これ、なぁんだ
「ずるいのじゃ! えこひいきじゃ!」
としとし、力一杯に弱々しい地団太を踏んでカサンドラが牡丹に憤慨する。
「次々と妾の傑作を籠絡しおってからに……!」
キッ! と睨んだカサンドラの視線が向かう先には――加えたばかりだからか、装着途中である命器の重鎧以外にも――全身あちこちと、牡丹が着け纏っている多くの霊器たちがあった。
……そもそも霊器というものは、そうほいほいと牡丹のように何個も平然と身に着け歩き、何度も殆ど代価無しに行使出来るほどにお手軽な代物ではない。
霊器の素は製作者でさえ拒絶するような、我儘なじゃじゃ馬どもなのだから。
「……籠絡してはござらぬ故に」
カサンドラの言いがかりに、ムッとした顔で牡丹が訂正する。
「……むしろ逆に、拙者は利用されている立場でござる故に」
「同じことじゃろうて! ド阿呆! あんぽんたんめが!」
カサンドラの罵りは止まない。この生まれた時から魂が異質な魔女は、他の魔女らとは正反対といっても過言ではない属性に傾いていた。
属性とは、融和よりも相反するほどに惹かれ合うものであるからして、魔女らにとってそれぞれ理由はどうであれ、牡丹の異質な存在は興味を惹かれるのだ。
――だからこそより、霊器になってこそ顕著にその相反魅了が露わになる。
「霊器の半数は、拙者との利害が一致する魔女でござる故に――」
だから籠絡などしてはいない、などと改めて律儀に訂正しようとする牡丹にカサンドラは白けた目を向け、呆れかえったように牡丹の言葉を遮ってやった。
「ならば残り半数はなんじゃ、モテ自慢かえ?」
「…………」
語るに落ちるとはこのことであった。真面目に半数等と付け加えるからだ。
「……拙者と霊器との相性が、偶さか良かったからに過ぎぬ故に」
牡丹の言っていることは大筋では間違ってはいない。
間違ってはいない、が――とカサンドラは霊器たちへと順に視線を巡らせた。
「水仙、斑克木、勲章菊、雪乃下、梅桃、どいつらもが一癖二癖三癖と厄介な曲者ばかりじゃろうに――おまけに追加で紅杜躑躅までもがお主の手中じゃと……? 笑えぬ冗談じゃ」
アザレアより先に列挙された名は、かつて最期の審判の際、いの一番に狩られたカサンドラがその能力を利用されたせいで霊器とされてしまった、元最上位の魔女らだった。
……霊器となる前もそうだったが、霊器と成った現在ですらも魔女らは協調性がとんとなく、する気もない個人主義どもであった。
「神器に劣る霊器とはいえど身に多く纏い、全て扱えるものはお主以外おらぬ」
だから今の物言わぬ霊器同士の状態であっても、近付けたり同時に行使しようとするなどしただけで、霊器の使い手を即座に見限り、掌を返したように蝕み取り込もうとするほどであった。
なので魔女として生まれし牡丹も例外ではなかった……本来であれば。
「よくぞここまで、と一族を代表し妾が褒めて遣わそう」
本来であれば、牡丹のようにじゃらじゃらと大量に霊器を身に着けるには、相性がすこぶる悪いはずなのだ、本来であれば!
