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42  作者: 結月(綱月 弥)


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渇望編 - 4

廊下の端へ、残り数メートルと近づいた時、『そいつ』は目の前に現れた。

律儀に頭の中央でぴっちりと分けられた髪型は、その指導員の性格を匂わせるものがあった。

修は自然と身構えていた。

プレッシャーは感じない。

……それなのに。


こちらの動きを封じてしまうだけの、表層では感じ得ない『何か』がある。

今になって、ここへ来るまでに受けた体の痛みが主張を始める。

――それなのに。


鳴らすと、殺される。そんな想像が唐突に脳裏を過ぎる。

目の前に居る指導員が、ゆらりと動いた。

修は厭な想像を振り切り、指を鳴らす。

自らの勘でカバーしているとはいえ、元来動く標的に対しては不利な能力。

それでも修は、自らの能力、『圧壊』の特性に対して一定の運用を実現していた。

標的の動きを先読みして当てる、音を出せる状況、箇所を利用して当てる。

最初の攻撃を囮にして当てる。


「こいつ……ッ」


――だが、今目前に立ちはだかる相手は。

修のそれらの立ち回りを、まるで苦にする様子もなく往なす。

そんな小細工で倒せる相手ではなかった。

目の前、校舎の『壁』を目前にして数メートルの間。

まるでこの廊下を、無造作に巨大な鉄球が跳ね回ったかのような光景。

そしてそこに涼しい顔で立ちはだかる指導員が居た。

『全く』ダメージを与えることが出来ていない。


「ち……っ!」


焦れる修に、声を掛ける人物が居た。


「あ、あの……ルート、変えた方が良いかもしれません」


薄々勘付いてはいたことを耳元で囁かれ、修は驚いた。

少女はぼんやりとした様子で続ける。


「こちらから……行きましょう」


少女は右手を指し示した。

正直、目の前の強敵相手に時間を取られるのは得策ではないし、能力も未だ分からない。

分かるのはただ、『強い』ことだけ。


「そうさせてもらうよ」


修は指導員の動きから目を離さず、ぴんと伸ばした右手の指を鳴らした。

乾いた音が響き渡るのとほぼ同時に、爆発音が辺りを揺らす。

建物の強度をものともしない『圧壊』が、右手から外へ向かう一本道を作り出した。


「先に行って……いや、外には今、誰か居るのか……?」


独り言のように修は思ったことを口にしていたが、提案を出した少女に尋ねるような形となった。


「……多分……、外に出て、いきなり襲われる、ということは無いと、思います……」


どこか虚ろな声。

見ると、少女はうっすらと瞳を開き、辛うじて直立しているものの、無防備に脱力しているようだった。


「馨っ! 移動するよ!!」


虚ろに瞳を開いた少女の肩を揺らすのは、一緒に行動していた三人組の少女の一人。

そうか。

三階から二階に飛び降りる際に手を繋いでいたグループの一人か。


「早くこっちへ」


修は弧羽を除いた学園生を校舎の外へ通じる穴へと誘導する。

背後の弧羽の向こうには金属球の能力者、修の目の前には効果不詳の能力者。


「……チっ、もうやられたんかよ。野江のヤツ、ちゃんと働けっつうの」


廊下に倒れている、歯に矯正の入った指導員を蹴りつけると金属球の能力者は走り込んでくる。


墨染すみぞめサンっ、そっちお願いしますよっと!!」


修の背後、弧羽が守備に入っている方から指導員の声と同時に、四方八方に金属球をばら撒く音が聴こえる。


「馨っ!」


「……あ、あ、リィちゃん……ごめん」


三人組の少女のうちの一人が、逃げ道の提案をした少女に呼びかける。

緊急時でないならいざ知らず、急場に対応するには厳しい能力のようだ。

外へ通じる穴の前、修は未だ呆けている学園生に声を掛ける。


「それ、『能力』か?」


「……はい。一応」


「そうか。じゃあ、その『能力』を信用する。悪いが先に……」


言い掛けた修は、自らの身体が重力から解放されたかのような感覚を覚える。

身体は「く」の字に折れ曲がり、修は背中側へ猛スピードで引っ張られるように吹き飛んだ。

『能力』ではない。

それは、指導員が修の懐に入って行った重く、迅い『ただ一発』の打撃だった。


「――か、は」


一瞬で吹き飛ばされた修は、引き倒されて天井を仰ぐ姿勢になっていた。

焦点が合って初めて、身体の中で何かが炸裂したかのような、烈しい痛みに気付く。

呼吸が出来ない。

じわじわと頭に血が上っていくような感覚。

