表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アスターガール  作者: 本知そら
2/4

前編

   前編



 ゆらゆらと漂う意識が少しずつまとまり、覚醒へと導かれていく。心地良い浮遊感が四散し、代わりに何か、目に突き刺さるような刺激を感じる。

 ああ、もう朝か。目を閉じたまま、ウッと顔をしかめる。カーテンの隙間から差差し込む朝日がまぶたを照らしているのだろう。カーテンを新調しようかと、ふと考える。今月お小遣いピンチだけど。

 久しぶりに昔の夢を見た。昨日から泊まりに来ている桔梗と夜遅くまで話し込んでいたせいかもしれない。

 ふあ……と、欠伸を一つ。このまま二度寝したいところだけど、今日は月曜日。週の初めから学校に遅刻するわけにはいかない。いや、別に僕はいいのだけど、遅刻すると桔梗の機嫌がとてつもなく悪くなる。この前なんて思いっきり寝過ごして二限目に登校したところ、桔梗は目に涙を一杯に溜めて携帯電話を弄っていた。何事かと驚いたが、ハッとして自分の携帯電話を確認すると、桔梗からの何件ものメールと着信履歴があった。僕が事故にあったんじゃないかと心配で心配でしょうがなかったらしい。ただ寝坊しただけだと言うと、桔梗はすぐ泣き止んでくれたが、その後機嫌を損ね、口を聞いてくれなくなってしまった。なんとか次の日曜日に買い物に付き合うことで許して貰ったけど、あれをもう一度味わうくらいなら少し早起きをしたほうがよっぽどマシだ。

 起きよう。そう思って体を動かす。しかし何かしらの抵抗を受け、僕は起き上がることが出来なかった。

 またかと思いつつ、目を開ける。

「……すぅ」

 キスができるくらいの目と鼻の先。案の定、そこには桔梗がいた。よくあることだから驚きはしないけど、ドキッとはしてしまう。

 パジャマ姿の桔梗は、気持ちよさそうに目を閉じ、両腕で僕を抱きしめて小さな寝息を立てていた。

 桔梗は床に布団を敷いて寝ていたはず。きっと夜中にトイレへ行って、戻ってきたときに入る布団を間違えたのだろう。だとすると、僕は抱き枕ってところか。どうやって左腕を潜り込ませたのだろう。気付かなかった僕も僕だけど。

 高校生になった今も、桔梗はよく僕の家に泊まりに来ていた。彼女は僕の両親にいたく気に入られていて、十二年前に引っ越してきた当初から今に至るまで、実の我が子と同様に可愛がられている。その可愛がりようは凄まじく、余所の子だというのに専用のお茶碗やお箸、ハブラシやシャンプー、そして布団や枕に、さらには数え切れないほどの中と外用の洋服に至るまで、桔梗が数日間手ぶらで泊まりに来ても何の支障もないほどに、この家には桔梗の生活用品が完璧に揃えられている。おかげで僕のクローゼットの半分は桔梗の洋服で占拠されっぱなしだ。まあ、別にそれは良い。それよりも問題なのは、両親が桔梗用に買ったはずの洋服を僕にまで着せて写真を撮ったり、そのままの姿で外出させようとすることだ。桔梗の服は基本ふりふりレース満載の女の子女の子したものだから、着ることにかなり抵抗がある。最近じゃ両親が桔梗用の服を新たに買ってくる度に頭痛がするようになってしまった。

 それもこれも、昔の僕が桔梗の服を着ることに何ら疑問を抱かず、ただただ「桔梗が喜んでくれるなら」と、嬉々として受け入れていたせいだ。数年後に深く後悔したことを覚えている。とはいえ、今更止めるわけにもいかなかったので、今も定期的に桔梗の服は着ている。断わると桔梗が泣きそうな顔をするから仕方ない。

 自由な左手で、そっと桔梗の頬に触れる。幼い頃病弱だった桔梗も、中学生、高校生となるに従って体質が変化し、今では僕と変わらないほどの健康な体になっていた。少し人より風邪を引きやすいけど、昔と比べたら些細なことだ。

