17食目:おすそわけツッカバオムケーキ
ぼくが鼻じゃなくって、頭を使って、ベタベタの樹液で灰色の子、メルを捕まえた後。
ぼくはもうメルを追いかけることはないだろうと思っていたのに。
何故だかぼくはまたメルと追いかけっこをしていた。
相手が走り出すと、何故か勝手に身体が動いて走り出してしまうのが悪いと思うのだけど、それを止めることができない。
犬だった時、走るおとーさんやおねーちゃんを追いかけるのは、まぁまぁ楽しいさんぽの途中の遊びだったけれど、人間になってからは違う。
人間のぼくの身体は犬の時のように走れない。ちょっと走っただけで疲れるし、足は重たくなるし、息だって上手くできなくなる。
今日もメルが止まって足をぷらぷらさせている木の下に、ヘロヘロになって到着して、そこにゴロンと寝転ぶ。
ぼくがこんなにハァハァと息をしているのに、メルはなんてことないように、ニヨニヨとぼくを木の上から見下ろしてくる。
「な、なんで……なんで、まだ、おいかけっこ、するの?」
「んにゃあ? そりゃおみゃあ……」
メルが木の上からスタッと降りてくる。相変わらず、あんな高いところから降りてくるのに、身体がフラフラしないし、真っ直ぐ立っているのが、不思議だ。
メルはぼくの真横に立って、ぼくを見下ろすと、ニィッと口の端を思いっきり持ち上げて、嬉しそうに言う。
「楽しいからに決まってるにぃ」
ぼくは楽しくない。
そう言ったって、メルは明日も絶対追いかけっこを始めるのがわかっているし、疲れているから言わない事にした。
「んで、今日は何が聞きたい?」
「このあいだは、なにきいたっけ」
「名前、歳、性別、住んでる場所は森の近くの小屋、ばっちゃと住んでて、ここよりも西の、海が近い国から来た。そんなところじゃね?」
「じゃあメルはふだんなにしてるの? ここにくるまえはなにしてたの? あときょうも……」
「んにゃあ、だからそんにゃいっぺんにいっぱい聞くにゃよ」
メルはぼくの横にどかっと座る。ぼくも疲れてダルいのが抜けてきたから、起き上がって隣に座り直す。
メルからは相変わらず、苦くて臭い草の汁をたくさん潰して煮た臭いと、お日さまの香ばしい匂いがたくさんする。それと、今日は、
「……もりのつちのにおい」
「へぇ、おみゃあ、そんにゃんもわかるんか」
「コルザおねえちゃんからするつちのにおいと、サージおねえちゃんがのうじょうへおてつだいにいったときのつちのにおいはちがうから」
コルザおねえちゃんは町の学校にも通っているけど、そうじゃない時は森へ行く。森の土は湿っぽいのに、枯れ葉の匂いが混ざっていて、ちょっと甘くて良い匂いがする。
サージおねえちゃんが農場に行った時に着けてくる土の匂いは、森のとは違う。森の土よりもずっと土臭いし、どちらかというと乾いた匂いがして、甘い匂いはしないし、たまにすごく臭い。
「たしかに、森の土と畑の土は作りが違ぇからにゃ。匂いも違ってくるわにゃ」
「メルはきょう、もりにいってきたの?」
「ここらの子どもはだいたい森に行くだろ?」
「……ぼく、ごさいになるまでもりにいけないから」
「にゃんで?」
「おうちのきまり」
「ふぅん。ま、おみゃあ良いとこの坊ちゃんだもんにゃあ」
メルは両腕を伸ばしてバンザイをすると、身体もうーんと伸びて、そのまま後ろに倒れて、ゴロンと寝転んだ。
「にぃは、基本ばっちゃの手伝いしてるからにゃ。森に生えてる薬草集めたりとか、乾いた薬草すり潰したりとか、薬煮詰めたりとか、ずっとそんにゃことばっかしてるにゃ」
「ずっと?」
「ずっと。今までは旅しにゃがら、森ん中歩きながら、草の判別できるようににゃれって教えられて、薬の効果ちゃんと出すためにすり潰し方教えられて、外でも薬くらい煮詰められるようになれって、即席のかまどの作り方教えてもらったり。そんにゃだにぃ」
「たびってたのしい?」
「んにゃあ。退屈はしにゃいけど、まぁ楽じゃあにゃいにぃ。だからばっちゃも、ここらが潮時だと思って、ここに腰据える事にしたんだろうしにゃ」
