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キタイ  作者: chengdu
6/7

六、希絶混在

 次の日の放課後、融と鏡太が二人揃って譲の教室に赴くと、譲は待ち構えたように両方の顔をためつすがめつ眺め始めた。

「ど、どうかした?」

 鏡太は、こそばゆそうに譲の視線を受ける。

「今日は火継先輩と険悪な雰囲気ではありませんね」

 いたずらっぽく、譲が笑う。

「また、あんなふうになったら、僕もフォローできませんから。部屋でドタバタしたのを、お母さんに言い訳するの、大変だったんですよ」

「ごめん……」

 鏡太は率直に謝った。

「ちょっと文句を言ってみただけです」

 目を細めて、譲は融のほうへ顔を向けた。

「火継先輩も、何か吹っ切れた感じですね?」

「ああ」

 融も穏やかに頷く。

「呪文書を取り返すために協力してくれ」

「もちろん、喜んで! さあ、出発しましょう!」

 先頭に立って、譲が歩き始めた。

 三日連続、譲の家にやって来た融と鏡太を見て、さすがに譲の母親も吃驚したが、すぐに微笑んで招き入れた。

「さて、今日は何について調べるんですか?」

 部屋に入ると、譲は大学の教授よろしく、鏡太たちを促す。

「昨日、言ってた契丹の伝説なんだけど……」

 さらに記憶があやふやになった鏡太が言い淀む。

「ええと、神様が白馬に乗って、天女をさらったんだっけ?」

「全然、違います! どこがどうなって、そうなるんですか!?」

 譲が眉を吊り上げた。

「いいですか? もう一度、話しますよ。この伝説は契丹人の始祖説話なんです。白馬に乗った神人と青牛の牛車に乗った天女が結婚して八人の男子を生み、これらが契丹人の祖先になったという話です。神人はラオハ=ムレンという川を下り、逆に、天女はシラ=ムレンという川を下ってきて、二人が出会った、その二つの川の合流地点にある木葉山は、契丹人の聖地となっています」

「そのラオハ=ムレンとシラ=ムレンは、ここに書いてある土河と潢河の事か?」

 融は例の紙切れを取り出して、譲に尋ねた。

「その通りです。これ、遼史(りょうし)の地理志じゃないですか。どうしたんです?」

「親父の部屋にあったファイルから出てきた」

「へええ! 火継先生の直筆ですね! 綺麗な字だなぁ」

 譲の口から新たな単語が出てきたので、鏡太が首を傾げる。

「『リョウ』って何だ?」

「世界史、取ってないんですか?」

 譲が不服そうに聞き返した。

「俺、日本史。それも、かなり苦手」

 平然と鏡太が答えたので、融が口をへの字に曲げる。

「漢文も苦手と言ってたし、得意な科目は何だ?」

「んー……、体育と音楽かなぁ……」

「全く、余川らしい」

 融は気が抜けたようにこぼした。

「じゃあ、余川先輩のために説明しますけど、遼は契丹が名乗った中国風国名です」

「何で、そんなややこしい事を?」

 鏡太が質問を重ねるので、譲はやれやれといった顔をする。

「契丹は勢力地域が中国王朝の北部まで及ぶと、中華思想に傾倒していったんです。でも、自分たち遊牧民を支配する北面と漢民族など農耕民を支配する南面の二元制を取ったと昨日言った通り、民族意識が非常に高くて、後に契丹に戻したり、仏教に没頭する皇帝が現れたら、また遼に変えたりしています」

「腰の据わらない国だな」

「そうですね。当時の中国は政治、文化あらゆる面において世界の最高水準でしたから、『中国かぶれ』になるのは仕方がないと思います。契丹は、まだ染まらなかったほうですよ。未開の民が王朝を建てると、真っ先に儀式や典礼を整えるのですが、その時に参考にするのが儒教です。でも、契丹は儒教をそのまま導入せずに、民族固有の祭礼を織り交ぜました。元々、()の力が強かったせいもあります」

