3(後)
公園の出口へ向けて歩く2人の目の前に、空から大きな塊が降って来る。夜の空気を押し分けて、風を巻き起こし、落下する勢いのまま地面を揺るがして砂利を周囲に跳ね飛ばす。そうやって目の前にてんこ盛りに積み重なった、白い塊には見覚えがある。
「こんばんわぁ。」
最初に見た時と同じ、人をイライラさせる惚けた顔をのせたブヨブヨの体が細かく左右に揺れている。
「待ってたぜ。」
コータローは白デブモンスターを認識すると、エカテリーナを抱え上げる。
「ちょっと!何するの。」
「良いから、じっとしておいてください。」
現実の世界で女性を持ち上げた事などない。でも夢の中だと分かっていれば、このくらい自分の意思でどうにでもなる問題だ。
「それは」白デブはコータローを指差す。「何のつもりだ。女性を盾にするつもりか。」
「そうじゃない。俺達はこんなに仲良しだ。お前に付け込まれる隙は無い。」
「何を言っているやら。」白デブは手を頭にやり、呆れた声を上げる。「それより、探し物はどうした。」
「エカテリーナさんが『羽毛のペンダント』の話を聞いたのはあいつ?」
コータローは抱えたエカテリーナの耳元で囁く。
「そう、あいつ。」
彼女も小声で答える。
やっぱりそうか。
「探しているさ。」コータローは白デブモンスターに向けて叫ぶ。「それが俺の使命だからな。」
「フフン、少しは殊勝な心掛けが身に付いたみたいだな。」
「それはどうも。それでお前は、俺にヒントを出してくれるんだろ。」
「ヒントだって?人間が少しは磨かれたと思ったのは勘違いか。」
そんな事を言っていたって、あいつは俺に関わらずには居られない。だって、あいつも俺の中の何物かから作り出されたんだから。
「気を付けて。」コータローの耳元に唇を寄せてエカテリーナが囁く。「油断すると、あいつはあんたをもう1階層下に落としてしまうかも。」
分かってる。それで2度落とされた。何とかして、あいつからペンダントを見つける手掛かりを引き出さなけりゃ。
「お前自身で探し出すんだ。」白デブモンスターは急に凄む。「お前の胸に訊いてみろ。」
「また、それか。それで分かれば苦労していない。」
「…愚かな男だ。結局誰かに助けてもらわなければ、何も出来ない。」
「それは、そのまま自分に跳ね返ってくるんだぞ。ここは俺の夢の中、そして、お前は、俺のもう一つの分身だ。」
「フォ、フォフォフォ!」気味の悪い笑い方だ。「それで勝ったつもりか。仕方ない今回も一つだけヒントをやろう。…社会科見学のしおり。」
「ねえ、手伝おうか?」
机でしおりの製本をしているコータローの脇から、石川綾香さんが覗き込む。
「ああ、良いよ。じゃんけんで負けたのは俺だから。石川さん部活あるでしょ?行って、行って。」
社会科見学のしおりの製本を、放課後、担任からクラスの男子が頼まれ、男子の仲間でじゃんけんに負けた奴が残って作業する流れになって、結局自分が負けた。石川さんは俺一人でやるのじゃ大変だと思って、折角声を掛けてくれたのに、俺は断ってしまった。
またフラッシュバックだ。
「さあ、どうだ。何か思い出したか?」
白デブモンスターは、コータローの顔色を見て、如何にも得意そうだ。
「ああ。しっかりな!」
コータローは、叫ぶと同時に思い切り大地を蹴る。抱えているエカテリーナが軽く悲鳴を上げる。エカテリーナを抱えたコータローは夜の空気を割いて高く跳び上がる。瞬く間に白デブモンスターと公園が足元で小さくなる。
「ちょっと、何?」
怖がるエカテリーナは振り落とされない様に必死でコータローの首にしがみつく。
「危ない所だった。あのまま、あいつと対峙していたら、1階層落とされていたかも知れない。」
「あんた、空飛べるの?」
「飛んでいる訳じゃないです。大ジャンプしてる。前にも夢の中でこれ出来た事あったから、試してみた。」
跳び上がった2人は緩やかにジャンプの頂点を迎えると、今度はゆっくり地上に向けて落下していく。街のビル群が足元に迫る。ビルの屋上に着地するや、もう一度強く蹴れば、2人はまた夜空に跳び上がる。白デブは追って来ない。でも、きっとどこかでまた現れる。そう考える根拠はない。でも、これが俺の夢の中なら、自分の勘は真実だ。
再び落下してくれば、建ち並ぶビルの一つの屋上に降り立ちジャンプする。なのに、今度は小さく僅かに持ち上がっただけで、あっという間にビルとビルの間に落ちていく。
「え?なんで?」
「ちょっと、ちゃんとしてよ!」
掴まるエカテリーナの腕に思いっきり力が入って、コータローの首が締まる。彼女が悲鳴を上げて身を縮める。
減速、減速、げんそくぅ!
