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キタイ  作者: chengdu
7/7

七、葛藤昇華

 次の日の朝、待ち合わせの駅にやって来た鏡太に融が尋ねる。

「あれから平気だったか?」

「何が?」

 鏡太がケロッとしていたので、融は「いや、だったら別に……」と後のセリフを濁した。

「遅れて、すみません!」

と、譲が息を切らして走ってくる。

「俺たちも来たばかりだよ」

 鏡太は譲に気遣った。

「昨日は追い返してしまって、本当に申し訳ありませんでした」

 電車に乗ってから、今日も謝る譲に、鏡太は両手を大きく振る。

「気にしないで。せっかくの家族団欒なんだし。俺たちも同じような感じだったよね?」

「犬も口にしねぇような料理を食べるのと、どこが同じなんだ?」

 同意を求める鏡太に対して、融は渋い面相で応酬した。

「まあ、それは……。楽しかったんだからいいじゃん。新崎君も楽しかった?」

 鏡太はニコニコと譲に聞く。

「ええ、はい……」

 歯切れの悪い譲の答えに、鏡太は「おや?」という顔をする。

「仲のいい家族だと思ってたんだけど……」

「いえ! ちゃんと仲はいいです」

 慌てて言い直した譲だったが、また、少し暗い表情になった。

「ただ、両親が再婚同士なので、ちょっと気を遣うところがあって……」

「そうなんだ……」

 鏡太は決まり悪そうにする。

「この時代、問題がない家族なんてないさ」

 珍しく、融が慰めるような意見を口に出した。鏡太は眼鏡に手をやり瞼を伏せる。

「言えてるね……。……お兄さんも一緒だったのかい?」

 何となく思い出して、鏡太は譲に問い掛けた。

「あ、はい。久しぶりに帰ってきて……」

「それは良かったね」

 頬に赤みが差した譲を見て、鏡太が安堵する。

「新崎君はお兄さんを尊敬しているんだ」

「いえ、そんな……」

 譲は視線を下げて、ぽつりぽつりと話す。

(けん)兄さんは……、出会った時から、ものすごく頭が良くて、考えもしっかりしてて、僕なんか全然敵わないんで……」

「『出会った時』というのは、もしかして……?」

「ええ。兄は父の連れ子、僕は母の連れ子で、血は繋がってないんです」

「そっか……。でも、家族がいるのはいいよね。俺は捨て子だけど、施設のみんなが家族みたいなもんだし」

「えっ!? 先輩が……?」

 一旦、驚いた譲が、すぐに腑に落ちないといった様子を見せる。

「……今、どうして、そんな事を……」

「根掘り葉掘り聞いてばかりだったらさ、火継君が怒るから。自分の事も言えっ!て」

「別に怒っちゃいねぇ。癪に障るだけだ」

 融が片眉をひそめて口を挟んだ。

「怒るのと癪に障るのと、どこが違うんだよ?」

「全然、違うだろ」

「そうかなぁ。俺には一緒に思えるけど。結局、どっちも気分を害してる意味じゃん」

 けらけら笑う鏡太に、融が怒鳴る。

「微妙なところが分からない奴だな、おまえは!」

「ほら、やっぱり怒ってる」

「これは、おまえが……!」

「だから、俺に対してムカついてるんだろ?」

「ムカついてる訳じゃねぇ!」

 言い合う二人を眺めた譲が、くすりと微笑を漏らす。しかし、その笑みは、どこか悲しげだった。

「先輩方、もうそろそろ、目的の駅に着くんじゃないですか?」

「あ、そうだね」

 口をへの字に曲げた融を放っておいて、さっさと鏡太は荷物を纏め始めた。

 田舎の駅に降り立った三人が、しばし道の端に佇む。都会にはない澄み切った青空が広がっていた。周りの建物も低いので、空が大きく見える。心地良い風が頬を撫でた。気温も暑過ぎず寒過ぎず、絶好のピクニック日和だ。

