬱蒼とした緑がある。
「そろそろ降りるぞ。足元に気をつけてくれ」
そこまで辿り着くと、拓は徐々に速度を落として地面に着陸する。
「ワリーな。乗り心地は余り良くなかっただろうけど」
「いや、体力的にキツかったからな。助かった」
「感慨深いぜ、何か。本当にこの日が来るなんてな」
「俺も、何だか実感が湧かない。でも――」
修はそこで言葉を切る。
「あいつは、俺たちが人間らしく生きていくことは出来ないって言った」
「ほっとけ、あのヤロウの言ったことなんか。奴はただイカれてるだけだ」
「……ああ、それは分かってる。だが、『能力者』としての一意見として、少し気にかかったんだ」
「人間が、人間らしく生きる――か。政治家かっつぅんだよ」
「学園の『壁』は破った。でも、まだ乗り越えるべきものはある」
「ふむ。ま、当面はここを抜けるってことだろうな……って、ああ」
「どうした?」
「スマン、紹介しそびれたな」
拓はふと、思い出したように膝を打つ。
「オレが連れてきた娘、まだ紹介してなかったよな。この子は……あ、自分で言う? 名前」
「あ、あの……私、佳代って言います。六道佳代」
「狩野修、です。よろしく」
修はつられるように少し改まった物言いになった。
「私、弧羽。古河弧羽。よろしくね」
「さっ……て。これからどうする? もう決めてたっけか」
拓は修を見据える。
「ひとまずは、この森を抜けないことにはな」
「確かに。そっから先は――あれかな、人の居るところに、ってとこか」
「ああ」
「は~ぁ。スカッと『学園』を出ても、存外地味な道程になりそうだな」
拓の言葉を聞いて、修はふと考え込んだ。
「何となく、思うんだ」
「お、何だ?」
「『学園』を出たって本当に言えるのは、さ。人間らしく――俺たちらしい生き方が出来るようになった時なんじゃないかってな」
「言うねぇ、修。何か哲学的じゃねーか。それに……」
拓は空を見上げながら言った。
「『それ』は、本当に難しいことだな」
「簡単にはいかないだろうな。下手をすると、『学園』を出ることよりもよっぽど難しいことかもしれない」
「まだまだ、先は長いってことか」
拓の言葉を受けて、修は答える。
「ああ――終わっていない。まだ、続いているんだ」
『自由思想への希望的観測』、了
次回、『浸食輪廻の果て』へ
つづく




