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アスターガール  作者: 本知そら
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後編

   後編



 いつも通りな僕と桔梗。この日もそうだし、その日もそうだった。幼馴染みである僕達は、お互いのことを知り尽くしていたから、どうすれば喜んでくれるのか、どうすれば怒るのか、どうすれば笑ってくれるのか、どうすれば拗ねるのか、どうすれば泣くのか、その全てを知っていた。桔梗の考えることはすぐに分かったし、姿が見えなくても、今何をしているのかも手に取るように分かった。

 僕はそう確信していた。

 あの日までは。


 放課後。その日も僕は桔梗に「一緒に帰ろう」と声をかけた。慣れた動作で鞄に教科書とノート、筆記用具などを詰めて立ち上がり、後ろに振り返った。

「桔梗、かえろー」

 僕がこう言うと桔梗は決まって「うん、ちょっと待ってね」と慌てた様子で返事をして、鞄に教科書を詰める。今日もそうなると思っていた。

 しかしそれは簡単に裏切られた。

「ゴメン、ののちゃん。私、行くところがあるから」

「えっ……」

 気付かずに声が漏れた。それはあまりにも想定外だった。だって桔梗が、あの桔梗が、いつも一緒な桔梗が、隠し事をしない桔梗が、拒否するどころか別行動を取るとまで宣言したのだ。

 今までこんなことは一度としてなかったので、一瞬訳が分からず思考が停止してしまった。すぐに「僕も付き合うよ」と言えば桔梗は頷いてくれたのだろうか。しかしそれを確認する前に桔梗はクルリと背中を向けて、足早に教室を出て行った。

 何も言えず、目だけで彼女を追う。教室から出て、姿が見えなくなっても、僕はその場を動けずにいた。

 なんで? どうして? 僕は? 一人で? どこへ? 何しに?

 たくさんの疑問文が頭の中を駆け巡る。桔梗が僕を置いていくなんてありえなかった。いや、もちろんいくら僕達が仲がいいからって全ての時間を共有しているわけじゃないし、踏み込めない領域っていうものもあるから、桔梗が僕の知らないところで何かしていることも、そりゃあるけど……それでも、時間を共有出来る限りは共有してきたし、お互い隠し事はなしでやってきた僕達だ。そもそもいつもなら桔梗から「一緒に来て」と同行を求められるのに……。今みたいに置いて行かれたことなんて初めてだった。だからとっさのことに対処できず、ぽかんとその場に立ち尽くしてしまった。

 桔梗は「ゴメン」と言った。それはつまり、僕と一緒ではダメだということだ。明確な拒絶。そして曖昧な物言い。僕に行き先を隠した。行き先さえも知られたくないということだ。

 誰かに告白されて、その返事とか? いや、それは違う。誰かに告白されたり、ラブレターを貰ったときは真っ先に僕に報告してたんだ。今更になってそれを止めるだなんてことはない。今の時期ならクリスマス、でもクリスマスだってお互いのプレゼントは毎年必ず一緒に買いに行ってたんだ。隠すことじゃない。じゃあ一体何? どうして桔梗は一人でどこかへ行ったんだ?