気合で何とかスピードを落とし、無事にコータローの足の裏が路面を捉える。ほっとした所で、もう一度跳び上がろうといくら地面を蹴っても、もう舞い上がれない。仕方なく、エカテリーナをその場にゆっくり降ろす。
「どう?あいつは追いかけて来ない?」
彼女はキョロキョロと周囲を確認する。
「今は。でも、いずれ現れる。」
「コータローはさっき、あいつを待っていた様な事を言ったけど、下手したら、下に落とされちゃうんだからね。気を付けないと。」
「でも、あいつが手掛かりを持っているんです。あいつは決まって俺には分かる筈だと言うけど、思いつかない。だから、あいつからもっと情報を引き出さないと。」
「さっきも何か言われてたじゃない。何だかよく分からなかったけど、あれ、ヒントをくれたの?」
「どういうつもりか分かりません。」
なぜ、石川綾香さんに関わる出来事を思い起こさせるのだろう。それが本当にエカテリーナが求める物を探す手掛かりになるとは思えない。
「じゃ、今はどうする?」
「そうですね…、次にあいつと出会った時にどうするか、作戦を練りましょう。」
「それじゃ、あそこに行きましょ。」彼女が指差す向こうには、ハンバーガーショップの明かりが輝いている。「びっくりしたから、お腹減っちゃった。」
こんな事をしていて良いのだろうか。そう思いながらエカテリーナに導かれてハンバーガーショップに入り、小さなテーブルを挟んでハンバーガーを頬張る。
なんか、こういうのも悪くない。相手が石川さんだったらきっと最高だ。
「ね、それで、何か案があるの?」
「えぇ?」不意を突かれて、ドギマギする。「これと言って、思いついた事は無いんですけど、あいつが今度現れたら、逆にあいつを追い詰めて、何かゲロさせたいです。必ずあいつは現れます。だから、何か罠を仕掛けるみたいな策が打てないかと。」
「あいつ、ブヨブヨして掴み処がないから、上手く捕まえられるかな。」
エカテリーナは不安気な顔になる。確かに、ロープで縛っても、檻に閉じ込めても、体を変形させて抜けてしまいそうだ。
「そうですね…、でも、攻められてばかりじゃ解決しません。あいつにダメージを与えてこっちの言う事を聞かせないと。」
「攻めるのに対抗ねぇ。」
彼女は小首を傾げて、宙を見ている。
「何か、思いつく事ないですか?『羽毛のペンダント』の話をあいつから聞いたって事は、エカテリーナさんは、あいつと話した事があるんでしょ?その時の事を思い出して、思いつく事があれば言って下さい。」
「思いつく事ねぇ…。」
コータローはエカテリーナの次の言葉を期待して待つ。
「何もない。」彼女に似つかわしく無い、ぶりっ子笑顔を見せて誤魔化す。「でも、変なの。コータロー同士で戦わなきゃならないなんて。元は同じ人間なんだから、仲良くすれば、直ぐに問題解決だと思うけど。」
「そんな訳に行きませんよ。元々同じ人間だから厄介なんじゃないですか。あいつは俺の欠点を知ってて、そこを攻めてくるんです。」
「ふーん。」
彼女は、何か納得いかないのか、曖昧な表情をしている。
あれ?そうか、あいつと俺は同じコータローの分身なんだ。あんなブヨブヨ野郎が自分だと認めたくないから、深く考えない様にしていたけど、あいつが本当に俺と同じコータローなら、弱点だって同じじゃないか。
コータローは独り、にやりと笑みを浮かべる。
「何?」それを見てエカテリーナが顔をしかめる。「気持ち悪い。」
「良いです、気持ち悪くても。エカテリーナさんの言葉を聞いてたら、ちょっとあいつと闘ってみなくなりました。これ、食べちゃって、あいつを見付けに行きましょう。」
