この世に未練はありません
「いやー、実に眠たいですね」
「そのまま永眠すればいいと思うけど」
「いきなりひどいな。俺が何したっていうんだよ」
「この世に生を受けていること」
「生きとし生けるだけで?」
「大罪だわ。死ね」
「たった数秒でここまで死を願われるなんて初めてだわ」
「まあ、そういうところでしょうね」
「何が?」
「たいして頑張ってもないくせに、何がそんなに眠たいってのか」
「いや、眠たいものは眠たいだろ」
「甘えだわ」
「眠気に対して甘えるってどういう状態なんだよ」
「眠たいから寝る。眠たいから休む。眠たいから明日にする。全部甘え」
「じゃあどうすりゃいいんだよ」
「だから死ねって」
「お前眠気に対する解決策が毎回物騒なんだよ」
「だって死んだら眠くならないでしょ」
「永眠ってそういうことじゃないだろ」
「じゃあ何?」
「知らないよ。俺だって死んだことないんだから」
「じゃあ死んでみたらいいじゃん」
「なんで最終的に必ず死ぬかどうかの二択になるんだよ」
「それだけ死が身近ってことでしょう」
「こええよ。俺まだ二十八だよ、まだ生きてぇよ」
「でもさ」
「ん?」
「もし死んだらどうする?」
「どうするって?」
「ずっと一緒にいる?」
「急になんでだよ」
「ずっと……一緒にいる?」
「なんでためたんだよ」
「一緒にいる? ずっと」
「なんで倒置したんだよ」
「嫌なの?」
「いやーまあ、いいけど」
「本当に?」
「うん」
「幽霊になっても?」
「まあお前がなるなら」
「じゃあ、ずっと一緒にいてくれる?」
「わかったよ。お前と一緒に幽霊やってやるよ」
「えへへ」
「でへへ」
「この世に未練は?」
「もうねぇよ」
「そんなもうええわみたいに」
「お前が言わせたんだろ」
「そんなつもりはなかった」
「ところでお前は?」
「何が?」
「この世に未練」
「あるよ」
「あんのかよ」
「あるからこうなってんでしょ」
「なんだそれ」
「あなたが一緒に来てくれるならなくなるかも」
「随分と都合のいい話だな」
「じゃあ決まりね」
「何が決まったんだよ」
「私たち、ずっと一緒」
「重いなあ」
*
「……なんだよこれ」
俺はゆるゆるとワイヤレスイヤホンを耳から抜いた。手が震えぽろりとイヤホンが床に転がった。
休日の朝。死ぬほど気怠い頭と身体を起こす。今日も喉ががらがらだ。
カーテンの隙間からは嫌味なほど朝日が差し込んでいる。
六畳一間の部屋には、俺以外誰もいない。当然だ。一人暮らしなのだから。
ベッドの脇には脱ぎ捨てたシャツと、床には昨日コンビニで買った弁当の容器が転がっている。テーブルの上には飲みかけのペットボトル。だらしない一人暮らしのいつもと変わらない風景。夢も希望もなく、やりがいもない仕事をだらだらとこなすだけの惰性の人生そのもの。
だが、一つだけ絶望的に違うものがあった。
俺はもう一度再生ボタンを押した。
『いやー、実に眠たいですね』
俺の声だった。
安さと間取りと立地に惹かれてこの部屋に引っ越してから、やたら寝起きが悪くなった。 寝た心地がしない。六時間は寝ているはずなのに体感では三十分程しか寝ていないのではないかと思うぐらい身体の疲れが取れていない。
おかしい。
破格の値段から事故物件を疑ったが、不動産からは速攻で否定された。疑わしいと思って事故物件サイトでも確認したが、信じられないことに何かがあったとされる炎のマークはついていなかった。
ただ安くて好条件な物件。
逆に怖くなった。何かがある。それを確かめる第一歩として、俺は自分の寝言を録音することにしたのだ。理由は寝起きの喉の乾きと枯れ具合だ。喉を酷使したと思われる感覚から、意識のない中で俺は何かを喋り続けているのではないか。そこにヒントがあるのではないか。
すぐに録音アプリをインストールし、早速試してみた結果とんでもないものが録音されていた。
漫才だ。無駄にテンポのよい漫才を俺は一人暮らしの部屋で寝ながらかましていたのだ。
そりゃ毎朝喉もぼろぼろになるし、寝れてもいないわけだ。毎朝の絶不調っぷりの理由は分かった。ただそれどころではない問題が発覚した。
『そのまま永眠すればいいと思うけど』
知らない女の声が入っていた。
最初、俺が声音を変えて一人二役を演じているのかと思った。だがそうじゃなかった。明らかに俺と違う声であることはもちろん、セリフによっては俺が喋っている声に重ねて喋っている部分もある。そんな芸当は不可能だ。
俺以外の人間が存在している。
夜中俺と意味不明な漫才を繰り広げる謎の相方。
ーー何だよこの女。
録音を聞いている限り女は同じ空間にいた。つまり、寝ている俺の真横にいるぐらいの距離感だ。俺は慌てて録音を削除しようとしたが、そこで指が止まった。
知らない女の声が入っていたという恐怖で頭がいっぱいになっていたが、先程聞いたばかりの女との掛け合いが頭を再度駆け抜けていった。
