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ワタルがマモンであると明らかになったため、僕らは場所を公園から例の小屋に移し、この小屋こそが本当の基地なのだとワタルに伝えた。
生きづらさを抱えたマモンたちにとって、少しでも居心地のいい集まりを作りたい。そんなユズの願いを聞いて、ワタルは深く頷き、仲間へ入ると誓った。
「敬語も抜きでいいんですか?」
「ああ。だってここは、マモンによる、マモンだけの居場所なんだろ? だったらそれ以外の要素は捨てちまおうぜ。マモンなら誰でも平等な環境にしよう。その方が俺もやりやすい」
「分かった。じゃあ遠慮なくタメ口で話すね!」
ユズはすぐにワタルのことを受け入れたが、正直、僕は少し不安だった。
ワタルは二、三言話すだけでも分かるくらい豪胆な性格をしている。僕とユズが生み出したこの居場所が荒れていく懸念があった。
「二人は同じ制服だな。どこの学校に通ってんだ?」
「私たちは桜宮だよ」
「頭いいなぁ。それに二人とも真面目そうだ」
「ワタル君は不真面目そうだもんね。いかにも不良って感じ!」
「まあどっちかって言うと不良かもな。喧嘩はしねーけど授業はよくサボる。ていうか俺からしたらお前らの方が不思議だよ。マモンなのに、よくグレずに生きてこられたな」
「私たちは大人だからね~」
大人になれないマモン流のジョークだった。
それを普通の人相手にやると、とても引き攣った顔を見られるだろう。
「二人とも二年生なのか?」
「そう。今年で十七歳」
ユズが間髪を入れずに答えると、ワタルは「そうか」と相槌を打ち、
「じゃあ、最初に死ぬのは多分俺だな」
一瞬だけ、ユズが返答に困ったように見えた。
だから代わりに僕が口を開く。
「一年なんて誤差だよ。どうせ三年後には誰もいない」
僕が答えてみせると、ワタルは目を丸くして、それから激しく笑った。
「マモン同士の会話って、こんなに気楽なんだな」
「だね。一般人はマモンと話す時、地雷を踏み抜かないよう常に緊張している感じがするから」
「分かる。俺も親がまさにそうだ」
その一言を聞いただけで、僕のワタルに対する警戒心が少し緩くなった。
今みたいな話に共感してくれる時点で、ワタルはやっぱり仲間なのだろう。
「ワタル君が死ぬ時は、盛大にお見送りするからね!」
「おいおい、俺はもうちょっと長生きするつもりだぜ」
ユズもすぐに調子を取り戻して会話に参加した。
そうでなくちゃ困る。僕は本来、そんなに会話が得意じゃないんだから。
「二人とも、駅までか?」
「そうだよ!」
「じゃあ一緒に帰ろうぜ」
ワタルと話し始めてまだあまり時間が経っていないが、そろそろ日も暮れそうなので解散することにする。僕らが秘密基地に使っている小屋は日当たりがいいため日中は問題ないが、照明器具がないため夜間は薄暗くなりがちだった。
三人で駅に向かう。
坂を下りながら、ワタルが手首に巻いている腕輪を外した。
「ワタル君も、普段は腕輪をしないタイプ?」
「まあ、目立つしな」
「ワタル君の場合、腕輪をしなくても目立ちそうだけどね!」
「はっはっは! 違いねーや!」
腕輪を鞄に入れたワタルが、豪快に笑う。
「カズキはつけたままなのか?」
「うん。なんだか負けた気がするから」
「すげーな、その根性」
「意地になってるだけだよ」
ワタルが感心したような目で僕を見てきたため、自嘲気味に答えてみせる。
するとワタルは、神妙な面持ちで口を開いた。
「俺も最初は腕輪をつけたままだったんだけどな。親があんまりいい顔をしなかったから、やめたんだ」
ワタルは小さな声で語る。
「外面を気にするタイプの親でな。俺がよくても親の方が駄目だったらしい。……マモンを生んだ親っていう肩書きが、キツかったみたいだ」
マモンを生んだ親。
社会的弱者を生んだ親。