店の外に出てみれば、夜が更けていた。宝飾店を探して歩き回っていた時には、仕事帰りの大人達でざわついていた街も、気付けばすっかり人影がまばらになっている。営業時間を終えた店は明かりを落とし、それまでの慌ただしい陽気さの代わりに暗闇が馴染んでいる。深夜まで営業を続ける店だけが、闇の海に抗う様に眩しい空騒ぎの明かりを灯す。コータローは、その強いコントラストに網膜を痛めつけられて佇む。
「あんな他愛のない小細工で逃げられると思ったのか。」
ハンバーガーショップを出た2人の目の前に、空から白デブモンスターがストンと降り立つ。図体の割に、地面すれすれで減速し、今度はフワリと華麗に着地してみせる。
待ってました。探す手間がかからなくて良い。
「探し物はどうした。」あいつの2つの飛び出した眼がコータローを見据えている。「2人でランデブーと洒落込んでも、何も解決しないぞ。」
「お前、いくつだ。とても俺の分身だとは思えない科白だぞ。」
「さっきはヒントを出したとたんに逃げやがったが、今度はちゃんと向き合ってもらうぞ。」
「それはこっちの科白だ。お前も、自分自身とちゃんと向き合ってもらうぞ。」
「覚悟は出来ている様だな。さあ、このステージは社会科見学のしおりだ。」
またそれか。
「ああ、良いよ。じゃんけんで負けたのは俺だから。石川さん部活あるでしょ?行って、行って。」
俺がそう言うと、彼女は、少し寂しそうな顔をしてから言った。
「そう。じゃ、私行くね。」
彼女は鞄を抱えて、振り返りもせずに出て行った。
俺は、石川さんが教室から出て行くのを見送って、一人になってしまうと、何故よく考えもせずに、あんな返事をしてしまったのかと後悔した。
「あれは、俺が馬鹿だったんだ。石川さんが何故声を掛けてくれたのか考えるべきだった。まるで俺が石川さんと2人になるのを拒絶したようになってしまった。」
コータローは項垂れる。
「ほう、ちゃんと言えるじゃないか。」
「でも。」顔を上げ、白デブモンスターを睨み返す。「あの時俺は、逃げたんじゃない。本当にあんな雑用に彼女を巻き込みたくなかっただけなんだ。」
「そうか?石川さんと2人きりになるのは嬉しくもあり、不安でもあったのじゃないか?」
「そうかも知れない…。いや、もう一人の俺であるお前が言うんだ。きっとそうだったんだろう。」
やらっれぱなしだ。反撃しなけりゃ、前に進めない。
「でも、今更そんな事掘り返して何になるんだ。」気持ちを奮い立たせて白デブモンスターに迫る。「お前は、どうなんだ。如何にも何でも分かっているような口ぶりで俺に説教するが、そんな上から目線で偉そうな事を言う男を石川さんが好きになるとでも思っているのか。」
「おぅ。」
明らかに白デブモンスターは動揺している。初めてこっちがイニシアチブを取った。ここが攻めどころだ。
「お前は俺だ。」コータローは、ゆっくり白デブモンスターに歩み寄りながら言い募る。「小さな事に一喜一憂して愚図愚図しているくせに、涼しい顔で他人事の様に説教を垂れているお前は、石川さんに軽蔑されるべき存在に過ぎない。」
「お、お前だって、そうじゃないか!」
今までの冷静な口調は一変し、白デブが叫ぶ。
「そうだ。俺もそうだ。お前と同じだ。だからって上から目線で偉そうにするな。そんな性格の奴は軽蔑されて当然なんだよ!」
白デブモンスターの目の前に立ったコータローは右手の人差し指で白デブのブヨブヨした胸をつつく。
「ひぃい!」
驚いて跳び上がった白デブは、体を硬直させたまま後ろ向きに倒れる。コータローがその上に飛び乗ると、ブヨブヨの体はその重みで潰れ、衝撃の波が上半身と足に向かって広がって行く。唯一掴めると思えた飛び出した目ん玉に、コータローは両手を伸ばし、しっかり掴むと自分の方に強引に引っ張る。