相変わらず、メルの話す言葉はぼくにはまだ難しすぎて、頭の中がぐるぐるしてくる。
それに、お腹がぐごごごごと鳴った。メルを追いかけるために、鼻も使って、足も使ったから、お腹がとても空いている。そろそろお昼ごはんを食べてもいい時間だ。
「おみゃあ……腹に魔獣でも飼ってんのか?」
「え? ぼくのおなかは、ぼくのものだよ?」
ぼくはよいしょと立ち上がって、おじさんたちのところに置いてきたお昼ごはんを取りに行く事にした。
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今日のお昼ごはんには、いつものサンドイッチだけじゃなくって、おやつにこの間のコルザおねえちゃんの誕生月のお祝いのツッカバオムケーキが付いている。
ぼくはお昼ごはんが入っている小さい籠を持って、またメルのいる木の下に戻ってきた。
ぼくが籠からサンドイッチを出してかぶりついても、メルは何もしないで寝転んでいるだけなので、ぼくは不思議に思って聞いてみる。
「メルはおひるごはんたべないの?」
「ここに来る前に、森ん中で木の実とか食ってきてるからにぃ」
「でもおいかけっこして、おなかすかないの?」
「腹は空くけど、食いもん持ってにゃいにょに、どうやって食うんだにぃ? それとも、果樹園に生ってるやつ、食っていいのかにゃ?」
メルが意地悪そうにニシシと笑いながら見ている先には、まだ小さな実がついたばかりのツッカバオムの木がある。
ぼくは慌てて、その木へ実を取りに行きそうなメルを止めるために、籠の中からツッカバオムケーキを一つ出す。
「これ。ツッカバオムケーキ。おやつにってサージおねえちゃんがいれてくれたやつ。これたべていいから、かじゅえんのくだものはかってにたべちゃダメ」
「……ツッカバオムケーキ、いいにょか?」
「うん。もうひとつあるし。コルザおねえちゃん、ツッカバオムよりもサクランボのケーキとおいわいのまるいパンのほうがすきだから、たぶんまだおうちにあるとおもうの」
「ツッカバオムだけじゃにゃくって、サクランボのケーキにパンも用意してんのか?」
「うん? ろくのつきになったから、コルザおねえちゃんのたんじょうつきのおいわいしたの。コルザおねえちゃん、あたらしいおようふくにおまもりのししゅうするのがんばってたんだよ」
コルザおねえちゃんは八歳になったから、お守りの刺繍も一つだけで良くなった。でもその一つは自分でしないといけないから、最近は毎日、お洋服と針と糸とにらめっこしていた。
はじめてのお守りの刺繍はお花の形で、ちょっとだけガタガタしてたけど、おかあさんもサージおねえちゃんも、「よくできたね」って褒めていた。
「そういえば、メルのおようふく、おまもりのししゅうないね?」
メルは大きな口を開けて、ぼくが分けたツッカバオムケーキを頬張っていた。
ケーキの欠片がボロボロと溢れているメルの水色っぽい上の服にも、地面に座り込んでいる下に履いてる黒いズボンにも、お守りの刺繍の模様がない。
メルは五歳だって言っていたから、服にはお守りの刺繍がふたつかみっつぐらいあってもいいのに。
ぼくが首を傾げている間に、メルはツッカバオムケーキを服の上に溢れた小さな欠片まで綺麗に平らげて、指を舐めながら教えてくれる。
「にぃのは全部、腰帯にしてあっからにゃ」
「“こしおび”?」
聞いたことのない言葉に、また首が反対側に傾いてしまう。
メルは指を舐め終わると、口から手を離して立ち上がって、ちょっと服を叩いてから身体に巻いてある青くて太いリボンみたいな物を外すと、ぼくの目の前に差し出してくれる。
受け取ると、そこにはコルザおねえちゃんが頑張って刺繍した花の模様の他にも、ぼくの服にもある模様もあって、全部で七つの模様が綺麗な刺繍で並んでいた。
「これが腰帯。チュニックが広がらにゃいように巻いてる。あと巾着とか、ナイフとかつけられて便利だからって、ばっちゃが毎年、新しくしてくれる」