だが、その理が適応されていたのも――牡丹が完全に魔女を脱するまでのこと。
「――神の属性に強引に歩み寄り、魔神と至った成果のひとつじゃとな」
本来、魔女が魔神になることは不可能であった。だがしかしこの脳筋は、理を丸っと無視して強引に神の属性へと近づき、生まれた時の己の魂の異質さ頼りではあったが成し遂げた。
いくら生まれた時より完全に純粋な属性ではなく、混ざりものの属性のせいで不純で異質な存在であったとはいえ――本来であれば始終、人が人のままであるように、植物が植物のままであるように――ただの努力云々どうこうだけで至れるという話ではない。
確かに牡丹の魂は曖昧に混じっていた為、属性の増減や偏りを意図的に調整する事自体は、牡丹であればという前提で理論上では決して不可能ではないだろう。
……しかしそれでも、本来は無いに等しい可能性とは皆無と同義なのが世の常。
「……未だ半端者の身でござる故に」
「それでもまだ満足しておらぬのか、脳筋めが……呆れたものじゃ」
しかも馴染む黒ならまだしも白なのだから余計、何ゆえ至れたかが意味不明だ。
――魔女は生まれた時より黒の純粋属性なのだから。本来は。
「健気なことじゃ。そうしたところで魔女以外には見向きもされぬというに……」
たっぷりと憐憫を含んだ表情と声音で、カサンドラは牡丹を憐れんだ。
……遥か昔、生まれつきの異質で歪な不純な魂によって魔女の異端、混ざりもの、と他の魔女らに揶揄されることを一等厭っていたというのに、むしろ今では魂の大部分であった魔女の黒を粗方ごっそり削ぎ、もはや痕跡程度としか言えない有様にまで牡丹は己の本来の力を減じさせた。
そのようなことをすれば、もはや魔女としてでなく生命としてですらも存在することが出来なくなるというのに、迷わず魔女としての己の存在意義を滓のみ残して全て削り捨てた。
「――拙者はただ、最後の神を守り抜くために在る故に」
守る? とカサンドラは皮肉気に口元を歪ませた。牡丹がし続けていることは確かに神だけを守る御立派なことではあったが、果たしてそれは真に神を守っているといえるのか、とカサンドラは嗤う。
カサンドラもかつては、牡丹と共に次の神が生まれるまで神がとこしえに永く在れるようにと尽力していたからこそ、牡丹の思考も想いも理解出来るし、共感も出来る。
――だからこそ、反吐が出る。己らの事しか考えられぬ俗物らに。
「……守るじゃと? 違うのう。これは、」
全ては生命どもの自業自得。それを神に肩代わりさせようなどとは言語道断。
浅ましく、卑しいにもほどがある。いっそ、潔く滅びてしまえばいい。
「――ただの強請じゃ」
星の調和が崩れたのは、生命の著しい増加もひとつの原因ではあろうが、問題は増えたことよりもむしろ、生命どもが全体的に負に馴染み過ぎたことにあった。
ただでさえ星から神が生まれる頻度に比べ、星の魂の巡りがあまりにも速すぎて処理が追い付かず、あげく増え続ける負に馴染むばかりの生命どものせいで、欠陥のままで補充補填し強引に循環させ続けた影響か、ついには多くの生命どもに物質である肉体と非物質である魂の不一致による混乱が生命全体の広範にまで生じる末期であった。
「魔女らで唯一、破綻の影響を受け生まれしお主が一番分かっておるじゃろうに」
このような最中に、せっかく神が生まれても負に馴染み過ぎた生命どものせいで、あまりに一方へと偏り過ぎた調和を整えるのは神であっても一朝一夕に容易なことではなかった。
いわば生まれたての赤子に対し、常に自転車操業の火の車状態をどうにかしろと迫り縋っているような情けない状態といっても過言ではなかった。
「神を当然の如く犠牲にし続けてまで、醜く生き足掻いて何になるのじゃ」
いつ破綻してもおかしくない寸前――神が一身に生命どもの罪過を常に肩代わりし続け、贖罪に身を投じ続けていなければならないほどに。
生命を構成する物質の肉と、非物質の魂の均衡が調和されていないとあらゆる異常を心身へきたすように、星もまた均衡を崩されれば物質的な星の寿命などは関係なく脆くも崩れ消え去るのが真理。
「潔く滅びてしまえばよい。これ以上、妾は苦しむことも出来ぬ神を見とうない」
黒の、負の世界に産まれ在る生命どもが負に馴染んでしまうのは致し方ないだろうが、それでも完全な黒の属性として産まれてくるというわけでは無いのだから、調和の天秤が大きく傾いたことで均衡が崩れて生命が星諸共滅びるのは自業自得に変わりない。
今よりも容易に星の調和の役目を果たして去りし、かつてあの星に生まれた神々は……後の調和の維持の為にと生命へ善き――白についてを説いた。何故ならば負の世界に産まれ、物質に依存する生命が何よりも負に馴染みやすい存在であると知っていたから。
