第3話 特別な少女
ニィナ・グレンジ。8歳。
生まれは東の島群に属するキウリュス島。
秋晴れの日に生まれた子。
ニィナには、特別な力がある。
何か欲しいものがある時、手をお椀の形にして強く念じるのだ。
そうすると、それは現れる。
はじめてこの力が顕現した時、ニィナは5歳だった。
不思議な力が嬉しくて、見せびらかしたくて仕方なかった。
外へ飛び出そうとするニィナの腕を、母が引き留めた。
「この力を他の人に見せては駄目。教えてはいけないの」
「なぁんでぇ! ヤダヤダ!」
「ニィナ。お願い言うことを聞いて。とっても危険な力なの。他の人に知られたら、お母さんといられなくなっちゃうかもしれないよ?」
その日から、ニィナは家の中で過ごすようになった。
大人しくすれば、母はたまに買い物へ連れて出てくれた。
母が大好きだった。
だから、多少の不自由は我慢できた。
数日前、知らない大人が家に訪ねてきた。
「ロベルタ・グレンジさん、ですね?」
「……そうですけど」
「失礼しました。わたくし、ジュラル・バドボルトと申します。反大陸軍、いわゆるレジスタンスに所属しております」
と言って男は帽子を脱ぎ、わざとらしく一礼した。
毛先まで手入れされた長い髪が、肩に垂れる。
「……おかえりください」
母親は扉を閉めようとした。
それを見逃さず、ジュラルが隙間に半身をねじ込む。
「まあそう言わず」
「反大陸軍ですって? そんな物騒な方が、うちに何の用です? 帰ってください!」
「グレンジさん、単刀直入に言いますね。この家に、祝福者がいらっしゃるでしょう」
ドアノブを掴んでいた母の手が緩む。
困惑気味に揺れた瞳は、部屋の隅で人形を抱えていたニィナに向けられた。
「…………どうして、それを」
「とある親切な方が教えてくださったんです。この島に祝福者がいると。調べてみると、この家の方だそうじゃないですか」
ジュラルはそう言うと、前髪をピンッと弾いた。
「我々レジスタンスの目的は祝福者の保護です。こんな辺鄙な島にいては、危険が及ぶのも時間の問題でしょう」
「…………」
「わたくしと一緒に来ていただければ、親子共々守り抜くと誓います。必ずです」
「…………大陸軍も、祝福者の保護をしていると聞きます。あなた達と一体何が違うんですか?」
「彼らのやり方をご存知無い?」
ジュラルは片眉を上げ、苛立ったようにそう言った。
ロベルタの肩が揺れる。警戒するように目の前の男を睨むと、男は一つ咳払いをした。
「彼らが保護するのは祝福者一人だけです。まず、あなた方は離れ離れにされるでしょう。それに……、いや、なんでもありません」
「なんですか? 今、なんと言いかけたんですか?」
もったいぶった言い方をする。
母が詰め寄ったが、男は涼しい顔をして首を振った。
「いいえ、これは少しショッキングな内容ですから。知らないに越したことはありません。とにかくわたくし共は、そういった魔の手からあなた方を守るのが役目なのです」
「…………」
「来ていただけますね?」
ロベルタはまだ少し、迷っているようだった。
迷った末に、絞り出すような声で「時間をください」と乞うた。
ジュラルはそれを聞き、大きく息を吸った。
それからたっぷり間を置いて、穏やかな声で語りかけた。
「ま、いいでしょう。ただし、時間はありません。少し前から、この島にきな臭い人間が紛れ込んでいるようですから」
「それって……」
「軍の人間でしょうね。幸いまだあなた方に気がついていないようですが……。三日後にまた来ます。それまでに荷物の準備をなさってくださいね」
そう言って、ジュラルは去っていた。
ドアの前で立ち尽くす母に、ニィナが遠慮がちに近づくと、母は膝をつき、彼女を強く抱きしめた。
結果として、ロベルタは「行かない」ことを選んだ。
約束の日。
日が暮れた頃、ロベルタはニィナの肩を掴んで目を合わせ、言い聞かせるようにこう言った。
「今日、前に来たあの男の人が来るわ。おかあさんが話をするから……、ニィナはおつかいに行ってきてくれる?」
「でも、おかあさん……」
心配そうに唇を尖らせるニィナに、母は笑いかけた。
「おかあさん、ヴァルおじさんのとこの"煮たやつ"が食べたいな。あのお魚の。ニィナも好きだよね?」
「うん……」
「お話が終わったら、一緒に食べよっか」
母がそう言うので、ニィナは頷くほかなかった。
そうして母からもらったお金を手に、ヴァルの屋台へ向かったのである。
そこで出会った青年は、はじめて見る顔をしていた。
ニィナを見ると、柔らかく微笑み、「こんばんは」と話しかけてきた。
「はじめまして、だよね? アスレインと言います。少し前にこの島に来たんだ」
「そう、なんだ。はじめまして」
「なんだぁ、ニィナ。緊張してんのか? ビビんなくても、ソイツは悪い奴じゃねぇよ」
明るい声で話すヴァルに、ニィナは「フーン」と返した。
おそらくはこの青年が、ジュラルの言っていた「きな臭い人間」に違いなかった。
(でも、全然悪い人には見えないけど……)
意地の悪い人間というのは、表情に表れる。眼が怖いのだ。
けれどアスレインは、優しい眼をしていた。
黒髪に、一房の白い髪が混じった特徴的な髪型をした青年は、ニコリとニィナに笑いかける。慌てて目線を逸らした。
それから紙幣をヴァルに手渡すと、どうやらお金が足りなかったらしく、首を傾げられた。
ニィナも不思議に思う。お金は母から受け取ったのだ。
いつもここの店の煮物を買う母が、代金を間違えるとは思えなかった。
(まあいっか、ニィナにはアレができるもんね)
いつも通り、手をお椀の形にする。
それから念じるのだ。強く、強く念じるのだ。
二十バルドの紙幣。
新品で、キレイなモノを──。
カサリ
ギュッといつの前にか閉じていた眼を開くと、それは手の内にあった。
二枚の紙幣。
完全に要望通りにはいかず、少し汚れていた。
「あ、あったよ! ポッケに入ってた」
「なぁんだ、よかった。じゃあこれで丁度な。まいど!」
「うん! またね! アスレイン、さんも」
「う、うん……、また……」
深皿を受け取って、なみなみと注がれた汁をこぼさないように、慎重に歩き出す。
あたたかくて、とても良い香りだ。
早く帰ろう。そして、母とこの美味しい食事を食べるのだ。
(……あれ?)
ふと、振り返る。
なんだか人の視線を感じた気がしたが、どうやら気のせいだったようだ。
ニィナは深皿を抱え直すと、一歩一歩、丁寧に歩を進めた。




