6食目:おもいでのささみ味
コルザおねえちゃんのたんじょうつきのおいわいの新しいお洋服は、すぐに土と草の臭いだらけになった。
五歳になったコルザおねえちゃんは、朝、家のお手伝いをちょっとすると、すぐにお外へ走って行くようになった。新しいお洋服でお外に行くのだから、仕方がないのかもしれない。
コルザおねえちゃんはお外、もりへ行くのも「おてつだいだから!」と言っているけれど、サージおねえちゃんは、あんまり嬉しくないみたいだった。
お日さまが居なくなる前に帰って来るコルザおねえちゃんが背中に着けているカゴからは、毎日、草の臭いや、甘い匂い、酸っぱい匂い、土の臭いがする。
カゴの中が気になるけれど、いつもぼくが見に行く前に、サージおねえちゃんとコルザおねえちゃんが片付けてしまうので、ぼくは一度もカゴの中のものを見たことがない。
ぼくは最近、人間みたいに足だけで立てるように頑張って練習して見ている。コルザおねえちゃんのたんじょうつきのおいわいの時に、人間みたいに足だけで立てなかったからだ。
人間みたいに足だけで立てるようになれば、テーブルの上のごはんにも手は届くようになるはずだし、おねえちゃんたちが片付ける前に、カゴの中を見る事が出来るかもしれない。
でも、なかなか人間みたいに足だけで立てるようにはならないし、立とうとするたびにひっくり返って、何度も頭をぶつけてしまう。今日も頭をぶつけて、おかあさんのいやしのまほうで頭を撫でてもらった。
「母様、ルカをベッドに入れておいた方がいいんじゃないかしら。こんなに何度も頭を打っていたら危ないし、毎回、癒しの魔法を使う母様が大変でしょう?」
サージおねえちゃんがぼくとおかあさんを心配してくれているのはわかるのだけれど、ぼくはずっとベッドに居なきゃいけないのは嫌だ。なんでかわからないけれど、ベッドが狭くなってきているし、犬みたいに手と足で動き回るのにもベッドは狭すぎる。
おかあさんもそれがわかってくれているのか、困ったように笑って、首を横に振る。
「ずっとベッドの中にいたら、ルカだって窮屈よ。サージだって、ずっとベッドに居なさいって言われたら困るでしょう?」
「それは、困るけれど……」
「たしかに今はよく転んで、頭を打つけど、だんだん頭を打つ回数も減ってきているし、最初の時みたいに大きな音がするほど転がることはなくなってきたでしょう? 赤ちゃんはそうやって、立つことを覚えて、歩けるようになるのよ」
おかあさんはそういって、ぼくをクッションの入ったかごへ座らせてくれる。このかごも前より狭くて、お昼寝するのが難しくなってきている。ぼくはすぐにかごから降りて、床の上を手と足を使って動き回る。
まだ足だけで立てないけれど、こうやって犬だった時のように手と足だけで立って歩き周るのにはだいぶ慣れてきた。元々、いつもこうして歩いていたんだから当たり前かもしれないけど。ちょっと前までは、じたばたしないとお腹を下にすることも出来なかったんだから、随分と動けるようになった気がする。
手と足だけで動くだけならあんまり痛い思いをすることもないし、サージおねえちゃんもおかあさんも何かをしながらぼくをたまに見るだけなので、好きに動ける。
ぼくは犬だった時のように、鼻を動かしながら動く。
相変わらず鼻は犬の時より効かないけど、それでもつい鼻を動かしてしまう。
床の上は土の臭いがする。歩くとつぶつぶしたものが手にくっついてちょっと痛い。
かまどの近くに行くと、鉄板の上でお野菜やお肉を焼き過ぎた時にする、鼻がむずむずして、くしゃみが出そうになる臭いがする。これはサージおねえちゃんからする匂いに似ている。
物置の近くに来ると、草の臭いに混ざって、ベーコンやソーセージの匂いがする。そして、甘い匂いもここからする。美味しいものはだいたいここから来るから、この中に入ってみたい。
ぼくは物置のドアを触って開かないか試してみる。でもすぐにサージおねえちゃんが来て、ぼくをかごに戻してしまう。
むぅ。また最初からだ。
今度はかまどじゃなくって、水がめの近くに行ってみる。
水がめを触ると冷たくて気持ちいい。コルザおねえちゃんのたんじょうつきのおいわいから、少しずつ暑いなと感じるようになってきた。
人間は暑くなると身体から水が出る。口を開けてハァハァしなくても身体の暑さがなくなるのは嬉しいけど、身体から出た水でおしめや、お洋服が濡れて気持ち悪いのが嫌なところだ。
