第4豚 豚公爵、言い負かされる
とある世界の、とある国の、とある公爵領の、とあるスラム街にて。
「だからぁ、そこにそんだけの魔力を使う意味はないだろ、馬鹿!
最低限で最大効率を上げれば良いんだから!」
「馬鹿は貴様だ、相手の硬さなどどうやって判断する?
我輩たちには莫大な魔力がある、余力を持って倒すことがより安全マージンを取れるというのに!」
スラムの少女と、公爵令息が、声を上げて討論していた。
「一撃当てれば相手は仰け反る、どうせもう一度自分のターンだ!
それを見て、改めて攻撃を仕掛ければいい!」
「それこそ魔力の無駄というものだろうが!」
まるでその身分を感じさせない二人の言い合い。
他のスラムの少年たちは、それをニヤニヤしながら見ているのであった。
スラムの少女・キサイと話して、公爵令息には、分かったことがあった。
キサイは天才だ。
魔術の応用に関しては公爵令息ですら敗北を認めざるを得ない。
「現時点では、な」
負けず嫌いな公爵令息は、自身の心の中で思ったことを、こっそり修正する。
しかし、残念なことに、魔法の知識に関してはスッポリ抜けている。
これは、スラムに住んでいる限り、どうしようもない。
学べる機会が、ないのだから。
「おいキサイ、お前は、アホだよな」
「あぁん?
喧嘩売ってンのか!?」
「魔術教本を貸してやる、少しは勉強しろ」
それは、公爵令息には珍しい、施しの心であった。
しかし。
「あ……いや、すまん、恥ずかしながら……。
私は、文字が、読めなくて、な……」
少女は、少し傷ついたように、そしてそれを誤魔化すかのように、笑って答えた。
公爵令息は、衝撃を受けた。
これが、スラムの、現状、なのか。
これほどの才能が、文字を読む程度の教育さえ受けられないのか……!
「キサイよ。
貴様、我が家に来ないか」
その有り余る才能を、もったいないと思った公爵令息が、そんな言葉を発したのも無理はない。
「あ、それは無理だ。
姉が許してくれないと思う」
「あ、姉?
貴様、姉がいるのか」
「いや、その……私たちは、孤児でな。
みんな、教会に住んでいるんだが。
その中で、一番年長の……まあ、血は繋がっていないけど、な。
私たちみんなの、お姉ちゃんが、いるんだ」
またもや、キサイは微妙な顔をしている。
「ふん、馬鹿な。
貴様を飼い殺しにするなど、世界の損失としか思えない。
おい、キサイ!
貴様の姉とやらに、会わせろ!」
「だ、だからぁ、なんでそういう恥ずかしいこと、普通の顔で言うかなあ!?」
公爵令息の言葉に、少女は真っ赤な顔でジタバタした。
#######
とある世界の、とある国の、とある公爵領の、とあるスラム街の……とある、教会、にて。
「おや、あんたが最近ウチの子たちにちょっかい掛けてるとかいう公爵令息かねぇ」
勇者『ヘンシュウ』を祭るはずの台座に足を組んで座っているのは、教会のシスター……ではなく……。
「なんだ、売女か」
上半身は肩まではだけ、下半身はひどく丈の短い着物を纏う、妖艶な少女であった。
咥える煙管から漂う煙からは、宜しくない類の匂いがする。
「フフッ、良いねぇ、坊や。
真っ直ぐ向かってくる馬鹿は、嫌いじゃあないよ?」
くく、と笑うと少女は煙管を燻らせる。
年齢は16と聞いていたが、女とはいくらでも化けられるものだな、と公爵令息は考えた。
「売女なら話は早い。
金はある。
キサイを売れ」
公爵は、懐から金貨の詰まった袋を複数個取り出し。
更に、巨大な魔石も、地面に置いた。
それを見た少女は。
「……ダメだ、キサイはやれないよ。
帰んな」
そう言うと、再度、くく、と笑った。
「何が、足りない?」
「足りなくはないさ、むしろ十分だよ、ただねぇ。
そんな高価なもの貰っても、どうせ上が難癖付けて、取ってっちゃうからねぇ」
「なるほど」
公爵令息は、合点がいく。
スラムには、公爵家でも届かない闇の組織があるらしい。
だから、お金を手に入れても、結局全部、取られてしまうのだ。
「では、毎月、決まった金を送るという形では」
「信じろってのかい?
