第30話:聖母の静寂、あるいは物理的な「出禁」
「……兄様。分かりました。『人望』とは、馴れ合うことではなく、圧倒的な格の違いを示し、崇拝を形に変えることなのですね」
クラリス先生に付きまとわれ、親衛隊に囲まれて数日。フィオナの瞳から迷いが消え、代わりに「絶対零度の合理性」が宿っていた。
「(……ねえロラン、あの子今度は何をするつもり? さっきから騎士団の訓練場の空気が、物理的に凍りついてるんだけど)」 アリスがヤカンを抱えてガタガタと震え始めた。
「(……ロランくん、逃げて! フィオナちゃんが、魔力で『見えない壁』を作り始めたよ!)」 ミナの警告と同時に、訓練場の中心でフィオナが剣を抜いた。
「皆さんに教えましょう。私との距離は、そのまま『命の距離』であることを」
フィオナが軽く剣を一閃させた。 音も、衝撃波もなかった。ただ、フィオナを中心とした半径50メートルの地面が、鏡のように滑らかに、かつ完璧な円状に削り取られたのだ。
「……これより、この『聖域』に許可なく踏み込む者は、騎士団員であれ親衛隊であれ、私の敵と見なします。……応援したいのであれば、その円の外側から、声も立てずに見守ってください」
「な、なんですってぇー! 近くでスケッチできないなんて死ねと言っているのと同じよ!」 クラリス先生が抗議の声を上げ、円の中に一歩踏み込もうとした。
その瞬間。 クラリスの足元の石畳が、コンマ数ミリの精度で爆砕した。 「……次は、つま先を『キャンセル』します。兄様に誓った修行の邪魔をしないでください」
フィオナから放たれた殺気は、もはや「人」のものではなかった。 それは、触れれば魂ごと消滅させられる「美しき終焉」。
親衛隊の面々や騎士たちは、その圧倒的な実力の差に、言葉を失いひざまずいた。 「……あ、ああ……。近寄ることすら許されない……。なんと、なんと神々しい……!」 「触れられないからこそ、価値がある……! 我々は……遠くから祈るだけの『壁』になればいいんだ!」
結局、クラリスたちは「フィオナ様公式観測圏外居住者」を自称し、双眼鏡片手に遠巻きから彼女を拝むという、極めて統制の取れた(不気味な)集団へと変貌した。
「……よし。ロラン、見て。あの子、実力で物理的な『距離』を勝ち取ったわよ。……これでようやく、あんたの周りも静かになるんじゃない?」
「……ああ。……でもアリス、あいつ、遠くから見守ってる親衛隊たちのために、わざと『見栄えの良い演武』を始めてやがるぞ」
フィオナは、兄の「人望」という教えを、「遠くからファンを管理しつつ、実力で黙らせる」という、最強のアイドル……もとい、孤独な統治者のスタイルで完結させてしまったのだ。
俺の平穏は(一応)守られたが、学園と騎士団の間には、近づくことすら許されない「生ける伝説」の不可視の壁が、今日も高くそびえ立っている。