水がめで身体が冷たくなったから、またぼくは歩き始める。つぶつぶがたくさん手について来て、痛いのが増えて来た。ぼくは一度止まって、お座りをして、手をお洋服に擦りつける。
つぶつぶが取れたら、おかあさんの近くまで歩いて行く。
おかあさんはヤギやツィーフェルのお乳みたいに甘い匂いと、洗ったばかりのお洋服や布と同じ匂いがする。
生まれ始めて嗅いだ匂いが、この匂いだ。おかあさんに抱っこされていると、この匂いに包まれて、とっても安心できる。
ぼくはおかあさんの座っている椅子から伸びている棒を使ってまた足だけで立つ練習をする。おかあさんが上に座っているから、椅子が勝手に動いてしまうことはないし、上手くいけばおかあさんが僕を抱っこしてくれる。
ぼくは椅子の棒を掴む手と、立つための足に力をいれる。重たいお尻を浮かせて、曲がっている足を伸ばせば、他の家族のように足だけで立てる。椅子を掴んでいるからここまではそんなに難しいことじゃない。
ここからが、大変。
椅子の棒から手を離して、上手く身体と、頭を支えないと人間は立つことができない。
人間になってから頭が重たくて、立とうとするとまず頭がぐらぐらしてしまって、それで転んで頭を打ってしまう。
痛いけれど、それでもやっぱり、足を伸ばして立つと、手と足で立っている時よりも見えるものが変わるし、テーブルに近づけるからぼくは練習をやめない。
ぼくが椅子の棒から手を離して、ふらふらとしていると、ぼくが転ぶちょっと前に、おかあさんが気がついて、ぼくを抱き止めてくれる。
「あらあら、ルカは頑張り屋さんね。でもそろそろ、休憩したらどうかしら」
おかあさんはぼくを膝の上に乗せて抱っこすると、ゆっくりと背中をポンポンと叩いてくれる。
ぼくはポンポンが気持ちよくて、気がついたら眠ってしまっていた。
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目が覚めると、コルザおねぇちゃんもおとうさんも帰ってきていて、夜のごはんが準備されていた。
鼻を動かして、匂いを嗅ぐ。今日はマッシュポテトがあるみたい。
ん……?
なんだか懐かしい匂いがする。
おかあさんの匂いとは違う。甘くない。どちらかと言うと、鉄板でお肉を焼いている時の匂いに近い。けど、鉄板でお肉を焼くと香ばしい匂いがするのに、今は香ばしい匂いがしない。
ゆらゆらとする空気の中に、その懐かしい匂いが閉じ込められて、一緒になって漂っている。スープを作る時のお野菜を煮ている時に漂ってくる匂いに似ているけど、お野菜だけの匂いじゃない。
なんだろう。
ぼくはベッドの柵を掴んで、足だけで立って、匂いの元を目でも探す。
ベッドはテーブルぐらい高いところにあるから、ベッドの上で立つと、手は届かなくてもテーブルの上を見ることができる。
テーブルの上には、いつもの酸っぱい匂いのするパンに、マッシュポテトの入った大きなお皿、サラダのお皿と、ツヤツヤした小さくて丸い火の色みたいなやつは初めて見た。
それから家族みんなのスプーンが置いてあったけど、匂いの元かもしれないお肉が乗っていない。
まだ、かまどの方かな。
ぼくがかまどの方を向くと、やっぱりサージおねえちゃんがお鍋の中をおたまで掻き回している。
お鍋からゆらゆら出てくる白いやつが、匂いの元だと思う。
「母様、このくらいでいいかしら?」
「そうね。あとは余熱で中まで火が通ると思うわ。お肉をお鍋から出してちょうだい」
サージおねえちゃんがおかあさんに言われた通りにお鍋から何かを取り出すと、懐かしい匂いが強くなる。
取り出されたものは、ちょっと白くて、小さく切る前のにんじんみたいな形をしている。
「ねぇ、これ、きょうのばんごはん?」
「そうよ。フェッツマンさん……マリアちゃんのお家からこの間のキジのお裾分けのお礼にって、ガルバ鳥のお肉を頂いたからね」
「とりのおにくなのに、やかないの?コルザ、やいてあるやつのほうがすきだよ」
「コルザは焼いたお肉を食べられるけど、ルカはまだ焼いたお肉だと硬いから、茹でたお肉にするのよ。サージ、お肉が冷めたら細かく解して、マッシュポテトと混ぜてちょうだい。茹で汁は捨てないで、そのままスープにしましょう」
「わかったわ」
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おとうさんが手に持っていたものを片付けると、晩ごはんだ。