 ……分からない。さっぱりだ。

「どうしたの?」

 俯いていると、ポンッと背後から肩を叩かれた。目だけ動かして見やると、不思議そうに僕を見つめるナオの顔があった。

「……ううん。なんでもない。ナオ、一緒にかえろっか」

「帰ろうって、私とあなたじゃ方向が真逆じゃない」

 ナオは学校を出て西、僕は最寄りの駅から東に家がある。正門を出てすぐ別れてしまうのだ。

 別に本当に一緒に帰りたいわけじゃなかった。小さく笑って僕は言う。

「ファミレスでも行こうよ」

 ナオが目を丸くする。そりゃそうだ。放課後に桔梗抜きで二人で遊ぶなんて、今までになかったんだから。

「なに、もしかして愛しの桔梗がいなくて寂しいの?」

「ん……まあね」

 隠すことではないと判断して、正直に打ち明ける。

「……重症ね。仕方ない。付き合ってあげるわよ」

 ナオが肩を竦めてから、腰に手を当てて上から目線で言う。

「ありがと」

「どういたしまして」

 しかしその表情は優しくて、僕の心は少しだけ軽くなった。


 ◇◆◇◆


 街の商店街にあるファミレスは平日だというのに近くの高校や大学の子で一杯だった。数分待って通されたのは窓際の二人掛けのテーブル席だった。

「そんなに心配ならこっそりついて行っちゃえば良かったんじゃないの?」

 一通り話し終えた後、ナオは「なんだそんなことか」とでも言いたげに面倒臭そうな声色で言った。

「ダメだよそんなの。桔梗を困らせることになる」

「あとで謝ればいいでしょ? あなたなら桔梗もすぐに許してくれるわよ」

「う、ん……。そうかもしれないけど」

「けど?」

「こんなこと初めてでどうしたらいいのか……」

「……はあ」

 盛大にため息をつかれてしまった。僕も消極的だってことは分かっている。でも本当にどうしていいかわからなかったのだ。

 ナオがドリンクバーで淹れてきたハーブティーに砂糖を入れる。一、二杯と入れて、三杯目を入れようとしてスプーンを戻した。

「あなたたちっていっつも一緒よね」

「うん」

「だからかしらね。隣にいるのが当たり前で、当たり前すぎて、少しでも距離が空くと不安になってしまう。なんとなく私は、あなた達は見えない糸のようなもので結ばれていて、何でもかんでも通じ合えているものだと思っていたけれど、そうでもないのね」

『僕と桔梗の仲はその程度のもの』

 そう言われた気がして、無言でナオを睨み付ける。

「ごめんなさい。言い方が悪かったわ」

「……ううん。こっちこそゴメン」

 お互い謝罪して、すぐに笑い合う。

「ふふ。ノノに睨まれるなんて久しぶりね。ほんとあなたって桔梗のことになると見境ないんだから」

「そういうナオも、人の逆鱗に触れるところを的確に責めるその言い方、全然変わらないよね」

「う、うっさいわね。そのせいで中学では何人も友達なくしたんだから、自分でも分かってるわよ。最近やっと直せたと思ったのに……ノノ相手だとどうしても出ちゃうのよ」

 僕には心を許してくれている、ということだろうか。それはそれで嬉しい。

 僅かに上気した頬のまま、カップを傾けるナオ。やっぱり砂糖が足りなかったようで、スプーン一杯を足した。

「で、心当たりはないの?」

「ない、と思う」

「そう……」

 心当たりがあればこんなに不安になったりしていない。まあ、心当たりがあったとしても、それを桔梗が僕に隠そうとすること自体が僕を不安にさせるのだろうけど。

 注文したホットケーキにフォークを突き立てる。溶けて液状になったバターが皿に垂れて落ちた。全国にチェーン展開しているファミレスのホットケーキは美味しいと手放しでは言えないけれど、自分で焼くよりは美味しいから、ここに来たらよく頼む。ハチミツとバターというシンプルな組み合わせがスタンダード過ぎて間違いのない美味しさだ。

 ナオが小さくため息をついた。

「あなたがないって言うんじゃ、私に分かるはずがないじゃない」

 ナオの言葉に不安が大きくなる。でも、それと同時に心のどこかで安心した。友達であるナオでも桔梗のことは分からない。ナオから見ても、桔梗の一番は僕なんだということが嬉しかった。

 僕は少し緩んでしまった頬をきゅっと引き締める。

「で、でも、僕には思いつかない事だってあるかもしれないし」

「それはそうだけど……なんなのかしらね。桔梗がノノに隠れてやることって」

「考えられることとすればクリスマスのプレゼントくらいなんだけど、毎年プレゼントは一緒に買いに行って、一緒に選ぶようにしてるんだよ。そうした方が選ぶ楽しさも共有できていいねって」