「まったく。気持ちよさそうに寝ちゃってまあ……」

 頬をぷにぷにとつっつく。「んぅー」と唸って小さく身じろぎしたけど、起きる気配はなかった。

「ほーら、起きろー。遅刻するぞー」

 ペシペシと叩く。やっぱり起きない。それもそのはず、彼女は朝に弱いのだ。それなのに僕を家まで迎えに来るときは凄く早い。桔梗七不思議の一つだ。

 赤くならない程度に叩き続けるもののまったく反応しないので、もう少し強い刺激を与えてみる。

「えい」

 コツンと額と額を当ててみる。「うっ」と声が漏れた。今度こそ起きた。そう思ったけど、しばらくして聞こえてきたのは規則正しい寝息だった。小さくため息をついて、僅かに開いた桜色の唇に人差し指で触れる。

「……起きないと、キスしちゃうぞ」

 自分にも聞こえるかどうかの微かな声で囁く。ちょっとドキドキする。

 ……反応なし。それどころか、もぞもぞと身じろぎして、僕の胸の中に顔を埋めてきた。かわいいやつめ、よしよしと頭を撫でる。これが休日なら、このまま桔梗と一緒に二度寝するところなんだけど……。

「遊んでないで、そろそろ起きますかね」

 朝のゆるいひととき。それを終わらせないといけない。これ以上は本当に遅刻してしまう。

 桔梗の腕を振り切るように勢い良く上半身を起こし、上布団をはぎ取る。隣を見やると、寝転んだままの桔梗の手がわさわさと動いている。抱き枕を探しているのだろうか。残念ながら抱き枕はもうありません。

 ベッドから立ち上がり、クローゼットにかけていた上着を手に取る。それに腕を通していると、ふと姿見に映る僕と目が合った。

 色素の薄い茶色の髪は肩を余裕で越え、背中を覆い隠すくらいの長さがある。体は全体的に丸みを帯びていて、ウェストにはくびれがしっかりと。顔はわりと小さいのに、目は少し大きくぱっちりと開いている。肌は桔梗ほどではないけど白く、やたら柔らかい。平均的な身長ながら手と脚が人より少し長いので、スタイルはいい方だと思う。そしてなにより、パジャマを押し上げる胸のあたりの膨らみ。


 その姿は、さっき夢で見た十二年前の女の子の『ような』僕ではなく、女の子『そのもの』になった僕だった。


 六年前のある日のことだ。僕はとある病院の検査で仮性半陰陽と診断された。仮性半陰陽とは、本当は男の子(女の子)なのに女の子(男の子)のような姿をして生まれてきてしまうこと。簡単に説明するとこういう症状だ。

 つまり僕は男の子ではなく、女の子だったのだ。

 当時まだ小学生だった僕に詳しいことは分からなかったけど、病院で様々な検査を受けた末に、どうやら僕は自分自身のことを男の子というよりは女の子として認識していることが判明し、結果、僕は女の子として生きていくことになった。両親から男らしく育てられてこなかったことや、桔梗と姉妹のように育てられていたことから、そういう結果になってもおかしくはないだろうと、今の自分でも思う。実際、お医者さんから女の子になると聞かされたときの僕も、「ふーん」としか思わなかったのだから。

 手術を終え、女の子になった僕の元へ最初に訪れたのは桔梗だった。彼女は病院のベッドの上で元気な僕の姿を見た途端、わんわんと泣きだした。どうやら僕が何か重い病気にかかって死んでしまうんじゃないかと早とちりしてしまったらしい。女の子になったとか男の子じゃなくなったとか、そんなことは二の次に、とにかく無事生きていてくれていたことが嬉しかったのだとか。

 それからの僕は小学校こそ転校したものの、転校先やその後の中学校生活は特に山も谷もなく、平穏無事に過ごすことが出来た。桔梗とは学校が別になってしまったけど、土日や夏休みにはよく会って遊んでいたから、寂しいとは思わなかった。それでも同じ学校の方がいいということで、高校へ進学する際には二人で話し合い、同じ高校を受験することにした。無事合格した今では、毎日一緒に学校へ通い、高校生活を満喫している。

 女の子になった僕を、両親も桔梗も自然と受け入れてくれた。おかげでこうして今も昔と変わらない関係を続けていた。


 未だ夢の世界の桔梗を横目に、姿見の前から離れる。カーテンと窓を勢い良く開け放ち、朝の光を部屋に取り込む。冷たい風が吹き抜けて、体がぶるっと震えた。はぁと吐いた息が白くなる。