「もう充分に過ぎるほど、妾らは救われているのじゃ。これ以上は強欲じゃよ」
生命にとって分かりやすい神様とされる名残しという存在らは、名を残すこともしない神らとは違い、生命の感情に対して強く影響を受けやすい神紛いの存在であった。
神と違い、感情に左右された紛い物の神様は星の害悪を間引くという役目を果たすことがどうしても出来なかった。それが何よりも生命を永らえさせる方法と知りながら。
「感情に左右される神様なぞ、紛い物に過ぎぬ。ただの無責任な日和見じゃ」
だからこそ間引くよりも生命どもに直接的に善きについてを説き、生命ども自らがやがて調和を保たせらるように、と教え導こうとした。くだらん試みであったが。
いくら奇跡を施そうと、赦しを与えようと、罪過を肩代わりしようと、生命にとっては感謝や懺悔よりも、真っ先に芽生えるのはそれが脅威であり排除の対象、もしくは利用出来るかどうかという俗な感情でしかなかった。
「記録すら生命の欲にあっけなく改編される、能無しで役立たずの神様ども」
名無しとなった本物の神のように、感情なく生命どもを間引いてやればむしろ栄え永らえるというのに、その選択をその時の感情に囚われて実行することが出来なかった紛い物ども。
わざわざ様と付けるなど、本物の神への劣等感に過ぎない。紛い物。
「そのあまりの役立たずっぷりに、妾らの一族が生まれてくるほどじゃった」
生命の後世にまで名を残したのが、何よりの役立たずであったというその証明。
今なお、その名が残る神様どもは神ですらない。ただの紛い物。
「故に妾らは代々、神様の意を汲みて生命が為に神器を齎し続けた」
本物の神と違い、神紛いの奇跡が少々出来るだけで生命どもに神様と崇められた神の成り損ないである彼ら彼女らは、急速に星で増え続けている生命と星から定期的に生まれてくる神の頻度とを比べ、やがて破綻が訪れることを知っていた。
それを回避するには、――星を永らえさせるためには、多くの生命が白の――正の感情に満ちることが最善であった。しかし、黒の世界において負に馴染む生命どもに白の感情というものは容易に芽生えないし満ちない。
だからあっさりと、何かのきっかけで生命どもは負へと容易に傾き、堕ちゆく。
「簡単なことよのう。役立たずどもを、そそのかしてやったのじゃ」
ある神様は負の感情を神のように肩代わりしようとし、破壊の化身と成った。
またある神様は物質的に満たされれば、と豊穣を与えたが負の格差を生んだ。
とある神様は生命が休息し心身安らげる地を用意したが、醜い争奪が生じた。
他の神様も同様に――尽くが、裏目となってより負に生命どもを馴染ませた。
「その後、全ての行動が裏目となる神様らを次々と神器に変えてやったのじゃよ」
その結果は、言うまでもない。
身に余る神器を手にした生命どもが、その力をどのように使うかなど。
――結果、星の害悪どもの間引きは、害悪どもによってなされた。
「中には神器と成り果てる直前に、正気を失い大暴れするやつもおったのう」
あえてそうすることで、神器の危険性を知らしめ戒めようとしたのだろうが、そんなちっぽけな忠告ごときでは生命どもの俗は留まるところを知らなかった。
やがて武器系統の神器は尽くが生命どもの争いの中で散り消えた。
「神器には元となった神様の意思が詰まっておるからのう。私利利欲が為だけに神器を手にする生命どもの醜さに耐えられず静かに消滅するか、かつて厭うていたはずの間引きを呆れたことに最期まで生命が為に、と盛大に催して殆どが消えよった」
どのような汚名や異名であれ、紛い物の神様どもは色んな方法でもってその名を星が在る限りと永劫後世へと残そうとし、教訓や訓戒として未来の生命までをも救うためにあらゆる手法で説こうと遺し果てた。
確かに後世へ畏怖の名は残せただろうが、その教訓も訓戒も、生命どもにとってみればただの妄想止まりのお節介で非現実的な話でしかない。
……結局は全て無意味、無駄な救いの道標になってしまった。
「――拙者は、拙者が果たすべき役目を全うするのみでござる故に」
「頑固なド阿呆じゃ。つまらぬ」
神器について長々と語ったのは、霊器となった多くの魔女らを身に纏う牡丹への皮肉でもあった。お前も結局は同じ末路を迎えるだろうと、そういう意味を含めた。微塵も動じられなかったが。
改めて、牡丹が身に纏うかつての同朋らへと無感動に視線を巡らせ見やった。……異様なことだ。だが、異常なことではない。
……黒の属性である魔女は、真逆である白の属性に惹かれるのだから。
「――神を屠り続け、もはや正気ではあらぬな」