ぼくはおかあさんに抱っこされて、家族のいるテーブルに行く。
「我々の生きる糧を与えてくださった精霊様たちへ、最大の感謝を込めて、この食事をいただきます」
おかあさんがスプーンでマッシュポテトを口へ運んでくれる。ぼくは口を大きく開けて、それを食べる。
いつものように、もちもちしているマッシュポテトを食べるために口を動かした時、懐かしい匂いと一緒に、懐かしい味がした。
これ、ささみだ。
犬だった時の、とっておきのごちそう。
本当に、たまに、それもお外が寒い時にしか食べられなくて、ちょっとずつしかもらえなくて、それでも美味しくて美味しくて、たまらないごちそう。
りんごよりもみかんよりも大好きで、ぼくが犬だった時に最後に食べたごはんも、この味がしていた。
あぁ、嬉しい。
人間になっても、ささみが食べられるなんて。
ぼくはおかあさんが運んでくれるスプーンを待っていられなくて、思わずテーブルの上に置かれているささみの混ざったマッシュポテトへ手を伸ばす。
マッシュポテトには、びっくりするくらいに簡単に手が届いて、ぼくはマッシュポテトを掴んでは、夢中で口の中へ入れる。
ぼくが夢中で食べるのにびっくりしたのか、家族みんなの手が止まっていた。
「……掴み食べには、まだ早いと思っていたのだけど」
「そんなに美味しかったのかな、今日のマッシュポテト」
「子どもの成長は、急に来るのはサージとコルザでわかっていたが、目の当たりにすると驚かされるな……」
家族の中で一人だけ、コルザおねえちゃんだけが首を傾げていた。
「……ゆでたおにく、そんなにおいしいかな?」
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あったかくて、ふわふわしたところにいる。
手と足で立っても、しっかり立てている。
ぼくは、犬のルカだ。
どこかから、誰かの泣く声が聞こえる。
声のする方を見ると、そこにいたのは、犬だった時のおねーちゃんだった。
ぼくは急いでおねーちゃんの方へ向かって、駆け出す。
おねーちゃん。おねーちゃん。ぼくはここにいるよ。
でも、おねーちゃんにぼくの声は届かない。
どんなに必死に走っても、おねーちゃんのところへは行けない、だんだん手と足で立っているのが難しくなって、早く走ることもできなくなった。
ぼくは赤ちゃんのルカになっていた。
赤ちゃんのルカは、手と足で歩くことしかできない。
おねーちゃん! おねーちゃん!
赤ちゃんのルカは、まだ言葉も喋れない。
手を伸ばしても、手と足を動かしても、犬だった時のおねーちゃんには気がついてもらえないし、どんどん離れていく。
『あぁ、キミがいないと寂しいなぁ。たくさん冷凍したささみも、一人で食べ切ってしまったよ』
そう言って、涙を流すおねーちゃんを、ぼくは遠くから見ていることしか出来なかった。
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気がつくと、赤ちゃんのぼくが泣いていた。
泣いているぼくは、人間のおかあさんに抱っこされていた。
家の中は、ぼくと、ぼくを抱っこしてくれているおかあさん周り以外は真っ暗だ。
「お昼寝したから、夜に目が覚めちゃったのかしらね」
おかあさんはぼくを揺らしながら、背中をポンポンしてくれる。
おかあさんは、静かな声で不思議な音みたいなお話をしてくれた。
「白い〜月は〜一の月〜……新しい年の始まり〜……」
不思議な音みたいなお話を、『六の月は、風吹く草原の色』まで聞いて、ぼくはまた眠たくなった。
『りんごのように赤い、十の月』の辺りで、眠ってしまったぼくは、次の日の朝のお日さまが昇るまで、ぐっすりと眠った。
時々、夢に現れては、元気な姿を見せてくれます。
どうもレニィです。
我が家では、ささみはお雑煮にしか入れないので、
お犬様にとっては年に一度ぐらいのご馳走でした。
年に一度しか食べないのに、美味しいものだっていうのを
お犬様はしっかりと覚えているんですよね。
そんなごちそうが、お犬様の最後の食事でもありました。
食欲が落ちていても、ささみだけは食べたんです。
だから、たまにお供えしてあげています。
パンもね!
さて、この調子でルカくんにもどんどん成長してもらいましょう。
掴んで食べるお野菜に挑戦してもらおうかな。
そんな感じです。
どうぞよしなにー!!!