エピローグ
エピローグ
「……まあ、そうなるとは思っていたわよ」
「えへへ~」
ナオが半眼で僕達を見つめる。対して桔梗は満面の笑みを浮かべて、僕の右腕に腕を絡め、ぴったりと体を寄せていた。寄り添う桔梗はとても可愛らしかった。
昨日の一件で前よりも近くなった二人の距離。今隣にいる桔梗が「恋人のように」ではなく、まさに恋人そのものになったことがとても嬉しく、僕の頬は否応にも緩みっぱなしだ。
しかし、ここはお昼休みの教室。周りには多くのクラスメイトがいる。その中で僕達はとても目立っていた。
注目の的。僕にも人並みに羞恥心というものはある。つまり、とても恥ずかしかった。
「き、桔梗。恥ずかしくない?」
桔梗の耳元で囁く。頬が熱い。熱を持っているのが分かる。
「んーん。全然っ」
桔梗はそう言って、あろうことかさらに体を寄せてきた。桔梗には羞恥心がないのだろうか。いや、まあここのクラスメイトは僕達の関係をそれとなく知っているようだったから、注目されているとはいっても、向けられた数多の視線に驚きのような大きな感情は滲ませていない。
しかし、ただ何となく教室に漂うお祝いムード的な暖かさと安堵感はなんだろう。
「あなたたちがやっと正式に付き合うようになったからよ」
「な、なるほど。……って、あれ? なんで僕が考えてることが分かったの?」
「顔に出てるわよ……」
また呆れられた。そんなに今の僕は分かりやすいのだろうか。
「まったく。あなたたちはどう見ても付き合っているようにしか見えないのに、何度聞いてもお互い付き合ってないの一点張りで、みんなあなたたちをどう相手すればいいのか、それなりに気を遣ってたのよ?」
「そ、それはそれは、ごめんなさい……」
ぐるりと視線を巡らせながら、小さく頭を下げる。ナオのようにため息でもつかれるのかと思いきや、意外にも誰もが小さく笑って手を振ってくれた。なんかもう暖かすぎて申し訳なくなってくる。
「で、結局昨日桔梗が一人で先に帰ったのは、十年前の約束を果たすために、お揃いの指輪を一人で買いに行ってたってこと?」
ナオの言葉に桔梗が元気良く頷いた。
「うん。あの時も私が告白したから、今度も私からしなくちゃいけないな、と思って。それに、せっかくの記念日だから奮発してみましたっ」
桔梗がふふんっと自慢気に鼻を鳴らして右手を広げてみせる。その薬指にはキラリと光る指輪がある。もちろん僕の薬指にもそれはある。桔梗いわく、
『婚約指輪なんだから、学校でもどこでもそれは外さないよーに!』
とのことらしい。嬉しいやら恥ずかしいやら。しかし僕もこういう関係を望んでいたのだから、これは贅沢な悩みだろう。でもさすがに婚約指輪は気が早すぎるというか、まだ早いというか、数段ステップを飛ばしている気がする。
「で、でも桔梗。こういうのって普通男が用意するもんじゃないの? 僕と桔梗の場合、どちらが男役かってなったら、当然僕になると思うんだけど」
桔梗と僕とじゃ見た目的にも身長の高い僕が男らしいし、性格的にも、なにより元男なのだから、僕が男役となるべきだ。
「ののちゃんは遅れてるなぁ~。こういうのはね、用意したい方が用意すればいいの。男だとか女だとか関係ないの」
「うっ……。そ、それでもこんな高そうな物……」
「お小遣い三ヶ月分プラスアルファだよっ」
「桔梗の三ヶ月分って結構な額なんじゃ……」
桔梗の両親は、桔梗が病弱だったこともあってかとにかく甘い。それこそ桔梗がお小遣いをせびればいくらでも渡してしまうほどに。
……この指輪。最低でも五桁後半はするんだろうな。僕達高校生なのに。