「ふーん……って、なにそれ自慢? 私達こんなにラブラブなんですっていう自慢なの?」

「え、いや、そんなつもりはないよ」

「どうかしら」

 ナオが小馬鹿にしたように鼻で笑ってカップを持ち上げる。

「……あら?」

 と、突然ナオの動きが不自然にピタリと止まった。

「ナオ、どうかした?」

「……え? な、なんでもないわ」

 どう見てもなんでもないようには見えない。でも彼女は何も言わない。特に言う必要もないことなのかもしれない。そう考え、僕は追求するのを止めた。


 ◇◆◇◆


 その後、他愛のない話を積み重ねて、暗くなる前にナオと別れた。結局桔梗については何も分かりそうになかったから、敢えてその話題は避けた。ナオと二人だけで遊んだのは初めてだったけれど、十二分に楽しかった。またいつか二人だけで遊ぶのもいいかもしれない。

 ……もちろん、ちゃんと桔梗に正当な理由があるときに、という言葉がつくけど。

「ただいま」

 リビングへと顔を出した僕に返ってくる言葉はなかった。シンと静まりかえった部屋。まだ父さんも母さんも帰ってきていないようだ。ダイニングテーブルに手紙を見つけて手に取る。

『今日は父さんも母さんも遅くなります。自分で何か作って食べて下さい。帰ったらちゃんと戸締まりをするように。ののちゃんは女の子なんですから』

「女の子じゃなくても戸締まりはちゃんとするものだと思うけど」

 過保護なその文字にくすっと笑いを漏らす。高校生にもなっていまだ僕を子供扱いする母さん。ああ、高校生だから未成年で、まだ子供なのか。それでももう少し信頼してくれても良いと思う。とくに最後の文。女の子になってもう六年なんだから、言われなくても自分は女の子だって理解しているのに。

 まあ、なった当時はそれなりに戸惑いやらなんやらで両親に心配をかけてしまったので、その時の僕が強く残っているのかもしれない。僕自身も面と向かって「もう僕も高校生なんだから」とは言えないでいる。

 母さんの言いつけを守るために、一応玄関へ戻り鍵を確認する。次に庭に干した洗濯物を取り込んで、窓を閉める。洗濯物をたたみ、それをリビングのソファーに置いてから、エプロンをつけ、キッチンに立つ。

 冷蔵庫と炊飯器の中を確認。自分の分だけだし、炒飯でいいや。少しだけ残っていたレタスやニンジン、その他処分するべき野菜とハムを取り出してまな板の上に広げ、みじん切りに。それを手早くご飯と一緒に炒めて簡単な晩ご飯を作る。

 料理は上手ってわけじゃないけど、両親の帰りが遅くなることが多々あるせいで自然と身についてしまった。簡単なものからそれなりに手の込んだものまで、一応一通りのものは作れたりする。よく家にやってくる桔梗が僕の料理を美味しいと言って食べてくれるから、下手なりにバリエーションを増やしているのだ。

 晩ご飯を食べて食器を洗う。冬になると水が冷たくて、毎度食洗機がほしいとしみじみ思うけど、何故か母さんは食洗機が信用できないらしく、いまだ僕の家では手洗いだ。

 洗い物で冷たくなった手をホットココアの入ったカップで温めながらテレビを見る。見たいドラマだけを視聴して、お風呂に入る。充分に体を温めてから上がり、自室へ。宿題があったことを思い出し、パジャマの上にパーカーを着て机に向かう。今日は数学だ。さっさと解いてしまおう。

 その間もずっと心の真ん中では桔梗のことが重しのようにそこにあった。いつもなら恨めしく思う宿題も、今日くらいは少しだけその存在に感謝できた。


 ◇◆◇◆


「んぅー?」

「どうしたの、桔梗?」

 ベッドに寝転んだ体勢のまま、友達のお姉さんから借りた漫画を置いて顔を上げる。「ベッドでゴロゴロしてるとおばさんにおこられるよ?」と数分前の僕に言っていた幼馴染みは、真面目に椅子に座り、巻数違いの同じ漫画を読みながら、しきりに首を傾げていた。

「ねぇ、ののちゃん」

 桔梗が僕の名前を呼ぶ。「なに?」と返すと、遠慮がちに桔梗は口を開いた。

「つきあうって、どういう意味?」

「つきあう?」

「うん」

 宝石のような瞳がまっすぐに僕を捉える。今までも桔梗にはいろいろと質問されて答えてきたけど、今回のは僕にも分からなかった。

 小学生、しかも低学年なら恋愛感情というものを知らなくて当然。それが人を疑うことを知らない純真無垢なお子様の桔梗ならなおさらだ。もちろん僕自身も恋愛というものに疎く、その時読んでいた少女漫画にも付き合うだとか交際だとか、そういう言葉や展開はあっても、意味はあまり分からず雰囲気だけを楽しんでいた。