「『フ』?」

 鏡太が間抜けな表情で聞き返す。

「原始宗教におけるシャーマンの事です。科学が発達する以前では、自然のあらゆる現象が神の意思と考えるのも無理はありません。シャーマンは直接超自然と交流し、神の言葉を語って託宣を行っていたのです」

 そこで、譲は融のほうへ向いた。

「火継先輩は小さい時から呪文が使えたと、余川先輩に聞きました。先生から教わったものではないんですね?」

「そんな覚えはない」

「という事は、生まれながらにして能力を備えているんでしょう。その力は、契丹のシャーマン由来のものではないかと思います。つまり、先輩は契丹人の末裔なのです」

「俺が……?」

 融が戸惑う。

「しかし、何で俺だけ……。親はもちろん、親類にそんな奴がいるなんて聞いた事ないぞ」

「それは分かりません。ご親戚にいたとしても隠しているのかも知れませんし。突然変異とも考えられます」

「昨日、伝説に出てきた『青牛の天女』が気になるって言ってたもんな」

 鏡太のセリフを受けて、譲が融に確認する。

「そうなんですか?」

「ああ……」

 融の答えに、譲はしたり顔で話した。

「その民族成立伝説から、契丹人は『白馬の神人』と『青牛の天女』の二つの系列で構成されていたという説があります。儀式では必ず白馬と青牛が天に捧げられています。民族学的に突き詰めて言うと、馬と牛をトーテムとした氏族が連合したとされます」

「『トーテム』って、インディアンの『トーテムポール』の……?」

「その通りですが、『インディアン』じゃなくて『ネイティブアメリカン』と呼ぶんです」

 すかさず、鏡太の発言を譲が訂正する。

「トーテムは氏族を象徴するものです。大抵は動物になっています。契丹の姓は皇帝一族の『耶律』と外戚の『審密(しんみつ)』の二つしかなかったと見なされていますが、『耶律』は、契丹語の発音に近いとされるモンゴル文語から推測すると、牡馬を意味するヤラット-yalatを漢字に当て嵌めたと考えられます。もう一つの姓、『審密』は、牝牛のシルムート-srirmutからでしょう。僕のyalatとsrirmutの発音が正確か分かりませんが……」

「新崎君、すごいねー! こんな難しい事、よく、すらすらと!」

 鏡太が改めて感心する一方で、融は、はっとした。譲の言ったsrirmutが頭を駆け抜ける。

「好きで、しょっちゅう調べてますから。でも、本当は受け売りが多いんです。兄のほうが、ずっと詳しくて」

「お兄さんがいるんだ」

「ええ。今は、ちょっと家を出てますけど……」

 鏡太と譲の声が段々遠くなっていく。

 融は頭の中に無数の言葉が入り込むのを感じた。

 いや、逆に中から湧き出ているのかも知れない。

 顔を上げていられなくなり、両手でこめかみを押さえる。

 脳裏に、日本語と意味不明の言葉が交互にこだまする。

 ……我……ウォム……青牛……ティヴェムート……天女……クフリヴォ……願う……ウヴム……汝……ズジェ……強くなれ……イプト……我は青牛の天女に願う……ウォム-ティヴェムートクフリヴォ-ウヴム……汝、強くなれ……ズジェ-イプト……ウォム-ティヴェムートクフリヴォ-ウヴム、ズジェ-イプト!

