第51話 私はサリオン様の妻です
「――サリオン様!!」
北の魔王が攻めてきた、という言葉を聞いて、私は堪え切れずに声をあげた。
助けに来てくれた。
サリオン様が、ここまで来てくれた。
それだけで、心に満たされていた不安と恐怖が溶けていく。
「サリオン? 待て、賢者の娘……お前、まさか北の魔王と関りがあるのか!?」
マルコスが私の方を、忌々し気に振り返る。
私のことを"賢者様"なんて呼びながら仰々しい態度をとっていた男はもういない。
彼は錯乱し、完全に本性を現していた。
「そ、そうです」
私は少しだけ逡巡したが、マルコスの問いかけに頷いた。
魔物を敵視する彼の目にどう映るかは分からないが――ここまできて、もう誤魔化したくはなかった。
「私は、サリオン様の妻です!」
大きな声でそう宣言した瞬間、マルコスの表情が完全に凍り付いた。
脳が理解を拒絶しているような、そんな表情だった。
少し間を開けて、彼は馬鹿にしたように笑い出す。
「……は? ははっ、何を言ってるんです。妻? あの化け物の? 冗談でしょう!?」
私はその笑みには一切応じず、真剣な目でマルコスを見つめる。
「本当です。サリオン様は、お優しい方です。魔物さん達も、みんな良い人です」
「ふざけているのか!? 魔物の、瘴気のせいで、人間がどれほど苦しめられていると思っている!」
「そ、それは、そうかもしれませんが。少なくとも今の彼らに、人間への明らかな敵意なんてないです。それを全部滅ぼしてしまおうだなんて、乱暴すぎるし、許せません!」
「敵意がない? 馬鹿な……、はははっ、馬鹿な……!!」
マルコスは声を震わせながら、壊れたように笑い始めた。
そしてひとしきり笑い終えると、私にずかずかと近づいてきて髪を乱暴に掴んだ。
「ああ、ああ、分かりましたよ! "賢者様"は、哀れ魔王に洗脳されてしまったのですね。ならば、そこから解放して差し上げるのもまた、英雄の役目でありましょう!」
「洗脳なんて、されていません。おかしな考えに囚われているのは、貴方の方で――」
「うるさい! 私は正しい!!」
マルコスに髪を掴まれた私は無理やりホールの隅まで引き摺られ、強く床にたたきつけられた。
頭に割れるような痛みが走り、しばし動けなくなる。
その間にマルコスは、あたりに乱雑に散らかっている武器の中から、大きな剣を手に取っていた。
「儀式の間は破壊されてしまった。もはや、今すぐに魔導砲は作れない」
ぶつぶつと呟きながら、マルコスが迫ってくる。
「本当に北の魔王が攻めてきているのなら、逃げ切るのも不可能。ならば、せめて」
「っ、だめ、もうやめてください!」
私は身の危険を感じて、床に転がったまま必死に後ずさる。
けれど、すぐに壁に阻まれた。
マルコスがニヤリと笑い、追い詰められた私を見下ろす。
「悍ましき魔物の洗脳から、解放して差し上げますよ。賢者様――!!」
ゆっくりとマルコスが剣を掲げる。
今にも私に向かって刃を突き刺そうとしている。
私はキッと彼を強く睨みつけた。
――負けない、せめて、気持ちだけでも負けない。
私はサリオン様を愛している。サリオン様を信じている。
(……サリオン様!!)
その時、ホールの壁の一部が轟音をあげて吹き飛んだ。
激しい衝撃と砂煙でマルコスが怯んで、手が止まる。
「待て」
砂煙の向こうから現れたのはサリオン様だった。
彼は傷一つ、衣服の乱れすらない状態だったが、暗い黒紫色の瞳は怒りに満ちていた。
「――僕の嫁を返してもらおう」




