第36話 今、貴方と共に在れて嬉しいのです
私にとってのサリオン様は、優しく、自信に満ちて、少し強引で、でも紳士で、素直で、可愛らしい所もあって、そんな温かく素敵な人。
でも、今目の前にいるのは、優美で孤独な魔物の王だった。
――彼は私を救ってくれた。
――私は、彼を救えるだろうか。
「サリオン様、お願いです。私の話を、聞いてください」
彼はいつもと違う色の瞳で、いつもと同じように微笑む。
「もちろん。君の話は、いつだって聞くさ」
「貴方は……、貴方は、"奪うことしかできない"なんてことはない」
「ふふ、カナリヤは優しいね。でも、良いんだ。僕は自分の力を、結構気に入っているんだよ」
くすくすと笑うサリオン様を、私はぎゅっと抱きしめた。
彼が息を飲む小さな音が、聞こえた気がした。
「サリオン様の御力そのものも、悪いものでは無いと思います。でも、それだけじゃない」
「……何を、言ってるの」
困惑したような声を零すサリオン様へ、私は続ける。
「私を――私を蘇らせてくれたのは、貴方ではないですか」
抱きしめる腕に力を込めた。
「私に居場所を与えてくれたのも、貴方。私に家族を与えてくれたのも、貴方。私のことを、知ろうとしてくれて。私のために、怒ってくれて」
私は祈るように、彼に訴えた。
「私に生きることを思い出させてくれたのは、貴方なのです」
サリオン様の身体が、少し強張った気がした。
長い沈黙を挟んで、泣き出しそうな声が頭上で響く。
「カナリヤは、君を苦しめた相手が、憎くないの?」
私は一度目を伏せて、考えを巡らせてから、彼に応える。
「恨んでいないと言えば、きっと、嘘になります。それくらい、辛く、苦しかった」
「それなら!」
「それでも!」
私は顔をあげると、サリオン様を間近でじっと見つめる。
「それでも私は、今、貴方と在れて幸せなのです」
気づけば私の頬から、涙が一筋流れ落ちていた。
それを拭うことも忘れて、私は言葉を紡ぐ。
「復讐を果たすより、今ある幸せを守りたい。恨みよりも、貴方への想いを抱えて生きていきたい」
「……カナリヤ」
「愛しています、サリオン様」
私の言葉に、サリオン様の瞳が揺らぐ。
見開かれた彼の眼の色に、ゆっくりと紫色が差し戻っていく。
「カナリヤ、君は、本当にそれで良いの?」
「はい。それが、私の一番の望みです」
その返事から少しだけ間をおいて、サリオン様の腕がゆっくりと私を抱きしめ返した。
「わかった。君が、そう望むのなら」
窓の外からざわめきが遠のいていく。
城の周りにひしめき合っていた魔物たちが、散って行ったのだろう。
サリオン様の体温を間近で感じる。
――良かった。
瞳が黒く染まった彼は、何処か壊れてしまいそうで怖かった。
だけど今、確かにサリオン様は、ここで私と共に在る。
「カナリヤ」
「はい」
「僕も……君を、愛してる」
「ふふっ、はい!」
サリオン様は少しだけ抱きしめていた身体を離すと、私の手を取った。
何処か不安げな紫色の瞳が、まっすぐに私を見つめている。
「カナリヤ、僕と結婚してくれる?」
私は一瞬、眼を見開いて、すぐに表情を綻ばせた。
「もちろんです、喜んで」
そして私たちは、そっと触れるだけのキスをした。
◇ ◇ ◇
「これをカナリヤに渡したかったんだ」
少し落ち着いてから、サリオン様が私に小箱を差し出してくれた。
断りと入れてから開けてみると、中には蝶の片翅を模した美しい飾り細工が入っていた。
「綺麗……。あっ、これ、もしかして」
飾り細工は透明な石を加工して作られているようだった。
その煌めきに見覚えのあった私はハッとする。
「魔石ですか?」
「そう、よく分かったね!」
私の言葉に、サリオン様が声を弾ませた。
「君の首飾りの片割れに、どうかなと思って」
「えっ」
予想外の言葉に私は瞬く。
改めてその蝶の細工を見て見れば、確かに母の形見の首飾りのものと大きさがよく似ていた。
「記憶を頼りに作ったんだが、なかなかよくできているだろう」
「作った、って、サリオン様がですか?」
「そうだよ。僕は案外、器用なんだ。覚えておいてくれたまえ」
にこにこと得意げに微笑むサリオン様は、とても可愛らしい。
それに、私の為に頑張ってくださった気持ちが何よりも嬉しかった。
「ありがとうございます。大切にします。ペンダントが、前より更に大事な宝物になりました」
「それは良かった。もし良ければ、あとで取り付けてあげよう」
「はい、是非、お願いします」
大事に蝶の飾りを仕舞い直すと、今度は私が彼に贈り物を差し出す番だ。
「サリオン様、実は私からも、これ」
私はずっと持ち歩いたままだった小さな袋を彼に渡した。
中には、サリオン様の為に刺繍を施したハンカチが入っている。
白い布地に紫と銀の糸で丁寧にレースの縁取りをして、角にはリンゴの柄を縫い描いた。
「これは、カナリヤが作ったのか?」
サリオン様はハンカチを取り出すと同時に、目を輝かせた。
パッと布地を広げると、何度も裏返したり角度を変えながら刺繍の柄を確認する。
満足し終えると、最後は丁寧に畳み直して自分の掌に収めた。
「ありがとう、毎日使う!」
「ふふっ、嬉しいです」
「いやしかし、使うのが勿体ない気もするな。いっそ部屋に飾っておくか」
「そ、そんな、大げさな。またいつでも作って差し上げますよ?」
「本当か? だが、この部屋にこのハンカチは似合う気がする。例えば、あの棚の上あたり――」
サリオン様がそう言った瞬間、彼の手からハンカチがぴょんと飛び出る。
ハンカチはそのまま宙を舞って、棚の上へと降り立った。
私はその様子に目を丸くした後、拍手する。
「凄いです。サリオン様は、色んな魔法が使えるんですね」
てっきりサリオン様は誇らしげな顔を見せてくれるかと思ったが、彼は硬直していた。
あれ、このリアクション、何となく見覚えがあるような。
「サリオン様?」
「ぼ、僕は、魔法なんて使っていないぞ?」
「へっ」
私とサリオン様は互いに顔を見合わせてから、おずおずと棚の上のハンカチへ視線を向けた。
ハンカチはまるで手を振るように、片方の角をひらひらと私たちに揺らして見せた。
「「動いた!?」」
私とサリオン様の声が重なった。
私が刺繍したハンカチが、何故か意志を持ったように動き始めたのだった。