 これが普通の状態だったら、の話だが。

 融は、やり切れない気持ちになる。しかし、できるだけ、悲観しないでおこうと考えた。

「ここから家まで結構あるらしいが、タクシーに乗るか?」

と言う融に、鏡太は元気よく答える。

「歩いていこうよ。いい天気だしさ」

 融と譲は鏡太の提案に従った。が、すぐに、その間違いに気付いた。

「おい……、ちょっと待て……」

 どんどん先を進む鏡太に向かって、荒い息をした融がストップを掛ける。

「どうかした?」

「おまえ……、歩くのが早過ぎる……。それに、予想以上に遠い……」

「体力ないねぇ。もうヘバった?」

「僕も……、インドア派なので……」

 同じく、譲も青い顔で訴えた。

「地図を見たら、あと少しみたいだし、頑張って」

 鏡太が能天気に励ますので、融は皮肉を言う。

「さすが、唯一、体育が得意だけあるな」

「音楽も、だって」

 ささやかな間違いの指摘をした鏡太は、腕白少年っぽい表情を浮かべる。

「魔法使いはヒットポイントが少ないのが定番だもんね」

「何だ、それは?」

「ゲームの話。火継君は呪文が使えるから魔法使いだなって」

 融が不愉快そうに鼻を鳴らす。

「ふん。俺が魔法使いだったら、おまえは体力バカの武闘家か?」

「正義を貫く勇者と言ってよ」

「勇者は呪文も使えるだろ」

「ま、そうなんだけどね。どうせなら、一人立ちしてるほうが格好いいじゃん」

 何気ない鏡太の一言が、融の胸に突き刺さった。

 結局、鏡太も融に利用されているのに過ぎない。心にわだかまっていた白根のクズだの操り人形だのといった罵りが思い起こされた。

 あんなに避けていたのに、今は自分の都合だけで、鏡太を危険な目に遭わせている。鏡太は笑って「そんな事はない」と言うだろうが、やはり、融には割り切れないものがあった。

 最終的には、自分で解決しなくては……。密かに融は決意した。

「やっぱり、しんどい?」

 黙り込んだ融を、鏡太が心配する。

「いや、大丈夫だ」

 融は努めて明るく答えた。

 ようやく、玄穂の実家に着き、融たちは真っ直ぐに蔵へ足を運ぶ。蔵には旧式の南京錠が掛けられていた。融は母親から預かった鍵で、それを開け、重い扉を押し開く。

 中は薄暗かったが、下から上まで、ぎっしりと書物で埋まっているのが見て取れた。

「うへー。この中から手掛かりを探すのかー」

 明かりが点いて、さらに状況を目の当たりにした鏡太が嘆息を漏らす。

「目星を付けないと、一日じゃ終わらないよなぁ」

「そうですね……」

 鏡太の不安を受けて、譲が考える。

「先生は呪文書を研究しても、成果を発表するつもりはなかったと思うので、きちんとした形には纏めていなんじゃないでしょうか? ノートとか、データファイルとか、断片状態になったままかと」

