第3話 第二の人生の始まり(後)
人通りの少ない路地で、私はロイド様に手を握られたまま、新たに現れたメアリーと富商の姿を愕然としながら見つめていた。
「あなた達、どうして」
屋敷での恐怖を思い出し、声を震わせる私をメアリーは嘲笑う。
「あら、貴女を探してたのよ! ほら、邪魔者は始末しておかないと、安心できないでしょう? でも、ロイドが先に捕まえておいてくれて良かったわぁ!」
「えっ?」
その瞬間、また私の世界は真っ暗闇に包まれた。
「ロイドさま……?」
彼はやっぱり、私を陥れようとしているだけなの?
何を信じれば良いのか分からない。
混乱した私は、青ざめた顔でロイド様を見上げる。
「っ、違う!! 僕はそんなつもりじゃない! メアリー、少し黙ってろ!」
聞いたことも無いような乱暴な口調でそう叫ぶロイド様の腕に、メアリーは怯むことなくしがみつく。
「まあ、良いじゃありませんの! どうせ、すぐに真実は分かるのよ? ロイドだって言っていたじゃない。陰気な根暗女の世話をするのは、もう飽き飽きだって!」
「ロ、イド……」
私の心が、粉々に砕けて崩れ落ちていく。
今まで優しくしてくれたロイド様。助けて、支えてくれたロイド様。
全部全部、彼の負担になっていたなんて。
メアリーの言葉は大げさかもしれないが、全てが嘘ではないことは分かる。それくらいは、分かってしまうのだ。だって、5年間も共に暮らしてきたのだから。
「ごめん……、ごめん、なさいっ……」
私は、今度こそ心からの謝罪の言葉を発した。
はらはらと涙が頬を伝っていく。
「違う! カナリヤ、メアリーの言うことなんて聞くな!!」
必死に否定するロイド様の姿を見ても、もはや罪悪感しかわいてこなかった。
彼は、優しい人だから。
最後まで私の気持ちに配慮してくれているに違いない。
これまでロイド様に気にかけて貰った恩を思うならば、私は彼らの思惑通り、このまま捕らえられて奴隷にでもなった方が良いのだろう。
――でも、それは。
私は空に淡くのぼりかけている月を見つめた。
「ロイドさま……。ごめんなさい。いままで、ありがとうございました」
私は泣きはらしたままで、彼に微笑む。お別れを言う為に。
「さようなら」
そして掴まれていた手を振り切って、脇目もふらずに走り出した。
「カナリヤ!」
背後から、彼の呼ぶ声が聞こえる。でも、振り返らない。
運動慣れもしていない、ひ弱な女の駆け足だ。きっとすぐに追いつかれて捕まってしまうだろう。それでも、大人しくこの身を差し出すのだけは嫌だった。
それは自分の罪を、犯してもいない罪を認めてしまうようで、出来なかった。
「カナリヤ、――――――!!」
ロイド様が"何か"を叫んだ。でも、それもよく聞こえなかった。
ただ、何やらメアリーと富商も含めて、揉めているような雰囲気があった。そのおかげか私を追いかけてくる人影はなく、私は何とかその場を脱することが出来たのだ。
やがて私は、街の外れまで辿り着いたらしかった。暗かったし無我夢中で駆けていたので、正直、どんな道を通ったのかも覚えていない。
運よく逃げてこられたものの、これからどうしよう。
何処かで宿を乞おうにも、辺りに人の気配はまったくなく、周囲の建物と言えば灯りの落ちた古い工場や資材置き場ばかりである。
かといって、街に引き返すのはあまりに恐ろしい。
「このまま、野宿をするし――」
独り言が、最後まで続くことは無かった。背中に鋭く焼けるような痛みを感じて、私は途端に息が出来なくなった。
背中から剣が私の胸を貫いたのだと分かったのは、地面に倒れ込む直前だった。
(どうして……)
ごぽりと血を吐く。声は言葉にすらならない。
夜が訪れた街外れとはいえ、仮にもここは王都である。殺傷事件なんて、そうそうありはしない。まして、明らかに盗る物すらないみすぼらしい娘を狙うなんて。
(ああ……)
ドサリと崩れ落ちる私を、青白い月だけが見ていた。
私を刺したであろう犯人の足音が遠ざかっていく。
何故か、それに私は酷く聞き覚えがある気がした。
◇ ◇ ◇
――こうして私は命を落とした筈なのだが、何故かまだ意識がある。
全身の感覚も遠のいていくどころか、次第にはっきりしていく気がする。
どうやら私は、温かな場所に寝かされているらしい。
目を開けることは出来ないが、先程までは不明瞭にしか聞こえなかった周囲の音も、今はしっかりと聞き取れる。数名の会話する声が聞こえてきた。
「陛下が人間の女性を連れてくるなんて、10年ぶりではありませんか!」
「いいえ、ヴァルク。正確には12年ぶりよ」
「成人したのだから結婚しろと言っていたのは、お前達ではないか。良いだろう? 可愛いだろう!?」
「早く身を固めてくださいとは言いましたけれど、陛下、この方は……」
「まあ、対外的な行事と考えれば、結婚発表は有効な外交手段ではあるわね」
一体、何の話をしているのだろう。
それに、今、『陛下』と聞こえた気がする。
もしかして自分は、とても身分の高い方の所へ迷い込んでしまったのだろうか。どうしよう。状況は全く分からないけれど、とにかく起きなくてはいけない気がする。
頑張って身体に力をこめると、意外と簡単に目が開いて、半身を起こすことが出来た。
視界に現れたのは、予想通り、いや、予想以上に豪華な作りの部屋の光景だった。
「あ、あの……」
私は話し込む様子の三つの影の背中に、おずおずと話しかける。
三つ、と表現したのは、そのうちの二人の後姿がどう見ても人間ではなかったからだ。魔物だろうか。動揺はしたが、死んだはずなのに何故か意識がある今の状況に比べれば、受け入れることができた。
「えっ?」
私の呼びかけに応じて、最初に振り返ったのは端正な顔をした青年だった。珍しい紫色の瞳が、宝石のように美しく印象的だ。瞳と同色の燕尾服を身に纏い、高貴な雰囲気を漂わせている。
「陛下、また、このような悪戯をなさって」
少し遅れてこちらへ顔を向けたのは、虹色の羽を持つ大きな蛇の姿をした魔物だった。声は落ち着いた女性のもので、呆れるような窘めるような響きで、紫色の瞳の青年へと話しかける。
「いや、僕は”動かして”いない」
驚愕の表情で青年が答える。美しい人は驚いた顔まで絵になるものなのだなと、私は場違いにも思った。
「なんですって! それじゃ、これはいったい…!?」
最後に振り返ったのは、大柄で筋骨隆々といった風体のゴーレムの姿の魔物だ。
こうして三人と視線が交わること、数秒。
私はいたたまれなくなって、再び口を開く。
「あの、ええと……ごめんなさい、ここは、どこでしょうか?」
「「「喋ったぁ……!?」」」
私の姿を見て大慌ての三人に、私もつられて混乱する。
「きゃあっ!? ああ、あのっ、ごめんなさいっ! 喋ってごめんなさい…!」
――そんな風に賑やかに、私の第二の人生は幕を開けたのだった。