「大丈夫、火継君!?」

 鏡太が融の肩を揺さぶった。

「思い……出した……」

 融は夢見心地で答える。

「……呪文を言う前に、これを唱えなくては……」

「は?」

 未知の外国語を話されたように、鏡太が驚く。

「呪文の効果を上げる言葉を思い出した!」

 自分の肩に置かれたままの鏡太の手を、融が掴んだ。

「本当に!?」

「ああ! これで白根に対抗できる!」

「白……根?」

 呆然と成り行きを見守っていた譲が鏡太に尋ねた。

「うん。まだ話してなかったけど、実は昨日、呪文書を使った能力者に会ったんだ。……万厳会で」

「ええ!? 万厳会に行ったんですか!?」

「ちょっと先走っちゃってね」

 鏡太は照れ笑いを浮かべた。

「それで――」

 譲が何か言い掛けた時に、部屋のドアがノックされた。

 慌てて、譲が対応に出ると、譲の母親が外に佇んでいた。母親は決まり悪そうに微笑みながら話す。

「今、お父さんから連絡があってね、早く帰れそうだから、みんなで食事に行こうって……。お友だちがいらっしゃっているんだけど……」

「すみません、長居してしまって。これで、お暇させていただきます」

 鏡太が席を立つ。

「ごめんなさい。また、お越しになってくださいね」

 謝り続ける譲と母親に、さらにこちらからも謝って、融たちは家を出た。

 暗くなりつつある住宅街の道を歩きながら、鏡太が苦笑いする。

「家に行く事で、すでに迷惑掛けてるね」

「新崎に甘え過ぎてるのかも知れないな」

 暗に遠慮しようと言う融に、鏡太が軽く反論する。

「でも、新崎君も楽しそうに話してくれるし――」

 融が突然歩みを止めたので、鏡太は言葉を切る。

 そして、瞠目している融の視線の先を追った。

 そこには。

 闇を背に負った白根が立っていた。

「何で、ここに……!」

 鏡太が融の前に回り身構える。相手も融たちの存在に気付いているようだった。

「ほう、こんな所で出会うとは」

 低いが、腹に響く声で白根が話す。

「こっちは大迷惑だけどね」

 鏡太が言い返した。そして、白根と間合いを取りながら、背後の融に告げる。

「一気に片を付けよう。火継君の事がバレちゃうけど」

「の、望むところだ」

 少し声が震えたが、融は鏡太に同意した。

「でも、俺に呪文を掛けた後、火継君は逃げてくれ」

「……!」

 融は自分の身を守る術を持っていない。鏡太が融を庇いながら白根と戦うのでは、明らかに不利になる。

 融は鏡太の意図を悟り、唇を噛んだ。結局、俺は重荷以外何でもないのか。

 目を固く瞑って、融が声を搾り出す。

「ウォム-ティヴェムートクフリヴォ-ウヴム、ズジェ-イプト!」

 白根は微かに怯んだが、すぐに凍り付くような視線を融たちに送った。

「なるほど、自分の力にはできない訳だな。クズが寄り添って、ようやく一人前か」