「さすが、新崎君。とりあえず、ノートを片っ端から集めてくるか」

 腕まくりをした鏡太が、早速、奥の本棚に敢然と向かった。融たちも、それぞれ散らばって、ノートや覚え書きらしきもの、プリントアウトした用紙などを選び取る。

 しばらくして、黙々と作業する譲に、融は少し違和感を覚えた。いつもの譲だったら、嬉々としてはしゃぎまくるだろう。

 融は譲の背中に声を掛けた。

「新崎、調子でも悪いのか?」

「い、いえ。どこも悪くありません」

 振り向いた譲は、青白い面容で返事した。

「貴重な資料に圧倒されてしまって……。それに、少しでも早く手掛かりを見付けないといけませんし」

 無理に笑う譲に、融は懸念を感じる。

「疲れたなら、ちょっと休んだほうがいいぞ」

「今日は、やけに優しいね」

 大量のほこりを被って、うずたかく積み上げた冊子を抱えた鏡太が、からかい気味に言った。

「何か文句あるか?」

「全然。人間らしくていいよ」

「ああ!? まるで俺が人じゃないみたいな口ぶりだな!」

「あ、あの! 僕、平気ですので!」

 いがみ合う二人を、譲が焦って取り成した。

「新崎君は責任感が強いから、気負ってるんだよね。頑張るなと言っても頑張っちゃうだろうし、俺らはそれに甘えようよ」

 まだ不機嫌そうな融に向けて、鏡太がにこやかに話し、持ってきた資料の山を譲の前に下ろした。

「この中にありそうかな?」

「はい。見てみます」

 一番上のノートに手を伸ばして、譲が読み始める。それからも、融と鏡太は棚から次々と目ぼしい物を抜き取っていった。

 ある程度集まったところで、融と鏡太の二人もノートを広げる。だが、残念な事に、鏡太は戦力外に近く、融も専門的な話になると、知識が及ばないので、結局は、譲一人、頭を痛める結果になっていた。

