第4話 手のうちの神さま
ニィナの家は、島の外れにある。近所に他の家はなく、草木が生い茂った先にこじんまりとした家が一軒あるのだ。
すっかりと日が暮れてしまったが、家の中に灯りが灯っていない。不思議に思いながら、ニィナはドアの前に着くと、声を張り上げた。
「おかあさーん! ドアを開けて! 手がねぇ、あいてないの!」
なんてったって、両手は深皿で埋まってしまっている。片手に持ち替えたら、流石にこぼしてしまいそうだった。
だから、ニィナは家にいるはずの母に頼もうとした。
もしかしたらジュラルもいるかもしれないが、知ったことではない。ニィナが帰宅したとなれば、話も終わるかもしれないし。
ニィナは開かないドアに、さらに声を張り上げた。
「おかあさーーーん!!」
「……聞こえてますよ」
ドアを開けたのは、母ではなくジュラルだった。
真っ黒な目が、ニィナを見下ろしている。
ニィナは数歩、後退りをした。
「おつかいに行っていたのですか? 偉いですね。さあ、お入りなさい」
「……おかあさんは?」
「家の中で待っていますよ」
「おかあさんを連れてきて」
「どうして?」
「あなたは、あやしいから」
ジュラルは大きく息を吸った。そして長い時間をかけて、それをゆっくりと吐き出していく。
それが男の苛立った時にする癖なのだと、ニィナは理解した。
「女に似て、面倒な子だ」
「おかあさんはっ……!」
食ってかかろうとしたニィナの腕を、男が掴む。骨が軋むほどの痛みを伴う力に、ニィナの顔が歪んだ。
勢いよく家の中へ連れ込まれ、深皿が地面へ投げ捨てられた。
皿が割れる。煮魚が土に汚れる。
バタン!と扉が閉まり、暗闇に放り出された。
「ガキは使えん。殺して海に捨てろ」
「はっ」
ニィナは、囲まれていた。
狭い部屋に、背の高い男達が五人ほど詰め込まれている。その真ん中に放り出されたのだ。
男達は皆、鈍く銀色に光る剣を持っていた。暗闇の中で、それだけが月の光を反射して光っていた。
「俺は母親の方を連れていく。あとは手筈通りに」
「はっ」
ジュラルが、母を肩に担いだ。気を失っているのか、だらりと手が力なく垂れている。
裏口へ向かう二人を、ニィナは叫びながら追いかけようとした。けれども、誰かがニィナの肩を掴み、床へ再び放り投げる。
頭を強くぶつけ、痛みと恐怖でうずくまる。
涙が溢れて、冷たい床を濡らした。
「可哀想に」
一番年上の男が、小さくそう言った。剣を振り上げた気配がする。
「すぐ楽にしてやるからな」
──おかあさん、見て! 手からキャンディが出てきたよ!
──あら! すごいわニィナ! 一体どうやったのかしら?
──あのね! つよくおねがいするの! 神さまにお願いする時みたいに、つよく、つよくおねがいするのよ! そうしたら神さまがね、叶えてくれるの!