「さあ言え!なぜこんな回りくどい事をする!」
「ううわうう。」
「ちゃんと話せ!ここから抜け出すにはどうするんだ!」
「うううわうわう。」
「おい!言葉を忘れちまったのか!何とか言えよ!」
「う、うお、お、おず、オズ、オズズ。」
白デブモンスターが何かに取り付かれた様に痙攣している。異様な状態に、コータローは警戒する。
「オズ、オズの魔法遣い。オズの魔法遣いだ!」
白デブモンスターが声を張り上げた途端、コータローに掴まれていた両目が弾けて、あっという間に消えてなくなり、大きなブヨブヨの体は、風船から空気が抜ける様に萎んでいく。
「おい!」
縮む体を掴み直す余裕を与えず、モンスターの体は、夜のアスファルトの路面に吸い込まれて消えた。コータローの体だけが、地べたにへたり込んだ姿勢で取り残される。
「どうなったの?」
エカテリーナが脇から声を掛ける。白デブモンスターとの闘いに夢中になって、すっかり彼女の事は放り出していた。
「分からない。消えちまった。」
「逃げちゃったって事?」
「そうかも…。」
「じゃ、どうするの?」
「…ちょっと、待って。少し考える時間をください。」コータローはゆっくり立ち上がり、エカテリーナを振り返る。「えっと、公園に行きましょう。」
2人は連れ立って公園を目指す。あんな素っ頓狂なモンスターとのグダグダなやり取りを見た後でも、エカテリーナはコータローの腕に自分の腕を絡めて来る。
「なんか、手掛かり掴めたの?」
「うん、手掛かりかどうか分からないけど、あいつは最後に『オズの魔法遣い』って言った。」
異常な状態であいつが口走った言葉だ。本当にそれを言いたかったのかは怪しい。
「何それ?あいつが魔法遣いだって事?」
「さあ…、そう言う事かなぁ。」
「あいつが魔法遣いなら、『羽毛のペンダント』を出してくれれば良いのに。」
「うん…。でも、自分が魔法遣いだと言いたいだけなら、『オズの』の部分は余計だと思う。」
「なぁにそれ。オズの魔法遣いっていったい何?」
「物語。オズの魔法遣いってタイトルのお話があるんだ。」
「どんなお話?」
「俺も、詳しくは知らないけど、ざっくりなら説明できる。」
「じゃ、教えて。」
「アメリカに住んでいる女の子が竜巻で飛ばされて、何だか不思議な世界に行ってしまう。そこで、どういう経緯か記憶にないけど、家に帰るには、そこから離れた別の場所にいる魔法遣いの所に行ってお願いするしかないって話になる。」
「何だか、分からない部分だらけね。コータローが忘れちゃってる部分に肝心なポイントがあったりしないの?」
「まあ、兎に角、最後まで聞いて。それで、その女の子は魔法遣いのいる場所まで旅に出るんだが、その途中でかかしと、ブリキの木こりと、ライオンに出会い、一緒に魔法遣いの所に行く事になる。かかしは…、えっと確か脳みそが欲しくて、ブリキの木こりは心を、ライオンは勇気が欲しかったんだ。だから、それを魔法遣いに叶えてもらおうと一緒に行く事になった。」
「ふうん、もしかして、そのかかしとか、ライオンとかが、私だって事じゃない?」
「ああ、確かにそう考えられますね。」
「それで、それで。」エカテリーナはせっつく。「ライオンさん達は願いが叶えられるの?」
「はい。魔法遣いに…。」
あ、そうか。そう言う事か。
「何?どうしたの?」
急に黙り込んだコータローを隣からエカテリーナが覗き込む。