 鏡太が手持ち無沙汰そうに、そこら辺の本をいじりながら、譲に尋ねる。

「そう言えば、新崎君、あの時、何で万厳会の連中に襲われてたんだい?」

「えっ?」

 不意を食らって、譲は今、正に掴もうとしたノートを取り落とした。

「い、いえ……、その……」

 譲は唾を何度も飲み込む。

「ま、街でぶつかった時、すぐに謝らずに、ちょっと睨んでしまったんで……」

「ふうん」

 大して気に掛けないふうに鏡太が返事した時、譲の携帯端末のバイブレーションが作動した。

「ひゃあ!」

と、叫び声を上げて、譲が端末の画面を覗き込む。

「い、家からのメールでした」

 譲は言い訳染みた作り笑いを浮かべた。それから、おどおどした感じで、融に問い掛ける。

「すみません……、トイレはどこですか……?」

「ああ、案内しよう」

 融はズボンのほこりを払って立ち上がった。鏡太が先ほど譲の落としたノートを拾ってページを開く。見ても、どうせ理解できないのにと、融は苦笑した。

 扉を開けた途端に、外から輝くばかりの光が差し込んでくる。

 そして、二人が蔵から出た瞬間。

 何を血迷ったのか、譲が扉の南京錠を閉めた。

「何をする、新崎!?」

 訳が分からず問いただす融に、ただ、譲は苦しげな顔をして突っ立っていた。

「譲、よくやった」

「お兄さん……!」

 譲は、これ以上、融のそばにいられないといった感じで、声の元へ走り出す。

「おまえが……、新崎の兄……!?」

 信じられない光景が現れて、融が目を見開く。

 譲が駆け寄った先には、白根の姿があった。

「なぜだ……? 名字が違うのに……」

 そこで、融が閃く。

「夫婦別姓か!」

 二〇一〇年代に施行された新しい婚姻法によって、夫婦がどの姓を選ぶか自由になったが、夫婦別姓の習慣は、三〇年代に入って、ようやく広まりつつあった。

「父親の名字が白根で、母親の名字が新崎という訳か……」

 納得した融だったが、すぐに気を取られている場合ではない事を悟る。

「新崎、おまえ……!」

 譲は今にも泣き出しそうな顔付きで謝る。

「ごめんなさい、火継先輩! 僕、僕……!」

 譲が哀切に満ちた声を上げた。

「僕、どうしても、お兄さんには逆らえないんです! どうしても駄目なんです! 駄目なんだ!」

 何もかもから逃れるように、譲は耳を塞いでうずくまった。

「私の弟を困らせないでくれるかな?」

 冷笑する白根を、融は睨み付ける。

「何しに来た? 新崎を利用してまで……」

「もちろん、貴様を手に入れに、だ。木偶の余川のほうは結界を張ったから、貴様の呪文は届かない」

「何!?」

 融は後ろの蔵へ振り向く。建物に覆い被さるように、うっすらと光の膜ができていた。

 「くそっ」と歯軋りする融に構わず、白根は話し続ける。

匹潔(ピジュギェ)から、ようやく出た能力者だからな」

「匹潔……?」

 聞き返した融に、白根は呆れた顔をした。

「玄穂から聞いていないのか。白馬の神人と青牛の天女から生まれた、悉万丹(シワータイ)何大何(ヤーダヤー)伏弗郁(フフォーユ)日連(ニーニュア)習陵(シリャニー)、匹潔、(リャイ)吐六于(トュリャウ)の八部族を契丹古八部と言うのだ。国が滅びた時に、契丹人は世界各地に散らばり、そこで部族名を現地の発音に直して名乗った。日本に辿り着いた者たちは、それぞれ、志摩谷(しまたに)矢田屋(やだや)吹奥(ふきおく)泥沼(にぬま)、白根、火継、(らい)登竜(とりゅう)という姓になった」

「白根……。という事は、お、おまえも……」

「そうだ。貴様と同じ青牛の天女系だ」

 動転する融を尻目に、白根が冷静に説明する。

「私の家には、一族の来歴が伝わっていた。もっとも、父親は、そんな事には興味が湧かず、放ったらかしにしていたがな。しかし、私は違った。そして、呪文書の存在を知ったのだ」

「それで、万厳会の奴らを動かして、親父から呪文書を奪ったのか?」

「ああ。連中は愚かだから、強大な力が手に入るとそそのかしただけで、私の思い通りになった」

「でも、なぜ、親父を殺したんだ……?」

「初め、先生には穏便に話を持ち掛けたよ。だが、頑として拒むんでね。私が十七になるまで日がなかったから、ヤクザを使うという強硬手段を取らせてもらった。妻と息子の命が惜しければ呪文書を差し出せと言ったら、すぐに渡してくれたそうだよ」

「何だって!? だったらなおさら、殺す理由はないじゃないか!」

 融をいたぶるのが愉快なのか、白根は話し続ける。

「奪い返しに来られると面倒だからな。魔力がない玄穂は不必要だ。息子も持っていないという言葉には見事に騙されたが」

「このクソ野郎め……! そこまでして、こんな力がほしいのか……!?」

 怒りの炎を燃やした融を、白根は冷ややかに見た。

「『こんな力』? 選ばれた者にしか与えられない、とびきり素晴らしい能力だろう?」

 ここで我を失っては負けだと考え、融は感情を押し殺す。

「……何で俺に執着する?」

「契丹の血が薄くなって、呪文を使える者は希少価値が高い。現存する力は手に入れておかなくてはな」

 白根は、うずくまったままの譲を一瞥した。

「貴様は幼い頃から呪文が使えたと聞いた。それほどの能力の持ち主なら、正確な呪文を見れば、暗示も解けるに違いない。貴様も中途半端な能力のまま終わりたくないだろう?」

「……」

 白根が取り出した呪文書に、融は焦点を合わせる。実際に見ても、過去の映像の通り、糸で綴じただけの簡単な本で、相当黄ばんでいた。

 融の中に憤りが込み上げてくる。

 こんな古くて汚い本のために、親父は死に、みんなに迷惑を掛けているのか……! 何が何でも、絶対取り返してやる! どんな手段を使おうとも、自分にどんな事が起きようとも……!