満足に酸素の供給が行われず、ひゅう、と隙間風の漏れるような声しか出ない。


だが、それでも修はこちらを心配そうに見守る学園生たちに「行け」とジェスチャーを送る。

しっかりした顔立ちの女の子は頷くと、一人まごついている学園生の手を引いて視界から消える。

少しずつ、酸素の供給が行われ始める。


修が慌てて身体を起こそうとした瞬間、襟元を掴まれて身体ごと持ち上げられ、直後に思い切り頬に拳がめり込んだ。

意識が飛びそうになるのをこらえ、修は指を鳴らそうとする。

一度、二度、三度と。

その度、指導員の拳は容赦無く修の顔にめり込んだ。

体格はそれほどでもない癖に、異様に重い攻撃だった。


「しっかしまあ、随分と大胆なことをしたもんだ」


手の平で金属球を遊ばせながら、指導員は修に近づいてくる。


「一応詳細の報告は要るんだろうけど、こいつ、ほっとくとヤバいぜ?」


「――ええ、でもこの少年では私には勝てません。だから私が出て来ざるを得なかったのでしょう?」


「まあ……能力の相性からすると、オレ一人でも問題無さそうだったけど。攻撃を防いだのは嬢ちゃんの方だし」


「そうですね。煽られたほかの人はともかく、見せしめは必要ですね。この少年はここで殺しておきましょう」


修を持ち上げたまま、指導員は弓を引き絞るように身体の後ろまで拳を移動させ、握り締める。

今正に修の意識、存在を殺さんと指導員が渾身のストレートを放つ。

直後、表情の無いセンター分けの指導員は、自らの拳と修の間に顕れた『壁』を視る。


「お嬢さん。私にはこれが邪魔になる、ということは有り得ません。無駄なことはお止しなさい」


修の目の前にまで到達した拳は、弧羽の『壁』を突き抜けている。

弧羽はその光景を見て歯噛みする。

この指導員が丁寧な口調で告げたことは正しい。

事実、弧羽の能力は――いや、恐らくは他の誰の能力すら、正面きって戦ってもこの指導員には通用しない。

こいつの能力、それは――


修は再び指を鳴らす。

地面に浅く、蜘蛛の巣状に『圧壊』の爪痕が刻まれる。

指導員の足元には効果があるのに、この指導員には全く効果が無い。

修は、やっとこの指導員の『能力』の本質に思い至った。

他の能力者との大きな違い。

他の能力者が持つ『能力』の悉くを脅威としない、その『能力』の特性。

相手の能力を無効化する、「能力キャンセラー」とでも呼ぶべき、そんな『能力』。

反則めいたその能力はここに在籍する『能力者』にとって、間違い無く天敵となりえるものだろう。


「その壁では人を傷つけることは出来ませんからね。それもお嬢さんの『能力』らしい、と言えばそうなのですが」


指導員は弧羽の作った『紡壁』を見ながら、言葉を続ける。


「しかし、余計なことをされるのも良くありませんね」


センター分けの指導員は、金属球をじゃらじゃらと手慰みにしている指導員へと告げる。


「少しの間、お嬢さんの様子を見ていてもらえますか」


「あいあい」


襟首ごと修の身体を持ち上げたまま、指導員は語り掛ける。


「さっき言ってましたよね……ええと、やりたいことがあるんでしたっけ?」


聞こえていたのか?

だが、それほど大きな声で話した覚えはない。

『言葉を拾う』ような能力者でも居たか……?


「まあ、何と言うか、いかにもって感じですよね。その瞳を見れば分かるような気がします、自己意識の強さとか」


修は首を吊り上げられて混濁し始めた意識の中で、自らの言葉を反芻する。

――ここを出る理由。

他の誰かにとっては取るに足らない、そんな下らない理由かもしれない。

でも、それは……


「見なさい、この状況を。君が引き起こした事態を。どうです? 分かりますか?」


何も分からぬ幼子に諭すような、穏やかな口調で。

修は力の入りきらない中、精一杯の力で指を鳴らした。

地面を削りはしたが、目の前の指導員には全く効果が無い。


「――ふむ。反省していないし、考えてもいないという意思表示だと、そう捉えさせていただきます」


センター分けの指導員は修の身体を吊り上げたまま、貫手の形に指を揃える。


黄檗おうばくくん、ちゃんとお嬢さんを見張っていてくださいね。『能力』は使われても構いませんが」


「あい、了解」


指導員は再び修を見据えると、小さく深呼吸をする。


「六番……狩野、修くん」


視界の端、弧羽が、金切り声を上げるのがスローモーションで見えた気がした。


「それでは、さようなら」




つづく

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