スラムをスラムのままにしている、公爵様んとこの、ご令息様を?」
「……ふむ、そうだな、その通りだ」
公爵令息は、嘆息する。
取り付く島もない、しかも、いちいち、もっともだ。
ならば。
「……キサイは、天才だ。
彼女が本格的に魔法を学べば、恐らく歴史上最高の大魔導士になる。
彼女が、世界の何千、何万もの人々を救うのだ。
この才能を、野に埋もれさせても、良いのか?」
公爵令息は、キサイの才能を引き合いに出すことにした。
誇張でもなんでもない、彼の、本心でもあった。
しかし、少女は、つまらなそうに、答える。
「キサイが、天才?
知ってるよ。
ああ、知ってるさ。
私が、一番、な」
少女は、公爵令息を見つめながら、話した。
「ここに、教会がある。
神父や、シスターからも見放された教会だ。
そして、ここに、子供たちがいる。
今は、合計21人になる、私の可愛い可愛い、弟たちと、妹たちだ」
煙をぽかんと吐き出した少女は、静かに言葉を続ける。
「それじゃあ、問題だ。
キサイが4歳でこの教会に入る前に、生き残っていたのは、何人だと思う?」
公爵令息は、息を飲んだ。
質問の意味が、分かったのだ。
「答えは、私だけ。
他は、ゼロ、だ。
私は、8歳で体を売った。
だから、生き残れた。
誇り高い姉は、路地裏で犯されて死んだ。
頼もしかった弟は、魔獣に食われて死んだ。
死んだんだよ。
みんな、みんな。
みんな、みんな、みんな、みんな!」
公爵令息は、目を見張った。
キサイが、この惨憺たる現状を、変えたのだ。
恐らく、魔法の効率的な運用と、正しい陣形を取ることで、子供たちの死亡率を、極端に低下させたのだ!
「……そんなわけだ。
キサイが、世界の、何千、何万人を、救う?
それは、ここにいる21人の弟妹たちよりも、大事なもの、なのかい?」
ダメだ、敵わない。
少女の家族に対する愛の前では、公爵令息のどんな言葉も、届かない。
「そうか……分かった、失礼する」
公爵令息は、敗北を受け入れ、静かに教会を後にする。
#######
「ど、どうだった?」
キサイの、不安半分、期待半分な言葉に、公爵令息は、正直に答える。
「……我輩では、力が及ばなかった。
すまないな」
「そ、そうか。
まあ、仕方、ないからなぁ」
キサイは、安心半分、失望半分な顔で、そう答える。
「……ぶひょ、ぶひょ。
ぶひょひょひょひょひょひょひょひょひょ!」
突然笑いだす、公爵令息。
「何を勘違いしている、キサイよ。
我輩では、力が及ばなかっただけのこと。
別に、我輩が、諦めたわけでは、ないぞ?」
「へ?
い、いや、だってお前、力が及ばないって……」
「なあに、まだ手は、残している。
そう……我が家の、最終兵器を、な!」
悪役令息は、嗤いながら、高らかにそう宣言したのであった。
そして……。
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とある世界の、とある公爵領の、とあるピッグテヰル公爵家領内。
「くしゅん!
ずずっ……。
……あ、あれ?
かぜ、かなあ……」
何も知らない一人の公爵令嬢……カテーテル・ピッグテヰルが、静かにその鼻を啜っていた。