「クズかどうか、やってみなきゃ分からないよ」

 鏡太は融を背中で隠して、白根と向かい合う。

「今のうちに……!」

「……うっ……」

 ところが、融は足が竦んで、鏡太の言葉に従えなかった。

 そんな融に鏡太が構う間もなく、

「いい覚悟だ」

と、白根は鏡太に拳を浴びせに掛かった。

 すぐさま、鏡太も反撃の態勢に入った。白根のパンチを避けつつ、足を蹴り上げる。

 だが、白根はびくともしない。鏡太のキックを平然と受け止めて、逆に鏡太の足首を捻った。鏡太は、その回転と共に地面に叩き付けられる。

 しかし、すぐに飛び起きて、下から白根の腹を狙う。全てを見透かした白根が、鏡太の胸へ蹴りを入れた。

 鏡太は辛うじてかわしたが、壁に追い詰められていく。

 間髪置かずに、白根は鏡太に突きを繰り出す。

 とうとう、鏡太は避けきれず、まともに食らった。

 「ぐふっ」という嗚咽と共に胃液を戻す。

 白根は攻撃の手を緩めず、鏡太をサンドバッグ代わりに殴り続けた。

 肉が打たれる鈍い音が辺りに響く。

「やっぱり強い……」

と呻いて、鏡太は地面に崩れ落ちた。

「大丈夫か!?」

 融が鏡太の傍に駆け寄る。

「バカ、こっちに来るな! 早く逃げろ……!」

 鏡太の罵倒に、融はうな垂れる。

「それはできない……」

「もう諦めたのか? 昨日よりは楽しめたのに残念だ」

 白根が余裕の笑みを浮かべた。

 そして、鏡太ではなく融のほうへ体を動かす。

 あっと思った時には、融の手首は白根に握られていた。

「放せ!」

 融は必死に体を捩ったが、その手はまるで万力に固定されたようだった。

「呪文書なしでも呪文を使えるとはおもしろい。私に付いてこい」

「誰が、おまえなんかに……!」

「契約が、まだだろう? 十七歳の誕生日に呪文書が指示する儀式を行わなければ、一生、呪文を使えなくなるぞ」

「え……?」

 初耳の事実を聞いて、融は目を見開いた。

 しかし、すぐ気を取り直して問いただす。

「……おまえの目的は何だ? 呪文書を使って何をしようとしている?」

「混沌の中の秩序の樹立だ。簡単に言うと世直しだよ」

「世直し……」

 鏡太と同じ言葉を聞いて、融は動揺した。

 この男は本気で、そう考えているのか……? 世の中を正そうとしているのか? そのために呪文書を? だったら……。

「騙されちゃ駄目だよ!」

 融の思考は、鏡太の悲痛な叫び声で遮られた。

「こいつは、みんなのための世界を作ろうとなんかしていない! こいつの腐りきった目を見れば分かる! 世の中を自分の思うように動かしたいだけなんだ!」

「操り人形の分際で、クソが!」

 白根は踵で鏡太の頭を踏みにじる。

 その様子を見て、融は正気を取り戻した。

 鏡太の言う通りだ。こいつには正義の欠片もない。第一、俺の親父を……!