まるでその肩書きを持っているだけで、自分も社会的弱者に落ちてしまいそうだ。ワタルの親はその感覚が耐え難かったのだろう。
「この見た目もさ、不良っていうより引っ込みがつかなくなっちまったんだよ。最初は行き場のない反抗心を吐き出していただけだったんだが、それが虚しいもんだと気づいた頃には周りのメンツがろくでもない連中ばかりになってて。今更やり直す時間もねーし、開き直ったんだ」
とても、とても共感できる話だった。
行き場のない反抗心を変な形で吐き出してしまうことも。今更やり直す時間もないから貫き通すしかないことも。僕にはその気持ちがよく分かった。
ワタルの、何かを諦めたようなその顔には見覚えがある。
毎朝、鏡の前で見ている顔とそっくりだ。
「分かるよ、その気持ち」
僕は素直に感想を伝えた。ワタルと違って吐き出せるエピソードはすぐには思いつかなかったけれど、この気持ちは真っ直ぐ伝えるべきだと思った。
僕もマモンだから分かる。マモンは、分かってくれるだけで嬉しいのだ。
「マモンの中でも、男同士だと更に話しやすいな」
「だね」
ユズが「ちょっと、私もいるんですけど~?」と拗ねたので、僕らは笑った。
ワタルと分かり合えた瞬間だった。
「仲間探しはまだ続けんのか?」
ふとワタルが尋ねる。
「私は、もうちょっと続けたいな。まだ近くにいるかもしれないから」
「だな。俺の方でも噂を流してみる」
思えば、最初はワタルのように噂を鵜呑みにせず様子見する人もいるのだろう。
そういう人たちのためにも、僕らはもう少し仲間を探すことにした。
◆
翌日。
この日の放課後は用事があったので、先にユズだけが公園に行くことになった。今日からワタルも一緒に仲間探しをしてくれるため、心細くはならないだろう。
「あ」
図書室で本を借りるためにカウンターの列に並んだら、偶々一つ前に並んでいた立花と目が合った。
瞬間、二日前にユズから言われたことを思い出す。
あの子、カズキ君のこと好きかもね。――そんなわけがない。ただの冗談だと分かっているのに、僕は立花から目を逸らさずにはいられなかった。
「カズキ君、図書室に来ることもあるんだね」
「まあ」
幸い立花にこちらの動揺は伝わらなかったらしい。普通に話しかけられる。
僕が普段通っている駅前の大型書店では、マモンなら月に十冊まで無料で本を入手できるキャンペーンを実施している。別に映画も本も大好きというわけではないが、高校生の僕にとって無料というのは魅力的だし、なんといっても一人で完結する趣味として読書は重宝していた。だからユズに行きつけと言われるくらいにはあの店に通っていた。
今はシリーズものを読んでいるが、続きを読もうとしたら駅前の書店では売っていなかったので、仕方なく図書室に来たのだ。
似たような理由で学校の図書室には何度か訪れており、その度に立花と顔を合わせている気がした。立花は本が好きなのだろう。もしかすると僕らは読書の話題で盛り上がれるかしれないが、僕は一人で完結する趣味を広く浅く持っているだけなので密度の高い会話はできそうになかった。
それに、最近は読書の頻度も減っていた。
今の僕には気楽に話せる相手がいる。ユズと、それから昨日親しくなったワタルだ。彼らと話す時間が増える分、これから読書の時間は徐々に減っていくんだろうなという予感があった。
「カズキ君、最近明るいね。ユズさんと何かあったの?」
「別に、何もないよ」
何もなくはないだろう。分かりやすい嘘をついてしまった。
普通の人に、僕らの関係には立ち入ってほしくない。そんな気持ちが無意識に溢れ出たのだ。
見え見えの嘘をつかれて、立花も何を言ったらいいのか分からない顔をしていた。この気まずい空気を作ってしまった責任を取るべく、僕は違う話題を捻り出す。
「立花。もう、前みたいなことはされてないか?」
周りに聞こえない声量で、そっと尋ねた。
