第44話 ダンスの練習(前)
黒曜城の中央塔には、地下へ続く階段がある。
その先に広がっているのは巨大な書庫だ。
実は元々は地下牢があったらしいのだが、使う予定も無いので本の保管場所へと作り替えたらしい。
下へ降りるほどに空気はひんやりと澄み、紙と古い革の匂いが強まっていく。
「こちらの本、お返しに来ました」
「はいはい、確かに」
この書庫を管理しているのがグレースさんだ。
彼は人間形態の時は、マントを羽織った小柄な老紳士の姿をしている。
グレースさんの魔物姿を私は見たことが無い。
だが、スケルトンなのだと以前にミュラさんが教えてくれた。
そして光が苦手らしく、殆どずっと地下で過ごしているらしい。
思い起こせば、彼は最初の夕食会の時には顔を出してくれていた。
きっと、あの時はかなり頑張ってくれていたのだろう。
「カナリヤお嬢様が来てくださってから、書庫の来客が増えて嬉しい限りですよ」
私が渡した本を棚に戻しながら、グレースさんは柔らかな笑みを浮かべる。
書庫の帳面に返却証明として日付とサインを記入する私へ、彼は続けた。
「陛下は本を好みませんし、他の者も興味が薄いようでして。ヴァルクくらいですかね、ここを定期的に訪れるのは」
「そうでしたか。私も、以前は本を読む機会などあまりなかったのですが……。こちらに来て、ゆっくりできる時間を頂き、読書までできて嬉しいです」
「それは結構なことです。さて、今日は何を準備いたしましょう」
「ええと、ケーキの作り方の本……それから、ダンスについての本を」
「おやおや」
私の言葉に、グレースさんの瞳が優しく細まる。
「結婚式の準備ですか。おめでたいことですねぇ」
「あっ、あの、はい、そ、そうなんですが……」
私は何となく照れてしまって熱が頬にのぼる。
それでも不思議と温かい心地がしていた。
そうこうしている間に、グレースさんが本を持って来てくれる。
「ご希望の本ですよ。どうぞ」
「ありがとうございます」
数冊の本を受け取って、私は頭を下げた。
書庫を去る間際、グレースさんは優しく声をかけてくれる。
「式の準備を手伝うことはできませんが、当日は必ず参加させて頂きます。楽しみにしておりますよ」
「はいっ!」
私は明るく返事をして、地上へ続く階段をのぼっていくのだった。
◇ ◇ ◇
それから私は、本で勉強しつつダンスの練習に努めた。
サリオン様も私の為に毎日、時間を作ってくれて、二人で沢山稽古をした。
私が何度失敗を重ねても、サリオン様は嫌な顔一つしなかった。
また、前の日より出来ることが増えていると、すぐに気づいて褒めてくれる。
そんな彼の為にも良いダンスを踊りたいと、私の心はますますやる気に満ちた。
その結果、僅か一週間ほどの練習で、見違えるほどの上達を果たしたのである。
――そうして、結婚式の前日になった。
夕食を終えた後、私とサリオン様は飾りつけの終わった大広間を訪れた。
ここで、最後のダンスのリハーサルを行う為である。
ダンスの音楽は、サリオン様のお人形たちが演奏してくれる。
彼らは濃紺と黒を基調とした揃いの礼装を身に付けて、楽師役として大広間に待機していた。
「さあ、お手をどうぞ、レディ」
「はいっ、サリオン様」
静かな音楽が流れ始める中、私とサリオン様は大広間の中心へと移動する。
服装こそ婚礼衣装ではないが、辺りは結婚式本番さながらの荘厳な空気に満ちていた。
私たちはホールの真ん中に辿り着くと、互いに一礼する。
そして手と手を繋ぎ合わせて、ステップを踏み始めた。
サリオン様と視線が合うと、周囲の気配が遠のいていく気がする。
曲は次第に盛り上がりを見せ、それに合わせて私は優雅に回転する。
くるりくるりと回るたび、二人の距離は縮まっていく。
「カナリヤ――とても綺麗だ。本当によく頑張ったね」
「ありがとうございます。サリオン様のおかげです」
「明日の結婚式、客人がいなくて良かった。こんなに可愛い君を、他の誰かに見初められたら大変だ」
サリオン様の紫色の瞳が、熱を帯びて私を射貫く。
くすくすと悪戯っぽく笑いながらも、そこには隠し切れない独占欲があった。
そんな眼差しを真っ直ぐに受け止めて、私はドキドキとしてしまう。
「そ、そんな……、私には、サリオン様だけです……」
私は照れながらも、小さな声でそう答える。
抑えきれない嬉しさに、自分の表情が淡く綻んでいくのが分かった。
「それなら良かった。こんなに素敵な君をぞんざいに扱うなんて、かつての君の周りの者は見る目が無かったんだね」
サリオン様にしては棘のある物言いなのは、きっと、家族の私への仕打ちを未だに怒ってくれているからなのだろう。
その想いをありがたく感じつつも、私は、ふとある人物のことを思い出した。
「そういえば……一人だけ、味方は、いましたね」
かつて、私に味方をしてくれたロイド様のことだ。




