第6話 月夜の同志
フュリー家は先祖代々大陸に居を構える、由緒正しい家柄である。
生まれた男は大抵、成人を迎える前に大陸軍へ入隊する。ロシェドも当然そうであった。
十四になった夏、彼の父は息子を呼び出した。
尊敬する父は、額から口元にかけて濃い傷跡がある。
昔に作った名誉の傷だと自慢げに語っていた。
『伝えねばならんことがある。軍のあり方と、祝福についてだ』
もし嫌だと思うなら、家のことは綺麗さっぱり忘れて、どこか遠い島で暮らすといい。
父はそう言った。
ロシェドが望めば家の習わしなど放り捨てて、逃亡の手引きをしてくれるに違いなかった。
『覚悟はあります。全て話してください』
父は一つ瞬きをして、しばらく宙を見つめていた。
何から話すべきか迷っているようだったが、やがてぽつり、ぽつりと話し始めた。
そして困惑する息子を基地へ連れ出し、真実の全てを、その目に見せたのである。
この日、ロシェドは自らの罪を自覚した。
愚かだと思った。
何故その道を選んだのかと、父に問いたかった。
けれど既に事は起こっている。後戻りなどできない。
ロシェドは選んだのだ。
彼だけではない。入隊した者全員が等しく、同じだけの罪を背負っている。
しかしそれを真に自覚している者など、ロシェドは見たことがない。
彼は望んでいた。自分と同じ地獄で苦しむ者を。
すっかり月が雲に隠れてしまい、辺りは闇夜に包まれた。
しかし、二人とも夜目が効く。
硬い土と草を踏み締め、前へ飛び出す。
小手調べに何度か斬撃を撃ちこんだが、それら全ては短剣で防がれてしまった。
片手で剣を持つのだ。並大抵の筋力であれば耐えきれない。
しかし、ロシェドはブレる様子すら見せない。
そのくせ僅かでもこちらに隙があれば、力強く細剣を振り込んでくるのだから、厄介だった。
先に船へやったニィナや、その母親のことが気がかりである。
時間をかけるのは好ましくない。
ちり、と肌が粟立つ。アスレインは反射的に右へ逸れた。
細剣を振り下ろされた先、暗闇に火花が散った。
瞬間、瞬く間に一直線に燃え盛り、雑草を焼く。
空気が歪む。
(炎……。祝福か)
一度存在を認識してしまえば、二度同じ手は通用しない。舌打ちが聞こえた。
とは言え、だ。剣撃に加えて警戒するべき対象が増えた。
「避けないでくれ。無駄に苦しめたいわけじゃない」
「苦しめる、ね」
炎が消えるのを横目に確認した。
再び暗闇に戻る。持続性はないらしい。
剣を構えながら、「ところで」と切り出す。
「殺しは悪だって言ってるけど、罪のない子供を殺すのはいいんだ?」
無論、ニィナのことである。
この男の言葉は矛盾している。
反論しないわけにはいかなかった。
「俺達は大局を見据えて万事成す。その為の犠牲なら、仕方がない」
「仕方ないだって?」
サッと、アスレインの顔色が変わった。
批判する目つきで、ロシェドを見つめている。
「それが軍人の言葉?」
ロシェドは悪人ではない。人の命なんて奪いたくない。
けれども、そうしなければ先へ進めない。
多数の命を取るか、少数の命を取るか。
取捨選択の度に、心は擦り切れていく。闇に溺れていく。
けれど迷ったところで、時間が解決してくれるわけではない。
いつの間にか、考えないフリをしていた。
それに。
「お前だって多くの人を殺したんだろう。言わる筋合いはない!」
「そりゃそうだ。結果、僕らがやってることに変わりないかもしれないね」
それでも、と続ける。白刃がぶつかり合う。
「僕は『仕方なかった』と言って、目を背けるつもりはない」
間近で競り合いながら、黒髪の青年はそう言った。
──同じ地獄で、同じように苦しむ人が欲しい。ずっとそう思っていた。
同志の定義がある。あくまでロシェドだけの持論だが。
一つ、善人であること。
二つ、罪から目を背けないこと。
三つ、死なないこと。
昔からの理想像が、僅かに輪郭を成した。
(なんだ、この……胸の高鳴りは……)
不規則的な鼓動が落ち着かない。
まるで耳の後ろに心臓があるみたいだ。
一度距離を取る。
ロシェドは恐る恐るといった様子で、黒い青年に問いかける。
「なら、お前はどうするんだ」
青年は少し黙って、剣を頭上に掲げた。
「忘れない。全部抱えて地獄に堕ちる」
月が、雲の隙間から顔を出した。
月光が彼を照らす。
「僕は僕の裁量で"生きるべき人"を助ける。それが嫌なら、止めてみろ」
浴びせられた一太刀は、今までの何よりも重かった。
重心が後ろへずれる。
短剣だけでは防ぎきれない。細剣も防御に回す。
が、力及ばない!
