第50話 儀式の間の絶望
頭上の格子窓から差し込む光は消え、牢屋内は薄暗くなっている。
――夜が来たのだ。
私は祈り続けたが、研究施設だという神殿内は静まり返っている。
サリオン様が助けにやってきたという気配もない。
「迎えに来ましたよ、賢者様」
鉄格子の向こうの扉がゆっくりと開いた。
マルコスが、数人の兵士たちを引き連れて中に入ってくる。
「……っ、私はそんな実験に協力はできません」
私は壁に背を付けながら、マルコスを睨みつける。
マルコスはそれを意に介する様子もなく、兵士たちに私を捕えるよう指示を出した。
牢の中に兵士たちが入って来て私の手首をつかむ。
私は必死に暴れて抵抗するけれど、屈強な兵士相手に腕力ではとてもかなわない。
「大人しく付いて来てくれませんかね。必要なのは魂なので、身体は傷ついても構わないのですが……。この実験の"功労者"である賢者様には、できれば敬意を表したいもので」
「ふざけないで! 無理やり連れて来て、何が敬意よ」
腕を捻り上げられても抵抗を止めない私は、遂に手足を縄で縛り上げられた。
完全に身動きを封じられた状態で、兵士の一人に抱え上げられる。
「貴女にもいずれ分かりますよ。この行為の尊さ、素晴らしさが!」
「分かりたくもありませんっ」
「――もういい。口も塞げ」
「こんなこと、絶対にうまくいかな……んんっ、むっ、」
敵対する態度を崩さない私に苛立ったのか失望したのか。
マルコスの指示で私は口も布できつく縛られ、喋ることすらできなくなった。
そのまま牢屋のあった部屋を出て、長い廊下を運ばれていく。
少しでも時間を稼ごうと縛られた状態で身を捩るが、殆ど意味を成していない。
(どうしよう、このままでは……)
無力感に苛まれ、涙で視界が滲む。
かつて自分が"死んだ"ときのことを思い出す。
あの途方もなく虚しく、苦しく、自分が世界から切り取られていく感覚は、二度と味わいたくない。
しかも今、私には愛する人と、帰るべき居場所ができてしまった。
それを永遠に失うなんて、耐えられない。
――なのに、出来ることがもう何もない。
「ここです。世界を救うことになる――儀式の間です」
陶酔したようなマルコスの声が響いた。
軋んだ音を立てて開いた扉の先は、巨大な石造りのホールになっていた。
薄暗い室内は静まり返り、陰鬱な雰囲気が漂う。
「……っ!」
その異様な光景に、私の背筋が凍った。
天井に届きそうなほど高い左右の棚には、何かの瓶詰がぎっしりと保管されていた。
隅の方には作業台のようなスペースが何か所かあり、刃物や武器が並んでいる。
中央の床には幾重にも複雑な魔方陣が描かれていた。
その中心に木製の椅子が置かれている。
金属の手枷足枷を取り付けられる、拘束椅子のようだ。
「さあ、時間が惜しい。早速、儀式を始めましょう」
マルコスは狂気的な笑みを浮かべると、縛られたままの私を拘束椅子へ押し付けた。
「んっ、ん、んん――!!」
私は最後の抵抗を試みるが、努力もむなしく手枷足枷を取り付けられる。
「準備は宜しいですか、賢者様?」
「んんっ、ん、んんっ!!」
呻きながら必死で首を横に振る私のことなんて、マルコスは見向きもしない。
彼は上機嫌で儀式の間の奥の方から、がらがらと大きな筒のようなものを引っ張ってきた。
――本でしか見たことが無かったが、あれはおそらく大砲の砲台だ。
500年前の魔物との戦争時には魔法銃や大砲も活躍したという逸話が残っているが、今の社会では完全に廃れていた。
技術の継承がおこなわれておらず、平和な時代で必要に迫られなかった為だともされている。
それをマルコスは再現し、魔物を滅ぼす兵器として作り替えたというのだろうか。
"魔導砲"が具体的にどんな物かは分からない。
けれど私の脳裏に、その光で焼かれる黒曜城の魔物さん達と、サリオン様の姿が浮かび上がった。
(駄目っ……!)
私の目から涙が頬を伝い零れ落ちる。
恐ろしさに身の毛がよだち、息がつまって気が狂いそうだった。
(サリオン様……、助けてっ……!!)
魔方陣と大砲の接続を終えたマルコスが、ゆっくりと戻ってくる。
静かで不気味な足音が、儀式の間に木霊する。
「それでは、賢者様。お時間です」
マルコスは笑顔で、儀式に使うであろう古びた魔導書を開いた。
私が息を飲んだその瞬間――、地面が大きくグラグラと揺れた。
頑強な床には幾つも亀裂が入り、木製の棚は倒れて中身諸共壊れていく。
後から遅れるように巨大な地響きが轟き、儀式の間の壁全体も軋んで一部が崩れ落ちた。
天井からつり下がっていた照明や実験器具が次々に落下し、音を立てて砕け散っていく。
「……!?」
拘束椅子も壊れて、私は床に放り出された。
振動に耐えるように床に這いつくばっていると、マルコスの錯乱した声が響いた。
「何事だっ! 一体、何が――」
――――ドォン!!
再び強烈な衝撃音と共に、建物全体が激しく揺れた。
立ち上がりかけていたマルコスは、吹っ飛ばされて崩れた床に叩きつけられる。
その異常な衝撃は数分続き、神殿はあっと言う間に廃墟と化した。
私はこの隙に逃げ出そうと試みた。
しかし手枷と口の布は外れたが、足枷がついたままで上手く歩けない。
そもそも身を守るのに精一杯で、碌に移動することも出来なかった。
マルコスは暫し気を失っていたようだが、衝撃が収まってすぐに目を覚ました。
頭から血を流したまま、彼は慟哭する。
「くそっ、なんだ、なんだってんだ! これが試練か? 英雄に課せられた最後の試練だというのか!?」
血走った目を見開くその姿があまりに異様で、私は身を竦ませる。
そんな中、遠くから駆ける足音が近づいてきた。
壊れて半開きのまま固定された扉から姿を現したのは、青ざめた顔の兵士だった。
「ま、マルコス様、ご報告です。上空に、巨大なドラゴンが!」
「ドラゴンがどうした。この聖域で、魔物に何か出来る筈がない!!」
「いえ、その、それが――」
「なんだ、はっきり言えっ!!」
「魔王です。北の魔王が、攻撃を仕掛けてきています!!」