 高い空は今日も快晴で、その澄み切った青に浮かぶ太陽はいつもより輝いて見えた。

 まっ、そう見えただけで、実際は昨日となんら変わらないのだろうけど。

 今日から十二月。先月から日ごとに下がっていった気温は、気付けばマフラーと手袋が必要なくらいになっていた。特に今日は一段と寒く感じる。これもきっと気のせい。暦が変わったことで生じたプラシーボ効果。それでも白い息を目にすると、本当に今日は一段と寒いのかもしれないと思ってしまう。あとで天気予報を確認しよう。

「うぅ~。ののちゃん寒いよぉ」

「おっ、やっと起きた? おはよう、桔梗」

 窓を閉めて振り返る。布団をはぎ取られた桔梗が膝を抱えて小さく丸まり、両腕をさすっていた。僕より寒さに強いけど、自分で窓を開けた僕と寝ていた桔梗では気構えが違う。風邪を引かないように布団をかけてあげる。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 はぎ取ったの僕なんだけどね。

「今何時?」

「七時を回ったところ」

 二年前の誕生日プレゼントとして桔梗から貰った虹色の壁掛け時計を見て答える。シンプルな僕の部屋には不相応に思えるかわいらしい時計。でも友達からは「埜乃らしくていい」と案外好評だ。

「もうそんな時間? あれ、目覚まし鳴ったっけ?」

「たぶん僕が無意識に押した。こう、手を振り下ろして」

 何もない空間をチョップする。桔梗がそれを見てクスクスと笑う。

「無意識に押しちゃ目覚ましの意味がないよ」

「いいの。別に意味がなくったって」

 ――桔梗が起こしてくれるから。心の中で呟く。

「どうして?」

 桔梗が首を傾げる。

「なんだっていいじゃん。ほら、早く着替える」

 未だ布団にくるまる桔梗に手を差し出す。

「気になるよ」

「学校に遅れてもいいの?」

「それはだめ」

「じゃあおしまい」

 伸ばしかけた桔梗の手を強引に握り、ぐいっと引っ張る。ふらつく彼女を抱きとめ、ちゃんと自分の足で立ったのを確認してから離れる。

「あ、そうだ、ののちゃん」

「ん?」

 クローゼットから自分と桔梗の制服を取り出しながら振り返る。

「おはよう」

 笑みを浮かべて挨拶する桔梗。

「いまさら?」

 ぷっと吹き出してしまう。「おはよう」と挨拶を返しながら桔梗の制服を渡し、お互い着替える。白のブラウスに赤色のチェックスカート、そしてキャメル色のブレザーを着て姿見の前に立つ。着始めて二年になる蓮池高校の制服もすっかり着慣れたものだ。おかしなところはどこにもない。たぶん。

 リボンタイをしてから洗面所を経由してリビングへ。お母さんとお父さんに挨拶して軽く朝食を取り、すぐさまコートを羽織って玄関へと向かう。スリッパからローファーに履き替え、玄関のドアを勢い良く開けた。

「さむっ」

 耳が痛くなるほどの冷たい風が顔を横切っていく。耳当てもすれば良かったと後悔しつつ、手袋をした手で首に巻いたマフラーを鼻が隠れるまで引っ張り上げて家を出る。

「ほんとにののちゃんは寒がりだなぁ」

 少し遅れて僕の隣に並ぶ桔梗が言う。彼女はマフラーも手袋もしていない。さすがの我が家にも、桔梗の制服はあっても季節物のマフラーや手袋までは置いていない。僕のを貸そうかと言ったのだけど、断られてしまった。

「いやいや寒いって。雪の降らないこの街でこれは寒すぎる。今日の平均気温八度だよ八度。死ぬって」

 さらっと見た天気予報では、寒波がどうのこうので、昨日から十度も気温が下がるでしょうと言っていた。異常気象だ。エルニーニョだ。あれ、エルニーニョってどこかのサッカー選手だっけ?

