二、協力拒否
ところが、こちらが避けようとしても、相手が寄ってきては防ぎようがない。
明くる朝、登校して教室の自分の席に座った融の元へ、満面の笑みを浮かべて、鏡太が近付いてきた。
「火継君、昨日の事なんだけど」
「…………」
融は鏡太のほうへ顔も向けずに無視した。話し掛けられるのは想定済みだ。
「河原で俺が殴られそうになっただろ。ヤクザに取り囲まれて」
「…………」
鏡太など存在しないかのように、融は無視したままだった。
しかし、鏡太はそれに構わず、にこやかに話を続ける。
「あの時、俺、不思議な言葉を聞いたんだ」
目に力を込めて、鏡太は融を見据えた。
「その言葉を聞いた途端、体に突風が吹き抜けたと言うか、頭にスイッチが入ったと言うか、とにかく妙な感じがして、気付いたら、やられてた奴を抱えて逃げ出してた」
そこまで一気に話すと、鏡太は再度、融を凝視した。
「君が言ったんだろ?」
融は、しばらく鏡太の視線を浴びていたが、とうとう耐え切れなくなって口を開いた。
「訳の分からない事を言うな」
「いや、俺は君が叫ぶのを聞いた。そうじゃないなら、どうして俺と目が合った時、走り去ったんだい?」
「な、何の話だ? さっぱり分からない」
忘れたい場面に触れられて、融が必死に話題を逸らそうとする。
その甲斐もなく、鏡太は今が絶好の機会だと分かってか、融に質問を畳み掛けた。
「ねえ、何て言ったんだい? 一体、どこの言葉だ? どういう意味なんだ? 何で俺はいきなり素早く動けるようになったんだ?」
「知らねぇ!」
かぶりを振って、融は鏡太のセリフを遮断した。
「俺は何も言ってない。そんな場所にも行ってない」
激昂を無理やり抑えて、融は平静を装い答える。しかし、鏡太は明るく笑った。
「隠す事ないじゃんか。あんな力を持ってるなら、絶対すごいよ。是非、俺を助けてほしいな」
「おまえを助ける?」
予期せぬ依頼に、思わず、融は問い返してしまった。
「うん。だって、今の世の中、おかしいだろ? 弱い者いじめが正当化されてて……。俺はそれを直したいんだ」
「バカか」
融は鏡太の青臭い考えを一刀両断する。
「おまえ一人、頑張っても高が知れてる。世界を変えるなんて無理だ」
「俺だけじゃ目標に届かないかも知れないけど、これが徐々に広がっていったら、きっと良くなるって」
「甘いな。この腐り切った現状で、そんなに都合良く行くもんか」
「それでも、俺はやりたいんだ。だから、協力してよ」
「いい加減にしろ」
聞く耳も持てなくなって、融は横を向き、鏡太の顔の前で手を振った。それと同時に、入り口のほうのクラスメートから、鏡太へ声が掛かる。
「おーい、余川! おまえに一年の客だ」
「一年の客?」
鏡太が怪訝そうに聞き返す。
「遠慮せず入れよ」というセリフに促されて、一人の男子生徒がおずおずと融たちの所へ歩み寄ってきた。臙脂色のネクタイが目に付く。
この高校ではネクタイの色で学年の区別がされていた。入学した時に持ち回りの色が割り振られ、現在、一年生は臙脂、二年生は濃紺、三年生は深緑となっている。
ようやく制服のブレザーが体に馴染んできたと見て取れる、その一年生は気後れ気味に口を開いた。
「あの……、余川先輩。昨日はありがとうございました」
「ああ! 君、ここの生徒だったのか」
男子生徒は、鏡太がヤクザから救い出した少年だった。 大きな瞳を長い睫が縁取り、女の子みたいな顔立ちだ。首から上は怪我を負っていないようだが、左手に巻いた包帯が痛々しい。
「新崎譲と言います。あの時はろくにお礼もできなくて」