「…………」
牡丹は、神を幾度も殺し続けたことで――黒の属性である魔女であれば本来、拒絶反応著しいだろう白の属性を強制的に取り込み続けてしまっていた。
幾度も神を屠り続けられるのは、牡丹が白の属性に近くなっているからである。
「確かに、妾とお主じゃ相性が悪過ぎたようじゃ」
普通の魔女であれば即消滅するであろうが、異質な混ざりものの魂を持って生まれた牡丹は、ただひたすらに容易に計り知れないほど頑強な精神力でもって幾度もの神殺しを耐えて、耐えて、耐え続けた。
その結果――魔神へと至った。魔女よりも神に近い、存在へ。
「あまりに、えこひいきが過ぎるのじゃ……」
「天秤の傾きによる必然でござる故に」
その通りだった。調和の天秤。傾き過ぎた黒は地の底、昇りし白は遥かな頂。
全ての事柄において、白が有利であった。勝ち目はない。だから時間稼ぎ。
「……よすのじゃ、ぽっぽ」
幾重もの罠を用意していた。そのひとつ。控えていた従者を止める。
す、と姿を現した従者に一瞥もくれずにカサンドラは続けた。
「勝ち目なぞ、最初から考慮外じゃった」
神に等しいとまで言われた視通す能力。
多少のズレはあれどもここまで全て、視えていた。
「紅杜躑躅をそそのかしおってからに……渾身の罠が全て台無しじゃ」
言わずにはいられなかった。それさえなければ、もっと時間稼ぎが出来たのだ。
魔女は他者を信じぬ。だが、牡丹は信じるに値する。バカ真面目なせいで。
これを籠絡と言わずして、何と言うのか? 自覚なきが、なお性質が悪い。
「――ほれ、持って行くがよい」
投げやりに、ガーベラが鉄扇を牡丹に放り投げた。
怪訝そうな顔で、牡丹はそれを難なく受け取った。
「その扇こそが、守精カサンドラ様じゃ」
パシリ、とかなりの重さの鉄扇を受け取った牡丹であったが、突然の意図が分からずに困惑露わに眉根を寄せ、未だカサンドラだと思い込んでいる魔女に無言の視線で問うた。
牡丹の問うような視線にふん、と鼻で笑ってからガーベラが意図を伝えた。
「――霊器、縁房傘飾」
「――――」
ビシ、とその言葉の意味を瞬時に理解した牡丹が固る。
「代々、妾たち適合者が引き継いできた霊器じゃ」
あっさりと牡丹にそれを渡し告げたのは、もう何をどう抵抗しようともはや全てが無駄だ、と縁房傘飾がガーベラに教えてくれていたからだった。
この局面でそうしたのはそもそも、カサンドラが牡丹らのように器を移るのではなく、最初から自ら霊器と化し、代々と適合した使用者をまるでカサンドラであるかのように振舞わせていただけであったから。
カサンドラは――虎視眈々と、この最高の隙を狙っていた。時間稼ぎの為に。
「当てが外れたかえ? 敵を欺くには味方からであるのは古今東西の常識じゃて」
言いたいだけを言い、ガーベラは近くに控えていたぽっぽと共に穴底から出た。
穴底に残されたのは、物言わぬ霊器を手に硬直する牡丹だけである。
「――――」
牡丹は強い。天秤の傾きによる白の付加も合わせれば敵なし一強であった。
――故に、計略などは必要なく、全て打ち破って力業で成し遂げられた。
「――――」
霊器となってしまったカサンドラでは、果たして道案内に使えるかどうか。
とことん牡丹を足止めする為だけに練られた策略に、頭が真っ白であった。
「あらら、ちょっと欺かれたくらいでそんなに落ち込むことないじゃない」
「――ッ!?」
バッ! と急に声が聞こえた方角から本能的に牡丹は一気に距離を取った。
急激に、全身から凄まじい冷や汗が零れ落ちていく。
「警戒しなくていいわよ。怪しいものじゃないわ」
警戒しないわけがなかった。牡丹をして気配が読み取れないのだから。
何者か、と問うように殺気を籠めキツく睨みつけるが、相手はにこやかのまま。
「はじめまして、私は――」
優雅な所作で、その人物は牡丹へ丁寧な礼をとった。
「――大嘘から生まれた、本物です」
「――――」
本物。ここでいう本物の意味は、つまり――。
「長話も面倒でしょうから、さっそく本題から。――はい。これ、なぁんだ」
言いながら得体のしれない本物の魔女がひょいっと何てことないもののように取り出したものを見た瞬間、牡丹は思わず大きく後退った。
それは、著しく見覚えがあるもの――紫水晶の目玉、だった。
「なに、ゆえ……」
「細かいことはいいじゃない」
あっけらかんと、得体の知れない魔女がにこにこと告げた。
「――道案内が欲しいのでしょう?」
「――――」
「ちょうど私も、返さないといけない約束してるのよね。一緒に来る?」
――どれほどまでに怪しげな誘いであろうとも、牡丹に否、の答えは無かった。