 融は腹に力を込めて、白根を見上げた。

「……分かった。おまえに従う」

 ところが、白根は肝を据えた融に冷水を浴びせる。

「隙を狙って、呪文書を奪おうと思うなよ。魔力のある貴様は私を裏切れないのだから」

「何!?」

 見事に思惑を当てられて、融の体に冷や汗が噴き出した。

「契丹古八部は歴然とした序列で支配されているのだ。匹潔は習陵に逆らえない」

 白根が融の顎を片手で掴む。

「……何……しやがる……」

 足掻く融を、白根が睨め付けた。途端に、融は魂を吸い取られたような気がする。

 最初に出会った時も、こうだった。遭遇する度に体が硬直して動かなくなるのだ。

 契丹の忌まわしき血……。脈々と続く一族の定め……。所詮は抗えない運命なのか。それでも、俺は……!

 辛うじて反抗心を保つ融に、白根は追い討ちを掛ける。

「まだ強がるか。親しい友を失いたくないだろう? あんな木偶、蔵もろとも捻り潰すなんて雑作もない事だ」

「うっ……くっ……」

 最後通牒を宣告されて、融は行き場を失った。目から光が消えていく。

「分かっ……た……。……だから……、手を……放せ……」

「やっと、自分の立場を悟ったようだな」

 白根は融を解放して歩き始めた。

「こっちへ来い」

 口元を拭いながら、ふらふらと融が後に続く。

 その時、背後から声が掛かった。

「行くな!」

 融が蔵のほうへ向くと、鉄格子が嵌った明かり窓から、鏡太が顔を覗かせている。

「火継君、行くんじゃない!」

 必死の形相で止める鏡太に、融は弱々しく言葉を返す。

「もう……、俺には、こうするしか……」

「人生には思い掛けない事が付きものだよ!」

 鏡太は喉が張り裂けんばかりに大声を叫んだ。

「ウォム‐ディジェトラットリヴォ-ウヴム、クジェ-イジェディ-ウィジ!」

 そう言った瞬間、鏡太は融の横に立っていた。

「い、今のは……!?」

 何が起きたのか理解できずに、融は呆気に取られる。

「さっき、そいつが言った中に、志摩谷っていう名字があったよね?」

 打ち明ける鏡太に、白根が襲い掛かった。

「『我、白馬の神人に願う。空気のように動け』だと!? なぜ、貴様に呪文が使える!?」

 それを軽やかに避けながら、鏡太はニヤリと歯を見せる。

「俺の父親の名字、志摩谷なんだ! 余川は母親の名字!」

「そんなバカな! 貴様が白馬の神人系の最高位だなんて!?」

 沈着さを誇っていた白根が我を失って、鏡太の反撃に遭った。

「俺も契丹の一族だったんだ! だから、火継君の呪文が掛かったんだね!」

「嘘だろ……」

 次々と明かされる事実に、融は頭が付いていかない。

「しかも、新崎君が落としたノート、ドンピシャだよ! お父さんが書いた呪文書の研究成果だったんだ!」

 鏡太は嬉しそうに融に告げる。さすがに、融も、その危うさに気付いた。

「バカ、よそ見するな!」

 案の定、白根は体勢を整え直し、回し蹴りで鏡太の足を払った。それでも、鏡太は持ち堪え、白根にお返しの拳を見舞う。

 そして、話の続きを融に向けて語った。

「俺も書いてる事が分かって、簡単な呪文が唱えられたんだよ!」

「所詮、付け焼刃に過ぎん!」

 鏡太のパンチを受けながらも、白根の戦意は落ちていない。すぐに鏡太の腹に突きを入れる。鏡太はまともに食らうが、少しふら付いただけだった。

「おまえだって、にわか魔法使いじゃないか! 呪文が読めて、俺、よく分かったよ! 前は呪文を使いこなしてると思ったけど、おまえ、まだ、呪文書を極めてないんだろ!? 火継君には絶対敵わないさ!」

「何を!?」

 鏡太と白根の応酬が繰り広げられる。

 鏡太の言う通り、白根は自分の体力を増幅させているだけで、それ以外の超常的な力は持ち合わせていないらしい。この日のために結界の魔術だけは習得して、蔵を潰せると言ったのはただのはったりか。