『大罪だわ。死ね』
『だから死ねって』
『じゃあ死んでみたらいいじゃん』
女はやたらと死を連呼した。
漫才のような掛け合いの中で深刻には聞こえなかったが、女は隙あらば俺を死に導くような言葉を何度も繰り返しているのだ。
そしてそれに気づいた時、一気に血の気が引いた。俺は慌ててイヤホンを耳にはめて再び録音を再生する。再生箇所は漫才の終盤。
『じゃあ、ずっと一緒にいてくれる?』
『わかったよ。お前と一緒に幽霊やってやるよ』
『えへへ』
『でへへ』
『この世に未練は?』
『もうねぇよ』
『そんなもうええわみたいに』
『お前が言わせたんだろ』
『そんなつもりはなかった』
『ところでお前は?』
『何が?』
『この世に未練』
『あるよ』
『あんのかよ』
『あるからこうなってんでしょ』
『なんだそれ』
『あなたが一緒に来てくれるならなくなるかも』
『随分と都合のいい話だな』
『じゃあ決まりね』
『何が決まったんだよ』
『私たち、ずっと一緒』
『重いなあ』
ーーこんなの反則だろ。
俺は呆然と虚空を眺めた。
無意識のうちに俺は見知らぬ女とコミカルなやり取りの中で、女と同じあちら側に行くことを了承しているではないか。
俺は慌てて荷物をまとめた。
こんな所には住めない。気持ち悪すぎる。
お笑い好きな女なのだろうか。幽霊になっても漫才だなんて聞いたことがない。漫才欲も満たしながら俺をあの世に連れて行こうだなんてとんでもない悪霊じゃないか。
それから数日のうちに俺は部屋の解約処理を済ませた。
不動産の担当は驚き何があったのかと聞かれたので、「漫才好きの女の悪霊がいる」と捨て台詞を吐いたが、担当は明らかにヤバイ奴を見るような理解できないといった表情で俺を蔑んだ。
*
「おい、大丈夫か!?」
「やばいやばい」
「うわ、絶対死んだだろ……」
ーー何が、あった?
目は開いてるはずだが視界がぼんやりしてはっきりしない。この時代でも裸眼で1.5あることが数少ない自慢だったのに。
やけに周りがうるさい。俺を中心に何やらざわざわと声がしている。
ーー何だようるせぇよ。
もしかして寝ちまったのか。
そう思って動こうと思ったが、頭も身体もぴくりとも動かなかった。
「救急車まだかよ!?」
「何、轢かれたのあの人?」
「もう無理だろあんなの」
飛び交う物騒な言葉はどうやら全て俺に対してのものらしい。
ーー轢かれた? 俺が?
どうして。いつ。
俺は確か部屋を解約して不動産を出て、それで交差点を歩いてて……。
「やっと死んでくれた」
その時、一つだけ明瞭な声が聞こえた。
あの女の声だった。
「いつまで寝てんのよ。約束でしょ」
ーー約束? 約束って何だ。
「あなたなら私の未練を晴らしてくれるかも」
ーー未練。未練って何だよ。
『ところでお前は?』
『何が?』
『この世に未練』
『あるよ』
『あんのかよ』
『あるからこうなってんでしょ』
ーーあぁ、何かそんなこと言ってたな。
「ったくよ」
俺はむくっと立ちあがった。取り囲む野次馬と、車に轢かれてどぼどぼに血を垂れ流している俺の身体がそこにあった。
「幽霊の未練って生きてる人間が晴らすもんなんじゃねえの?」
「そんなルールは生きている人間が勝手に決めただけ」
目の前に女がいた。もっと恐ろしい奴かと思ったが、思いのほか地味で普通の見た目だった。
「で、何? 霊界の漫才で優勝したいとか?」
「その通り」
「当たりかよ。まさか幽霊ワングランプリでU-1だなんて言わねえよな」
「その通りだが」
「なら笑いじゃなくて恐怖で競えよ」
「それは私も思った」
「ってか相方探しなら死んだ奴探せよ」
「死んでるじゃん」
「お前が殺したんだろ。そうじゃなくて既に死んだ奴から探せってこと」
「私は常に鮮度が欲しいのよ」
「死んだ奴に鮮度もくそもねぇだろ」
ーーあれ、なんだか……。
「あんた、今までで一番相性いいかも」
女が親指をぐっと立てた。
ふざけんな。霊界漫才の為にこっちは嵌められ殺されたんだぞ。あの部屋が事故物件になってないのは、部屋で死人が出てないってだけだ。おそらくは部屋を出てから同じように殺されているやつが何人もいるはずだ。この女が求める鮮度ってやつの為に。
いくらでもこいつに罵詈雑言を吐く権利が俺にはある。本当はそうするべきだろうとも思う。でもどうにも俺の感情はそうはならなかった。
「どうも、そうらしいな」
理不尽に死んだってのに、なんだかわくわくしている自分がいる。
生きているうちに見つけられなかったのに、死んで生きがいが見つかるなんてとんだ皮肉だ。
「この世に未練は?」
女が尋ねた。今更無駄な意思確認だ。もう死んでるんだから。
だが今、死んだなんてもはやどうでもよかった。むしろこれから始まるきっかけに過ぎなかった。
「もうねぇよ」
俺は女に向かって親指を下げた。
「もう死んでるっつうの」
女が笑った。悪くない笑顔だった。