一対二。数の利はこちらにあるのに、止められない。
遂に二本の剣は弾かれてしまった。胴がガラ空きになる。
──狙い澄ました一線が、翔ける。
瞬間、不自然にアスレインの動きが止まった。
一瞬の出来事だった。
ロシェドは反射的に、弾かれた短剣を再び掴み取りその左胸に突き刺した。肉を貫く感触がする。吐かれた血が、肩にかかる。
短剣から手を離すと、彼は数歩後ろへ下がってから、やがて力が抜けたように地へ伏せた。
目は閉じられている。
自分の呼吸が荒く聞こえた。
「……ジュラル」
「焦りましたよ。本当に殺られそうになるんですから」
近寄りながらジュラルはそう言った。口元に微笑みを浮かべている。
意図的に作られた笑みは、男の苛立ちを表していた。
「あんた、何をした」
分かって尋ねた。
この男の力は、相手の動きをその場に留めることができる。
一瞬のことではあるが、その刹那で全てが決まる。
今のように。
「助けたつもりか」
「助ける? まさか!」
わざとらしく笑ってから、ロシェドの肩に手を置いて吐き捨てる。
「尻拭いしてやったんだよ」
あまりにもお前が弱いから。
そう付け加えて、二度ほど揉んでからジュラルは離れた。
肩を払う。
この打算的な男のことだけは、どうも好きになれなかった。
「後の始末は頼みますよ。あぁもちろん、家の方も」
「あんたは?」
「船に戻ります。気は進みませんが」
背を向け歩いていく男の、なんと忌々しいことだろう。
しかし文句は言えない。あんな奴でも地位はある。
手を出して父に迷惑をかけたくなかった。
とにかく仕事だ。気を取り直す。
(死体は海に捨て、家には火をつけよう。それが一番手っ取り早い)
せっかく、同志を見つけたと思ったのに。
善人であっても死んだら意味がない。
生きて苦しむことが、罪を背負うことなのだ。
眼を閉じ、眉間に手を当て大きく息を吸い込む。切り替えるための大事なルーティンだ。
死闘によって乱されたペースを通常のそれへ戻していく。
ほんの十数秒ほどの間のことだった。
キン、と、金属の音がした。軽い音だった。
ハッと、眼を、音のした方へ向ける。
まず視界に入ったのは、黒い男だ。先ほど地に伏したはずの男が、剣を鞘に収めている。
次いで白髪混じりの頭が虚空を舞う。弧を描いて、呆気なく土の上に落ちた。
首を失った体は膝をつき、前のめりに倒れていく。
「卑怯な手だったね」
果たしてそれは、相手を咎める言葉だったのか、己を恥じた言葉だったのか。
ロシェドには区別がつかなかった。
ゆっくりと、ブルーグレーの眼がこちらを振り返る。
──一つ、善人であること。
幼い子供と、その母親を助けた。
──二つ、罪から目を背けないこと。
全て背負う覚悟があると、言った。
──三つ、死なないこと。
心臓を貫かれても、なお。
ずっと欲しかった。罪を背負う同志で、そして、語り合える、そう──、友達のような。
「お前……いや、君は……。俺と友達になりたいか?」
「は? いや全然」