「大丈夫だよ。それに一月はもっと寒くなるんだからこれくらい我慢しないと」

「そうなったら学校行くの止めてコタツでアルマジロごっこする」

「もお。子供じゃないんだから」

「子供だもん」

 僕も桔梗も十七歳の高校二年生。未成年だ。法律的に

もまだ子供だ。

「台風みたいに、白い息出たら学校休みになったりしないかな」

「なりません」

 頭一つ小さい桔梗が苦笑する。

 桔梗は僕と同じデザインの色違いのコートを羽織っている。それは先月、僕が桔梗に新しいコートを見せびらかした次の日に買ってきたもので、わざわざ同じものを一日かけて探してきたらしい。サイズも同じようで、おかげで僕より十五センチ低い桔梗は膝のあたりまですっぽりとコートに覆われてしまっている。

「やっぱりそのコート大きすぎない? 前に僕が着てたコートがあるけど、それ着たら? たぶんサイズちょうどだよ」

「いいの。私にはこれくらいがちょうどなの」

 袖が指先に届いているのにそうは思えない。

「まあ、桔梗がいいっていうなら別に構わないけどさ」

「だったらいいよね?」

「はいはい」

 見る側としては小さな子が大きなコートを着てテクテクと歩くというのはなんともかわいらしくて全然構わない。

「『はい』は一回」

「はいはい」

 適当に返すと桔梗はぷくっと頬を膨らませた。内心微笑ましく思いつつも、ご機嫌を取るために「はい」と答える。すぐに桔梗は笑顔に戻った。……と思いきや、

「くしゅんっ」

 桔梗が小さくくしゃみをして、両手をさすった。やっぱり寒いらしい。

「ほら見たことか。今からうちに戻ってマフラーと手袋取ってこようか?」

「大丈夫。鼻がむずむずしただけだよ」

「花粉症でもないのに嘘つかない」

 桔梗が強がっているのは見え見えだった。とは言え、家を出るのが遅かったので、今から戻っていたら電車に乗り遅れてしまいそうだ。

 ……あ、そうだ。

 唐突に名案が浮かんだ。

「桔梗、手を出して」

 そう言って、右手の手袋を外して桔梗の右手にすぽっと被せる。そしてぐるぐると首に巻いてあった長めのマフラーの半分くらいを彼女の首に巻き付けて、手袋のなくなった右手で桔梗の左手を握る。

「ののちゃん……」

「これで少しは寒くないよでしょ。あ、マフラー全部ほしいって言ってもあげないからね。僕も寒いんだから」

「うん」

 手を繋いで並んで歩く。小さい桔梗は僕より歩くのが遅いけど、昨日今日の関係ではない僕達だ。歩幅なんて勝手に合ってしまうから、マフラーが引っ張られるようなことはない。

「ののちゃんは優しいね」

「んー。普通だよ普通」

 たいしたことはしていないのに、やたら桔梗は嬉しそうだった。喜んで貰えて何よりだけど、今はとにかく寒い、寒すぎる。早く暖かい駅に行きたい。

「桔梗、走れる?」

「うん」

 桔梗が頷くのを見て、軽く手を引っ張るようにして僕は走り出した。


 ◇◆◇◆


「ナオ、おはよ」

「おはよー。今日も二人仲良く同伴登校ですか。お熱いですなー」

 窓際の後ろから二番目の僕の席の右隣。梶波菜緒花かじなみなおかが顔をにやりとさせて僕を茶化した。

「それで熱くなれたらどれだけ楽なことか……」

 いつものことなので動じず、席についてナオの方を向く。

 教室に暖房は入っていなくて寒かった。外とあまり変わらない。むしろマフラーと手袋を外した分外よりも寒いかもしれない。この街でも有名な私立の進学校の蓮池高等学校。すぐ隣にある同じ私立の千里学園高校はほぼ年中教室のエアコンを作動させているというのに、うちの学校は省エネだなんだと言ってなかなか付けてくれない。全室完備の空調もこれでは宝の持ち腐れという物だ。

 窓を背にして腕と足を組む。すかさずナオが首を傾けて視線を下げた。

「今日は青」

「覗くな」

 ナオの頭を叩く。ついでにトレードマークの短いポニーテールを掴んで引っ張る。「暴力反対」と抗議してきたけど無視。なんでこの子は隙あらば人のスカートの中を覗こうとするのか。

「覗いてないって。ただ私はノノが足を組む瞬間を狙って足の付け根あたりを見ただけで」

「やっぱり覗いてるじゃないか」

「違う違う。ノノがあまりにも無防備だからそれを注意するためにわざわざチェックしてあげてるんだって。怒るなんてとんでもない。むしろ感謝してほしいんだけど?」

「なんで感謝しないといけないんだよ。そもそもパンツの一つや二つ見えたって僕は――」

 その時だ。突然右から突き刺さるような視線を感じた。嫌な予感を覚えつつそちらを向くと、僕のすぐ後ろ、窓際の最後尾の席に座った桔梗が、いつもは大きな目を細く尖らせてこちらを見つめていた。いや、睨み付けていた。