 僕は首を大きく捻り、悩んだ。「分からない」とは言いたくなかった。僕は桔梗のお兄ちゃん。妹の質問には答えてあげるのが兄として当然。当時の僕はそう思っていた。

 漫画の内容を思い出しつつ、思案する。眉を寄せ、腕を組み、目を閉じて、唸って考える。それからしばらくして、自分でもあまり納得のいかないまま、僕は口を開いた。

「えっとね。つきあうというのは……」

「なになに、どういう意味?」

 キラキラと目を輝かせて話の先を急かす桔梗。

「つきあうっていうのは、すごくなかのいいともだちが、いまよりももっとずっといっしょにいて、もっともっとなかよくすることをいうの。わかった?」

 当時の僕はそう答えた。今思えば、それは付き合うという言葉の意味するところとは少し違う。けれど、小学生にしては上出来だろう。

 桔梗は元気良く「わかったっ」と頷くと、突然立ち上がって駆け寄り、ぎゅっと僕の両手を握りしめた。

「ののちゃん。桔梗とつきあってくださいっ」

 ずっと一緒にいる。桔梗にはそれが友達の延長線上だと考えたのだろう。屈託のない笑顔で告白をされた僕は、同じくぎゅっと手を握りかえして、「うんっ」と返事した。

「あ、でも、つきあうのは十年後なんだって」

「じゅうねん?」

 きょとんとした顔で桔梗は聞き返してきた。僕は読んでいた漫画を桔梗に見せてあげた。

『僕と付き合うだなんて十年年早い』

 開いたページに大きく書かれていた文字。それは漫画の主人公の女の子が思いを寄せていた男の子に告白をして、すぐさま返ってきた言葉だ。この時の僕はこれを真面目に受け取り、「十年早いってことは、十年経てば大丈夫なんだ」と解釈したのだ。

「十年……」

 桔梗は漫画を見ながら小さく呟いた。それから僕の目をまっすぐに見つめて、にこっと笑った。

「わかった。十年後にまたののちゃんにいうねっ」

 その言葉はとても暖かくて、嬉しかった僕は元気良く「うんっ」と頷いたのだ。


 ◇◆◇◆


「ん……」

 ぼやけた視界。顔を上げて目を擦ると、そこは自分の部屋だった。

 夢、か。

 宿題をしている途中で寝てしまったらしい。でも、宿題は最後までやってしまったようだ。我ながら感心する。

 ぶるっと体が震え、いそいそと布団の中に潜り込む。そうしてから、さっきの夢を思い返す。

 あれはいつの頃のことだろう。幼い頃の出来事で、それがいつだったか思い出せない。

 十年後に付き合う。

 子供だった僕達が交わしたおままごとみたいな告白。いや、桔梗も僕もそうは思っていなかったのだから、告白と呼べるようなものじゃない。そもそも告白なら男の僕からするべきだ。あの頃は少女漫画ばかり読んでいたから、告白するのはどちらかと言えば女の子の方からするのが普通だと思っていたせいで……。

 とにかく、ずっと一緒にいたい、ずっと友達でいたいという思いは僕も桔梗も同じであり本物で、それがとても嬉しかったことを覚えている。

 今でもその気持ちは変わらない。桔梗と一緒にいたい。ずっと友達でいたい。むしろ思いはあの頃より強くなっているくらいで、できるなら友達のその先の関係になりたいとさえ思っている。

 僕は桔梗のことが好きだ。女になった今でも、桔梗の事が大好きだ。あの頃と何も変わらない。桔梗は僕の大切な人なんだ。けど……。

 ふと枕元の携帯電話が光っていることに気付く。いつの間にか桔梗からメールが届いていた。

『今日は本当にゴメンね。どうしても一人で行きたいところがあったから。明日にはすぐに埋め合わせするよ。それじゃあ、また明日。おやすみ』

 桔梗にしては簡潔なメールだった。いつもならもっとしつこいくらいに長文なのに。……いや、こういうメールの時だってある。気にしすぎだ。桔梗だって「埋め合わせする」と言っているんだ。せめて明日まで待ってみてもいいじゃないか。