「ああ、すいません。そう、かかしは新しい脳みそを、ブリキの木こりは絹で出来た心を、ライオンは勇気が出る薬を魔法遣いから貰う。竜巻に飛ばされて来てしまった少女も、たしか、魔法の靴で自分の家に帰る事が出来て、めでたしめでたしという内容。」
「良かった。じゃ、私の願いも叶うのかな。」
「そうですね、多分。いえ、きっと叶います。」
公園に着くと、三度2人はベンチに座った。コータローはそのまま考え込む。
「ねえ、どうなの?」
エカテリーナは隣で心配そうにしている。暫く一人考え込んだ後、コータローは、不意に顔を上げてエカテリーナを見る。
「じゃあ、『羽毛のペンダント』を手に入れましょう。」
さっきまでのコータローとは別人の様な迷いの無い顔つきをしている。
「どうすれば良いのか分かったの?」
「はい。実は、手に入れる方法を自分で知っていた事に気付きました。」コータローの顔が緩む。「まずは、ペンダントに仕上げるための素材を買います。アクセサリーショップに行きましょう。」
2人は足取り軽く公園を後にする。夜の闇でエカテリーナの表情は良く見えないが、彼女の弾む声が上機嫌なのを伝えてくれる。コータローの腕に回した手にまでこころなしか力が籠っている様に思えるのは、期待し過ぎだろうか。アクセサリーショップは、さっき宝飾店を探していた時に場所を訊いておいた。直ぐに彼等はその店に辿り着く。
「どれがそうなの?」
ショップに並ぶ、ネックレスチェーンに額を近づけてエカテリーナは真剣に見つめる。
「そうですね。鎖一つずつが余り大き過ぎず、あっさりしたデザインの物が良いですね。」
「どうして?」
「え…、だって、相手の気持ちが分かるようになるには、自分が前に出過ぎない様にしなくちゃ。」
「ふーん。」
コータローは細い飾り気の無い金のチェーンを手に取り、彼女の胸元にかざす。正直、どんな種類があるのか、どんなものが適当なのか分からない。大体、高校生のコータローが女性にアクセサリーを選ぶなんて今まで有り得ない経験だ。それでも精一杯エカテリーナに似合う物にしてあげたい。
「これにしましょう。エカテリーナさんに似合うと思います。」
金髪に彫りの深い顔立ちで背の高いエカテリーナは、そこに彼女がいるだけで充分に目立つ。だから主張し過ぎない物を身に着けるのが良いだろう。
「『羽毛のペンダント』でも、人に依って合う、合わないがあるんだ。」
「そう、そうですね。あとは…」
コータローはキョロキョロと店の中を見回す。
「何を探しているの?」
「ええと、こういう風に」コータローは両手でドングリの実程の大きさの物を開いたり閉じたりする仕草をして見せる。「中が開けられて、写真とか入れられるペンダントありますよね。」
「ロケットの事?」
「ああ、そう言うんですか。」
「それなら、こっち。」エカテリーナがコータローの腕を引っ張ってペンダントトップが並んでいる場所に連れて行く。「この辺が、ロケットペンダントじゃない。」
「なるほど。」
コータローは、これも控えめなデザインの金のロケット選んだ。きっとこれもエカテリーナに似合うだろう。
「これで出来たの?」
店を出ながら、エカテリーナはペンダントと組み合わせたネックレスを眺める。
「いえいえ、これからが本番です。そのペンダントに魔法の力を与えなければなりません。そのために、夜の動物園に忍び込みます。」
「忍び込むの?無断でって事でしょ?フフ、面白そう。」
エカテリーナの青味を帯びた瞳が、みるみる妖しく輝き出す。
「ちょっとその前に、百円ショップにも寄ります。」
彼女の変化に内心おののきながらも、冷静を装ってエカテリーナをリードする。百円ショップではハサミを1丁手に入れた。