立花は一瞬だけ嬉しそうな顔をしたが、すぐに恥ずかしそうに表情を落ち着かせる。
「うん。大丈夫。カズキ君のおかげで」
「ならよかった」
取り敢えず、気まずい空気は解消できた。
立花が本の返却と貸出を行い、僕は貸出だけを行う。
図書室を出て、ユズとワタルが待っている公園へ向かおうとすると、
「あの、カズキ君! この後、ちょっとだけ時間いいかな!?」
図書室の外で待っていた立花が、僕の顔を見るなり言った。
立花にしては珍しく大きな声だったので、思わず足を止める。
「いいけど」
何の用か気になったが、すぐには話してくれなかった。学校では話しづらいとのことなので、外に出てから切り出すとのことである。
「それで、話って?」
校門を抜けて一分ほど駅へと歩いてから、僕は訊いた。
図書室からここまで、立花はずっと緊張していた。ただごとではないことが窺える。
「実は、私もマモンなの」
鞄を落としそうになった。
どう返事をしたらいいのだろう。思いついた言葉はどれも不適切な気がして、口をパクパクと動かすことしかできなかった。
「腕輪は、あるのか?」
「うん」
やがて僕の口から出た問いに、立花は頷いて鞄に手を入れた。
鞄から取り出した腕輪を、立花は自分の左手首につける。
マモンだ。
立花も、マモンだったのだ。
「どうして、今まで黙ってたんだ?」
「それは、だって、言いにくくて」
一番納得できる理由だった。
ユズも同じ理由でマモンであることを隠しているし、あの大胆そうなワタルですら隠している。気の弱い立花が内緒にしていても全くおかしくはない。
「……立花。このまま一緒に来てくれないか? 会わせたい人がいるんだ」
立花は無言で首を縦に振った。
駅へと続く商店街を歩き、途中で角を右に曲がる。しばらく歩いた先にある公園のベンチに、見知った二人の男女が腰かけていた。
「カズキ君! ……と、あれ? 立花さん?」
以前一度会っただけで、ユズは立花のことを覚えていたらしい。
首を傾げるユズの隣でワタルはいち早く状況を察した。立花の左手首には腕輪が巻かれている。
「立花もマモンだった」
「えー! あの学校に私たち以外のマモンがいたんだ!!」
立花が「私たちって……?」と驚くので、ユズは立ち上がって腕輪を見せた。
「私もマモンだよ!」
何故か得意気に告げるユズ。
しかし立花は、目をしばたたかせるものの、それ以上の反応はなさそうだった。
「あれ? あんまり驚いてない?」
「う、ううん。驚いてはいるんだけど、予想はしていたというか。……最近、駅前の公園でマモンの集会が行われてるって噂を耳にすることが多くて。それと大体同じ時期に、カズキ君とユズさんが仲良くなった気がしたから、もしかしたらって思ってたの」
「おぉ、探偵だ! カズキ君、探偵がいるよ!」
「いや、これは感心している場合じゃないと思うよ」
僕はマモンであることを隠していないから問題ないけれど、このままだとユズとワタルがマモンかもしれないと勘づかれてしまう。これからはもっと周りの目を気にした方がいいだろう。
「立花。分かってるとは思うけど、ユズは自分のことを内緒にしてるから言わないようにね」
「う、うん。気をつける」
念のため立花に釘を刺しておいた。
「立花さん、下の名前はなんて言うの?」
「えっと、アイカだけど」
「じゃあアイカって呼ぶね! カズキ君もそう呼ぼうよ!」
え、と思わず声が出た。
嫌だというわけではなく、単純に想定していなかったから。
「私たち皆、下の名前で呼び合ってるじゃん」
「……それもそうか」
ユズ、ワタルときて、立花だけ名字で呼ぶ方が不自然かもしれない。
「じゃあ、えっと、よろしく。アイカ」
「うん、よろしく。カズキ君」
夕陽の影響か、アイカの頬が微かに紅潮しているように見えた。
またユズに言われたことを思い出す。あの子、カズキ君のこと好きかもね。――気にしないと決めたのに、頭が勝手に意識していた。