 やばい。怒ってる。そう直感した僕は、すぐさまナオに向き直り、顔に笑みを張り付かせて彼女の肩に手を置いた。

「気にしないわけないよな。誰でもパンツが見えるのは普通気にするし。……ねっ、ナオ?」

「いやあんたはいつも気にしてな――う、うん、そうだね」

 僕の渾身の握力に顔を歪ませて同意するナオ。悪いと思いつつも、元々はこの子のせいでこうなったんだから自業自得だと自分に言い聞かせる。

 肩から手を離すと、空気を読んだナオが「寒いからジュース買ってくる」と慌ただしく立ち上がって教室を出て行った。残された僕は後ろを向いて、桔梗の机に頬杖をつく。

「なに怒ってんの?」

 敢えて聞いてみた。僕を睨んでいた桔梗は少し間を置いて口を開いた。

「いつも言ってるよね? ののちゃんは女の子なんだから、もっと気を配らないとって」

 言ってることは説教だけど、さっきより随分と柔らかい表情になった。怒っているというか拗ねているに近い。こういう桔梗を見ているとつい悪戯心が疼いてしまう。

「女の子ねぇ……。でも桔梗先生。バリアフリー然り、ユニバーサルデザイン然り。今の世の中はジェンダーフリーが声高く叫ばれているわけですよ。だから僕が女の子だからって女の子らしくする必要はないんですよ」

「じぇんだーふりぃ?」

 怪訝な顔をする桔梗に、スマートフォンでジェンダーフリーの意味を調べて見せてあげる。液晶画面を覗き込んだ彼女は「なるほど」と小さく頷いた。

「ののちゃんが言うことはもっともだけど、今私が言いたいのはそういうことじゃないの」

 うん、知っている。男だからとか、女だからとか、そういう話を優しい桔梗がするはずがない。

「下着は人に見せる物じゃないの。だからスカートの時は見えないようにいつも気をつけないと」

「それがそうとも言い切れないんだよね。たとえば勝負下着っていうのがあるっしょ? ああいうのは人に見せるためにあるらしいよ。ほら、前に街へ買いに行ったときに見た真っ赤なアレとか」

「真っ赤? ……あ、あー、あれのこと……」

 桔梗の顔が赤く染まっていく。ランジェリーショップでマネキンに着せて展示されていた派手派手な下着を思い出したのだろう。たしかあの時も桔梗は顔を真っ赤にして俯いていたっけ。

「どういうシチュで見せるのかはご想像にお任せします」

「も、もうっ、ののちゃん! そういうことじゃなくて!」

 桔梗が声を荒げる。そろそろからかうのは止めよう。

「はいはい分かってるって。気をつけるよ。はあ。なんで桔梗にこんなこと言われなきゃならないんだろ」

 まだ顔の赤い桔梗を見つめる。桔梗自身がアイロンをかけた制服には埃一つ折り目一つなく、きちんと結ばれたリボンタイは左右対称。跳ねのない綺麗な髪と切り揃えらた爪は清潔感がある。少し内股な脚はぴったりとくっつき、屈んでも中は見えそうにない。まるで生まれたときから両親に女の子とは何たるかを教え込まれて育ってきたかのようだ。彼女の両親はほとんど出張で、そんなことを教える暇なんてなかったはずなのに。

 とにかく、うん。まあ、これじゃ仕方ない。完敗だ。勝てる要素がどこにもない。胸も桔梗の方が大きいし。いや今はそれは関係ない。

「この優等生め」

 呟く僕に、桔梗は頭の上にハテナを浮かべて首を傾げて見せた。

 それからしばらくしてナオが両手にジュースを持って帰ってきた。僕達の分まで買ってきてくれたらしい。桔梗はレモンティー、僕はミルクティーを受け取る。ナオはお茶。最近お腹のあたりが気になるらしい。

「このミルクティーおいしい」

「飲ませて飲ませて。……あ、ほんとだ」

「間接キスだわ……」

 ホームルームが始まるまであと5分。もうすぐで一日の始まりを告げるチャイムが鳴る。

 今日も僕達はいつも通りだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