「エカテリーナさん、動物園ってどこにあるか知っていますか?」
街角に掲示されている市街図を見上げる。
「知ってる。あ、この地図だと、切れちゃってる。あの坂道を登って行った山の方。」
エカテリーナは、腕を伸ばして、動物園のある方向を指し示す。
随分距離がある。市街を抜けた先だ。ま、動物園が繁華街にある所なんて無いからしょうがない。
「エカテリーナさん、行きましょう!」
コータローは彼女の手を取って勢いよく走り出す。
彼自身不思議だ。どうしてこんなに自然に女性の手を取る事が出来るのだろう。エカテリーナに何の感情も抱いていないから意識しないのか?それとも、ついつい忘れがちだが、ここが夢の中だからだろうか。
2人は市街地を抜け、動物園への緩い坂道を駆けて行く。アスファルトの道に硬い足音が響く。幾ら坂道を駆け登っても、息が切れる事は無い。緩やかにカーブした坂道の先、木々に囲まれた鉄格子の門が見えて来る。コータローはその正面で足を止める。
「扉が閉まっちゃってる。」
「何とかするさ。」
強がって見せるが、内心不安だ。上手く行くだろうか。
門扉に近付いて、どうなっているのか確かめる。左右に扇状に開く門扉同士に鎖を巻き付けて、南京錠で止めている。どうやって外そうか考えみても、上手い考えは思いつかない。
しょうがない。力任せだ。
コータローは鎖を両手で握りしめて、力いっぱいに引っ張る。鎖の輪と輪がこすれ、鈍い音を立てる。更に力を振り絞ると、ゆっくりと鎖の輪が伸び始める。
いける。もう少しだ。
コータローは片足を門扉に懸けて、更に力を入れる。伸びる。鎖がゴムの様に伸びて、限界に達すると鎖の輪の一つが口を開けて弾ける。両手に残った鎖を足元に落とし、コータローは大きく一つ深呼吸をする。
「コータロー、やる時はやるね。」
背後でエカテリーナが笑っている。
門扉を押して隙間を作り、エカテリーナの手を取って忍び込む。正面に並ぶ、駅の改札の様な入園ゲートの自動改札機は、勢いをつけて飛び越える。無人の園内。昼間、家族連れがそぞろ歩く広い通路の先、フラミンゴ達が池の畔で眠っている。解放された気分にまかせて、2人は笑いながらジグザグに走りまわる。
広場に出た。恐らく園の中心なのだろう。コータロー達以外誰もいないのに、街灯がその下の芝生を照らしている。どこかで夜行性動物が吠える。広場に掲げられた園内の案内図を見つけ、見上げる。
「何を探しているの?」
散々走り回ったからか、エカテリーナは息を弾ませている。
「鳥のケージに行きたい。」
2人で並んで、芝生に反射した街灯の明かりでぼんやりと浮かび上がる案内図を見上げる。
「あ、あそこ。」
エカテリーナが案内板の右上を指差す。コータローは、案内図と実際の広場の配置を見比べて、向かう方向を定める。
「もう、直ぐですよ。」
コータローは彼女の手を取り歩き出す。広場から続く道は様々な動物達のケージの間をうねりながら続く。猿山はもぬけの殻だ。猛獣エリアも、草食動物も、檻の中に残っていない。彼等はそれぞれの寝床に潜り込んで、穏やかな今日の夜を過ごしている。鳥のケージは巨大な鳥籠の様だった。その前に立つと、コータローはケージの前の説明文に目を通す。生憎近くに街灯がない。暗くて良く見えない。説明文に顔を近づけ、何とか読み下そうとする。エカテリーナは、その様子を不思議そうに覗き込む。
「何、見えないの?」
「うん。ゴクラクチョウって、このケージの中にいるのかな。」
「う~ん、そんなの書いてない。」
エカテリーナも一緒になって説明文と睨み合う。
こんな暗いのに読めるなんて、エカテリーナは夜行性の人間なんだろうか?そんな人種あるのか?