「……余川……」

 次第に白根の呪縛が解けていく。

 そして、体の中心から熱いものが湧き上がるのを感じ取った。

 そんな最中、鏡太が融にノートを放って寄越す。

「はい、これ! 火継君だったら、もっと強力な呪文が出せるよね!」

 ノートを受け取った融は、素早くページをめくる。目ぼしい所で手を止めると、その中の一文を読み上げた。

「ウォム‐ティヴェムートクフリヴォ‐ウヴム、ウブシュ、ヒプト‐イム‐ムプク!」

 融の声が高らかに響き渡った。

 にわかに空が掻き曇ったかと思うと、轟音と共に天を突く巨大な黒い影が現れる。

 影は徐々に色味を帯び、ついには猛々しい竜の姿になった。

 竜は一声雄叫びを上げると、真っ赤な炎を白根に吐き掛けた。

「ううっ!」

 圧倒的な力の差を見せ付けられ、白根は戦う気力を喪失した。

「やっと観念したな」

 鏡太が片膝を着いた白根の前に立つ。地面には呪文書が投げ置かれている。

「この……!」

 竜を収めた融が怒りに満ちた言葉を白根に浴びせようとしたところへ、割って入った人物がいた。

「火継先輩! どうか許してください!」

「新崎!?」

 融は譲の行動が理解できなった。そんな融に、鏡太が謎解きをする。

「新崎君は、お兄さんが大好きなんだよ。危険を顧みず、万厳会の連中にお兄さんの消息を聞いたりしてね。連れ戻そうともしたのかな?」

「知ってたんですか……」

「蔵の中の話、万厳会の奴らにぶつかったから襲われたと言ったの、嘘だと思ったんで推理してみたんだ」

 目に涙を満々と湛え、譲は融に哀願した。

「僕が責任持って、兄には罪を償わせます。だから、どうか……!」

 感情のやり場がなくなって、融は後ろを向いた。

「勝手にしろ! 二度と俺の前に姿を見せるな!」

 びくりと身を震わせた譲は、それでも頭を深々と下げ、白根を連れて出て行った。

「はい、火継君」

 鏡太から渡された呪文書を、融は固く握り締める。そして、何も言わないまま、母屋のほうへ歩みを進めた。鏡太も後から追い駆ける。

 家に入った融はライターを探し当て、再び庭に出た。

「やっぱり、燃やしちゃうんだね?」

 鏡太の問い掛けに、融は返事する。

「余川……、いや、志摩谷か……、おまえには悪いが、俺は呪文書を抹殺しなきゃいけない」

「これまで通り、余川でいいよ。呪文書を燃やしても、俺は全然構わない。この世にはあってはならないものだし。お父さんも、そうするつもりだったと思う」

「そうだな……」

 初めて、融は肩の荷が下りたような表情を見せた。それから、思い切って、父親の研究ノートと共に、呪文書にライターで火を点ける。

 よく乾燥しているらしく、二冊はめらめらと勢いよく燃え上がった。

 二人は揺らめく炎を見詰めた。

 炎は時に大きく時に小さく、命あるもののごとく紙片を包み込む。

 やがて、融と鏡太の瞳に映った赤い光が、ゆっくりと消えていった。

 後には、無残な、それでいて清々しささえ感じられる灰塵のみ残る。

 その灰も、わずかな風に吹かれて、宙へ舞い散った。

 古の秘術は、永遠に世界から消えた。

 これを使った民族と同様に。

 時の流れの中へ……。

 ずっと気掛かりだったといった様子で、鏡太が融に尋ねた。

「火継君だけが過去を見た時、何で泣いたんだい?」

 融は少し躊躇った後、答える。

「本当は俺も親父が好きだったからさ」

 そう言う融の顔には、今までに目にした事がない穏やかな笑顔が浮かんでいた。


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