「たんじょうつきのおいわいに?」
「そうだにゃあ。本当は、そろそろ自分でもやれって言われてっけど、面倒だからやらにゃい」
「たんじょうつきのおいわいって、おようふくをあたらしくするんじゃないの?」
精霊様は綺麗なものが好き。だから大きくなれたことを精霊様に感謝する誕生月のお祝いには、その感謝のためにお洋服も綺麗で新しくするのだと、ぼくは聞いている。
なのにメルはちょっと馬鹿にした顔で、呆れたようにぼくの方を見る。
「バーカ。布も糸もそんにゃに安くにゃいんだぜ? おみゃあみたいにゃ良いとこの家の子どもじゃにゃきゃ、毎年服まで新しくにゃんかしにぇよ」
「そうなの?」
「そうだよ。兄弟が居りゃ、服はお下がりがほとんど。そうじゃにゃあにゃら、古着を買って、綺麗に洗濯して、守り刺繍だけは新しいのを入れる。あとはにぃみたいに、腰帯だけとか、どっか小さいのをひとつだけ毎年新しくしたりする。だいたいみんにゃ、そうだぜ?」
ぼくはたくさんのお守りの刺繍が入った今着ているシャツを見る。
サージおねえちゃんや、コルザおねえちゃんが着ていたワンピースとも違う、ぼくだけの白いシャツ。
メルの言うことが本当なら、これは特別なお洋服なのに、真っ白なシャツは、走り回ったり、ごはんをこぼしたりして、ちょっと汚れている。
特別なお洋服をいつの間にか汚していた事に気がついて、ぼくは悲しくなってしまった。
「……ま、別に毎年服を新しくしてもらえるのは悪い事じゃにゃくて、幸せにゃことにゃんだからよ。そんにゃ気にすることにぇと思うぜ?」
「うん……」
毎年、新しいお洋服がもらえるのは幸せな事なんだ。
ぼくは今日から今着ている服をなるだけ汚さないように気をつけようと思った。
「んにゃあ……見終わったにゃら、そろそろ腰帯返してくんにぇかにゃ?」
メルが困った声をしていた。
「あ、まって、もうちょっとみてもいい? みたことないもようもあるから」
ぼくはメルのこしおびにある模様を端っこから順番に指で辿っていく。
白い中が空いている丸、オレンジ色の三角、水色の渦巻き、真っ赤なまん丸、黄緑色の波模様、黒い三日月の形に、コルザおねえちゃんが頑張って刺繍していた傾いたピンクの四角が五つ並んでいる花の模様。
「メルのこしおびには、ししゅうのもよう、ななこあるんだね」
「んにゃあ。腰帯は毎日締めるもんだからにゃ。これに刺繍してありゃ、にぃが嫌でも七大精霊にょことぐらい覚えるだろうって、ばっちゃの策略だにぃ」
「ななだい、せいれい……?」
「おみゃあだって、そんくらい知ってるだろ?」
「え、うん! えっとね、このおはなは、いやしのせいれいさまのもよう! それでね、このまるは……えっと、みのり……? よる? あれ?」
「知らにぇんじゃにゃーかよ」
メルが呆れた顔でぼくの手からこしおびを取ると、一つ一つを指差して教えてくれる。
「中が空洞の丸は夜の精霊様の模様だに。新月と太陽を表してる。
三角は、燃え上がる炎を象っているから火の精霊様。
渦巻きは、水の波紋を表す水の精霊様。
中が詰まっている丸は実りの精霊様の記号。本当は木の実を模した方がいいらしいけど、簡単にしたい時は中の詰まった丸にする。
風がそよぐ様子を表しているのが、この波模様で、風の精霊様の模様だ。
風の隣が、獣の精霊様の爪だにぃ。三日月じゃなくて、爪だって覚えにゃきゃいけにゃい。
最後に五つの花びらがある花は、癒しの精霊様だ」
最後だと言った、五つの花びらの癒しの精霊様の刺繍の次に、また丸の夜の精霊様の模様があって、その隣には三角の火の精霊様が続いていた。
「もよう、ずっとおなじならびかたしてる。どうして?」
「そういう順番にゃんだとよ」
「じゅんばん?」
「夜の精霊、夜を連れ去り朝が来る。
火の精霊、火を起こして支度して、
水の精霊、水を呼び湯を沸かす。
実りの精霊、実りもたらし汁作り、
風の精霊、残った種を巻き上げる。