「じゃあ、他のケージだ。」
「あれは?」
エカテリーナが指差す先、少し離れた場所にあるガラス張りの建物。温室の様だ。ゴクラクチョウは熱帯の鳥だから、その中にいるなんて事も有り得そうだ。コータローより先に、エカテリーナが走って行き、温室の前の説明文を読む。
「あ、あった。」
説明文の該当箇所に指を置く。コータローは注意深く温室の周りを回ってみる。4面ガラス張りのその建物は、両側に設けられたドア以外に人の入れる隙間が見当たらない。ドアも鍵がかかっているらしく、押しても引いても動かない。
「中に入るの?」
説明文の解読に飽きたエカテリーナが、コータローの脇から覗き込む。
「そうだけど、鍵がかかっているみたい。」
「さっきみたいに、力づくで壊しちゃう?」
「ドアを壊すと、中の鳥たちが驚いて騒ぎ出す。それに、壊れたドアから外に逃げられたら大変だ。」
「ふーん。入口を壊して侵入しておいて、変な所は慎重なんだね。」
「さて、どうしようか。」
「ガラス窓割っちゃう?」
「ドアと同じだよ、そこから鳥が逃げちゃう。」
「細かいなぁ。」
「ダメダメ、目的は鳥なんだから、逃げちゃったら、元も子もない。」
コータローはその場にしゃがみ込むと、目を閉じる。
おい、助けに出て来い。
「なんだ、自分で何とかできないのか。」
白デブモンスターの声がする。傍でエカテリーナが小さな悲鳴を上げる。
目を開けると、30センチくらいの背丈に縮んだあいつが、コータローを正面から見上げている。
「お前、そのブヨブヨした体なら、どんな隙間でも通れるだろ?」
「ブヨブヨって言うな。しなやかな体だ。」
どうでも良い。
コータローは温室のドアを指差す。
「あのドアの内側に入って、中から開けてくれ。」
「ふん、俺の事が嫌いなくせに、命令するのか。」
「お互い様だろ。これはお前のタスクでもあるんだ、手伝え。」
「お前のせいで、こんな小さくなっちまったんだぞ。」
「ほんとは失くしてしまいたいくらいなのを、それで許してやっているんだ。さっさと行け!」
白デブチビモンスターは、まだブツブツ文句を言いながらも、ドアに近付くと、足元からドアと地面の隙間に吸い込まれていく。チビモンスターの姿が消えて、数秒後には、サムターンの回る金属音がして、中からドアが開く。
「でかした。ありがとう。」
「小さくなったせいで、ドアノブに手が届かなくて苦労した。」見れば、チビモンスターは、自分の体をひょろ長くして、ノブに取り付いている。「うまくやらなかったら承知しないぞ。」
「ああ、任せておけ。」
コータローはエカテリーナの手を取り、温室の中に入った。
中は暗い。ガラス越しに差し込む外の光だけが頼りだ。月の光に照らされたバナナの葉が通路に影を落とす。コータローは自分の口に人差し指を当てて、エカテリーナに向けて声を出さない様念を押す。そろそろと歩きながら、熱帯植物の木陰で眠りに就いているだろうゴクラクチョウを探す。ゴムの木の大きな葉の陰、マホガニーの高い枝の上…。それらしい場所に目を凝らす。
「ほら、あそこだ。」
気付けば、コータローの脇にチビモンスターが立ち、高い木の上を指差している。温室の天井付近まで伸びた木の枝に、鳥の姿のシルエットがあり、そこから特徴的な尾羽が伸びている。
ありゃあ。あれじゃ届かないな。
「知らんぞ。あとは自分でやれ。」
チビモンスターはそっぽを向く。
コータローはポケットのハサミを確認すると、目当ての木にしがみつき、登り始める。足を掛ける場所も不確かな木なのに、手足を必死に繰り出せば、なんとか上って行ける。足元では、エカテリーナが両手で口元を押さえて、コータローの動きを見守っている。