 鏡太のこめかみが切れて、血が滴り落ちる。

 カッとなった融の頭に弾けるものがあった。

「ズジェ-ティヴト-エピィ!」

 突風が吹き抜け、目に入る物全てを巻き上げる。

 その不意を突いて、鏡太は白根の足を振り払い、融を掴む腕に手刀を叩き込んだ。

 そして、白根の手が融から離れるや否や、融の腰を抱え一目散に走り出した。

 後に残された白根は、二人を追い駆けなかった。

「『汝、風のように逃げよ』か」

 鏡太に打たれた手首を押さえて、白根が呟く。

「しばらく泳がせようと思ったが、こうも早く遭遇するとはな」

 くくっと苦笑した後、白根は二人が来た方向へ目を凝らした。

「久々に愉快だ。是非、手に入れなくては。木偶から引き離す必要があるな……」


 ようやく白根から逃れた融たちは、そのまま融の家に飛び込んだ。

 玄関のドアを閉めると、精も根も尽き果てて、互いにうずくまる。

「死ぬかと思った……。火継君のお蔭で助かったよ……」

「しかし、その危機を作ったのも俺だ……」

 融は辛そうに俯いた。

 返す言葉が見つからず、取ってつけたように鏡太は融に質問する。

「呪文を掛けた後、何で逃げなかったんだ?」

「よく分からないが……、アイツの目を見ると動けなくなって……。呪文も効果が薄かった感じだった……」

「帰ってきたの、融?」

 途切れ途切れに話す融の説明にかぶさって、はきはきした女性の声が頭上から降ってきた。

「……お袋……」

 顔を上げた融が息を漏らす。

「そんな所で座り込んで、どうしたの。あら、お友だち? まあ、怪我してるじゃない」

 鏡太に目を留めた融の母親が、びっくりする。

「とにかく部屋に上がりなさい。手当てしなきゃ」

 さっさと歩き始める母親に、鏡太が目を白黒させた。

「何か、聞いてた印象と違うな……。もっとこう、厳しいというか、冷たいというか、そんな感じだと思ってた」

「そうか?」

 融は鏡太が立ち上がるのを助けながら、意外そうに尋ねた。

「うん。考えてたより、ずっと若々しいし、それに……美人だ」

「美人かどうかは分からないが……、気だけは若いな」

 二人がぶつぶつ言っていると、威勢の良い声が掛かる。

「何してるの? 早く来なさい!」

 融たちは泡を食って、母親の元へ向かった。

「ちょっと染みるわよ」

 救急箱から消毒液を取り出し、母親は鏡太の額に掛ける。

「ひゃ!」

「我慢しなさい。男の子でしょ?」

 それから、絆創膏をペンッと貼る。

「はい、おしまい! ……それで、何があったの?」

 単刀直入な母親の質問に、融と鏡太は顔を見合わせた。

「単なるケンカだよ」

「嘘おっしゃい」

 下を向いて答える融を、母親はバッサリ切り捨てる。

「融は嘘を吐く時、いつも目を逸らすからね。お父さんと一緒」

「お袋には関係ねぇ」

 融はひねくれて反抗した。

「『お袋』って呼ぶのはやめなさいって言ってるでしょ!? 一気に老け込んだ気がするんだから。『志乃(しの)さん』と呼びなさい」

「絶対、嫌だ」

「じゃ、何があったか話してごらん」

「何にもない」

「だったら、これからずっと『志乃さん』と呼ぶのね?」

「呼ばねぇ!」

「正直に話すか、『志乃さん』と呼ぶか、どっちか選びなさい」

「分かったよ! 話しゃあいいんだろ!?」

 惚けて融と志乃の遣り取りを聞いていた鏡太は噴き出す。

「あははは! 火継君を丸め込むのに年季が入ってますね!」

「ぐっ……! 笑うな!」

 頭に血を昇らせて、融が鏡太に怒鳴った。

「そうよ! 十六年も母親やってますからね」

 志乃はニッコリと鏡太に笑い掛ける。

「さあ、話しなさい、融。順序立てて、要領良く言うのよ」

「これだから、ストックトレーダーは嫌なんだ。何でも即決しようとする」

 うんざりした顔で融は溜め息を吐いた。鏡太が身を乗り出す。

「へえ! 株の取引をしてるんですか! 大変そうですね、お母さんのお仕事って」

「ええ。忙しいから、なかなか家に帰ってこれなくて。あ、お友だちは『志乃さん』って呼んでね」

「あ、は、はい! 俺、余川鏡太と申します」

「よろしく、鏡太君。ほら、融、ぼさっとしないで、早く話す!」

「お袋が、話、脱線させてんだろ……」

 融が苦情を申し立てたが、志乃のほうはどこ吹く風である。諦めて、融が語り始めた。

「親父から聞いてるかも知れないけど、俺は魔法が使えるんだ。親父が殺されて、呪文書が奪われたのを取り返さないといけないんだが、今日は悪い奴に襲われて逃げ帰ってきた。以上」

「ひ、火継君……、いくら何でも、あっさり過ぎるんじゃ……。お母……志乃さんも驚いてる……」

と、鏡太が志乃の顔を窺うと、志乃は全く表情を変えてない。

「あれ……?」

「いえ、ちゃんと心臓が止まるくらいびっくりしてるわよ、鏡太君。ただ、仕事柄、顔に表さないように訓練しててね」

「こんな時に職業病を出すんじゃねぇ」

 仏頂面で融が文句を言った。そんな融をよそに、志乃は分析に入る。

「融が小さい時、二人で部屋に籠って、こそこそしてると思ってたら、あの人、こんな事をしてたのね。それからも、融を避けてる癖に、時々、部屋に呼んだりしてたけど、こういう理由があったのか。三度の飯よりも研究が好きだったのに、自殺するなんておかしいと感じてたのよ。悪い奴って、どんな人? プロレスラーみたいなゴツい感じ? それとも、冷酷無比タイプ?」