 そういえば、桔梗は僕のことどう思ってるんだろう。嫌いだとは思っていないのはたしかで、親友であることもたしかだ。でも、その先は? 桔梗も僕と同じように、昔と変わらず、僕のことを好きでいてくれているのだろうか。

 ……分からない。今日の桔梗のことさえ分からなかったんだ。桔梗の思いなんて分かるはずもない。

 第一だ。あの時の僕と今の僕ではまったく違うんだ。あの時の僕は男で、今の僕は女。性別が違う。正真正銘の女の子である桔梗が、同じ女の子である僕を好きになるはずが、恋愛対象として見てくれているはずがない。

「はあ……」

 ため息が漏れる。自分で言って落ち込んでしまった。これは女になった時からずっと考えてることじゃないか。まだ引きずっているなんて女々しすぎる。

 と、自分を叱りつけても桔梗が好きなことは変わらない。きっと僕はこの思いをずっと抱えたまま生きていくんだろう。桔梗に告白する勇気なんてないし、告白してもし彼女を苦しめたらと考えるとなおさら告白なんてできない。覚悟は何度もしたつもりだけど、それを直視する度に心が軋んでしまう。

 だから今日も僕は、涙が出ないようにぎゅっと目を閉じて、胸の辺りを押さえながら体を丸めて眠りについた。


 ◇◆◇◆


 翌朝目を覚ませば、やけに体が重かった。何かが体の上にのしかかっているような重さ。もしやお化け? これが金縛り? 少し緊張しながらゆっくりと目を開けると、そこには見慣れた桔梗の顔があった。

「あ、やっと起きた。おはよう」

 いつものように笑みを浮かべて挨拶する桔梗。しかし、それに違和感を覚えた。

「お、おはよう。どうしたの?」

「どうしたって?」

 桔梗が首を傾げる。

「いつもだったら布団に潜り込んで一緒に寝てるのに、今日は僕の上に乗ってたから」

「あー、なるほど。えへへ」

 何故か桔梗ははにかんだ。何を恥ずかしがっているんだろう。そう思っていると、

「そ、そんなことより、ののちゃん、右手出して」

「右手?」

「いいからはやくっ」

 よく分からないけど、桔梗に従って布団から右手を出す。桔梗は僕に馬乗りになったまま動こうとしない。おかげで僕は起き上がれないし動けない。本当によく分からないシチュエーションだ。

 桔梗が僕の手を取る。そして、

「うん。ぴったり。私が大きさを間違えるなんてことはないけど、よかったよかった」

「――えっ?」

 なんと桔梗は、僕の薬指に銀色の指輪をはめたのだ。

 な、なに、どういうこと?

 覚醒しきってない頭で懸命に答えを導き出す。けれど全然頭は働いてくれず、さっきからずっと同じ言葉が巡り続けている。

「き、桔梗。これは……」

「ん、指輪だよ。昨日はゴメンね。どーしても最初の一つは自分一人で決めたくて」

 桔梗がぺろっと舌を出す。最初の一つって……もしかして昨日はこの指輪を買いに行っていた、ということ?

 桔梗が僕に見せるように右手を広げる。そこには僕と同じ指輪が薬指にはめられていた。

「お揃いにしたんだ」

 心底嬉しそうに桔梗が言う。僕と桔梗の薬指に輝く銀色の指輪。さすがにここまで来ればこの指輪がどういう意味を持つのか分かってくる。それは僕が望んでいたこと。夢見ていたこと。決して現実にはならないと諦めていたこと。まさかそれが本当になるなんて。

 桔梗の笑顔が僕に向けられる。その目はまっすぐ僕を見ていて、恥ずかしいのに、目をそらすことなんてとてもできなかった。

「ののちゃん。やっとあの日から十年が経ったよ」

 十年、それは昨晩見た夢に出てきた数字だ。たしかあの日も寒い日だった。もしかして今日は――

「ののちゃん。桔梗と付き合ってくださいっ」

 その言葉、そしてその表情は、十年前とまったく同じだった。

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