あともう少し。夢の中だと、こういう時に足を滑らせて落ちてしまうパターンは有りがちだ。それで落下する瞬間に飛び起きるんだ。本当はその方がラッキーなのかも知れない。
目当ての鳥に手が届きそうだ。静かに眠るゴクラクチョウを起こさない様、ポケットから取り出したハサミを持った手を伸ばして、尾羽に近付ける。起こさない様に、起こさない様に。ここで物音を立てたら、全てが水の泡だ。ハサミを伸ばす腕に全神経を集中させる。息を殺し、ハサミの刃の間に尾羽を入れて、ゆっくりと両の刃を閉じた。
2人は動物園の中の街灯のある広場に戻り、ベンチに腰掛けた。ゴクラクチョウからいただいた尾羽の中心をロケットに見合う大きさと形に切り揃える。コータローの作業をエカテリーナは黙って見つめている。尾羽を入れたロケットペンダントを両手で包み、コータローは目を瞑って思いを込める。それが済むと、黙って彼女の背後に回り、ペンダントを首に掛けた。
「これで、私は、相手の気持ちが分かるようになるのね。」
「そう…、気持ちが分かるって言っても、相手の気持ちが頭に浮かぶ様なものじゃないんだ。エカテリーナさんが、このペンダントを着けていれば、相手の気持ちを考える事を忘れない。だから相手の気持ちを想像してみて。そうすれば、きっと想像出来る筈。」
「え、そうなの?それじゃ、私の想像した事が本当に合っているか分からない。」
「大丈夫。エカテリーナさんなら、相手の気持ちが分かる。慣れるまで少し時間が必要だけど、俺が保証します。」
「…そうなんだ。」
エカテリーナは不安そうに自分の首から下がるペンダントを手に取って見つめる。
「ねえ、エカテリーナさん。」ペンダントを彼女の首に掛け終わったコータローはエカテリーナと並んでベンチに座り直す。「俺がこの世界に落ちて来て、ここまでやり遂げられたのは、エカテリーナさんのおかげです。助かりました。」
「そうね。随分助けた。」
コータローの顔に思わず笑みを浮かぶ。
「今みたいにストレートに口にする性格を、エカテリーナさん自身は気にしているみたいだけど、そうやって俺に意見してくれたから達成できました。エカテリーナさんは、ペンダントなんて無くても俺の事を考えていてくれましたよね。」
「そうかな?私は、欲しかったペンダントの為にコータローの尻を叩いただけ。」
「目的はどうあれ、エカテリーナさんは俺がもう1階層落ちない様に、この世界の仕組みを教えてくれたじゃないですか。」
「うん、まあね。コータローだって、きっと間違ってなかったと思う。」
「何が?」
「あいつとの会話を聞いてただけじゃ、良く分からなかったけど、相手の子に迷惑を掛けたくなくて、何か断っちゃったんでしょ?」
「あ、…ああ、白デブモンスターと言い合っていた時の話題ですね。折角手伝ってくれるって声を掛けてくれたのに、拒絶したみたいになっちゃった。」
「2人になれなかったのはちょっと残念でしょうけど、相手の事を考えていたんでしょ?」
「…そのつもりだった。」
「でも、考えてみてよ。本当に一緒に手伝いたいと思ったから、声を掛けてくれたんでしょ。それって、コータローが気になっているって事じゃない。」
「そうかな…。」
「そうよ。」
「おかしいな。俺がエカテリーナさんの望みを叶える役目なのに、逆にエカテリーナさんに励まされてる。」
「それで良いじゃない。」
エカテリーナは笑顔を見せる。
「ほら、もうペンダントの効果が出てる。」
「あ、そうかな?ありがと。」
彼女はコータローの手を握った。