こわい、こわいよ。
だれか、たすけて。ここにきて、ニィナをたすけて。
強く、強くお願いをする。今までより強く。
手でお椀を作る。そうすると、ニィナの望んだものが現れるのだ。たまに失敗することもあるけれど。本当に必要な時は、絶対に"当たり"が出るから。
だから、おねがい。
「たすけて……」
瞬間、激しい音を立てて、家の扉が吹き飛ばされた。男達が一斉に振り返る。
暗闇の中。月明かりに照らされて、一つの影が浮かび上がった。
「感心しないなぁ。女の子に乱暴しようだなんて」
誰だ! と男が叫ぶ。
ニィナは知っていた。先ほど出会ったばかりの、優しい眼をした青年を。
涙でボロボロになったニィナの顔を、男達の隙間から見つけて、アスレインは安心させるように微笑んだ。
「少しだけ、眼を閉じてられる?」
ニィナは何度も頷き、硬く眼を閉じ俯いた。それを確認して、アスレインは男達に向き直る。先ほどの優しい顔はもう、どこにも無かった。
男達に向き直ってから、アスレインは"あること"に気がついた。
……相棒を宿舎に置いてきたままである。
(あちゃー……、まぁいっか。剣なら相手から奪えば良いし)
幸いなことに、ここには五人もいる。つまり、剣は五本あるのだ。
ぐるり、と肩を回す。体術は久しぶりだった。だが、ここにいる誰よりも、上手くやれる自信がある。
挑発的に笑うアスレインに一人が飛びかかった。
五人の中で一番見た目の若い男だ。血の気の多そうな見た目をしている。我慢ならなかったのだろう。
ビュッ、
中段に構えた剣先が、右頬を掠める。
隙のできた男の腹に、拳を叩き込んだ。ぐぅ、と唸る声がした。
剣を握る手が緩んだのを見逃さず、それを強引に奪い取る。ハッと眼を見開いた男の首は、そのまま重い音を立て地へ落ちた。
あまりの早技に、四人は言葉を失った。誰も、アスレインの剣捌きを、その目で追えなかったのである。
アスレインは、頬に飛び散った血を拭いながら、不満げに声を漏らした。
「うん、やっぱり。軽くて、やりづらいや」
「ッ、かかれ!」
一対一では叶わない。そう判断したリーダー格の男が、声を荒げる。数で押すしかない──。
しかし、ここは狭い室内であった。連携は難しい。
まず二人が前に出た。左右から斬りかかる。
振り下ろされる刃を最小の動きで避ける。もう一撃、さらにもう一撃と追随するが、どれも掠りもしない。
焦りを含むと軌道にブレが生じる。
アスレインは腰を低くおろし、下から掬い上げるように剣を薙いだ。
脇腹を狙ったそれを、なんとか防ぐ。
「グッ……」(重いッ)
腕全体の痺れに、思わず声が漏れた。
怯んだ様子を見て、さらに攻撃を重ねるべく一歩近づく──と見せかけ、アスレインは後退した。男の剣を握る手首に、鋭い刃が振り下ろされた。味方の剣だった。
「あ゙ッ」
骨を切断するには至らず、剣が肉にめり込む。
気が動転した味方は、ハッとなり自身の剣を見つめた。その腹に蹴りを喰らわす。
背後に倒れ伏していく男の頸動脈を断ち切り、膝をついた手負いの男の喉元に剣先を突き刺す。
緩んだ手から、剣が落ちる。
それが地に着く前に受け取る。
ニィナを人質に取るべく手伸ばした男の動きが止まった。こめかみに刃が突き刺さっていた。
アスレインは放り投げた姿勢を崩さず、息を吐いた。
ガタリ、
終始静観に徹していたリーダー格の男が、腰をつく。
「わ、悪かった」
一歩、一歩、歩みを進める墨色の青年から逃げるべく、男はへたり込んだまま後退した。
唇は震え、顔は青ざめている。
「見逃してくれないか。生まれたばかりの子がいる。帰ってやらなきゃいけないんだ」
「それは、可哀想に」
青年は死体から剣を引き抜いた。赤黒い液体が、おぞましいほどに月光を反射している。
「たのむ、おねがいだから、おねがいしますっ、」
「…………」
温度を感じられない表情で、片腕を振り上げる。柄を強く握り込んだ。
振り下ろす、その直前。
背中にあたたかい熱が広がる。熱はアスレインの背中にしがみつき、小さく震えていた。
アスレインは、少し迷って。振り上げた腕を、静かにおろした。
見逃された男は、這いつくばりながら忙しなく家の外へ駆け出していった。
それを目で追ったが、いや、まずは現状を把握する方が大事だろう。
アスレインはそう思い直して、ニィナに向き直った。
床に膝をつく。
「まだ目は閉じてて。一体何が起きたの?」
「あのねっ、おかっ、おかあさんが! レジスタンスって人に、連れてかれて……!」
「お母さんは今どこにいる?」
「わかんないよっ、でも、裏口から外に」
言葉の途中で、アスレインはニィナを抱き抱えた。
「外に出たら、目を開けていいからね」
二人はすぐに家を飛び出した。
夜風が肌を撫でる心地がして、ニィナは今、自分が外にいるのだと理解する。
けれど、目を開けるにはまだ恐ろしく感じられて、しばらくの間アスレインの肩に強く額を押し付けていた。