「どっちかって言うと、冷酷無比タイプだな」

 融が平然と受け答えするのを見て、鏡太は顔を引きつらせる。

「恐ろしく、順応性が高いんだね、志乃さんって……」

「頭の回転が常人と違うんだよ」

 融が事もなげに返事した。

「で、呪文書は奪い返せそうなの?」

「難しい。今の俺の力じゃ到底無理だ」

 先ほどの屈辱を思い出して、融は奥歯を食い縛った。

「火継君が悪いんじゃないんですよ。お父さんが魔力を封じる暗示を掛けていて、思うように呪文が使えないんです。しかも、魔法の効果があるのは俺だけなのに、俺の力が足りないせいで火継君に辛い目を……」

「おまえの力は関係ないだろ。俺が強力な呪文を使えたらいいんだ」

「いや、関係あるよ。元の力が強かったら、それだけ増幅する率も高いと思う」

 庇い合いをする二人を眺めて、志乃は微笑する。

「なるほどね。融はいい友だちを持った」

 志乃の言葉で、融と鏡太は面映くなって同時に顔を伏せた。

「あの本の虫の暗示が解けたら、本来の力が発揮できそうなのね。なら、さっさと解けばいいのよ」

「それができないから、困ってるんだ。親父から解き方があるなんて聞いてないしな」

 志乃の勝手な言い分に、融はしかめ面をする。

「ごちゃごちゃ研究してた中に入ってるんじゃない? 調べて探し出しなさい」

「よく言うぜ。お袋が全部捨てちまっただろ」

「捨てようと思ったんだけどね……」

 ここで初めて、志乃の表情に変化があった。

「やっぱり忍びなくて、田舎の家の蔵の中に押し込んであるの」

「何だって!?」

 融と鏡太が声を揃えて驚く。

「亡夫への思いを断ち切れない女心を分かってよ」

「お袋に、そんなものがあったなんて……」

 天地がひっくり返っても信じられないといった感じで、融が呟いた。

「火継君! 希望が出てきたんじゃない?」

 鏡太は嬉しそうに融の手を取る。

「ああ。ちょうど明日休みだから、行ってみよう」

「あ! 都合が良ければ、新崎君も誘おうよ。俺たちだけじゃ心許ないし」

「そうだな」

「俺がメールしとくよ!」

 一気に明るくなった二人を、志乃がうんうんと頷きながら見る。

「若人が元気なのはいいわねぇ。よし! 久しぶりに腕を振るって夕食を作るか! 鏡太君、食べていきなさい」

「わー! ありがとうございます!」

「やめとけ、余川。食えたもんじゃないから」

 融は真面目腐った顔で、鏡太に忠告した。志乃は融をキッと睨む。

「融! 不当な侮辱は許さないわよ」

「侮辱? 本当の事じゃねぇか。俺が作ったほうが、よっぽど食い物になる」

「まあまあ。俺、胃と腸は、かなり丈夫なんです」

「言うわね。鏡太君!」

 軽く口を尖らせて笑いながら、志乃は台所へ向かった。

 志乃が料理らしき物を作っている間、融と鏡太はリビングで出来上がりを待った。漫然とテレビが流れているところへ、鏡太が融に問い掛ける。

「火継君、誕生日はいつ?」

「いきなり、何だよ?」

 融は手に顎を乗せたまま、目だけ鏡太に向けて尋ね返した。

「あいつが十七歳の誕生日に儀式をしないと、呪文が使えなくなるって言ってたから……」

「ああ、それか……」

 融が吐息のような声を漏らす。

「半年後だ」

「そっか。良かった……のかな?」

 鏡太は複雑な表情を浮かべた。

「お父さんは、この事、知ってたんだろうか?」

「……さあ……」

「俺は……、知ってたと思う」

 鏡太も顔を前に向けたまま話す。