やたらキラリと光る指輪を見て、僕は大事に扱おうと心に誓った。
「とにかく一件落着ね。桔梗も、ノノのことが好きなら少しは気をやりなさいよ」
「はぁ~い」
桔梗の気の抜けた返事にナオが苦笑を返して席を立つ。飲み物を買ってくると言って教室を出て行く彼女の背中を目で追っていると、クイクイと袖を引かれた。
「これでずっと一緒だからね」
「うん。でも、本当に僕で良かったの?」
昨日から何度となく告げられる言葉に、僕も何度となく告げた言葉を返す。
「僕はあの頃と違って女の子なんだよ? 男じゃないんだよ? それでもいいの?」
「うん。男とか女とか関係ない。私はあの頃からずっとののちゃんが好きなの。ののちゃん以外考えられないんだから」
まっすぐな目。僕があんなに悩んでいたことを、桔梗は「関係ない」の一言で吹き飛ばしてしまった。
……うん。僕にも桔梗以外は考えられない。僕だってずっと桔梗が好きなんだから。
「……だからね」
ふいに桔梗の表情が険しくなる。
「ののちゃんは僕たけを見てね。ののちゃんは男の子にも女の子にも人気なんだから、男の子も女の子も見ちゃダメ。私だけを見てね」
「……はいはい」
僕が他の子に心が動くなんてことはないのに。……あ、もしかして、たまに脈絡なく桔梗の機嫌が悪くなってたのってこれのせい?
「言葉に誠意が感じられない」
「そんなことないって」
ぽんぽんと頭を撫でる。それでも桔梗の表情は変わらない。
「じゃあ、行動で示して」
そう言うと桔梗は顎を少しだけ上げて、ゆっくりと目を伏せた。何かを期待するようにほんのりと赤い頬。いや何かなんて分かりきっていることなんだけど。
「き、桔梗、ここはまずいって」
「どうして?」
桔梗が目を閉じたまま疑問を口にする。
「みんな見てるから」
「気にしないよ?」
「僕は気にするの!」
桔梗の肩を掴み、ぐっと押して距離を置く。思わず目を開いた彼女はとてもとても不満気だった。
「恋人なのにキスもしてくれないの?」
「だ、だからここは――」
「ののちゃん……」
うっ……今にも泣きそうだ。僕は桔梗のこれに弱い。
「……わ、分かったよ」
渋々に、本当に渋々に桔梗の肩を寄せる。再び桔梗が目を伏せる。気持ち周りが騒がしくなった気がする。それが恥ずかしくて僕も目を閉じる。
少しずつ近づく二人の距離。やがて周りから歓声が上がり、僕の唇から柔らかな感触が伝わってくる。
数秒なのか数分なのか、きっと数瞬のことなのだろう。再び距離を置いて目を開くと、そこにははにかんだ桔梗の顔があった。
「えへへ。さすがに恥ずかしいねっ」
口ではそう言いながら、また体を寄せてくる桔梗。だったらこんなところでキスなんて求めてこなければ……あーもういいや、諦めよう。小さくため息をついてなんとなく窓の外を見やる。外は雪が降っていた。この街にしては珍しい光景だ。
しかし、だ。これからが問題だ。桔梗と付き合うことになったのは素直に嬉しい。嬉しいけど、母さんや父さんにはどう説明しよう。自分達の娘が仲の良いご近所さんの娘と付き合っているだなんて知ったら……
「大丈夫だよ、ののちゃん。心配しなくても大丈夫」
「あの、僕、何も言ってないけど」
「ののちゃんが考えてることくらい分かるよ」
ナオといい桔梗といい、そんなに僕は分かりやすいのだろうか。
「お母さんもお父さんも、おばさんもおじさんも了承済みだよっ」
「そ、そうなんだ……」
なんだそうか。桔梗の両親も僕の両親も、僕達が付き合うことに賛成なんだ。良かった良かった。
……。
「えっ?」