獣の精霊が爪を使って、種を運ぶ。
癒しの精霊、全てを癒して休みとなる。
そうしてまた夜の精霊が夜を運び、連れ去り朝が来る」
それはうんと小さい頃、サージおねえちゃんが本を読みながら話してくれたお話だったと、メルが全部を話し終わって、静かになった時に気がついた。
「ずっとくりかえすの?」
「そうだにゃ。一日で一つ。七日で一周。四周したら、月の色が変わる」
「へぇ……すごいね、メル。なんでもしってるんだね」
「にゃんでもは知らねぇよ。ばっちゃが教えてくれたから覚えたんだ。おみゃあだって、今のでどの模様が、どの精霊かくらい覚えただろ? 服見てみろよ」
「えっと……」
ぼくは首をぐるぐると回しながら、服についている模様を探して、メルのこしおびと見比べて、どれがどれだったかを思い出す。
「ぼくのふくにについてるのは、ひと、かぜと、みのりと、いやし?」
「んだにぃ。火は人間の身体を温めて守ってくれるから、守りの象徴。風は種や良い知らせを運んでくれるから、縁起のいい記号。実りは成長を司るから、子どもの服にゃ入れられることが多い。癒しが入ってんのは、おみゃあんとこの母ちゃんもねぇちゃんも、癒しの魔法が使えるんだろう? 家族が代々癒しの精霊様の加護があるから、たぶん入れてるんだろにゃ。それから……」
メルはぼくの後ろに回ると、背中のところを一箇所、指で押した。
「ここに、獣の精霊様の記号も入ってる」
「けもののせいれいさま?」
「獣は力の象徴だ。悪いものを切り裂いて、喰らう。背中にあるのは、背中から悪いものが入ってこないように、護るための記号だ。ただ……」
「ただ?」
「もし、おみゃあがにぃとおんにゃじ、“獣憑き”にゃら、あんまりこの記号に守られて、獣の精霊に気に入られすぎると、ちとやっかいにゃことににゃる」
“けものつき”。
聞いたことのない言葉だった。でも、メルの言い方は何となく、嫌な物だと言うような言い方で、ぼくはこの言葉が気になった。
「“けものつき”ってなに? ぼくとメルがおんなじって、なに?」
「獣憑きは、魔女みたいにゃもんさ。獣とおんにゃじぐらいに強い力を持つやつがそう言われる」
魔女は、精霊様の近くにいる人で、大きな魔力を持つすごくて、不思議な人たちの事だったはず。
だからぼくはあれっ? と思った。
「でもぼく、つよくないよ? コルザおねえちゃんみたいにまほうもつかえないし……」
「何言ってんだ。使えるじゃにぇえか」
「え?」
「“鼻”、よく利くんだろ。まるで“犬みたいに”」
「うん。ぼくはいぬだったもん。でもにんげんのはなは、いぬだったときとちがうから、はながいぬのときみたいになればいいなっておもったら、できるようになったの」
「にぃは、猫だったんだに。八回猫生して、九回目に人間ににゃることを選んだ。でも、人間の身体は猫みたいにゃ動いちゃくれにぇ。それが嫌で、猫みたいに動きたいと思ったら……」
メルが地面を蹴った。次の瞬間、ぼくの隣にいたはずのメルは、高い木の枝に掴まってぶら下がっていた。
「こうやって、“身体強化”の魔法ができるようににゃった。でも、これは普通の人間にゃそうそう出来るもんじゃにぇ」
メルはパッと木の枝から手を離して、ぼくの前にストンと降りてくる。
グラグラと揺れたりもせずに、真っ直ぐに。
真っ直ぐ立ったメルは、青くて上に鋭く吊り上がった目をぼくにスッと向ける。
「魔法は精霊の加護がにゃいと使えにぇ。身体強化の魔法は、獣の精霊の領分だ。そして、獣の精霊の加護を受けられる人間はそうそういにゃい。だから、にぃたちみたいにゃのは、普通の人間にゃ、“獣憑き”って呼ばれて、恐れられるんだ」
そう、ぼくにお話をするメルの目は、とても、とても、冷たい雪の日みたいに見えた。
一週間のうち、四日くらい休日でいいのに、
そんなことを考える七曜日と、七大精霊様です。
刺繍の辺りはちょっと趣味です。
さて、次はもうちょっと詳しい説明をします。
どうぞよしなにー!!!