「知ってたけど、わざと伝えなかったんだよ。たぶん、これが魔法の事とか何も明かさなかった理由だと思うな……」

「……」

 十七歳になって儀式をしなければ、いずれ力はなくなる。

 だから、それまで黙っておけば、その後は普通の生活ができる。

 「この苦しみから解放されるのは……」と言った続きは、もしかして「もうすぐだ」だったのか。

 暗示を掛けられると、魔力が封じられるだけでなく、全てにおいて無気力になってしまう。

 そういう状態の融を見るのが、父親は辛かったに違いない。

 あの痛ましそうな顔を改めて思い起こすと……。

 ここまで考えてから、今度は融が声を掛けた。

「あの野郎、何で俺の歳が分かったんだろう?」

「制服のネクタイを見たんじゃない?」

 鏡太の明快な答えを聞いても、融はまだ納得しかねるといった面持ちをした。

「俺たちの高校の事を詳しく知らないと判断できないと思うが……」

「意外と認知されてるのかも知れないよ。俺たち二年生が濃紺のネクタイだって」

「それよりも……」

 融が、呪文書を巡る一連の出来事を推理する。

「俺が玄穂の息子だと知っていたというほうの可能性が高いんじゃないか?」

「あ、確かに……」

 そうなると、この家を始め、融に関する事は筒抜けだと考えるのが妥当だ。

 融の力がバレた現在、いよいよもって追い詰められた状態に陥った気がする。

 しかし、白根という男は、一体何者だろう?

 いつ、呪文書の存在を知ったのか? なぜ、魔法が使えるのか?

 融は契丹人の末裔だと譲が言っていたように、白根も同源なのだろうか……?

 情報が少なすぎて憶測ばかりだが、融は考えるのをやめられなかった。

 鏡太も同じ事に思いを馳せているのか、融と共に押し黙ったまま、テレビの音だけが流れた。

 小一時間経って、ようやく食事の準備が終わった志乃が二人を呼ぶ。

「お待たせー! 何、辛気臭い顔で、テレビ見てんの。さあさあ、お皿並べるの、手伝ってちょうだい」

 融たちは、のっそりと立ち上がって、ダイニングへ足を運んだ。用意された料理はシチューで、見た目はまともそうだ。

「火継君が脅かすから、どんな出来かと恐れてたけど……」

「まだ安心するのは早い。食べたら分かる」

「私が何を作ったと考えてんの!? 失礼ね!」

 そんなこんなで、志乃の手料理を二人は食べ始めたのだが、その結果はここでは敢えて割愛する。

 僥倖な事に、救急車を呼ぶ羽目までには至らなかった。しかし、融は相当げっそりした顔付きになっている。

「余川……。よく全部、平らげられたな……」

「うんまあ、許容範囲だし」

「えらいよ、おまえ」

 自宅に帰る鏡太を送り出しながら、融は妙なところで鏡太に感服した。

「融が好き嫌い多過ぎるのよ」

 志乃は少しもへこたれていない。

「好き嫌いの問題じゃないだろ……」

 気分悪そうに、融は、

「じゃあ、明日な」

と言って、自分の部屋に引っ込んだ。

 玄関で見送る志乃が、こそっと鏡太に勧める。

「鏡太君も我慢しないで、胃薬飲んでね」

「大丈夫ですよー」

 鏡太は明るく笑い返した。そんな鏡太を見て、志乃は優しく微笑む。

「融の事、頼むわね、鏡太君……」

「志乃さん……」

 鏡太の言葉が最後のほうで消え入る。

「一人で抱え込んじゃう質だから、融は」

 鏡太は胸を張った。

「任せてください!」

 家路を行く鏡太の後ろ姿を、志乃は長い間、見守っていた。

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