「そうそう。力は五分くらいでなくなってしまって、ヤクザが追い駆けてきたら大変だから、すぐに別れたんだっけ。あの後、大丈夫だった?」
「はい。無事に家に帰れました」
「それは良かった」
安堵の表情を浮かべた鏡太は、少し首を傾げる。
「よく、俺の事が分かったね」
「余川先輩は、その……、有名人ですから」
どうやら、学期初めの事件を含めて、正義の味方を気取る鏡太の存在は知れ渡っているらしい。
「そうか、参ったな。あはは」
鏡太は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「それで……、お礼の意味も兼ねて、家の夕食に先輩を招待したいのですが……」
「そんなに気を遣わなくてもいいよ。当然の事をしたまでだから」
慌てて、鏡太は譲の顔の前に両手を上げたが、譲は必死に懇願する。
「いえ、是非ともいらっしゃってください。本当は、もっと価値のあるお礼をしなければならないと思いますけど、あまり大袈裟過ぎたら、先輩がお受けしないと考えまして」
「そ、そこまで言うなら……」
立て板に水口調で譲に説得され、鏡太は行かざるを得ない状況になった。
「なら、火継君も呼ばなきゃ。一番の恩人だからね」
「俺は関係ない」
融は憮然として鏡太に言い返した。鏡太の言葉を聞き、融の顔を眺めた譲が、少し体を乗り出す。
「火継……、もしかして、お父様は火継玄穂先生ですか?」
「なっ、何で親父を知ってる?」
奇妙なほど、融は動揺の色を見せた。譲が嬉しそうに答える。
「僕、ファンなんです!」
「ファンって……。親父は芸能人でも何でもなかったぞ」
「ええ。比較文化学の研究家ですよね。僕、その分野に興味があるんです。悠久の歴史に題材を求め、他の国の文化と比べながら、日本人のルーツ、ひいては自分のルーツを調べる。これぞ、男のロマンって感じじゃないですか!」
まだあどけなさが残る顔で「男のロマン」云々を口にする譲に、融は眉を歪め、鏡太はただポカンとして立っていた。
「同じ町に家があるって聞いてましたし、珍しい名字なので、まさかと思いましたが……、感激です!」
一人突っ走る譲を制する意味で、融は冷たく言い放った。
「だけど、親父は三ヶ月前に死んだぞ」
「存じ上げてます……。非常に残念です。火継先輩もさぞ……」
「ふん」と鼻を鳴らす融の手首を、譲は右手でガシッと掴む。
「火継先輩も何とぞ今夜いらっしゃってください! 自慢ではないですが、僕の母は料理が得意なんです!」
「お、おい……」
譲の勢いに押されて、切れ長の目を白黒させる融に、鏡太が楽しそうに口添えをする。
「行ってあげたら? お父さんとも縁があるみたいだし」
「あんな親父なんか……!」
「ん? お父さんに何かわだかまりでもあるのか?」
鏡太に痛いところを突っ込まれて、融はグッと息を詰まらせた。
「……別に……」
「じゃ、決まりだね。新崎君、二人で家に呼ばれるよ」
「ありがとうございます! これ、僕の家までの地図です」
と、用意していたデータを鏡太の携帯端末にコピーする。この機械も大幅に進化を遂げて、電話はもちろん、カメラ、録音、インターネット接続、電子マネーなどの機能を当たり前のように備えている。
「晩の七時にお越しください。待ってますから!」
この世で最高の喜びを手に入れたといった雰囲気で、譲は教室から出ていった。ちょうど、一時間目担当の教師が現れた事もあって、鏡太は融にニコッと笑みを送った後、自分の席に着く。
「くそっ……」
融は呪いの言葉を吐いた。鏡太には関わらないつもりが、なぜか逆にどんどん深みに嵌っていく……。
認めたくはないが、「運命」という枷が自分の足に絡み付いているのを、融は感じた。